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4.革命

 嫌な予感は当たりました。火山の灰は国境を越えて、山野の区別なく畑や牧草地にも降り積もり、今年の秋は大変な凶作になる見通しとのことでした。

 祖国の状況も厳しいということなので、私はお父様に連絡して仕送りを減らしてもらうことにしました。私に送ってもらうくらいなら、領地の民のために使って欲しいと考えたのです。




 祖国を思って不安な日々を送る中、ある日届いた新聞の見出しが私を揺さぶりました。王都で、大規模な暴動が起きたというのです。パンを求める民の群れが政府の建物までも襲ったということでした。


「恐ろしいこと」

「でも、陛下が収めてくださるでしょう」

「ええ、きっと」


 私は祖国からついてきてくれた侍女と語り合いました。民の暮らしが苦しいのは心が痛むことですが、オーギュスト様もその苦しみをご存知のはず。きっと彼らと話し合って、共に立ち向かう方へと導くことができるはずです。


 記事には王の弱腰を批判する貴族もいると報じられていました。このような時でもオーギュスト様の足を引っ張ろうとする者がいるのは嘆かわしいことですが、でも、そのこと自体は悪いことではありません。あの方は苦しむ民を力で押さえつけるような方ではないという証明ですから。

 貴族が今までのやり方を変えようとしないのは仕方ないかもしれません。けれど、それでも、民はオーギュスト様と、そしてセシルの真心を分かってくれるでしょう。

 私はそう、自分に言い聞かせるしかありませんでした。




 両親やオーギュスト様たちのことを案じて気を揉む私のもとへ、祖国からのお客様が訪れました。待ちわびていた祖国の報せのはずなのに、手放しで喜ぶことができないのが恐ろしくてなりませんでしたが。

 だって、その方は今までのお客様とはまるで違った様子だったのです。衣装を詰めた鞄を何台もの馬車で運ばせ、使用人を引き連れて悠々と旅を楽しんでいた方々とは。


「祖国では何が起きているのですか? 暴動は、無事に収まったのでしょうか」


 身一つで馬を駆けさせて。埃にまみれた外套を脱ぎもせず、汗を拭うことさえせずに。その方は私の問い掛けに答えました。


「暴動などではありません。革命(レヴォルシオン)です」

回転(レヴォルシオン)?」


 聞くのも言うのも慣れない単語に、私は戸惑ってしまいます。するとその方は苛立たしげに舌打ちをして私をひどく驚かせました。お父様の知己でもある方で、とても礼儀正しい方だったのですが。

 そう、この方が国の外に出たということだけでもおかしいのです。この方が今までこの国でお迎えした人たちとは違うのは身なりだけではありません。オーギュスト様を嫌って領地を投げ出した人たちとは違って、お父様たちと同じように国の未来を憂えていらっしゃる方だったはずなのです。なのにどうして、逃げるように私のところへ駆け込んでいらしたのでしょう。


「最近よく使われる言葉です。辞書の意味などどうでも良い。とにかく、今までにないことが起きています。平民が貴族に牙を剥きました。飢えて死ぬ子供がいるのに着飾って歌い踊るのが許せないと。今まで抱え込んだ富を民に返せと国中で拳が振り上げられています。貴族よりも平民の数の方が多いのはご承知でしょう。軍も警察も手が回りきらず――秩序は失われ中には殴り殺された貴族もいるとか」

「そんなことに……」


 恐怖に喘ぎながら、私はどこかでやはり、と思っていました。恐れていた事態が起きてしまったということです。平民の貴族への不信と憎悪は深いもの。それが、この天災をきっかけに爆発してしまったということなのでしょう。


「でも、オーギュスト様は――陛下はご無事ですよね? 民の怒りを収めてくれますよね? だってセシルもいるのですもの。こんな時こそ貴族と平民の架け橋となって――」

「とんでもない!」


 怒鳴り声のあまりの大きさ鋭さ、そして込められた激しい怒りに私は言葉を失いました。お客様の頬を額を、埃と混ざった泥色の汗が伝います。


「民の怒りは第一に両陛下に向けられています。王宮も暴徒に取り囲まれて……私が一人逃げ出したのは、この国に助けを求めるためなのです!」

「でも。でも……」


 その方が言うことが分からなくて――理解できなくて――私は何度もでも、と繰り返しました。


「でも、オーギュスト様は常に民の方を向いていらっしゃったではないですか。私も聞き及んでおりますのよ? あの方は、貴族を敵に回してまで平民のために――」

「我々は甘く見ていました」

「……何を……?」

「何もかも。一部の貴族の強欲さも、平民の愚かさも」

「そんな、貴方までそのようなことを……!」


 民を不当に嘲り貶めるのは、貴族でありながら義務を弁えない人たちがよくすることです。志を同じくすると思っていた人からそのようなことを聞くのが耐えられなくて、私は高い声で遮りました。


「事実です!」


 ですがその方はより大きな声で怒鳴り返しました。その頬を汚すのが汗だけではないことに気付いて、私は絶句してしまいます。悔しさ、悲しさ、憤り。それほどに、その方の顔に浮かぶ思いは激しいものだったのです。


「確かに陛下は平民のために尽くされました。例えば国有の工場を建てるなど。貴族や豪商の所有ならば工員は昼夜を問わず働かされ、病を得れば解雇される。

 そのようなことがないように規則を徹底し、失業者に職を与える計画でしたが」

「ええ、それは良いことではないのですか……?」

「今年の凶作はご存知でしょう。多くの者が飢えていることも。工場を作るために畑を潰した、それは王家が財を得るためだと言われているのです! 民のパンよりも金を取ったと!」

「そんな……」


 私は頭が殴られたように感じました。確かなはずの大地が揺れ動いて、足元からくずおれてしまいそうな。目眩で世界が歪むような。恐ろしく不安な感覚に抗いながら、反論を懸命に探します。


「でも、そのようなことはないのでしょう? 凶作は偶然ではないですか」

「ええ、ええ!」


 その方は頭を激しく振り乱すように頷きました。


「それらの畑を潰しても国全体では十分な収穫が見込めるように計算していました! 工場を幾つか建てられるだけの土地に、国を左右するほどの収穫があったはずもない! 第一、例え畑を残していてもこの灰では何であってもまともに育たなかったでしょう。けれど民はそのようなことまで考えない。畑があれば飢えなかったのに、としか思わないのです!」

「でも、オーギュスト様もセシルもそんな暴君ではありません!」


 やっと思い出した反論の糸口も、悲しげな微笑と共に否定されてしまいます。


「セシル様……。あの方こそ最も激しい批難を浴びていらっしゃいます。貴族だけでなく、同じ出自の平民からも!」

「どうして!?」


 裁判の記憶が蘇ります。オーギュスト様に庇われたセシルは、民から祝福されていました。私が世間から思われているような高慢な貴族とは違って、無垢で優しい女性だと、受け入れられているように見えたのに。貴族にとっては目障りだったとしても、平民は彼女の味方をしてくれると信じていたのに。


「政治を何も知らない王妃が王を唆していると言われているのです。贅沢のことしか頭にないから民の暮らしなど考えていないと」

「セシルはそんな人ではありません!」

「分かっています。私ども、両陛下に近しい者は、皆。けれど平民全てがあの方を知っている訳ではありません」


 その方の頬を汚すのが汗だけではないことに、私は不意に気づきました。両の目から溢れる涙は、セシルのために流してくれているのでしょうか。それとも、混乱の極みにあるという祖国のため、でしょうか。


「あるいは平民の嫉妬、なのかもしれません。同じ生まれのはずだった者が至高の地位にいて着飾っていることへの。世継ぎも産めないただの小娘のくせに、と」

「そんな……彼女は王妃の務めだって果たそうとしていたでしょう。そこらの貴族には負けないほど勉強して……」

「世間の目はそんなことまで見えないのです。見えるのは、あの方が頻繁に衣装を新調するということだけ」

「当然よ、あの子は高価なものは何も持っていなかったもの!」


 私はとうとう礼儀も忘れて叫びました。実家の後ろ盾も領地からの収入もあり、幼い頃から折に触れて宝石を贈られてきた貴族や王族とは違うのです。ドレスだけでなく扇などの小物や装飾品。靴や下着に至るまで、セシルは一から用意しなければならなかったはず。でも、だからといって彼女が必要以上の贅沢をしようとするなんて思えません。


「ええ、貴婦人方からは王妃のくせに貧相な、といつも言われておいででした。王妃の体面を保つのに最低限の出費、それさえも負債の利子も賄えない程度の額でしかないのに――」


 その方も私の考えを裏付けてくださいました。けれど虚しく立ち消えた言葉から、やはり彼女の真実は顧みられていないのだと思い知らされます。


「でも――」


 ああ、またでも、です。何度私はこの言葉を言ってしまうのでしょう。何の益になるとも思えないのに。でも、でも。この方の言うことはどうしても信じることができないのです。


「オーギュスト様もセシルも民のために身を砕いてきたのではないのですか。どうして何もかも忘れられてしまうのです? どうして何もかも悪いように取られてしまうのですか!」

「――我々は甘く見ていました」


 その方は先ほどと同じことを繰り返しました。まるで幽霊のように、青ざめた虚ろな表情で。


「陛下は民に権利という概念を教えました。だから彼らは王や貴族に逆らっても良いと考えました。

 貴族の反発は承知していたつもりでしたが、身分を誇るからにはそれだけの矜持は残っているものと信じていました。国を乱し、民を扇動してまで陛下を妨げようとするとは思っておりませんでした」

「貴族が……」


 私の脳裏を、今までにこの屋敷にお迎えした人たちの顔がよぎりました。外国で不満を漏らすくらいなら可愛いものだと思っていたのですが。本当にオーギュスト様の敵となる人たちは、祖国で企みを巡らしていたというのでしょうか。


「民に知識を与えたのも裏目に出ました。誇りを失くした者たちが配るビラに記された根も葉もない噂……! 文字が読めなければこうも広まることもなかったでしょうに。

 少しばかりのパンや金を添えて配れば民は食いつく。未来を見据えた政策よりも、その日を過ごす糧を与えてくれる者を信じるのです!」

「そんな……」


 告げられたことのあまりの衝撃に、私は息をすることさえ忘れてしまいます。もう考えたくなかったのかもしれません。でも、倒れそうになった私の肩を掴んで、その方が激しく揺さぶりました。


「陛下もお父上もよく踏みとどまっていらっしゃいます。ですがもはや一国の中でどうにかできることとは思えない。ですからこの国の王や貴族にも助力を請いたい。貴女様はこの国では同情されているはず。祖国のために、どうかお口添えを――!」




 祖国のために。その言葉だけが私を支えてくれるようでした。どなたにどう話したか、正直に言ってよく覚えていないのですが――とにかく、私たちはこの国の身分のある方たちに会って回りました。

 祖国で民を煽動しているという、高位の貴族に抗議するように。この国と祖国は古くから結びつきが深く、縁戚関係にある家も多いですから。それから、民の怒りを和らげるべく、食料を買い集めて送るように。凶作はこの国も同様ですから、簡単なことではありませんでしたが。祖国の報せをもたらした方が携えていたのと、お父様から送っていただいたのと。お金の力に頼ることになりました。




 幾つかの約束を取り付けた後、その方は急いで祖国へと戻られました。この国での成果を報告するためと、何よりも祖国を見捨ててはおけないから。罪を得たために国境を越えることができない我が身を呪ったことはないでしょう。私は両親やオーギュスト様、セシルたちへ伝言を頼むことしかできませんでした。無事を祈る言葉、心からのものであっても虚しいだけの言葉を。


 どうか、無事で。国を憂い民を想う心が踏みにじられることのないように。いつか必ず理解されるように。




 それでも私は革命がどのようなものか分かっていませんでした。

 その本当の意味を知ったのは、祖国での急変を告げる号外によってです。この国の人たちにとってさえ、革命はもはや他人ごとではなく、凄まじい勢いで世界を揺るがす大波となったのです。


 祖国は王を戴く国ではなくなりました。王と王妃はその位から引きずり下ろされ、平民こそが国を導く存在として新しい国の誕生を誇らかに宣言したそうです。

 貴族であるということ自体が罪になり、多くの人が殺されたとも報じられました。その中には私に革命のことを教えてくれたあの方の名もありました。私を――こちらの国を訪ねたことが反革命の罪になったということでした。


 私たちが夢見、目指した国。貴族と平民の別がない世界。美しい理想だと思えたそれは、このように血腥い形で実現してしまったのです。

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