彼ってこんな人だったの?
「昨夜、あなたがミホさんの部屋に行ったのはもう夜中の十二時近い時間ですよね。いくら婚約者でも女性の部屋を訪れるには遅すぎませんか? あの時間にミホさんの部屋に行く約束をしていたのですか?」
「週末はミホの家で過ごす事が多かったものですから。ちょっと仕事上のトラブルがあって遅くなってしまいましたが……、約束はしていません。彼女の部屋に行く時は、約束なしで突然行く事が多かったです。特に週末は毎週のように行っていました。ただ、昨日は実家に帰る予定だったのですが、仕事で帰りが遅くなってしまいましたので急に予定を変更してミホの部屋に行きました。夜中に実家に行くわけにはいきませんからね」
「実家に行く予定だって言うことは彼女に伝えてあったのですか?」
「はい、実家の父が病気を患っていまして、たまには帰って来いとうるさいから今週はミホの家には行けないと言ってありました」
「急に行って、彼女が不在っていうことは考えなかったのですか? 金曜の夜ですから、友達と飲みに行くとか、場合によっては週末の小旅行なんかを予定していたかも知れませんよね?」
「そんな心配はありませんよ。彼女は飲みに行くような友達はいませんし、まして旅行になど行くわけがありませんよ」
刑事さん達は顔を見合わせて何か意思疎通をはかっているようだ。三十代刑事が話し始めた。
「彼女には友達はいなかったのですか? 人付き合いが苦手な方だったのでしょうか?」
「人付き合いが苦手なわけではありませんが、友人はいなかったでしょうね。婚約者の事をこんな風に言うのは気が引けるのですが、どちらかと言えばミホは周囲に嫌われていましたからね」
「周囲に嫌われていた? どんなふうに嫌われていたのですか?」
田中一郎が微笑みを浮かべながら私を見ている。
「嫌われていたのですか?」
「嫌われてなんかないわよ! ちょっと友達が少ないだけよ……」
「ミホは考え無しにしゃべってしまう癖がありましたからね。他人が傷付くような事を遠慮なしに言ってしまうんですよね。だから、特に女同士では評判が良くなかったと思いますよ」
若い刑事さんがメモをとる手を止めて質問した。
「なぜあなたはそんなミホさんと付き合っていたのですか? 婚約者ってことは結婚を前提に付き合っていたんでしょう?」
「婚約者って言ったって、先日はずみで結婚しようって言っただけですよ。男と女が付き合っていればよくあることでしょう? その後別れる事だって普通に有りますからね。それほど大袈裟に考えてはいませんでした」
「えっ? ユージ、私と結婚する気は無かったの?」
まさかユージがこんな事を言うなんて思ってもみなかった。私はユージに駆け寄って抱きつこうとしたが、勢いあまってユージの身体を通り過ぎてしまった。そうだった、私は幽霊になってしまったから、もうユージと抱き合う事も出来ないのだ。振り返るとユージの後ろで田中一郎がニヤニヤしている。
「な、何か言いたい事でもあるの?」
「いいえ、別に有りません」
田中一郎のニヤケ顔が私の敗北感を巨大化させている。私は立ち直れないほどのダメージを受け、壁際に座りこんだ。
「あなたはミホさんと結婚する気は無かったわけですね。それなら、なんで結婚しようなんて言ったのですか?」
「だって、ミホとの付き合いも長くなってきたし、そろそろ結婚でもちらつかせないと別れるとか言い出されるじゃないですかぁ」
「結婚する気は無いけれど、別れたくは無かったと言う事ですか?」
「まあ、そう言う事ですね。だって、性格的に問題がある女ですよ。結婚したらずっと一緒に居なくてはならないじゃないですか。そんなのは耐えられそうにありません」
「ならば、なぜ別れようとしないのですか? 結婚を匂わせる様な事を言ってまで……」
「刑事さんも現場でミホの裸を見たでしょう。ミホの身体は最高ですよ。そんな身体を自由に出来るのですからね。自分から放棄するなんて事が出来るわけ無いじゃないですか。死んじゃったって解ってからも欲望は押さえられなくって。でも、自制心っていうやつですかね? そんなのが働いたから、全身を触ってキスしただけでやめましたよ。残念だよなぁ、この先あんな良い身体をした女に会う機会なんて無いんだろうなぁ」
二人の刑事は揃ってあきれ顔になっている。これ以上の質問は無意味だと悟ったのだろう。そそくさとユージのマンションを後にした。
「ユージさん、貴女と結婚する気は無かったみたいですね。御気持ち、お察しします」
私は車の後部座席で沈痛な面持ちを作り、丁寧な言葉遣いで私を慰める田中一郎を殺したいと真剣に思った。
「次はどこに行きましょうか?」
運転席に座った若い刑事は、シートベルトを締めながら三十代刑事に訊ねた。
「まさか婚約者があんな奴だったとは思いもしなかったからなぁ。当てが外れたな」
「そうですよね。身体だけが目当てだったのなら、殺してしまっては元も子も無いですものね。あいつは容疑者から除外しても良さそうですね」
「そうだな、被害者の交友関係を知りたいし……。何か手掛かりが見付かるかもしれないから現場に行ってみるか?」
「はい」
刑事達の車は事件現場である私の部屋に向かって動き出した。後部座席に座った私はうなだれたまま黙っていた。田中一郎は私の隣で何か言いたそうにしている。私はそんな田中一郎の視線を無視し続けた。
もう全てが嫌になりかけている。私は何の為に生きて来たんだろうか? 私の事を愛してくれる人はいないのだろうか? そんな事ばかりを考えているうちに、車は事件現場に到着した。
刑事達の後ろについて私の部屋に入った。刑事達は引き出しの中やクローゼットの中を調べている。
「交友関係を示す様なものは何もないなぁ。本当に友達のいない女だったのかぁ」
三十代刑事がつぶやいた時、引き出しをあさっていた若い刑事が何かを見付けたようだ。
「これ、なんでしょう? 中に何か入っている様ですが、どこが開くのかなぁ?」
三十代刑事が若い刑事の手元を覗き込んだ。
「寄木細工のからくり箱だな。貸してみろ」
三十代刑事はからくり箱を詳細に眺めてからパーツを順に動かし始めた。
「開いたぞ。写真とメモが入っているな。メモには名前と連絡先が書いてあるぞ。署に送って確認してもらってくれ」
若い刑事はスマホで警察署に連絡している。
「刑事さん、よく開けられたわね。開け方の書いてある紙を無くしちゃったから開けられなかったのよね」
私が感心していると、田中一郎が耳元で囁いた。
「メモには何が書いて有ったのですか? 写真に写っているのは誰ですか?」
「ちょっとぉ、耳に息を吹きかけないでよね」
「あっ、すみません。耳は感じやすいところだったのですね」
「ば、ばか! なに言っているのよ。感じるわけ無いでしょう!」
そうは言ったものの、耳は私の弱点だった。耳に息を吹きかける様に優しい言葉をかけられたらもう抗うことが出来なくなってしまうくらいの場所だった。私は動揺を隠して田中一郎の目を睨みながら、手紙とメモの内容を語った。
「あれは元彼の写真と連絡先よ。ユージに見付からないようにあの箱に入れたんだけれど、開け方が解らなくなっちゃったのよ」
「婚約者がいるのに元彼の写真と連絡先を捨てなかったのですか?」
「ユージがプロポーズしてくれた時にはもう開け方が解らなかったのよ。仕方ないじゃない」
「開け方を知っていたとしても捨てなかったのでしょう?」
「えっと……、そんなの解らないわよ!」
またしても田中一郎のニヤニヤした顔が目の前に出現した。まったく嫌な奴だ!
その時、若い刑事のスマホが鳴った。何やら話しながらメモをとっている。
「現住所が解りましたよ。行ってみますか?」
「そうだな、行ってみよう」
刑事さん達の車は、後部座席に私と死神の田中一郎を乗せて、元彼の住む街へと向かった。