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真田源三郎の休日  作者: 神光寺かをり
うまやのはし
13/36

うまやのはし 一

 見事な青鹿毛あおかげでした。

九寸きゅうきある」※1

 前田慶次郎殿はうっとりとした眼差しでたてがみでられました。

 皐月さつき晦日みそかのことです。私は厩橋うまやばしにおりました。

 呼び出されたのです。


 その日の朝早くに届けられた萬屋よろづやの紙には、細くしなやかな文字で「源ざどの」と表書きされており、開けば、



「駒なるや いざ見に来たらむ ふるさとの 厩のはしにぞ 花と咲くらむ」



 という一首と「慶」の一文字が認められておりました。

 私の眼前で、垂氷つららが好奇の目を輝かせております。

「本歌取りだな。元は多分、『駒並めて いざ見にゆかむ ふるさとは 雪とのみこそ 花は散るらめ』であろう。これは古今和歌集にある。意味合いは、『馬首を並べて古里へ花見に行こう、急がねば花は雪が降るように散りきってしまうぞ』と云ったところで、春の楽しさを詠った――」

 私は、己が古今和歌集にいくらか明るいのだと云うことを少々自慢したかったのですが、垂氷には私の講釈を聞く気など更々なかったようです。

「それで、ご先方さま(・・・・・)は何と仰っているのです?」

 上目勝ちにこちらを見て、ニコニコと笑っておりました。

「『予てより手に入れたいと思っていた名馬がようやく我が物になった。見せびらかせてやるから、お前が生まれた厩橋へ来い。件の馬の御蔭で、我が厩舎うまやは花が咲いたように賑やかになっている』と仰せなのだよ。土地の名の『厩橋』と、厩の片隅と云う意味の『厩の端』とが掛詞になっていてだな――」

 言いかけた辺りで、垂氷はすっくと立ち上がりました。流石さすがに私も腹に据えかねて、

「人の話は最後まで聞くものだ。そのような態度は、話手に対して礼を欠く。当世、気の短い相手ならば手打ちにされかねない。大体、たしなごころのない娘は嫁に行けぬぞ」

 少々厳しき口ぶりで言いました。

 すると垂氷めは、なんとも無礼な振る舞いですが、立ったまま、

「若様。お言葉お返しいたしますが、元の歌が、早く(・・)行こう(・・・)という意味なら、つまりご先方は、若様に直ちに(・・・)来い(・・)と仰っておいでるということありましょう? でしたら、今直ぐに御出立の準備をなさるべきです」

 口元をきゅっと引き締めた真面目な顔で申したものです。

「それに、砥石のお殿様から、滝川様の様子をそれとなく見聞するようにと仰せつかっておいでなのでしょう? ちょうどよい機会が来たではありませんか。さあ、急いで参りましょう」

 垂氷は言い終わらぬ内にくるりと戸口へ振り返り、飛び跳ねるようにして外へ出ようとしました。

 垂氷の言い分は理に適っております。理に適ってはおりましたが、釈然としない部分がありました。

一寸ちょっと、待て」

 声をかけますと、垂氷は立ったままという不作法さで唐紙からかみの引き手に手をかけた、そのままの姿勢でぴたりと立ち止まって、肩越しに私の方へ振り向きました。

「何ぞ……?」

 大きな目が輝いておりました。

「付いて来るつもりではあるまいな?」

 その気でいるだろうというのは分かり切っていたのですが、一応、確認をしてみたのです。答えは想像したものと大差ありませんでした。

「いけませぬか?」

 流石に向き直りはしましたが、まだ立ったままです。

「女房衆や子供であれば女連れで外出してもも良かろうが……」

「いけませぬか?」

 口を尖らせました。

「いけない」

 私はできるだけ威厳を持って言い切りました。垂氷は不満顔で、

「何故です?」

「何故と言って……」

 私は頭の中で言い訳を思いめぐらせました。

 正直を申し上げます。垂氷と連れ立って歩くのが気恥ずかしかったのです。

 その頃の私と言えば十六、七の若造で、垂氷の年は確か十三、四でした。

 年頃の娘を連れ歩く様子を慶次郎殿に見咎みとがめられ、

「子供のようだ」

 と莫迦ばかにされるのは嫌でしたし、妙に勘違いされて、

「色気付いた」

 と冷やかされるのも嫌でした。

「ノノウが()の役をしていることが滝川様方にあからさまに知られては不味い」

 私は漸くひねり出したこの言い訳を、「我ながら良い言い訳だ。反論の余地もあるまい」と自信満々に思ったものですが、垂氷には全く通じませんでした。

「わたしは千代女ちよじょ様の秘蔵っ子で御座いますよ? 正体が知れるような鈍重どじをするものですか」

 胸を張って言ったものです。

 私は何故か米咬こめかみの辺りにキリキリとした痛みを覚えましたので、その辺りを指で押さえながら、

「滝川左近将監(さこんのしょうかん)様ご自身は伊勢志摩のお生まだそうだが、滝川家は元を辿たどれば甲賀こうかの出だそうだ。高名な甲賀衆の、だ」

「そう仰るならば、わたし共も元を辿れば甲賀流です」

 ノノウの総帥である千代女殿は、甲賀望月家から、遠く縁続きで同族の信濃望月家へと嫁いで来られた方です。ご実家は甲賀五十三家と呼ばれる忍びの衆の筆頭格でありました。

「だから、だ。同じ流派であれば、その所作で相手が何者かを察するに容易であろう」

 垂氷めは、童女こどものように口を尖らせて、

「つまり若様は、わたしが鈍重を踏むと仰せですね?」

 米咬みだけでなく、胃のの辺りまでキリで突き通すような痛みを覚えました。

「万々が一にも、鈍重を踏んでもらっては困る、と言っているのだ」

「判りました。ようございます。わたしは出掛けません」

 ようやっと、その場にすとんと座りますと、三つ指をついて平伏し、

「行ってらっしゃいませ。ああ、若様がこれほどおつむ(・・・)の堅い方だとは思わなんだ」

 館中に響くほどの大声で言ったものです。

 まあとにかくも、私は独り……まあ、馬丁ばていを一人連れておりましたが……厩橋の前田屋敷へ向かったわけです。

 門前で取り次ぎを頼みますと、ご家人が、

「主が、真田様がお越しになったら、厩へお連れするようにと……」

 困ったような、申し訳なさそうな微笑を浮かべて、私を厩へ案内してくれました。

 その厩で、前田慶次郎殿が四尺九寸の黒鹿毛をほれぼれとして眺めておいでたという次第です。



※脚注

※1「九寸」

▲ 中近世の日本では、馬の体高は四尺(約120cm)が基準で、それを越える馬は「四尺」を省略した長さで表した。「九寸の馬」は、体高四尺九寸(148cm前後)の意。

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