98.バルティニアス――6
「ぐぅッ……!」
破られた結界とニムエたちプレイヤーの間に竜腕を割り込ませるようにして混沌の奔流を受け止める。
HPが目に見えて減少し、神経をヤスリで削られるような痛みに思わず声が漏れるが……それだけだ。
敵の切り札にしてはきちんと防御すれば耐えきれる程度だし、痛みにしたって例の苦痛を強いるブレスを大きく上回るものではない。
おそらく、この攻撃が撃たれた瞬間にプレイヤーの一人が放った何かが威力を軽減したのだろう。
この戦場まで生き残ったプレイヤーの一手となれば、何かしらの効果を発揮したはずだ。
「――【快癒の号令】!」
激流が収まると同時、ロイヤルの詠唱が耳朶を叩いた。
デバフが解除される時の独特な感覚を覚えつつ俺も【ニルヴァーナ】を発動して周囲に回復効果のある霧をばら撒き、そのまま龍神の姿があった方へと宙を駆ける。
「グル――ッ」
「チッ!」
未だに残る混沌の残滓を振り払い、龍神の姿を視界に収めたところで【駆影術】を発動。
その背後へ転移するも、常套手段と化した奇襲は読まれていたらしい。
振り向こうとするバルティニアスの防御の上から、構わず力任せの【旋月】を叩きつける。
今の俺の役割はプレイヤーたちが態勢を立て直すまでの時間稼ぎ。
なら、【逆鱗】による仮初の竜化が続いている間はバルティニアスを引きつけていなければならない。
「【竜爪・紫電】【竜閃】【ツインブレイク】!」
「グルォオオオ――」
「させるかよ……【雷衝】ッ!」
「ガァアアアアアアアアアア!!」
援護も万全には受けられない中、ただひたすら攻撃を重ねる事によって龍神をその場に縫い付ける。
本来なら数合も打ち合えば破綻していたであろう状況が実現していたのは、バルティニアスの動きもまた精彩を欠いていたからだ。
動作に見え隠れするシステム的な遅延から察するに、おそらく先ほどの攻撃の反動のようなものなのだろう。
プレイヤーたちが戦線に戻るのとバルティニアスが本領を取り戻すではどちらが早いか……そう考えた矢先、眼前の龍神が一際強い咆哮を上げた。
「「グルォォオオアアアアアアアアアアアアアアッ!!」」
俺もデバフを防ぐため、咄嗟に【竜哮】の乗った叫びを合わせる。
本来の動きに戻った龍神が拳を振りかぶる。
一撃を受け流すため、繰り出された一撃に【竜閃】を合わせ……その瞬間、相手の中で“力”が脈動するのを感じた。
拙いと思った時には既に俺の爪を弾いたバルティニアスの拳が身体へと突き刺さっている。
「ガハッ――」
竜化を解除された時とは異なる、喰らってはいけなかった一撃。
これまで受け流してきたそれの直撃はあまりに重く、HPが一気に危険域まで持っていかれる。
揺れる視界の中、正面に見えたのは奇しくも俺の【ツインブレイク】と酷似した構えをとる龍神の姿だった。
存外に攻撃範囲の広いこの攻撃を避けるのは困難。
たった今喰らった一撃からするに、受け流す事も不可能。
だが、防御しても残り僅かな俺のHPでは耐えきれない。
それは紛れもない死の予感。
なら……せめて最期に、一矢報いてやる。
そう覚悟を決め、身体に力を込めた時――。
「――【チープマジック】【フェイク・ザ・ワールド】、【大脱出】っ!」
彼方から聞こえたのは道化の声。
何かに背後から吸い込まれた俺の眼前でバルティニアスの爪が真紅の斬線を描いて交差し、直後にバタンという音がして視界が閉ざされる。
どこかコミカルな爆発音の連鎖に合わせ、俺の身体はプレイヤーたちの上空に放り出された。
「まったく、世話の焼ける先輩なんですから……!」
「あ?」
「いえいえ、何でもないですよー? とっとと回復しちゃってくださいっ」
どういう理屈か俺の隣に浮いていたのは仮面の道化師。
耳に引っかかった呟きを聞き返そうとすると、ジャックは誤魔化すように回復薬の瓶を次々と投げつけてくる。
「……まあ、助かった。借りは働きで――」
「待ってください!」
「今度はなんだ? 悠長にしてる時間は無ぇぞ」
十分に回復したところで飛び出そうとした俺を、ニムエの声が呼び止めた。
前方では既に翼を広げたバルティニアスがこちらへ飛翔してきている。
しかし軍師は必死に頭を回転させているような様子で黙り込み……俺が待っていられないと判断した時、意を決した表情で口を開いた。
「――クラス、S! 次の瞬間に全てを賭けます!」
クラスS……それはここ星核でのボス戦を前に決められた符号の一つ。
意味するのは、真に後先を考えない全力の攻撃。
龍神の攻撃は苛烈さを増し、対する俺たちプレイヤーのリソースは尽きつつある。
ここで勝負に出なければ、賭けに出る力さえ削り取られてしまうと判断したのだろう。
この指令に従うかどうかはプレイヤー自身に委ねられている。
俺は……乗る事に決めた。
「奴は手前で俺が止める! お前らは――」
「いや、それはアタシがやる」
その声は俺より遥かに小さかったにも関わらず、いやにはっきりと響いた。
聞き慣れた声が誰のものかは確かめるまでもない。
称号【万命を刈り取るもの】を取得するイベントの際、召喚者が求めた魔神そのものの姿となり禍々しい煙を纏ったソーサラー……エイミがトレードマークの大鎌を掲げ、既に詠唱を始めていた。
「――【最後の号令:カムラン】」
リューヴィの短い詠唱に反し、竜化を更に重ねたように絶大な力が総身に満ちる。
それが皮切りになり、一勝負限りの切り札が……支援職渾身のバフが、秘蔵のアイテムによる強化が俺たちに掛けられる。
そして。
極めて短い時間の中で、俺たちの全てが解き放たれた。
始まりを告げたのは最後の破壊魔法【メガデス】。
魔神が静かに鎌をかざすと、生じた漆黒の爆発は世界そのものを打ち砕くような力でバルティニアスを呑み込んだ。
地に墜ちた龍神は、しかしまだ倒れない。
未だ俺たちを視線で射殺そうとするかの如く瞳を憎悪と憤怒に燃やし、健在を示すように雄叫びを上げた。
「グル……ガァァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
その身体が更に巨大化し、遂に全身が完全な暗血色に染まる。
だが、こちらももう後戻りできる段階にはない。
震える大地からはマグマが溢れ出し、空は道化の舞台へと塗り替えられ、数えるのも馬鹿らしくなるような膨大な兵器が狂える龍神を照準する。
俺もまた称号【目覚めし覇王】の効果を重ね、【駆影術】でバルティニアスの背後へ回り込んだ。
――傍らに馴染んだ気配。
竜の眼でも残像しか捉えられなかったが、俺の身体を彼女が足場にした感覚は遅れて伝わってきた。
【雷衝】で龍神の身体を覆う混沌を引き剥がすと、クリスは無防備になった龍神の後頭部に弓を押し当てていた。
「零距離なら命中率を気にする必要もありませんね。【フェイタルベリー】」
ある種の冷酷ささえ感じる声と共に、かつて容易く森林を貫いた光矢がバルティニアスを撃ち抜く。
絶叫が轟く中、クリスは機械のような正確さで同じスキルを連射し続けた。
その正面からはプレイヤーたちの最後最大の総攻撃が襲い掛かり、背後からは俺がひたすらスキルを重ねていく。
どう転ぼうともこれが最後の攻防。
押し切れなければ消えるのは俺たちだ、出し惜しみする理由などどこにもない。
今にも尽きそうなSPに俺の全てを込めて身を翻す。
「これで最後だ――【絶境閃】ッ!!」
力の全てが尾に収束し、龍神の背へと叩きつけられる。
その確かな手応えを最後に、俺の意識は暗転した。




