彼の疑惑?
私と死神の田中一郎は、マンション十階のベランダに立った。当然私の婚約者であるユージの住む部屋のベランダだ。
室内の様子を窺うと、彼は帰宅している様だ。もう夜中だから当然と言えば当然だ。
ベランダのサッシは施錠されていたが、幽霊の私と死神の田中一郎には無関係だった。私たちは施錠されたサッシをすり抜け室内に入った。
彼はリビングのソファーに座り、カップラーメンをすすっている。事情聴取で帰宅が深夜になってしまったのだろう。この時間になればお腹がすくのも仕方が無い。
「婚約者が死んだのにカップラーメンですか……。僕だったら何も喉を通らないと思うけれど、彼はキモが座っているのですかね? それとも、それほどのショックを受けていないのかなぁ」
田中一郎が彼を揶揄する様な発言をした。
「なにを言っているのよ! こんな夜中まで警察で事情聴取されていたら、お腹くらいすくわよ! 大体、死神のあんたに彼女なんかいるの?」
「死神だって彼女くらいいますよ。結構美人なんですよ」
田中一郎は嬉しそうに笑っている。こいつの彼女の話になどに興味は無い。私が無視しているにも関わらず、田中一郎は彼女の事を話し続けた。
「僕と彼女は死神研修の時に知り合ったのですが、完全に僕の一目ぼれでした。ほら、僕って目立たない方じゃないですかぁ。それなのに、彼女は美人で他の研修生達からも羨望の目で見られていましたからね。だから、必死でアピールしましたよ」
(だからなんだって言うのよ! あんたの彼女が美人だろうが不細工だろうが私には何の関係も興味もないじゃない。本当に空気の読めない奴だなぁ)
「だからなに! あんたの恋と今回の事件に何か関係が有るとでも言うの?」
「いや……。関係は……有りません」
田中一郎の顔から笑みが消えた。
「だったら暫く黙っていて!」
田中一郎はリビングの隅で体育座りをしている。拗ねてしまっているらしいが、「かわいい!」なんて思うわけが無いのに……。面倒くさい奴だ!
私はソファーでカップラーメンを食べている彼の隣に座った。彼の身体から伝わって来る温もりに幸せを感じている時、彼のスマホが鳴った。
彼はスマホのディスプレイに表示された名前を確認したが、そのままスマホをソファーの上に伏せて置いた。のぞき見たディスプレイには女の名前が表示されていた。
「いったい誰なの? 女の人からだよね」
彼の耳元で囁いたが、聞こえる筈は無い。ユージはカップラーメンを食べ終わると、残った汁を流しに捨て、歯磨きをしてベッドに入った。私はユージの隣に横になって、幸せをかみしめた。
数時間後、カーテンの隙間から太陽の光が部屋に差しこんできた頃、それまでリビングの隅でいじけていた田中一郎がベッドサイドに立って私を見下ろしている。昨夜まで常に漂っていた田中一郎の笑みが、跡形もなく消えている。私が彼女の話を聞かなかった事が、これほどまでに田中一郎の気分を害するとは思ってもみなかった。
「どうしたの?」
私が声をかけると、田中一郎はふてくされた様な声音で答えた。
「そろそろ警察に行かないと刑事達が出掛けてしまいますよ。良いのですか?」
そうだった。世間の会社員は週末でお休みだけれども、刑事達は仕事だ。警察が土日休みだったら大変な事になる。
「そうね、それじゃ警察に行きましょうか」
私はユージの温もりから離れ、立ち上がった。
警察署に着くと、刑事達は朝の打ち合わせを終えたところだった。
「それでは今日も一日頑張って下さい」
一番偉そうな刑事さんがそう言うと、各自捜査に出掛けて行く。私はどの刑事さんに付いて行くべきか考えていた。
「ほら、何時までも寝ていたから誰に付いて言ったら良いか判らなくなっちゃいましたね」
こいつは本当にイラつく!
「あんたが早く起こしてくれたって良かったのよ。どうせあんたも寝ていたんでしょう」
「そんな事はありません。死神は寝なくても大丈夫なのです」
「あっそう、どうでも良いけど……。あの若い刑事さんに付いて行きましょう」
「新米刑事みたいですよ。あっちの年配刑事の方が良いんじゃないですか? やはり捜査は経験でしょう?」
田中一郎はそう言うが、私はあの年配刑事の態度が気に入らない。事件現場でも全裸で死んでいる私をいやらしい目で見ていたし。「どうせ痴情のもつれで殺されたんだろう? ろくな女じゃ無いな」などと口走っていた。あんな刑事には付いて行く気がしない。
「いいえ、あの刑事はだめ! 歳を喰っているだけでろくな奴じゃない気がする。若い刑事の方に付いて行くわよ」
「はいはい」田中一郎は不満そうに返事を返した。
若い刑事は先輩らしい三十代くらいの刑事とコンビを組んでいる。二人は車に乗りユージのマンションに向かうようだ。私と田中一郎は刑事達の乗った車の後部座席に座った。
「今回の事件、お前はどう思う?」三十代刑事の発言だ。
「そうですねぇ、あの婚約者って男、なんか気になるんですよね」
「どんなふうに?」
「悲しみ方がわざとらしく見えるんですよね。演技っぽい感じって言うのですかね」
「確かに下手な役者の演技みたいだったよな。少しカマをかけてみるか」
「えっ? ユージが怪しいの?」
「確かにあの婚約者は怪しいですよね。昨夜もカップラーメンなんか食べていたし……」
田中一郎が刑事の意見に賛同する。
「まだ言っているの! あんたは死神だから解らないでしょうけれど、人間はお腹がすく生き物なのよ。空腹は親や恋人が死んだ時だって手痛い失恋の後だって、お構いなしにやって来るものなのよ。もう少し人間について勉強したら?」
「はぁ、そんなものですかね? でも、貴女の死体を見た時の婚約者の目は異常だったと思うけれど……」
「異常ってなによ! ユージがどんな目をしていたって言うのよ!」
「うーん、なんて言ったら良いのかなぁ……」
「いいかげんな事言わないでよね!」
私と田中一郎が言い争っているうちに車はユージのマンションに到着した。刑事達がインターホンを鳴らすと、寝ぼけ眼のユージが玄関に現れた。
「警察の者です。昨夜の件で少しお聞きしたい事がありまして……」
ここでは話しにくいから部屋の中に入れろと言うことなのだろうが、寝ぼけているユージには通じないようだ。三十代刑事は理解してもらえない事を察して、ハッキリと言うことにした様だ。
「玄関先ではなんですから、上がらせてもらってもよろしいでしょうか?」
「は、はい。どうぞ」
刑事達はユージが出したスリッパに履き替えて室内へと入って行った。私と死神の田中一郎も後に続いた。
リビングのソファーに座って三十代刑事の質問が始まった。