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3.予兆

 私が隣国に落ち着いてから、数年は平穏に過ごすことができました。お父様のお陰で小さな屋敷を構え、この地で新たに使用人を雇うこともできましたし、食事も衣装も不自由のない生活を送ることができるのです。

 周囲の人たちの視線も、恐れていたよりもずっと優しいものでした。罪を得て国を追われたというのが大変な醜聞ではあるのは事実ですが、こちらの国ではまだ祖国ほど平民の声や力が大きいという訳ではないそうです。だから、私のことは何か恐ろしく理解しがたい()()に巻き込まれたと解釈されているようで――例えばあるご婦人などはこう慰めてくださいました。


「平民なんかに裁判が左右されるなんて、お国では大変なことになっているのですね。この国ではそのようなことはありませんから、どうか安らかにお過ごしくださいね」


 お礼を述べた私が苦笑していたことに、その方はお気づきではないようでした。


 私が無実の罪で追放されたのは事実です。

 ですが、これも必要なことだったのです。長年続いた貴族による一方的な支配。それへの不満は民の間に深く降り積もっています。オーギュスト様とセシルがそのようなあり方を変えるために、高位の貴族でも容赦なく罰したという実績は味方になってくれるでしょう。第一、あの裁判で民が思い描いたような傲慢で残酷な貴族は実際にあちこちにいるのです。貴族の称号を帯びた者が、平民の目には皆同じに映るのも致し方ないことでしょう。

 私もお父様も、そのような恥を知らない所業に手を染めたことはありませんが――貴族に生まれた以上、国のためにいわれのない罪も負わなければならないことがあるのは承知しています。それこそが高い身分と豊かな財産と引き換えに課せられた高貴な義務なのですから。


 ただ、このような思いをする者が私で最後になれば良いとは思います。オーギュスト様たち――私たちが思い描くように、全ての人が平等に暮らせる国ができたなら。今まで貴族だけが独占していた権利も、貴族だけに課せられていた義務も、少しずつ民に分けられるようになるのでしょう。




 そうこうするうちに、祖国では国王陛下が退位されて、オーギュスト様が即位なさいました。傍らにいるのは、もちろんセシルです。私は祖国に立ち入ることが許されていないので、この国の新聞で読んだだけですが。ざらざらした紙に印刷された白黒の絵でも、懐かしい愛しい人たちの姿を見ることができるのは嬉しいものでしたし、初々しいふたりが国民に祝福されたとの記事には心が温まりました。

 即位を記念して恩赦や、今年限りとはいえ税の免除も行われたとのことで、オーギュスト様の治世とそれに続くであろう改革は、順調な始まりを見せたようでした。




 祖国とは手紙ばかりでのやり取りになります。両親からのもの、たまに密かに――罪人の私と大っぴらに交流することはできないので――届けられるオーギュスト様やセシルからのもの。それから数週間遅れで届けられる新聞などが祖国の様子を知るよすがです。


 後は、私を訪ねてくださる方も意外と多いのです。

 今日は祖国で伯爵の称号を持つ方をお迎えします。各地を渡り歩く旅行の途中で、この国に私がいることを思い出してくださった方です。


「ご機嫌よう、ノアイユ公爵令嬢。相変わらずお美しい」

「ありがとうございます。でも私はもう公爵令嬢ではありませんのよ」


 称号を奪われたということは、大抵の方には屈辱であり悲劇と思われるのでしょう。でも、私にとってはそうではありません。近い未来に貴族という階級はなくなるはずなのですから、一足先に次の時代に進んだというだけ、むしろ誇らしく思っています。


 私の思いはご存知ない伯爵様と――説明しても分かってもらえないでしょうから――にこやかに挨拶を交わします。

 祖国とこの国では言葉も違います。使用人は言葉の分かる人も雇っていますが、発音や抑揚の違いはどうしても耳につくもの。完璧な祖国の言葉を使ってのお喋りは私の慰めでもあるのです。……内容は、楽しいものとは限らないのですが。


「こちらの国は穏やかで素晴らしい。例の件はお気の毒でしたが――結果的には貴女にとっても良いことだったかもしれません」

「まあ、どうしてそのようなことを?」


 私は無邪気を装って首を傾げて見せましたが、実は油断なくお客様の一挙一動に注意を払っています。


 祖国の方が私を訪ねてくださるのは、追放の身を哀れんでいるからというだけとは限りません。他の目的がある方も多いのです。今日のお客様の真意を測るべく、私は笑顔の陰で目を凝らすのです。


「国王陛下はまだお若い。だから仕方ないのかもしれませんが……」

「陛下が、何か?」


 私がオーギュスト様の悪口を聞きたくてたまらないとでも思っているのでしょうか。伯爵様の薄笑いには腹が立ちます。けれど、祖国の状況は知りたいもの。それに、オーギュスト様の改革が貴族にはどう思われているか、お父様たちに伝えなくてはなりません。


「代々仕える貴族を蔑ろにして平民の機嫌ばかりを取っている。嘆かわしいことです」


 内心の嫌悪は気づかれずに済んだのでしょう、興味を示した私に、伯爵様はとても嬉しそうな様子を見せました。


「まあ、そんなことに……」

「あの平民出の王妃のせいですよ。若い男は好いた女の機嫌を取りたがるものです」

「具体的にはどのような?」


 伯爵様はセシルを貶めるようなことを言って盛り上がるつもりだったのかもしれません。私の問いかけに一瞬鼻白んだ様子を見せたものの、すぐに笑顔を取り繕って教えてくれました。


「平民に文字を教える学校を作るとか。融資の条件の緩和とか。どうも平民を付け上がらせるというか貴族に近づけようとしているというか……そんなことをしても、王妃の生まれは変わらないと思うのですがね」


 このお方はある意味オーギュスト様の政策を理解していらっしゃるようです。より正確に言うならば、平民を貴族にするというよりも階級による権利や財産の差をなくそうということなのですが。


「まあ、大変ですわね。……それで、国外へ旅行を?」

「ええ。数年は戻らないつもりです。貴族に見捨てられるとなれば陛下も焦りを覚えられることでしょう。それまでは優雅に過ごさせてもらいます」


 他の方々と同じようなことをこの方も言うので、私は思わず笑ってしまいました。守るべき領地を離れて、外国で愚痴をこぼすしかできないような方々に、オーギュスト様が脅かされるはずはないのですが。


 私の笑い声に伯爵様は気を良くされたようで、それからも沢山のことを聞かせてくれました。その多くは私にとっては眉を顰めたくなるような陰口ばかりでしたが、我慢して朗らかに相槌を打ちます。このような方々がどのような不満を抱えているか――聞き出して祖国に伝えるのも私に求められた役目ですから。

 国を離れる、今日のお客様のような方々に対しても。私に不満を漏らすことで、少しでもオーギュスト様たちへの反発を減らすことができるはずです。


 けれど――


「あんな王妃は早く離縁すべきです。いまだに懐妊もしないのですからね。生まれのことといい、教会も許すことでしょう。代わりに貴女が帰国されれば良いのです」

「…………」


 あまりにも下世話な言い様に、私はさすがに言葉を失ってしまいました。


 セシルが懐妊しないというのは、事情を知る私には当然のことです。オーギュスト様と彼女の間にあるのは友情と信頼だけ。男女の愛情ではないのですから。ふたりとも、私を気遣って礼儀正しい関係を保っていることだと思います。その、夜も――そのようなことよりは、夜を徹して政治や経済について語っている姿の方が簡単に思い浮かびます。

 いえ、例えふたりの間に愛が育まれ本当の夫婦になったとしても、何もおかしいことはないのです。私は心から祝福できます。いずれも私の大切な人たちですから、愛し合うようになるのも当然とさえ思えます。


 だから、私の不快はふたりの間柄を疑う卑しい嫉妬ではありません。


 ただ、ふと不安になりました。私たちは、国王夫妻が形だけの結婚であることをさほど問題だとは思っていませんでした。王族には他に男子もいらっしゃいますし、愛ではなくてもふたりは強い信頼で結ばれているとよく分かっていたからです。

 でも、ただでさえ批判の矢面に立つことが多いセシルに対して、子供がいないということは絶好の攻撃の材料ではないでしょうか。そのことに、気づいてしまったのです。国の外でとはいえ王の寝室のことまでがこんな風にあげつらわれるなんて。王と王妃に対する風当たりは、予想していた以上に強いものになってしまっているのではないでしょうか。


 裁判の時の怒号と罵声を思い出して、胸が締め付けられるように痛みました。いいえ、あれは民の貴族に対する怒りでした。平民出身のセシルに対しては、例え貴族は快く思っていなくても、同じ平民が守ってくれるはずです。そのためにも、オーギュスト様は彼らに力を与えているのですから。


 そう思っても、一度よぎった不安を完全にぬぐい去ることはできませんでした。その後もしばらく会話を続けましたが、私はどこか上の空になってしまい、伯爵様を十分に楽しませることができなかったかもしれません。




 お客様のお見送りに屋敷の外へ出ると、地面にはうっすらと雪のような白い粒子が積もっていました。今はまだ夏だというのに。

 それを見て伯爵様は軽く顔を顰められました。


「火山の灰だということですね。まったく厄介な」


 先日、とある島国で大規模な火山の噴火があったそうで、灰が海を越えて各地に降り注いでいるということでした。洗濯ものにこびりついてしまって大変だと、召使がぼやいていたのが私の耳にも届いています。


「ご旅行のお邪魔になりますか」

「そうですね。馬車の手入れにも手間が増えたということで」

「見た目だけならば夏の雪のようで風流なのですけれど」

「さすが、ものの見方が優雅でいらっしゃる。どこかの別荘にでも落ち着いたらそのように考えるようにいたしましょう」


 伯爵様はそのようなお世辞を言うと笑顔で去って行きました。


 残された私は、でも、何か嫌な予感がしてなりませんでした。


 祖国ではこの灰はどのように積もっているのでしょうか。

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