イクジーの日常
彼は、六時半に起き、朝食をすませ、七時半に出勤する。勤務先は市立保育園だ。毎朝、門の前に立ち園児たちを迎えます。
「ジーおはよ」
「はい、おはようございます。今日も元気ですか」
そんな会話をいくつかかわし、時には保護者から調子の確認をとったりします。彼は子どもが好きで、一度はサラリーマンになったけれど、夢の保育士を目指して勉強し、二度目の試験で合格。そのタイミングで市立の保育所が保育士を募集したので応募したのでした。
どこも保育士不足の問題があり、不合格にはなったものの臨時採用されました。採用期間は三年間。もうすぐ二年目です。
「イクジ先生、うちの子ちょっとお腹こわしてるみたいなの」
「それはいけませんね。何かお薬は飲ませましたか?」
「一応、正露丸を一錠」
「わかりました。何かあればご連絡しますので、安心してお仕事がんばってくださいね」
「ありがとうございます!じゃあ、いってきます。眞子ちゃん、イクジ先生の側にいるのよ」
眞子ちゃんはこくりと頷き、彼の手をとりました。
幸い、薬が効いたようで眞子ちゃんは、元気にお友達とお絵かきを楽しんでいました。彼はほっとしながら他の子どもたちの相手をします。
やんちゃな男の子たちは、背の高い彼によじ登るのが大好きです。
「はいはい、順番はまもってくださいね」
彼がにこにこ笑いながらそういうと、十人くらいの男の子たちが列をつくります。一度に三人が彼の背中をよじ登ったり、腕にぶら下がったりします。さすがに彼も必死で踏ん張ります。落としたりして怪我をさせては大変ですから。
夕方になると、ぽつぽつとお迎えがきてほとんどの園児がお家にかえります。けれど、お仕事の関係でなかなか迎えにこれない親御さんも多い昨今、市立といえども延長保育は当たり前となっていました。
お夕飯は、人数が毎日かわるのでごはん以外のおかずは近くのスーパーのお惣菜を買います。買い出しは彼の仕事の一つ。毎日、一人五百円分でお惣菜を準備しなければなりません。タイムセール品の購入については、保護者の同意があるのでなるべくそうしたものを買います。
そして、最後の園児を送り出すと彼は日誌をつけてアパートに帰るのでした。
◆
「なんていうでしょうかね、ああいう人」
「年寄臭いっていうんじゃない?」
「本当に貴重な人材ですよ。対応に困るモンスターをちょいちょいといなしてくれるんですからね。臨時雇いなのに手抜きはないし」
彼が帰ったあと、戸締りをしながら二人の職員が噂話に華を咲かせる。
「もともとデパートのトップセールスマンだったんでしょ?」
「そうらしいわ。本人は子供服売り場の担当をしたかったらしいけど、それが通らなかったらしくて。まあ、三年はきっちり働いたから夢の保育士になるために辞めたんだって」
「ああ、それであんなに物腰がおっとりしてるんだ。……ん?三年で辞めたんですか?」
「そうよ」
「じゃあ、今、二十七ですか!」
「そうなのよね。とてもそうは見えないのよね。どう見てもあの童顔」
「うわ、同じ歳とか……ショック。童顔であの老々としたものごし……」
「その上、名前がね」
「ああ、まあ、そうですね」
彼に対する噂話は、闇の中に溶けていく。そして、また変わらぬ朝が来るのだ。
幾時四郎、子どもたちからは「ジー」と呼ばれ愛される。職員や親たちからは博学なる爺様のごとく敬われる。見た目は高校生といってもいいほど頼りなげな童顔の二十七歳。
その胸中にあるものは、【めざせ正規雇用】だった。