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7.歓呼

 新しい王が即位してから数ヶ月経ったある日のことでした。ルイが私を訪ねてノアイユ公爵邸へやってきました。


「散らかっていて恥ずかしいわ」

「いえ……」


 ルイは邸内を見渡すと、驚いたように、そして悲しそうに呟いて首を振りました。彼も訪ねたことがあるこの家の、在りし日の姿と比べて嘆いてくれたのでしょう。


 両親を襲った暴徒は、この屋敷そのものも見逃してはくれなかったのです。窓は破られ、家具も壊され。明らかに装飾の部分がなくなっているのは、持ち去られてしまったのでしょう。仕えていた人たちも、逃げられたのか……あるいは殺されてしまったか、ほとんど残ってはいませんでした。その惨状に呆然として――それでも、ほんの何人か残っていた人たちに出迎えられて初めて、私は戻ってきたと実感することができたのでした。


 王を迎えることはおろか、暮らすことさえままならないひどい有り様ではあるのですが、それでも懐かしい私の実家です。少なくとももう少し気持ちが落ち着くまでは、私はこの家を離れるつもりはありませんでした。


「何のご用でしょうか、陛下?」

「う、うん……」


 挨拶もそこそこに促すと、ルイは一瞬だけ躊躇うように言い淀んでからその場に跪きました。


「陛下……?」


 次に何が起きるか予想しながら、私は何も知らない振りで軽く首を傾げます。するとルイはとても緊張した表情で私の手を取りました。


「マルグリット。私と、結婚してください。新しくやり直すこの国の、王妃に相応しいのは貴女しかいない」


 それからルイは、私も考えていたことを切々と語りました。


 王妃になり得る身分の令嬢で、国内に残っている方はとても少ないということ。皆、処刑されるか国外に逃れていらっしゃるのです。

 私はかつてオーギュスト様の婚約者だったので、あの方が亡くなった――どうやって亡くなったかは、どうしても、頭の中でさえ言葉にできません――今、再び王家に迎えられるのは自然な成り行きだということ。

 更には、一度は追放されたにも関わらず、隣国でルイを擁立し、苦難に喘ぐこの国に援助をもたらしたことが評価されているということ。平民の間でさえ、私は慈悲深いと誉めそやされているそうです。


 そう、やはり民とは愚かなものでした。私たちは最も効果的な瞬間――革命への反感が頂点に達し、民の暮らしもいよいよ進退窮まる時、けれどルイが再建するにはまだ間に合う瞬間を、慎重に測っていたのです。

 待つ間にも多くの人が処刑され、飢えて死んでいくのを承知で。

 なのに民はそんなことにも気づかないでただ新しい王を喜んでいるそうです。


 お腹さえ満たされていれば良い――これでは、獣と同じです。


「貴女が兄を愛していたことは知っているが……祖国のために……」


 祖国のため。


 私は何度その言葉を繰り返してきたことでしょう。国のため、民のためと信じて進んだ果てに、私は両親も友人も愛する人も失くしてしまいました。


 だから、今度こそ――


「お心は嬉しく伺いました」


 私の手を押しいただくようにしていたルイがはっと顔を上げ、私を見上げてきます。その不安げな顔に、私は優しく微笑みかけました。


「一度は罪人と呼ばれた身ではありますが、それでもよろしければ……。喜んで、お受けいたします」

「姉様……マルグリット……!」


 信じられないという風に目を瞠ったルイの手に、私はそっと自分の手を重ねます。


「信じられない。貴女は……まだ兄上を……」


 ルイの声には、思いがけず受け入れられた喜びと戸惑いが半ばずつ混ざっていました。私は言い聞かせるように続けます。彼と、自分自身に向けて。


「オーギュスト様を愛しています。申し訳ないけれどそれはずっと変わりません。でも、私は罪を償わなければならないのです。オーギュスト様や、セシル。お父様お母様に対しての罪を」

「貴女にできることは何もなかった。貴女は悪くなどありません」

「いいえ!」


 私の声があまりにも大きく鋭いものだったのでしょう、ルイはびくっとして手を引っ込めようとします。でも、私はそれを許さずに手に一層の力を込めました。


「平民に国を任せようなどと考えたのは大変な過ちでした。彼らを信じて優しく扱ってあげたのにこの通りです。私は……そのような考えを持つべきではなかった! 皆を止めるべきだった!」

「マルグリット、貴女は……」

「身分が違うのには理由がありました。平民には先のことを、国の未来を考えるなどできないのです。オーギュスト様もセシルも、民のために心身を犠牲にしていたのに、あの者たちはそれに気付きもしなかった! 自分たちを救おうとした人たちを追い落として自らの首を締め……あまつさえ恥知らずにも私や貴方に助けを求めた!」


 きりきりと。私の爪がルイの手に食い込みます。 王の身体を傷つけてはならないと、理性が叫んでいます。優しいルイを、険しい声と表情で驚かすのも、心が苦しくなることです。けれどこの激情を抑えることなどできません。


「貴女は……民を虐げるつもりか!? 兄上はそのようなこと、望んでいない!」

「いいえ、いいえ!」


 ルイの手を握りしめたまま、私は激しく首を振りました。あまりにおかしなことを言われたので、思わず笑ってしまいます。もしかすると口許がひきつったようにしか見えなかったかも知れませんが。


「国を守り導くことこそ貴族の義務ではないですか。祖国の復興に、私も尽力いたします。二度と民が飢えて苦しむことのないように、共にこの国を富ませましょう」

「では……一体どういう……」

「過ちは二度と繰り返してはなりません」


 私は跪くとルイと目線を合わせました。お兄様に――オーギュスト様によく似た瞳に向かって訴えます。


「平民に力を与えてはなりません。彼らを付け上がらせてはなりません。あれらは、豚と一緒です。十分に餌を与えておきさえすれば良いのです。知識も権利も義務も、豚には必要ありません」

「何ということを……彼らも人間なのに……」

「彼らがしたことを思い出して。あれが人間のすることですか?」


 ずっと外国にいた私と違って、ルイは革命の惨劇を直に見ているのです。お父様やお母様の最期を見て、私に教えてくれたのも彼でした。あの時、ルイも言ったのです。人間のすることではない、と。


 オーギュスト様とセシルが最期まで気高くあったのは私にとっても生き残った貴族にとっても誇りです。でも、私はなぜ、という怒りと悔しさを忘れることができません。

 どうして力づくで暴動を鎮圧しなかったのでしょう。身の危険を感じるようになって、平民が王や貴族に容赦しないと分かった後でもなお、どうしてふたりは軍を動かすことをしなかったのでしょう。あまつさえ全ての民が()()()幸福に、なんて祈るなどと……!

 ふたりはあまりにも人間らしくて、寛容で、優しすぎたのです。でも、民はそのような慈悲に値する存在ではありませんでした。私は、ふたりの過ちを繰り返してはならないのです。


「そんな……でも……」


 反論が見つからなかったのでしょう、黙り込んでしまったルイの頭を私はそっと胸に抱きました。良いことか悪いことかは分からないけれど、ルイはオーギュスト様に似ています。彼と結婚しても、私があの方を忘れることはないでしょう。

 初めて出会った時のぎこちない挨拶も。間違っていたけど――理想を語り合った日々も。あの裁判を決意した時の涙も、別れの悲しさも。離れ離れでお互いを思い合った年月も。……最期を知らされた時の、胸を引き裂かれるような絶望も、全て。


「共に頑張りましょう。民に国を渡すことなどないように。王の名と庇護の下で、祖国が永劫に渡って栄えるように」

「うん……」

「民など無知なままで良い。私たちに飼われることを喜ぶように、よく躾けなくてはなりません」

「うん……」


 なぜかひきつった顔のルイを、私はずっと抱き締めていました。





 結婚式の日、盛装した私たちは白い馬に牽かせ、薔薇で飾った馬車で王都を巡りました。万一のことがあってはいけないからと、周囲を厳重に騎兵で固めて。

 けれど市中に出てみればそのような心配は無用だったことが分かりました。市民は誰もが私たちを笑顔で迎え、兵士の出番と言えば、彼らが馬車に轢かれることのないように押し留めるものに限られました。


「私たちは歓迎されているようですね。あの歓声を聞いてください」


 民に手を振りながらルイが話しかけてきました。私も作った笑顔をまといながら答えます。


「ええ、女狐と呼ばれて腐った卵を投げつけられた時のことを思い出します。あの時も、彼らはこんな風にとても楽しそうに笑っていました」

「…………」

「ルイ、笑って。皆が私たちを見ているのだから」


 ルイの顔に、ひきつってはいるものの笑顔が戻るのを確かめてから、私も通りすぎていく民に手を振りました。私と目が合う度に、誰もが面白いほどにはしゃいで。跳び跳ねて。花びらとか被っていた帽子を宙に投げるのです。


 私は確信しています。オーギュスト様とセシルの即位の時も、彼らはこのように喜びの声で迎えたのでしょう。そして、ふたりを処刑台に送る時も、やはりこんなお祭り騒ぎが繰り広げられたに違いありません。お父様とお母様が殺された時も、観衆は笑っていたということでした。


 私の心が冷たく凍っていくのが分かります。


 私の大切な人たちを殺しておいて、笑顔で私を迎える平民が憎い。自分たちがすぐ忘れるからといって、犯した罪までなかったことのように振る舞う者たちが憎い。

 いいえ、憎しみは人間に向ける感情。それなら、この貪欲な獣の群れに向けるのは――侮蔑、でしょうか。


 通りを埋める民は、老若男女が入り混じってひとりひとりの区別がつきません。鳥や獣の見分けをつけるのが難しいように、どれも同じに見えるのです。


 私は自分自身を戒めます。全ての人が平等などと考えたばかりに何が起きたのか、決して忘れてはなりません。これらはしょせん家畜です。私たちが管理してやらなければ豊かで美しいこの国をすぐにも食いつくしてしまうのです。

 殖やし肥えさせるのは構いません。けれどそれは国と王の糧にするため。間違っても豚に人と同じ権利を与えるためではありません。


 私は民に振っていない方の手で、ルイの手をしっかりと握り締めました。暖かくて確かな手。オーギュスト様やセシルのそれはもう失われてしまったけれど、ルイは生きて、私の傍にいます。この温もりは、決して、誰にも奪わせません。


 民が今笑っているからといって油断してはなりません。これらは不満があればすぐに牙を剥く獣。愚鈍な代わりに数だけは無数と思えるほどにいる厄介なもの。その恐ろしさと凶暴さは、革命で嫌というほど見せつけられました。

 飼われている事実にすら気づかれぬように、王による統治に満足させなければならないのです。きっと簡単なことではないでしょうけれど、でも、何としてもやり遂げなければなりません。とても少なくなってしまった、私の大切な人たちのために。そして何より祖国のために。


 笑顔を貼り付けたまま考えを巡らせる私の胸の裡は、民の誰も見通すことができないようでした。

あと1話で完結です。

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