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2.出国

 屋敷に辿り着くと、両親が玄関のポーチで私を待っていてくれました。父も身分の高い大貴族です。どんなに身をやつしても姿を見せれば平民の反感を買うに違いないので、あえて法廷に出向かずにいてくれたのです。


「マルグリット、よく耐えた」

「お父様、お待ちくださいませ。卵を投げつけられたのです。臭いが――」

「構うものか。大役果たした娘を労わずに何とする」

「お父様……!」

「貴女は私たちの誇りですよ、マルグリット」


 お父様に続いて、お母様も私を抱きしめてくださいました。国外追放の判決を受けたからには、お二人とももうすぐお別れしなければなりません。そう思うと、目の奥が熱くなって涙が溢れそうになります。

 でもお二人に涙を見せる訳にはいきません。別れが辛いのはきっと同じことですから。それに、私の務めはまだ終わってはいないのです。感傷に浸っている暇などありません。名残惜しさをどうにか殺して、私は明るく言いました。


「すぐに支度をしなくてはなりませんわね」

「隣国に屋敷を用意してある。知人に話も通した。決して不自由はさせぬ」

「ありがとうございます、お父様」


 お父様の声が震えているのには気づかない振りで、私は両親に背を向けて自室へと急ぎました。沢山の言葉を話すと、涙も一緒にこぼれてしまいそうだったのです。




 自室に戻ってもまだ気を緩めることはできませんでした。着替えを手伝ってくれる侍女たちもとても暗い表情だったので、私はひとり浮ついた声を作らなければならなかったのです。


「持っていくドレスを選ばなくてはね。全て持っていく訳にはいかないでしょうから。長い旅行みたいなものよ、楽しそうじゃない? 隣国ではどんなお菓子が美味しいのかしら」


 ひとりひとりを見渡して微笑み話しかけてみても、返ってくるのはため息ばかりです。


「おいたわしいこと……どうしてお嬢様がこんな目に……!」

「そう? 私は幸せよ。皆がこんなに心配してくれるなんて」


 これは、無理をして言ったことではなく、心の底から自然に溢れた真心でした。代々仕えているとはいっても、貴族と使用人の間にはあくまでも隔たりがあるものです。まして、今日の裁判のために我が家に仕える者たちは世間で肩身が狭いことも多くなってしまったでしょう。

 なのに愚痴をこぼすどころか私のために怒り嘆いてくれるなんて。お父様やお母様のご人徳もあるのでしょうが、私はとても素晴らしい人たちに囲まれていると思います。


「連れて行く者を選ぶのにもお悩みくださいませ。誰も譲ろうとしないのです」

「贅沢な悩みね」

「セシルがいれば良かったのでしょうが……」

「仕方ないわ。あの子は王妃になるのよ」


 法廷で寄り添っていたオーギュスト様とセシルを思い出すと私の口元は緩みました。背が高く麗しいオーギュスト様と、野の花のように楚々とした愛らしさを持つセシルと。物語のように似合いのふたりだったのです。ふたりが結ばれたら、民は歓呼を持って迎えるに違いありません。


「セシルが王妃だなんて! ただの娘なのに……」

「本当に。そんな大役が務まるのかしら」


 侍女たちは、セシルを嫌って言っているのではありませんでした。私と同じくらいに、あの子のことも心配してくれているのです。顰めた眉も、重いため息も、彼女を案じるからこそのもの。それもまた、私の周りにいるのが優しい人たちであることの証拠です。

 侍女たちの気持ちはとても嬉しいものでした。でも、私には――貴族に生まれた者には、守られて甘えているだけということは許されません。


「ええ。引き受けてくれて、とてもありがたいと思っているわ」


 だから私はそっと、そう呟くことしかできませんでした。




 この国は遠からず大きな混乱に見舞われるでしょう。財政は行き詰まり、国の人口の大多数を占める平民は貧困に喘ぎながら日に日に声を増しています。時折地方で起きるという暴動が、いずれは王都でも起きるのでしょう。

 今までのように、貴族は貴族に生まれたというだけで平民の上に立つことはできなくなるでしょう。それは仕方のないことです。先祖たちが信じていたように、平民は愚かで無力なだけの存在ではなくなってきました。彼らが得た力と知識に見合う権利を求めるのは当然のこと。貴族だけが国を導く時代はまもなく終わるのだと思います。


 時代の変化は大きな流れのようなもの。誰にも止めることはできません。けれど、それに押し流される人はできるだけ少なく抑えなければ。それが、国王陛下やオーギュスト様、お父様たちといった一部の方々のお考えです。そして、女の身ではありますが私やセシルも、そのお考えに心から賛同しているのです。今日の裁判も、祖国の未来に向けた計画の一部でした。


 法廷で述べたことは――神はお許しくださいますように――全て嘘です。

 私とオーギュスト様は家の格によって決められた婚約者同士ですが、長年連れ添った夫婦と同じくらいにお互いを理解し、愛し合っています。セシルは、生まれた身分は違いますが、私たちと同じように国の将来を案じる優しく聡明な女性です。今日のことは、国王陛下やお父様たちもご承知の、一種のお芝居だったのです。


 オーギュスト様とセシルは、確かに他の人たちが思っているよりもずっと親しいのですが、それも同志というか学友というか、男女の情の絡んだ関係ではありません。私もセシルを虐めてなどおりません。お針子として手を動かしながら、私と教師の会話を聞くうちに素晴らしい見識を身につけた彼女は、とても賢い人。私にとっても大切な友人です。

 ですが、王族と貴族と平民という三人が揃えば、人が見たがるお芝居の筋書きが現れます。


 つまり。王族と平民の身分を越えた恋と、それを邪魔する高慢な貴族の娘、という。


 まずはありきたりな三角関係を街の噂として流します。セシルに同情が、私に反感が集まったのを見計らってオーギュスト様が法廷に訴えます。私を断罪し、セシルを保護するようにと。

 国の中心となる者たちが考えるにしてはあまりに下世話な計画に見えるかもしれません。けれど民の心にはよく働きかけるでしょう。

 鼻持ちならない貴族の女――この私――が惨めに追放される。王族が平民をかばい、更には愛を育む。そのような美しい物語は、民の不満を和らげ、近く王座につくオーギュスト様への支持を生むでしょう。しかもその傍らには、王妃としてセシルがいるのです。王が国民を愛している何よりの証として。

 不正を見過ごさずに告発し、平民にも手を差し伸べる寛容な王。そのような評判と一緒なら、オーギュスト様が行おうとしている改革も少しは滑らかに進むでしょう。


 そう、全ては祖国のために。そのためならば、私ひとりの犠牲など何ということもありません。

 きっと、そのはずです。




 出発の日はすぐ来ました。罰としての追放なのですから、ぐずぐずと引き伸ばすということはできないのです。それでも、もう社交界に顔を出すこともないのですから、家族水入らずの日々を過ごせたことは幸いでした。


 ちょうど今日は新月の夜です。闇に紛れて逃げるように、私は生まれた国を後にするのです。せめてまた罵声に送られることがないように、お父様が取り計らってくれました。

 両親と僅かな使用人に見送られるだけの寂しい旅立ち――と、思っていたのですが。


「マルグリット!」

「お嬢様!」

「オーギュスト様……! それに、セシルも!?」


 もう二度と会えないと思っていた大事な人たちの姿に、私は思わず悲鳴のような声を上げてしまいました。


「公爵のおかげだ。出発を夜にすれば密かに王宮を抜け出すこともできるから、と」

「最後にどうしてもお会いせずにはいられませんでした。おひとりで、汚名を負っていかれるなんて……!」


 両側からきつく抱きしめられて、私の頬をついに涙が伝いました。今やっと気づきました、私はずっと我慢していたのです。罵声を浴びせられるのは怖かったし、ひとりで国を離れるのも、家族や親しい人たちと別れるのも悲しく辛いことです。大事な務めだからと自分に言い聞かせはしていても、不安を完全に殺すことなどできませんでした。


「ふたりとも……やだ、私、こんなところ……」


 本当は言葉にならないほど嬉しいのです。でも、泣いてしまったのが恥ずかしくて、懸命に顔を背けようとします。そんな私を、オーギュスト様とセシルは代わる代わる抱きしめてキスを浴びせてくれました。


「王になったら一日も休まず働く。貴族を抑えて、説得して――民に国を返す。地位なんて関係ないひとりの男になったら迎えに行くから。どうか、待っていて欲しい」


 僅かな星明かりに勝る瞳の輝きで、力強く語ってくださるオーギュスト様。いつ叶うとも知れない夢のようなお話なのに、どうしてこんなに頼もしいと思えるのでしょう。

 セシルも私の手を強く握って言ってくれます。


「私も、一生懸命勉強しますから。おふたりが一日でも早く幸せに暮らせるように」

「セシル。貴女が一番大変なのに……」


 笑顔で励ましてくれる彼女の強さも、この上なく眩しいものです。

 追放の身とはいえ、お父様のお陰で不自由のない暮らしが保証されている私とは違うのです。後ろ盾もなく王宮に入る心細さ。私の後、王妃の座を狙っていた人たちからは嫌がらせもあるでしょう。お父様たちも出来る限り守るつもりだとは仰っていますが。でも、一生を捧げさせてしまうことに変わりはありません。

 何よりも不憫なのが結婚のこと。形ばかりでも王妃になってしまえば、好きな男性が現れても結ばれることはできないのですから。


「とんでもない! お嬢様や殿下に出会えて私はとても恵まれています。もっと酷いことになっている人は沢山いますもの。そんな人たちを救えるのなら、これくらい何でもありません」


 けれどセシルの笑顔が陰ることはありませんでした。

 平民に生まれたのに、貴族として教育された訳でもないのに、セシルは自然にこんなことを言ってくれるのです。私の頬また涙が一筋流れ――でも、同時に微笑みも浮かびます。このふたりなら、きっと大丈夫。国を民を、あるべき方向へ導いてくれるでしょう。


「……ありがとう。皆様のご無事と幸せを祈っています」

「そして君にも、マルグリット。君も守られるべき民のひとりで、私が誰よりも愛する人だ。この犠牲と覚悟は報われなくては。――必ず、幸せにする」

「私も、この国と同じくらいお嬢様をお慕いしています。お嬢様がいらっしゃったからこそ今の私があるのですから」


 私たちは再び抱き合いました。今度こそ、別れの抱擁です。お父様とお母様、使用人たちにもひとりひとり別れを告げて、私は馬車に乗り込みました。


「――祖国のために。身体は遠く離れても、私たちの思いは一つです」

「ええ、必ず」

「全ての民が平等に暮らせる国を作ろう」


 月のない夜のこと、馬車が動き出すと見送りに集まってくれた人たちの姿はあっという間に闇の中へ消えてしまいました。

 闇の中で馬車の振動に身を委ねる私の心は、けれど穏やかでした。

 新月は最も暗い夜。これからは明るくなる一方のはずです。季節が巡れば真冬の雪は溶けて花が春を彩るように。時代の流れは止まることなく流れるでしょう。身分など関係なく全ての民が幸せに暮らせる国を目指して。その流れが激しくなりすぎないように見守り導くことこそ私たちの務めなのです。


 祖国の行く末を想い、祈って。私はそっと目を閉じました。

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