これは殺人事件なの?
今日は忙しい一日だった。私は今日の事を愚痴りながら家路を急でいる。もちろん声には出していない……はず。
「なんで使えない後輩をカバーする為に、残業までしなくちゃならないのよ! 体調不良で休みならともかく、昼から出社ってどう言うことなのかしら? おかげで夕食もコンビニ弁当になってしまったわ。こんな日の楽しみは、お風呂に浸かってのんびりするくらいしか残っていないじゃない!」
私は家に着くとすぐにお風呂の用意をして、ぬるめのお湯に浸かった。疲れていたせいだろう、少し居眠りをしてしまった様だ。
バスルームを出て時計を見ると、十一時半になっていた。
浴室の照明を消そうと、壁のスイッチに左手を伸ばした時だった。指先に痺れと痛みが走る。その瞬間、私は事態の重大さに気付いた。しかし、すでに後の祭りだった。
一瞬の出来事であったが、私にとってはとても長い時間に感じられた。指先に感じた痺れと痛みは私の左腕を駆け抜け、心臓を停止させようと迫ってくる。
死ぬこと自体に恐怖は感じなかった。しかし、この状況で死んだ場合、もっと気になる事が有った。それは家族の事でもなかったし、先日プロポーズしてくれた恋人の事でも無かった。
「私はこの状態で死んじゃうの? だって、お風呂から出たばかりで、何も着ていないのよ。発見された時に全裸だなんて恥ずかしいじゃない!」
そう、もっとも気になった事は、死体の発見時に自分が全裸だと言うことだった。そして私は発見までの経過を考えた。
「この状態で死んだ場合、発見までに何日かかるのかしら。私は一人暮らしだから、誰かが来てくれないと発見してもらえないのよね。今日は金曜日で土日は会社が休みだから、月曜日に無断欠勤する事になるわ。今まで無断欠勤なんかした事はないから、会社の誰かが訪ねてくれるかもしれない」
そう思って会社の人達の顔を一人ずつ思い浮かべてみたけれど、そんな気の利く人が居るとは思えなかった。
「そうなると、かなりの間放置される事になっちゃうじゃない」
私は他に気付いてくれる様な人が居ないか考えてみた。
先日プロポーズしてくれた彼は私の部屋の合い鍵を持っている。しかし、今週末は実家に行くと言っていた。お父さんの具合が悪いらしい。入院するほどでは無い様だが、検査結果が思わしくないと言っていた。
他に思い当たる様な人は浮かんでこなかった。
「これじゃ、いつ発見されるのかわからないじゃない! 初夏とはいえ、六月にもなると気温も高くなるのよ。それにもうすぐ梅雨入りだし……。何日も放置されたら身体が腐っちゃうじゃない。全裸で腐りかけのゾンビみたいな状態で発見されるなんて絶対にいやよ!」
ここまで考えた時だった。いくらなんでも、一瞬が長すぎる事に気付いた。
「なんでこんなに長いの?」
そう思いながら何気なく足元を見ると、全裸のまま倒れている私がいた。
「えっ? どうなっているの? なんで私が倒れているの?」
私は現状把握の為に数分の時間を要した。
「もしかして、私は幽霊になったの?」
幽霊になってしまった私には、死体となって横たわっている私のことがみじめに思えた。
「死んでから何日も放置されるなんて、まるで独居老人じゃ無い! なんとかして誰かに連絡を取らなくちゃ。確か部屋にスマホがあったはずよね」
スマホをベッドの上に置いた記憶がある。私はベッドを目指す事にしたのだが、地に足が付かないとはこのことなのだろうか? 私の身体は微妙に床から浮き上がっている様で、上手く歩く事が出来ない。どうしたら良いのだろうか?
「前に視た映画の幽霊は足が無かったじゃない。それなのに床の上を滑る様に移動していたわよね。私にも出来るかも知れないわね」
そう思って試してみたら意外と簡単に出来た。行きたいと思う方向を念じると、その方向に滑る様に動けるではないか。私は床から微妙に浮き上がったまま、滑る様にベッドまで辿り着いた。
ここでまた問題が発生した。スマホを手に取ろうとしたけれど、スマホに触れる事が出来ない。触れる事が出来ないと言うよりも、手がスマホを通り抜けてしまうのだ。これではスマホを使って誰かに連絡する事は諦めるしかなさそうだ。
途方に暮れていると、インターホンが鳴った。こんな夜中に誰かと思いながら玄関に行ってみると、実家に行っているはずの彼だった。
「いったいどうしたのだろう? もしかして私に起きた不幸な事故を察して来てくれたのだろうか? そんなはず無いわよね」
彼は玄関先で私が出るのを暫く待った後、合い鍵を取り出して玄関の鍵を開けて部屋に入って来た。もうすぐ全裸で死んでいる私を発見する事になるのだから、可哀想な気がしたが仕方が無い。私は発見が早まった事を喜んだ。理由はどうあれ、今は彼が来てくれた事が嬉しかった。
「ミホ、居ないのか? 電気をつけっぱなしでどこに行っているんだよ! 全くだらしが無いんだから」
「ユージ、私は洗面所に倒れているわ。早く見付けて!」
そんな私の切実な思いもユージには伝わらない。
「まあ、すぐに帰って来るだろう?」
彼はそう言ってベッドにもたれかかって煙草を吸い始めた。
「部屋で煙草を吸う時は窓を開けてっていつも言っているでしょう!」
私の声はユージには聞こえない。それはそうだよね。だって私、幽霊になっちゃたんだから……。そんな事を考えたら、凄く悲しい気分になった。
「お願い! ユージ、早く見つけてよ!」
そんな私の願望をよそに、ユージは三本目の煙草を乱暴に消した。
「そうだ! ミホが帰って来たら一緒に入れる様に風呂の準備をしておこう」
彼はそう言うと立ち上がり、股間を押さえながらバスルームの方へ歩き始めた。
「そうそう、洗面所のドアを開けて! 私はバスルームの入り口に倒れているからね。ユージ、愛しているわ。でも、私が帰ってきたらすぐに入るって? 一緒に? もう、エッチなんだからぁ」
彼は洗面所で倒れている全裸の私を発見した。
「わっ! ミホ! ミホ! ど、どうしたんだ!」
「ユージが驚くのは仕方が無いよね。だって、こんな所に私が倒れているなんて想像もして無かったでしょうからね。でも、落ち着いて」
「ミホ! ミホ! しっかりしろ! 目を覚ませ!」
彼は私の身体を抱き起した。しかし、私の身体はぐったりとして動かない。
彼は暫くの間、私の身体を抱きしめたりゆすったりした後、やっと死んでいる事に気付いたみたいだ。暫く放心状態になった後、自分のスマホから警察に連絡をしている。
「警察ですか? すみません、ミホが……、あっ、ミホって言うのは僕の彼女なのですが……。ミホの家に来たら、ミホが死んでいるんです。どう、どうしたら良いんでしょうか?…………はい、…………はい。このまま待っていれば良いんですね。…………はい、解りました。よろしくお願いします」
「警察が来てくれる事になったのね。でも、私は全裸なのよ。お願いだから警察が来る前に服を着せて! あなたの彼女のヌードを見知らぬ警察官たちに見られちゃうのよ。ねえ、お願い」
ユージは全裸で倒れている私をじっと見ている。
「ねえ、お願い。私に服を着せてよ。Tシャツと短パンだけでも良いから……」
私の願いは彼には届かない。それどころか、じっと見つめているだけだった彼がいきなり私の口にキスし始めた。唇を押し広げる様にして舌まで入れている。そして胸やお尻を触りまくっているじゃない。
「ユージ、何をしているの……。 ごめんね、私死んじゃっているから、そんな事をされても何も感じないの……」
死体となった私を愛撫し続ける彼をこれ以上見ていられなかった。私は服を着せてもらう事をあきらめ、この場を離れてベッドの上に移動した。
しばらくすると制服姿の警察官がやって来た。ユージが部屋に招き入れる。警察官は私の死体を確認してから、ユージを玄関に連れて行き事情を聴き始めた。
制服の警察官が一通り話しを聞き終わった頃、私服の刑事が鑑識係を伴ってやって来た。
刑事は現場である私の部屋を一通り観察した後、ユージから事情を聴いている。鑑識係は部屋中の指紋を採取したり、写真を撮ったりしている。もちろん私の全裸写真も彼等のカメラに収められてしまった。
「この写真が流出なんてことは無いんだよね? こんな写真が流出したら……。いくら死んでいるとはいえ、全裸の写真を撮られるのは嫌だなぁ」
バスルームのスイッチを調べていた鑑識係の人が刑事さんを呼んで何か話している。私は近寄って聞き耳をたてた。
「見て下さい。どうやら事故死では無いですね。スイッチに細工がされています。濡れた手でスイッチ操作をすると感電する様になっています」
「事故死じゃ無くて殺人だって事か? 指紋とか、念入りに取っておいてくれ。他に誰かが居た形跡は無さそうだけれど、その辺も念入りに頼むよ」
「えっ! 事故じゃないの? これは殺人事件なの? 私は誰かに殺されたの?」
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