故宿人身 一
その日の朝、一人の百姓が砥石へ駆け込み、直後に一人の山がつが砥石から駆け出して行きました。
その者は、人の通わぬ、道とは到底思えぬ木々の間、岩の影を、風のように駆け、岩櫃の山城の木塀の間に消えました。
老爺でありました。顔には深い皺が刻まれ、手足の皮膚の肌理の奥まで土が染み込んでおります。
汗と埃の臭気が、汚れた衣服から沸き立っていました。
砥石から岩櫃まで一息に駆けたその『草』は五助と名乗りました。
頭を下げると同時に一通の書状、というよりは折りたたんだ紙切れを差し出したのです。
『水無月二日 本能寺にて御生害 惟任日向』
書いた者は、相当に慌てていたのでしょう。文字は乱れ、読み取るのに難儀しました。
内容は簡潔にして要領を得ません。
そのまま読めば、惟任日向という人物が本能寺で死んだかのように取れるかもしれません。
しかしそれは全くの逆でした。
本能寺で殺した。惟任日向が、織田信長を――。
不思議なもので、私はその意を汲み取った瞬間、奇妙な……安堵としかいい様のない感覚を覚えました。
まるで、そのことをずっと待ち続けていた「起こるべき事」がようやく起き、中々に決まらなかった事がとうとう決まった、といった、安堵の心地です。
「沼田へは?」
五助が父から、この事を矢沢頼綱大叔父へどのように知らせるべく命を受けているのか、確かめる必要がありました。それによって、私が取るべき行動が決まって参ります。
「速やかに、そっと、お知らせするように、と」
「では、沼田に伝手があるか? 縁者が居るとか……」
「は?」
「恐らくは、滝川様方にも織田上総介様御生害の報は届いておろう。さすれば、街道の役人の詮議もやかましくなっている筈。縁がある者が沼田に居れば、咎められだてすることなく城下出入りできよう」
「『道』は、弁えておりますれば」
五助は手捻りの土雛の様な顔で申しました。
私のような若造よりも、余程に人に知られぬ――それはすなわち、滝川様の御陣営の人々、という意味ですが――手段を持っている、と言いたいのでしょう。
『草』には『草』の自負があるものです。
「こちらにて充分に休みました故、直ちに走り出しますれば、今日の内には沼田の御城内へ入り込めましょう」
立ち上がろうとする五助に私はなおも尋ねました。
「それで、今日の内に戻ってこれるか?」
「戻る……で、ございますか?」
「砥石の、父の所へ復命せねば成るまい」
五助の顔色が少々鈍りました。
私は何か言いたげな五助に喋る間を与えぬよう、素早く申しました。
「足の速い者を一人付けよう。大叔父殿の所にも繋ぎを残した方がよい。残るのは其方でも、付け添えの方でも構わぬ」
言い終わらぬ内に、私は手を叩きました。
すぐに垂氷がやって参りました。
五助はこの小娘を怪訝そうな顔で見ました。
「沼田の大叔父殿の家は諏訪の神氏であるし、ご当人も鞍馬寺で修行を成された身だ。ノノウが大叔父殿を尋ねても不思議はあるまい。むしろ当然のことだ」
垂氷が旋毛の辺りから声を出しました。
「沼田の、あの鬼のお年寄りの所へ行くのですか?」
この娘は己に正直に過ぎます。私は眩暈を覚えました。
ところが驚いたことに、五助はこの言葉を聞いて笑ったのです。当然、声を上げてのことではありません。口の端を僅かに持ち上げ、目尻を僅かに押し下げただけではありましたが、それでも確かに笑ったのです。
五助は矢沢頼綱という人を知っており、且つ、垂氷が思うているのと同じような感情でその人物を見ているのでしょう。
私の目玉の裏側にも、件の酷い老人の顔が浮かびました。
私は苦笑を腹の底に押し込ました。
そして、出来うる限り厳しい顔つきで垂氷を睨み付けると、唸るような低い声を絞り出しました。
「火急だ」
垂氷の顔色が変わりました。かなり驚いております。私の顔が相当に「恐ろしい」ものに見えたに相違ありません。
あるいは、私の顔が「鬼のような誰ぞ」に似ているように思えたのかも知れません。
雷にでも打たれたような勢いで平伏した垂氷は、
「かしこまりまして御座います」
などと、普段しないような丁寧な返答をしました。
こうして二人の、祖父と孫程に年の離れた、すこぶる優秀な『草』たちは、岩櫃の山城を飛び出して行ったのです。
私にしてみれば切り立つ崖でしかない場所も坂道と下り、どう見ても通り抜けられそうもない鬱蒼とした木々の間の隙間をすり抜け、あの者達にしか判らない道を駆け抜けて行くのです。私のような度胸のない者には到底真似のできるものではありません。
知らせは、無事に届く。
私はその点では確信をし、安堵すらしました。
問題は……。
「父はどうする? 滝川様はどうなさる?」
木曾殿の所に居る源二郎と三十郎叔父はどうなるのか。厩橋に居る於菊は、果たしてどうなるのか。
そして私は、どうすべきなのか。
私は胡座を掻き、腕組みし、天井の木目をじっと見つめました。
どれ程の間もありません。
「この大事に、私ごときが直ぐに妙案を思い浮かぶようであれば、この世は楽すぎてつまらぬな」
私は独りごち、仰向けにゴロリと寝ころびました。
手足を大きく伸ばし、息を吐き尽くしました。
勝頼公が御自害なされたのが、弥生の十一日。
信長公御生害が水無月の二日。
滝川様が――つまり織田陣営が――関東・信濃を「領有」してから、三ヶ月ばかりです
そう。たったの三月です。
わずか三ヶ月ばかりで、占領した土地を治めきることが出来ましょうか。降将達が新しい領主を心底主人と認めることが出来ましょうか。
ことに、充分な「恩賞」を得られなかった者は……。
「北条殿は間違いなく動く」
北条の兵力は、武田征伐ではさして消耗しなかったはずです。大軍は動かされましたが、実際に戦闘することはほとんど無かったのですから。
余力は充分にある。
絶対的な君主の居なくなった織田勢が浮き足立っていると見れば、思惑通りであれば得られていた領地を「取り返す」為に行動を起こすに違いありません。
甲州を攻めるか、上野を攻めるか。あるいは信濃へ押し込むか。
甲州の押さえであった穴山梅雪様は、徳川家康様共々織田様に安土へと招かれ、その後大阪に向かわれたと聞いておりますので、今も関西におられるはずです。
穴山様はどれ程の速さでお戻りに成られるだろうか。いや、無事に関西を抜け出せるかすら定かではない。
惟任日向様が織田遺臣をどのように取り扱うのか、さっぱり知れません。
例え惟任様が今まで同様、あるいは今まで以上に厚遇しようとお考えであったとしても、方々がそれを受け入れるとは限りません。
織田様の軍勢が「頭が変われば、素直に新しい頭に従う」ような集団であるとは到底思えないのです。
従わぬ者、裏切る者は、切り伏せる。
それが私の見た「織田の戦」です。
そんな「織田の戦」をする者達が、織田信長を裏切った男に、従うはずがない。
皆、それぞれに、主君の仇討ちを画策するに違いない。
各地に散っている織田の遺臣が、己の首級を狙っている……それが判っている筈の知恵者明智光秀は、一体どうするのか。




