王妃の務め
「左右の両翼は急いで上がれ!」
ジークの声が両翼に届く。
決死隊百名を連れてジークが前線にまで上がって来たのだ。
左右に展開されていた両翼は一瞬戸惑ったような気配があったがすぐに命を実行に移した。行軍速度が上がり、勢いがつく。
何しろ総指揮官自らが前線に出てきたのだ。
スイストリア軍とは違い兵のやる気がみるみる上がる。
だが、当のジークは焦燥感に駆られていた。
(この感覚! 冬の総戦力戦の時と同じだ! 兵がただ闇雲に突っ立てるだけだ! フブカ! またしても逃げるか!)
「陛下! どこへ行こうというのです!? 今、外では兵が最後の一兵になるまで戦っているのですぞ!?」
宮廷魔術師ガンドの言葉を受けてもフブカはニタニタ笑うだけで答えようとしない。騎士団長のアモンデスも必死に引き止める。
「今こそ陛下の御威光を示す時です! 戦場にお戻りください!」
宰相も慌てる。何せ再び敵前逃亡をしでかしたのだから当然いさめる。
「陛下! お考え直しください! 今ならまだ立ち直しも効きましょう!」
そうしてフブカの足が止まる。
「無理だ。」
フブカが呟く。
フブカの元で散々甘い汁を吸ってきた三人は黙り込む。
フブカの不気味さに。
未だにニタニタ笑っているのだ。
そのフブカの口から語られる言葉にとうとう気がふれたかと思った。
「再起を計る。お主ら、ついて来い。」
小便臭さを漂わせながら言われたその言葉に三人は絶望した。
「マリアンヌ様!」
王妃の私室にヴィヴィアンが乗り込んできた。
「今ならまだ裏門が開いております! お逃げください!」
王妃マリアンヌはこの期に及んで己の身ではなく自分の身を案じてくれるヴィヴィアンを愛おしく思った。
側室ヴィヴィアンをそっと抱きしめると耳元で呟く。
「今までよくこんな王家に仕えてくださいました。貴女まで命を落とす必要はありません。お逃げなさい。」
この言葉に側室ヴィヴィアンはゾッとする。
「王妃様は! マリアンヌ様はどうされるのですか!?」
王妃マリアンヌはとても穏やかな表情でヴィヴィアンに微笑む。
「この首を差し出します。」
「!!」
王妃マリアンヌの目から一筋の涙がこぼれる。
「私とフブカの間には愛情などありません。政略結婚ですから当然です。今でもフブカを男として見るつもりも見る事もできません。それでも私は貴族であり王妃です。その王家の一員でありながらフブカの愚行をいさめる事が出来ませんでした。私もスイストリアの病巣の一つと言えるでしょう。同罪なのです。それに貴女まで巻き込むわけにはまいりません。ヴィヴィアン、女中たちを連れて逃げてください。私からの最後のお願いです。」
この言葉に激しく首を振り拒絶の意思をヴィヴィアンは示した。
「女中たちならば兵たちが城門前に集まった時にすべて逃しました! 残っておいでなのは王妃様だけです! お急ぎください!」
この機転の良さがあれば大抵の事は乗り越えられよう。
そう思いヴィヴィアンに逃げるように説得に試みる。
「ヴィヴィアン、貴女ほどの女性なら必ずどこかで受け入れて貰えるはずです。ここはあなたの死に場所ではありません。女中たちをお願いできませんか?」
そんな中、開け放たれたマリアンヌの私室に複数の女性が入ってくる。
驚いたのはヴィヴィアンだ。朝方逃した者達だからだ。
「王妃様、私たちもお供いたします。」
「挫けそうな時いつも私たちを励ましていただきました。」
「どうかお供をさせて下さい。」
「フブカ陛下も玉座の間に御出でとのこと。共が必要となりましょう。」
この言葉にマリアンヌとヴィヴィアンが顔を見合わせる。
あのフブカが玉座の間で、城を枕に討死を選ぶだろうか? 否。
ならばなぜ玉座の間に行ったのか?
マリアンヌの中に嫌な予感が生まれた。
「玉座の間に向かいます! フブカ陛下の身柄を押さえます!」
ジークが率いる決死隊は脇目も振らずにある場所を目指した。
フブカがいると思われる参陣の旗がひるがえる場所。
何人もの兵が行く手を阻むが賜った宝剣の元にことごとくが斬り捨てた。
そうして決死隊が半分の五十名にまでなった時に旗のもとにたどり着いた。
居るはずのフブカが居なかった。
「おのれあの外道! 一度ならず二度までも兵を見捨てるか!」
ジークの怒声があたりに響く。
(嫌な予感がします! 早く玉座の間に行かなければ!)
王妃マリアンヌは側室ヴィヴィアンと幾人かの女中を連れて玉座の間に急いだ。
そこにある光景に絶望することになるとも知らずに。
(同じ轍は二度と踏まねえ! ファザード様の教えで城の抜け穴は全て封じてある! 城の中に逃げても袋の鼠だ!! 今度こそ三バカ共々己の首級<くび>を貰うぞ!!)
勢いをつけて上がった両翼はフブカ軍を一方的と言えるほど打ち負かした。
勿論被害は出ているが、フブカ軍に比べれば軽微なものだ。
その兵からの報告でジークがフブカの次に欲しがった首級<くび>、元宰相ベリガン=ヨルバーニ、宮廷魔術師ガンド=ヘルバーニ、その弟で騎士団長のアモンデス=ヘルバーニ、通称三バカが居なかったことを知らされた。
フブカに付き従い城の中に逃げたと思われる。
一見、万全を期したかに見えるジークだが袋の鼠にしたという事で実は慢心が生まれていた。ジークは抜け穴は封じたのだ。「抜け穴」は。
「探せ! フブカと三バカの身柄を何としても押さえろ!」
ジークはクローディアとテレスを伴ない城内の探索を開始した。
だが、どこにも見当たらない。執務室、寝室、いたるところを探したが見つからない。ジークの中に焦りが生じる。
(まさか俺たちが知らない抜け穴でも・・・いや! 城の構造上そんな隙間はねぇ! あるとしても隠し部屋ぐらい・・・。! 隠し部屋!)
このたどり着いた「隠し部屋」という言葉に不吉なものを覚えた。
「伝令! 誰かいないか!」
「ここに!」
「隠し通路だけでなく隠し部屋の可能性もある! 表にいる兵をすべて入城させ調べさせろ! ただし、略奪行為などは絶対にやらせるな!」
「はい!」
鬼気迫るジークに伝令は事を急ぐべく表へ走る。
(残るは謁見の玉座の間か・・・。)
この時全てに決着がつけられていた。
「・・・何という事なの!」
玉座の間で見たものに王妃マリアンヌは絶望した。
「ここまで、ここまで救いようがないなんて! 戦い死んでいった兵に何と詫びるつもりですか!? フブカ王!? いえ、愚劣王フブカ!! あなたこそこの大陸に一片の必要性を見いだせない愚物です! いずれ必ずロッツフォードの英雄たちがあなたを滅ぼすでしょう! いいえ、滅ぼさねばなりません!」
王妃マリアンヌは泣き崩れた。
側室ヴィヴィアンも途方に暮れた。
好き従った女中たちは泣き崩れる王妃を励ますしかできなかった。
「なんだそれ?」
ジークは呆気にとられた。玉座が倒され、床がめくれ上がっている。
そこには階段があり小部屋につながっている。
床には魔法陣が刻まれている。
古代魔法時代に作られた魔法陣だ。
一度だけ任意の場所に転移することができる。
魔法陣を読み解けばどこに転移したかも分かるだろうがそれ所ではなかった。
理由は無い。根拠もない。ただ、分かった。
フブカと三バカがこの魔方陣を使って逃げたという事が。
「ジーク=ペンドラゴン卿ですね?」
後ろから声を掛けられた。
あぁ、この人が「スイストリアの生きる宝石」と謳われるマリアンヌ王妃だろうと当たりをつける。
おそらく自分同様混乱したのだろう。
目が赤く腫れているところを見れば泣きもしたのだろう。
正直ジークにとって今は何もかもがどうでもよかった。
あれだけ民を弄び、苦しめるだけ苦しめた貴族の象徴、王族たるフブカを戦までして取り逃がした。どれだけの人が死んでいっただろうか。自軍で夢を語っていた兵士がいた。子供の成長を楽しみにしている者もいた。そういった者達が志を胸に戦った。生き残った者も死んだ者もいただろう。
勝ったつもりでいた。
だが勝ちの証であるフブカと三バカの首級<くび>を無いまま勝鬨はあげれない。
そんなジークの心境を察したのだろうマリアンヌが申し出をして来る。
「このままでは終わらせることができないでしょう。私の首を御取り下さい。」
この言葉を受けてジークは宝剣を抜く。
「! お待ちください! マリアンヌ様はフブカ王の行いを何度もいさめたお方です! その度に暴力を受け、口汚く罵られたのです! そのうえ命まで奪われるのはあまりにも御可哀想です! どうか! どうか! 命ばかりはお助け下さい!」
側室のヴィヴィアンが間に割り込み膝をつき頭を垂れ願い申し出る。
側にいた女中たちも同様に願い出た。
この姿に王妃マリアンヌは滂沱する。
「みんな・・・。良いのです。愚劣王フブカをいさめる事が出来なかった以上私も同罪なのです。今ここで首を晒すのが王妃としての最後の務め。・・・さぁ、ペンドラゴン卿、この首をどうかお持ち帰りください。」
そう言って首を討ち易いように体を前に少し傾げる。
「・・・・・・。」
ジークは何も言わず王妃マリアンヌの側による。
「ジーク様! お考え直しください!」
「そうです! これ以上は無益な血です!」
己が眷属のクローディアとテレスが進み出る。
「・・・・・・。」
これにも何も答えず宝剣を握りなおす。
謁見のための玉座の間が静まり返る。
「きれいな髪だな。」
場違いなこのジークの台詞に王妃マリアンヌは返答する。
「毎日細かい手入れを欠かさない自慢の髪です。」
ジークはマリアンヌの髪をつかみ糸を使い一房を作り宝剣でそれを切り取る。
「髪は女の命という。ましてやこれ程美しい髪だ。一房でも切り取られれば命は断絶したも同じだ。」
この言葉にマリアンヌは驚く。
「!! これで御終いにすると言うのですか!? それ・・・。」
言い募ろうとする王妃マリアンヌにジークは怒鳴る。
「黙れ!!」
頭を垂れていた者達まで顔を上げてジークを見る。
それほどの大声を上げた。
「もうたくさんだ! これ以上あの阿呆共のせいで人が死んでいくなんざもうたくさんだ! それに王妃マリアンヌ! あんたの最後の務めは新しく王妃になる者に教えを伝えることだ! 首を晒すことじゃねえよ!」
そういって宝剣と一房の髪を握りしめ呟く。
「これ以上の人死はうんざりだ・・・。」
「・・・私に生きて王妃としての務めが果たせましょうか?」
「果たせるか、果たせないかじゃねぇ。果たすんだ。」
「苦難の道ですね・・・。」
「貴族ってのは、いや、人っていうのはそういうもんだろ。」
愚劣王フブカとその側近の逃亡という不安材料が残ったもののスイストリアはこうしてファザード=リレファンド=スイストリアの元で統合された。




