策略の上を行く
長い冬が明けてスイストリアにも春がやってきた。
スイストリア王国、ロッツフォード領の天使の輪<エンジェル・ハイロウ>の執務室にジークはいた。
ジークお抱えの密偵の二枚看板であるファニスとカティアが帰ってきたのだ。
その報告を聞くために執務室にいる。
ジークの愛妻スィーリアが間もなく臨月となる。
できれば傍にいたいとジークは思っていたがそれもどうやら叶いそうも無い。
(どうして大人しくする事が出来ねえんだ。あの国は・・・。)
ファニスとカティアが向かった国はジルベルク帝国である。
ジルベルクとスイストリアの国境近くに大規模な砦を築き始めたということ。
領土奪還のために兵の鍛錬を盛んに行っていること。
アーメリアスに大量の密偵が出入りしていること。
などなど色々な報告が上がってくる。
(いまだ砦の普請役がフブカだっていうことが信じらんねぇ・・・。)
そこにドアをノックする音が響く。
入ってきたのは絶世の美女二人。
最近になってジークの眷属になった元ジルベルク帝国の貴族、レオノとユーディットである。
戦働きはできないからと言って日々勉学に勤しんでいる。
その二人はジークに献策に来たのだ。
「ジークよ。危険過ぎはしないか?」
スイストリア王国国王ファザード王が心配の声を発する。
「どうしてこう家の娘婿は腰が軽いんだろう・・・。」
呆れるのはスイストリア王国筆頭貴族、ソルバテス=ロッツフォード公爵。
「それでも危険を冒す価値はある。ここいらでいい加減ジルベルクを黙らせたい。心配は御無用。」
自信満々で答えるはスイストリア王国の英雄ジーク=ペンドラゴン侯爵。
レオノとユーディットの献策はこうして採用された。
「レオノ! ユーディ! 何故ここにいる!?」
場所は変わってジルベルク帝国帝都にあるウェスランド家。
レオノとユーディットの実家である。
「策が見事に成ったことのご報告ですわ。」
胸を張り堂々と答えるレオノにウェスランド家当主オーネストはポカンと口を開ける。
「は?」
それをレオノとユーディットは微笑みながらさらに言葉を紡ぐ。
「父上が仰る通りにスイストリア王国のペンドラゴン卿を誑し込んできました。」
「!! して首尾の程は!」
「毎日とはさすがにいきませんが他の愛妾の方々を差し置いて頻繁に寝所に呼ばれるようになっております。一度など政務を忘れこの体に夢中になったほどです。」
「! そうか! そうか!」
「それだけでありません。」
レオノの後に続いてユーディットが説明を始める。
「このたびの帰郷も父に会いたいと我儘を申したために実現したのです。この意味が分かりますか父上? 理由もなく人質の帰郷など聞いた事がありません。ペンドラゴン卿は私達の言い分を聞くようになってきております。完全に骨抜きにするにはワザと会えない期間を設けて欲望を滾らせて放っておくのです。会った時にその思いが爆発するように仕向ければ後はこちらのもの。ここジルベルクに連れて来るのも可能かと存じます。」
「!! こうしてはおれん! 今すぐに宮殿に向かい陛下にお会いしてその旨をもう一度説明せよ!」
「そうか! あの豪傑も帝国二大美姫に魅了されたか!」
「はい! 籠絡しジルベルクに仕官させるのも時間の問題かと思われます!」
「それだけではありません。」
レオノが割って入る。
「これ! 陛下の御前だぞ! 女の身で問われてもいないことを言うな!」
「よい! 申してみよ。」
「此度の緊急の帰郷をペンドラゴン卿が許した際に周りの重臣たちは猛反対でした。それでも私たちの不興を買いたくないペンドラゴン卿はスイストリア王ファザードに直訴までしております。そのためかなりの不信感を持たれております。このままうまくいけば計略は成功すると思われます。」
この言葉を受けてメルキアは高笑いをする。
「はははははは! そうか! そうか! 間もなくジークが俺のものになるか!」
「わが娘ながらよくぞやってくれたものだ!」
「よいぞ! 褒美は好きなものを取らす!」
「今すぐには思いつきません。後日でもよろしいでしょうか?」
「勿論だとも!」
「では、後日に。」
レオノもユーディットも恭しく頭を垂れる。
数日後、レオノは父親にお願いをしに来ていた。
「父上、街に視察に行きたいのですがご許可をいただけますか?」
このレオノの言葉に父親であるオーネストは眉根を寄せる。
「何故、視察の必要がある?」
レオノはクスクスと笑いながら表の十人の雑兵を指さす。
「父上があれがただの雑兵に見えまして? あれはスイストリアが私とユーディにつけた鎖ですわ。下手に館に籠りっ放しだと陛下や父上に何か策を授けられたのではないかと疑われます。事がここまで来て雑兵どものいらない報告でペンドラゴン卿から引き剥がされるのは御免ですわ。そこであえて外に出て何もないように振る舞うことで策がもう成っているという事を悟らせないという効果を期待しているのです。」
「女の身でよくそこまで考えた!」
「それだけではありませんわ。」
レオノの説明に続き今度はユーディットの説明が始まる。
「私たちは今は帰郷しておりますが次にいつ来れるかは分かりません。生まれ故郷を心に刻むためにも町を見て回ることをお許しください。そしてジルベルクがスイストリアを蹂躙する日を夢想するために町の視察だけでなく軍事施設への訪問も御許可ください。慰安訪問となれば兵も喜ぶのでは?」
「!! その意気やよし! 陛下にはワシから報告し許可を得よう!」
「よろしくお願いします。」
「なに! そんな事を申しておったか!」
「はい。是非とも娘たちの願いを叶えてやっては頂けませんでしょうか?」
「是非もない! 慰安訪問なら兵のやる気も出よう! 各施設には俺から連絡していつでも訪れる事ができるようにしておこう。ただし、町の視察以外はスイストリアの兵は中に入れるな。」
「勿論でございます。」
「ふふふ。我が世に春がきよったわ!」
こうしてレオノとユーディットに視察の許可が出た。
「民はいつもこのような果物を食しているのですか?」
許可が下りたその日のうちにレオノとユーディットは街の視察に繰り出していた。
付き従うスイストリアの十人は気が気ではない。
二人ともあっちへ行ってはこっちに行ってと散々歩き回るのだ。
密かに護衛についているジルベルク帝国の密偵もヒヤヒヤしながら己が職務を全うしていた。
「ここが帝都の軍事基地なのですね?」
「はい! 仰る通りです! 人質の身になってもなお帝国の誇りを失わないお二人のお姿を見れば兵も俄然やる気になりましょう!」
そう言ってここを預かる将軍は鍛錬場に案内する。
「ご覧ください! あれが我が帝国の帝都を守る精鋭部隊です!」
そこにはそれぞれ槍を構えて打ち合う者が沢山いた。
「頼もしい限りですが何人いるのですか?」
「非常招集をかければ三千人ぐらいはおります。」
「さ、三千人・・・。」
「それほどの人数がどこにいるのですか?」
驚くレオノを他所にユーディットが質問を続ける。
「残念ながら生粋の帝国軍人ではありません・・・。」
「では、一市民からの徴兵ですか?」
「はい。ですが心配は無用です! 冬季の間十分な訓練を積みました! 春となったことでさらに訓練に磨きをかける事ができます! 一騎当千の兵にしてごらんにいれます!」
「頼もしい限りです。」
レオノの穏やかな微笑みを受けて将軍は舞い上がる。
「さぁ、次はこちらにどうぞ!」
「ここは?」
「兵糧の備蓄庫です。」
確かにそこには豆や芋類を詰めた袋が積まれている。
「ここにある兵糧で何年分になるのですか?」
この質問に将軍は苦笑いをする。
やはり女。
戦のことなど分かっていない。
そう思い答える。
「ここにある兵糧では三月もすれば食い尽くします。」
「では、長期の戦は帝都では不向きなのですね?」
「いやいや! 近い将来その問題は解決されます。」
やけに自信満々に答える将軍にレオノとユーディットが憂いを帯びた眼差しを向ける。
帝国二大美姫などと呼ばれる二人の眼差しの破壊力は抜群だった。
この視線により将軍はドギマギし口がよく滑るようになる。
「アーメリアスの穀倉地帯が近い将来手に入るからですよ。」
「アーメリアスの穀倉地帯ですか?」
「また、女の身の私たちをからかって・・・。」
ぷいとそっぽを向くユーディットのご機嫌をとるため将軍の口がどんどん軽くなる。
「今は、密偵を多数放ちアーメリアスの重臣たちに離間の策を施しているのです。上手くすれば戦なしでアーメリアスを手に入れることが出来るかもしれませ!」
「まぁ! すごい!」
「将軍は凄いのですね!」
これは軍の上層部の決定であってこの将軍の手柄ではない。
だが、こう言われて嬉しくない筈がない。
ましてや絶世の美女二人相手だ。
浮かれる。
そのために聞かれてもいない事まで話す。
「それに南の奴隷共も今に失策します!」
「? 南というと?」
「独立を謳う馬鹿の国! グレステレンです!」
「奴隷の国がどうしたのですか?」
「何とあの国は国力も考えずに南部の未開拓地に手を付けようとしているのです! 自滅は明白! もう一度奴隷に落としてやります! 今度は逆らえぬように魔術による膨大な量の契約書を用意して!」
「頼もしい限りですわ!」
「本当に頼りになる!」
「いえ、それ程の事でも・・・。」
浮かれる将軍はどんどん話す。
それが機密事項でも・・・。
次にレオノとユーディットは帝都の東西南北にある要塞に慰安訪問した。
たくさんの兵の前で演説をして兵の士気を盛り上げる。
そのあとは貴賓室に通されて歓待を受ける。
「あのような稚拙な演説で帝都を守る兵の皆様に役に立てたでしょうか?」
項垂れるレオノを要塞を預かる指揮官の一人が励ます。
「何の! 見事な演説でございました! 兵のやる気も上がります。」
「本当でございますか?」
「勿論でございます! 何なら兵の演習風景をご覧になっていかれますか?」
「女の身なれど興味があります! 是非お取り計らい願います!」
「喜んで! さぁ、こちらです!」
こうしてレオノとユーディットは時間はかかったものの東西南北の各要塞を隅から隅まで見学したのだ。
レオノとユーディットが帰郷してから一月がたった。
「父上、そろそろスイストリアに赴かないと怪しまれます・・・。」
ユーディットが父であるウェスランド家の当主であるオーネストにスイストリアへ向かう報告をする。
「む? そうか・・・。それもそうだな。あの女狂いもお前たちをそろそろ欲して我慢が効かないとのもっぱらの噂だ! よし! 陛下にご挨拶してから赴くがよい!」
「はい、分かりました。」
レオノとユーディットが薄く笑う。
「そうか。仕上げに行くか・・・。」
「はい、総仕上げでございます。」
「次にここに来るときはペンドラゴン卿を連れて来る時です。」
「! ふはははは! そうか! ジークをここに連れてくるか! 期待しているぞ!」
「つきまして陛下に二つお願いがございます。」
「二つとな? 何だ?」
まずはレオノが願い出る。
「行程の関係であのフブカが普請役をこなしている砦に一度はよらなければなりません。その時に乱暴を働かれたくありませんので陛下からきつくお言いつけください。」
「その程度か? よいよい! すぐに手紙を書こう!」
「では次に二つ目です。」
ユーディットが進み出る。
「女狂いとまで言われ始めているペンドラゴン卿の土産としてこちらで用意した百名の女中を連れて行きたいのです。」
「! 百人だと!?」
「はい、これ位の土産を持っていけば彼の英雄も肉欲に溺れてますます私たちから離れられなくなります。何とぞこの者達の国外へ出立する手形の発行をしていただきたいのです。」
「くくくくく! オーネスト! お主の娘は豪気なことだ! よし許す!」
「ありがとうございます。」
こうしてレオノとユーディットは百人の女中と十人のスイストリアの雑兵を連れてジルベルクを出立した。
目指す先は愚劣王フブカが普請役をしている砦である。
「よく来た! レオノ嬢! ユーディット嬢!」
未だに権威の傘を着るフブカがレオノとユーディット一行を出迎える。
「どうじゃ! この普請振りは! 大層な物じゃろう!」
まだ基礎の工事しか始まっていないのに大言を吐く。
何とも返答に窮していると聞かれてもいないのにべらべらと砦の機構を話し始める。
あそこにはなんだ、向こうにはあれだと騒がしい事この上ない。
疲れているのに休ませるようなそぶりなど見せない。
最後には砦の見取り図まで見せる始末だ。
しかもスイストリア兵のいる前で。
さすがにレオノがたしなめる。
「フブカ殿、ここにはスイストリアの兵もいるのです! そのような機密を・・・。」
言い切る前にフブカの大言壮語が切り捨てる。
「ワシ達が苦労して設計したこの見取り図を貴族でもない下賤な者が読み解ける訳があろうはずが無い! ご安心召されよ!」
そう言ってスイストリアの兵の前で大きく広げて見せる。
「さぁ! 覚えられるなら覚えて見せろ!」
しばし誰も口を利かない。
「ほれ見ろ! 誰も何も言えん! 所詮下賤の身は下賤ということじゃ!」
そういって高笑いを始める。
スイストリア兵は握り拳を作るが必死に我慢をしている。
それを見てフブカは鼻を鳴らし、レオノとユーディットを自分が宿泊している見事な建物に案内する。
これを見てレオノもユーディットも眉をしかめる。
ここまで見て来たのは人足達の粗末な小屋だけだ。
そこにこの様な立派な建物はつり合いがいくらなんでも取れていない。
(時と場所を考えるということが出来ないのかしら?)
本気でフブカを気味悪く思うレオノとユーディットであった。
レオノとユーディットはこの気色悪い館で一晩過ごす事になった。
スイストリアの兵は粗末な小屋に押し入れられた。
百人の女中はレオノとユーディットの世話があるという事で館にいる。
だが、スイストリアの兵は黙って小屋に入れられたわけではなかった。
迅速に行動に移っていた。
「ではフブカ殿、ごきげんよう・・・。」
「急ぐことはない! もう少しゆっくりしていけばよい!」
別れの挨拶をするレオノにフブカが必死で引き留めようとする。
だがそのフブカを今度はユーディットの言葉が刃となり切り捨てる。
「私たちはペンドラゴン卿を色で誑かすという務めがあります。あまり留守にすると関心を失われてしまいます。そうなるとその責をフブカ殿が追うことになりますよ? 陛下の怒りはそれはそれは激しいものになるでしょう。」
この言葉を聞いたフブカは生唾を飲み込み後ろに一歩下がる。
「では、フブカ様いずれまた・・・。」
優雅に会釈するレオノとユーディットを劣情の炎が灯る目でいつまでも睨んでいた。
勿論、女中百名、スイストリア兵十名もついて行く。
こうしてレオノとユーディット一行は無事スイストリアに到着した。
スイストリア王城の謁見の間は大騒ぎになっていた。
この一月「出掛けて来る」の一言で留守にしていた救国の英雄ジーク=ペンドラゴン侯爵が雑兵の格好で帰ってきたのだ。
レオノとユーディットの帰郷について行ったのである。
そこからは次々と報告がなされた。
アーメリアスに急使を送りジルベルク帝国の離間の策に注意してもらうためだ。
他にもグレステレンに特使が行くことになった。
南部未開拓地の開拓はもっと国力を付けてからがよいという助言をするためだ。
ファーナリスという前例がある以上この特使を無視することはできないだろう。ましてや疲弊する瞬間を狙って帝国が再度南部への遠征を狙っているなど知ったらなおさらだろう。
砦の普請でフブカに反感を持つ者たちを懐柔した。
これはかなりの大きな勢力になり人足のほうから率先して協力を得られた。
隠し通路を作っておくので利用してほしいという約束を取り付けてきたのだ。
ジークは見取り図の写しををさっさと作成して献上している。
何より今回の見せかけの帰郷で大きなおまけがついてきた。
「あ、あ、あの、あたし達・・・。」
「まさか緊張してるのか? 俺にアレだけの啖呵を切っておいて?」
ジークが茶化す。
レオノとユーディットが女中として連れて来たのは帝都一の最高級妓楼にいた遊女百名なのだ。彼女たちは口が堅い。そのために政務の上での秘密や軍事の機密などをポロリと漏らす客もいる。
ジークは事情があってこの百名を助けたのだ。
帝国貴族の数多の秘密を知り抜く彼女たちはある意味で金で買えない存在なのだ。
それが丸ごと手に入ったのだ。
今回の策はレオノとユーディットが偽の帰郷で各方面にジークを誑し込むことに成功したと虚報を流し、信頼を得て帝国の中枢の情報を得ることが目的だった。
もちろん帝国の密偵の目を欺くためにファニスとカティアが下地となる偽の情報を常に流している。
日々勉学に明け暮れて政治のみならず軍事についても精通するようになった二人は女の身だからよく分からないという出で立ちで堂々と重要施設を見て回りそれぞれの機密情報を色々と手に入れて来たのだ。
これらは当然ジルベルク帝国を黙らせるために使う。
各人の協力はあったがジークはまたもジルベルク帝国の上を行った。




