5.処刑
私は沢山の報せを受け取って沢山のお客様を迎えました。いえ、もうお客様というのは正確ではありません。私のところにいらっしゃる方は皆、祖国の――革命の惨劇を逃れてきた方ばかりです。もう呑気な旅行ではないのです。亡命と、いうのだそうです。
いずれは帰る旅行でいらした方よりも、帰るあてのない亡命者の方が持ち物も従者も少ないというのは不思議なことだったかもしれません。思い出の品も持ち出せないほどに状況は厳しく、追われる貴族に従ってくれる者はどんどん少なくなっているということでした。
憔悴した方々から聞く祖国の様子に、私は一片の希望も抱くことができませんでした。
ただ貴族であったというだけで殺される人がいる一方で、民を扇動し国の未来を食い潰す者たち、革命派を自称する一部の貴族は、新しい国の指導者として君臨しているそうです。血気にはやる民に政を動かす知識と経験がないのを良いことに、彼らの憎しみを巧みに操って邪魔者を次々と処刑台に送っているとか。それは、つまり本当に国を思っていた方たち。オーギュスト様やお父様と共に、全ての民が手を取り合って暮らせる国を目指していた方たちです。
「国王陛下は、王妃様はご無事なのでしょうか」
悲報はどなたのものであっても心を引き裂くものですが、中でも気になるのはオーギュスト様とセシルのことです。亡命してきた方々の話を聞くうちに、ふたりが民の怒りと憎悪を一身に浴びているというのは疑いの余地がなくなってしまったのです。
「両陛下は王宮を追われ、離宮に囚われておられます。さすがにただの貴族とは違って簡単に害されることはないでしょうが……それもいつまでのことか……」
皆様の不安な目は、私に助けを求めています。
私はいつしか亡命者の中心になっていました。この国に数年暮らして人脈があること。お父様の地位と、これまでに送っていただいた幾らかの蓄えがあること。オーギュスト様やセシルとの縁。そういったことによって、皆様の代表であるかのようにこの国の人たちと話し合う役目が課せられていました。
「ええ……早くどうにかしないと……」
頷いてみせながらも、私はどうすれば良いか分かりませんでした。この国の政府を通して革命政府とも話し合いたいとは思っているのですが、それが彼らを刺激することにならないかどうか。長年虐げられた憎しみを、王家にまでも向けてしまっている彼らに、何と言えば声が届けられるのか。
大切な人たちの命に関わることだと思うと、何をするにも恐ろしくてなかなか一歩踏み出すということができないのです。
私は平民を守るべき弱いものだと思っていました。なのにどうして、今こんなにも彼らが恐ろしいのでしょう。全ての人を平等に、という。私たちの考えは正しいと思っていたのに。今となっては貴族の方こそ迫害されているかのよう。それも、民を思っていた方たちから先に狙われていくなんて。
どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。
そんな中、新たな亡命者が私の元を訪れました。私にとっても懐かしい人、とてもよく知る人でした。
「姉様……お久しぶりです……」
私を姉と呼ぶ青年は、オーギュスト様の弟のルイでした。あの方の婚約者だった私を慕ってくれて、私たちの考え方もよく学んでくれた、同志のひとりでした。
「まあ、ルイ! また会えるなんて……!」
別れた時にはほんの少年だったルイが、立派に成長して現れてくれたのです。懐かしさと嬉しさに抱きつこうとした私を、でも、彼はそっと制して目を背けます。
「申し訳ありません、私だけが……」
「いいえ、貴方だけでも逃れられて良かったわ! 途中で捕まったりしていたら……!」
国境を越えるのは次第に難しくなっているそうです。貴族が逃げるのを警戒するだけでなく、周囲の国も祖国の動きに注目していますから、入国する方も制限されて国境付近は兵が監視しているそうです。それも、制服を着た正規の軍ではなくて、銃や剣を持っただけの平服の男たちということなのですが。
でも、亡命が困難なことには変わりありません。私のところまでたどり着けた方たち、革命の始めの頃に出国した方たちは幸運だったのです。逃げようとして叶わなかった人たちがどれだけいたか、その人たちの身に何が起きたか、考えるのも恐ろしいことです。
「王族の貴方は監視も厳しかったでしょう。よく、無事で来てくれました」
ルイは農民のように身をやつして、顔も手足も泥で汚して憔悴しきった様子でした。命懸けの旅だったのです。肉体以上に心が疲弊してしまっているのでしょう。
「私のことなど良いのです!」
慰めようとようとした手も払い除けられて、私の胸に暗い影がよぎりました。
「……ええ、オーギュスト様たちをお救いしなくては。祖国の様子は? 貴方ならば幽閉場所のことなども分かるのではなくて?」
努めて明るい声を出すことで、私はルイの表情の意味を深く考えまいとしました。彼は優しい子でしたから、お兄様たちを残してひとり亡命したのを後ろめたく思っているのでしょう。誰もそれを責めたりしないと、むしろ情報をもたらしてくれて喜んでいると、伝えなければなりません。
「オーギュスト様と、セシルは? ご無事なのでしょう?」
答えを待つ数秒の間が、ひどく長く感じられました。
「……ええ、まだ」
ほら、やっぱり。いくらなんでも王と王妃まで殺されてしまうなんてあり得ません。
「ですが」
とても安堵したので、私は次の言葉を微笑みながら聞いてしまいました。
「姉様、貴女にとても辛い報せがあります。これを伝えなければならないのが私でなければとどれだけ願ったことか。いっそ途中で捕まれば、こんなことを言わなくて済んだのに」
「どうしたというの?」
聞いてはいけない、言わせてはいけない。そう思いながら、私の口は勝手に動いていました。とてもさりげない、日常の挨拶を交わす口調で。
「ノアイユ公爵夫妻が――ご両親が、亡くなりました」
「なぜ、どうして……?」
まだ微笑みながら――だってどんな顔をしたら良いか分からないから――呟くと、ルイは俯いてしまいました。その目に光るものを見て、私は不意に気付きます。どうして彼が何も言わないか。どんなひどいことを言わせようとしているか。
「私のせい、ですね……」
これまでのことで、革命とはどういうものか、何が罪とされるのか、私にも十分に思い知らされていました。
私は平民のセシルを虐げた罪で追放されていました。当のセシルも捕らえられていることはこの際忘れられたのでしょう。貴族への裁判は罪を数えるだけのもの、酌量の余地が探されることはないのですから。
お父様の娘――私は、民が憎む高慢で残酷な貴族の典型。そんな女のために、お父様はずっとお金を送ってくださいました。それも罪に問われたのでしょう。しかも私はこの国で亡命貴族を匿っています。革命に対抗するべくこの国の人々に働きかけています。
民衆の敵と見なされるには、十分でしょう。
「いいえ! 貴女は何も悪くない……! 貴女のことがなくても結果は同じだったはず。ただ高位の貴族というだけで命が危うい時代になってしまったのです。公爵も覚悟なさっていました」
「お父様……!」
最後に別れた時の温もりを思い出そうと、私は自分の身体をかき抱きました。病気や事故。あるいは時の流れによって永の別れになることは覚悟していました。でも、こんな形で二度と会えなくなるなんて。
両手で顔を覆い、嗚咽と涙を抑えようとします。それでも湧いてくるのが、なぜ、という疑問です。
「どうしてお母様まで。優しい方だったのに」
両親からの最後の手紙には、凶作に苦しむ民を案じる言葉が綴られていました。家財を処分して寄付にあてるつもりだとも。ふたりの優しさは、気づかれなかったのか、顧みられなかったのか、それともなかったことにされたのでしょうか。
悲しみと絶望が黒い獣の姿をして襲いかかってくるようでした。目の前が暗くなり足がふらつき、倒れてしまいそうになったところを辛うじてルイが支えてくれます。
「マルグリット。どうか気を確かに……」
「教えて、ルイ。お父様とお母様はどのようにして亡くなったの? 愛した民に憎まれて、どれほど悔しく悲しかったことでしょう。せめて誇り高く逝かれたのでしょう? 娘の私には教えてくれるわね?」
私はルイに訴えました。答えを聞くのは怖いけれど、尋ねずにはいられませんでした。だって、ふたりともこんな最期を迎えるような方たちではなかったのです。
「それは……」
「お願いよ」
残酷なお願いだというのは分かっています。どんなに言いづらいかも。聞いてしまった後で、倒れない自信もありません。でも、知りたいという衝動に抗うことはできませんでした。
絶対に譲らないという決意を込めて見つめていると、やがてルイも重い口を開いてくれました。
「公爵は――とても冷静で、厳かでした。判決の時も、何を言われても投げつけられても。恨み言ひとつ言わないで、残る私たちを励ましてくれました。このような狂気がいつまでも続くはずはないと。その、時まで堂々として――」
言葉を詰まらせたルイを、私はそっと抱きしめました。もうどちらがどちらを支えているというのではありませんでした。ひとりではどうしようもなくて、寄り添うことでやっと地に立ち正気を保つことができているのです。
「お母様もそのように……? お父様のように勇気を持たれて……?」
「公爵夫人は――」
「言って、ルイ。全てを知りたいの」
「夫人は、裁かれたのではありません。公爵とは別々に捕らわれていて――公爵が……召された後、興奮した民衆が――」
ルイの声も身体も震え始めたので、私は止めようときつく抱きしめました。それとも、縋りつくものが欲しかっただけかもしれません。
「私は見ていません。公爵を、見届けさせられていて……ただ、狂ったような歓声と笑い声がして。とても楽しそうに」
「ルイ……」
「いや、見なかったのではない。怖くて見ようとしなかった。奴らは見せようとしたけれど無理だった……。ただ、ドレスの切れ端が妙に赤くて。旗のように振られていて――」
「分かったわ、もう良いから」
ルイが語ろうとしなかったのは罪悪感のためだけではありませんでした。私には想像できないほどの残虐な光景を目の当たりにしてしまったのです。堰を切ったように虚ろな声で呟きつづける彼にも、民の狂気が移ってしまったかのようでした。
「人間のすることじゃない……!」
その叫びを最後にルイは泣き崩れました。それに私も。床にへたりこんで。
私たちが泣き止んでまた立ち上がることができるまでに、とても長い時間が掛かりました。
やっと我に返った後、私たちは――私と、ルイと、亡命貴族の中の主だった方たち――は話し合いました。これ以上何もしないでいることはできないと。
追放の身の私や身一つで逃げてきた他の方たちだけだった時とは違います。ルイが、祖国の正統な王位継承者が来てくれたのです。こそこそとした陰謀ではなく、この国の政府を通した正式な抗議として革命を止めることもできるはずでした。
……止められるかどうか、誰にも確信はありませんでしたけれど。民に権利を与えることは自然の流れだと思っていたはずなのに、どうして妨げるようとしているのか、という思いはありましたけれど。
でも、オーギュスト様やセシルもいよいよ危ういと思い知らされたのです。
この行動こそがふたりの命を奪うことになるのかもしれない。そう疑い恐れながら、私とルイは、この国の王へ謁見を願い出ました。
重い足を引きずって王宮の一室に通された私たちは、喪服の一団に迎えられました。王も、周囲に控えた官吏も侍従たちも、一様に黒い衣装をまとっていたのです。
一瞬、両親のためかと思ってしまい――私は慌てて心の中で首を振りました。祖国では高い地位とはいえ、たかだか公爵です。国を挙げて悼まれるようなことではありません。
きっと、革命で亡くなった沢山の人たちに敬意を払ってくれたということなのでしょう。そう自分に言い聞かせながら、私たちは勧められた席につきました。
形通りの挨拶を済ませると、王はとても張り詰めた――悲しみと、そしてなぜか不安と恐れによって――表情で告げました。
「このような形で迎えることになって大変遺憾に思う、ルイ陛下」
陛下――?
王がどうしてこのような言い間違いをしたのか分からなくて、私は無作法にもその顔をまじまじと見つめてしまいました。
ルイは、王子です。身分に相応しく幾つかの爵位や呼び方を持ってはいますが――そしてそれらは全て革命政府によって剥奪されたそうですが――対応する称号は殿下です。
陛下、と呼ばれるのは今の祖国にはただふたり。オーギュスト様とセシルだけ。なのに、どうして。
隣ではルイが喘ぎました。
「では。兄たちは、もう――」
それもどこか遠い世界のことのように聞こえます。
何が起きたかを理解し始めて、それでも理解したくなくて。私はとうとうその場で意識を失ってしまったのです。