84.ルシフェラ=ファディス――4
咄嗟に音源の方を見た僕の目に映ったのは、空間に刻まれた朱色の斬線。
長剣で地上を薙ぎ払った堕天使は勢いのままに上空へ身を翻し、それに一瞬遅れてプレイヤーたちの悲鳴が部屋を満たした。
「いけないっ……ヒーラーはダメージを受けた前衛に回復とリジェネの付与を!」
「り、了解! 【クリアブリーズ】っ」
「【ホーリーブレス】!」
軍師の指示を受けたプレイヤーの回復スキルが飛ぶ。
リジェネでダメージを相殺する処置の情報を既に反映しているのは流石だけど、傷が与えてくる痛みまでは対応しきれない。
今ルシフェラに傷を受けた前衛がすぐ万全の調子を取り戻すのは厳しいだろう。
なお悪い事に、まだ地上に残っていた影が再び蠢きだし――って、あれ?
その動きは宝珠による影響を差し引いてもまだ鈍い。
余裕を持って影の攻撃を躱し、他のプレイヤーにも視線を巡らせる。
やっぱり影の攻撃を受けている人は誰もいない。
反撃するわけでもなく、影の事は完全に眼中にない様子だ。
「クリス、この影はいつの間に弱体化したの?」
「アレンさんのおかげですよ」
「え?」
「この影は耐久こそ高いですが、ほぼ全ての阻害がまともに通ります。さっきのアレンさんの電撃ではっきりしました」
「なるほど、こっちは囮だったってわけか」
やってくれる……!
してやられた事に思わず歯噛みをしていると、ルシフェラは再び降下してきた。
まずは前衛の士気を挫くつもりなのか、先ほどは無事だった他の前衛を狙って襲い掛かる。
怯むプレイヤーも目立つ中、何人かが前に出て斬撃と真っ向から打ち合った。
「「「ガァァアアアアアアアアッ!!」」」
理性を投げ捨てたような絶叫が響き渡る。
だけどそれはさっきの悲鳴とはどこか異質。
前に出たプレイヤーたちが纏っているあの赤黒いオーラは……。
「狂化……バーサーカー?」
「そうみたいです」
半ば勘で呟いた可能性は的中していたらしい。
バーサーカーは斧を得意とする前衛ジョブ。
その特徴は専用スキル【捨て身】に代表される攻撃偏重のステータスだけど、彼らは更にバッドステータスである暴走を受けると逆に幾つもの恩恵を受けられるという特性を持っている。
その中の一つであるダメージ軽減には痛覚を含む感覚を鈍らせるという効果もついてくる。
今まではおまけ程度の要素でしかなかったそれが、今こうして大きな成果を上げているというわけだ。
「――【名も無き死槍】!」
バーサーカーたちの雄叫びを切り裂いて確かに届いたのはエイミの声。
放たれた漆黒の奔流は手をこまねいていた堕天使を貫き、その身体を大きく揺らがせた。
エイミに続くように無数の詠唱が連続する。
後衛プレイヤーたちが放ったスキルはルシフェラに直撃し、更に大きな痛手を与える。
でも、これだと……。
「アレンさん、どこに行くんです?」
「っ、クリス!?」
【駆影術】を使い移動しようとした瞬間、クリスに持ち上げられて阻まれた。
まさかそんな形でキャンセルされるとは思っていなかったせいで酷く狼狽しそうになった心をどうにか抑えつける。
「エイミたちがいるところへ。このままだと、次はあそこが狙われる」
「でも今アレンさんが行っても――」
「まだ僕は戦える。称号効果の変身が残ってるから」
「…………。分かりました」
一瞬クリスの瞳の中で幾つもの感情がせめぎ合うのが見えた。
けれど彼女は何も言わず小さく頷き、手を離す。
僕も一つ頷きを返し、改めて【駆影術】で後衛プレイヤーたちの元へ急いだ。
「――脆弱な、人間風情がぁあああ!」
転移した先ではまさに堕天使が襲い掛かろうと急降下するところだった。
前衛も対応するため下がろうとはしているけど、肝心の盾職は敏捷性に欠けるため間に合っていない。
ルッツの【ダッシュガード】みたいな補助スキルの存在を考慮しても、一度痛打を受けるのは避けられないだろう――このままでは。
「【槍駆竜星】」
「ッ!?」
「喰らいやがれ……【砕山衝】!」
称号の効果を起動。
痛む身体は再び黒竜に変じて舞い上がる。
同時に使用したスキルの効果で加速し、不意を打たれたルシフェラの顔面へカウンター気味に拳を叩き込む。
今の竜化は応急処置的なもの。保っていられる時間もごく短い。
俺は全力を出し尽くそうと、敵が隙を晒しているうちに身を翻す。
「――【絶境閃】ッ!!」
「ガッ――」
……まだ、足りない。
会心の手応えと同時、まだ相手に力が残されているのも伝わってきた。
地上からは墜落するルシフェラに向けて幾多の遠距離攻撃が放たれている。
しかし、堕天使は既に長剣の柄を攻撃に合わせて防御の構えに入っている。
だけど……もう力を使い果たし竜の身を失った僕にはどうする事もできない。
そんな僕の見ている前で、世界が再びジャックの色に塗り替わる。
そして空間に現れた無数のオブジェクトを縫うように宙を駆ける一つの姿。
あまりの速度に僕の目には残像しか映らない。
けれどそれが誰かは分かる。間違えるはずもない。
「【千鳥】【連拳】【連脚】っ!」
「な……」
一瞬にして堕天使の手元に突き立った無数の矢。
そこにダメ押しのように加えられたのは迅雷の如き数多の打撃。
加速したクリスの前では堕天使の表情が驚愕を浮かべるのさえ遥かに遅く、構えていた長剣は大きく払いのけられた。
「アレンさん、ちょっと揺れますよ」
「うわっ――!」
人影は更に迫り、空中の僕を掻っ攫ったと思った次の瞬間には地上に降り立っている。
そして響いたのは部屋全体を揺るがすような振動と内容の聞き取れない断末魔。
上空で致命的な隙を見せた堕天使をプレイヤーたちの渾身の攻撃が呑み込み、盛大に爆発させた。




