【ショートショート】思い込み
ほのぼの系ショートショートとして、投稿させていただきました。
私の一戸建ての自宅の北側は、そそり立つ崖となっています。しかし、何一つ不自由はしていません。なぜなら、よく整備されたアスファルトの道が続く南の街から、毎日、軽トラックで行商人が、生活必需品を売りに来てくれるからです。
ある日、朝から高熱が出てしまい、体の節々も痛くてたまりません。置き薬の熱さましを飲みましたが、熱は一向に下がらず、痛みも治まりません。数年ぶりに、お医者さんにかかることにしましたが、南の街あった診療所は、去年閉院してしまいました。近所に唯一ある診療所は、崖を登った北の街にしか、残っていないのです。
苦しくてたまらない私は、注射をしてもらって、少しでも楽になるならばと、息を切らしながら数年ぶりに、崖にかかるジグザクの階段を登りました。北側の土地には、青い草むらの中に、自動車やオートバイが通れないよう、人の背丈ぐらいの石造りの防壁が、あたり一面見渡す限り、連なって建っています。そして、防壁は、西の黒く生い茂った深々とした森で途切れています。
私は防壁を乗り越えるのは危険と感じ、迷わず小学生の頃、友だちと冒険したことがある、仄暗い森の中に歩みを向けます。膝まで雑草が生えて、ぬかるんだ獣道を進んで行きました。すると、近くで草の擦れる音がしました。大きな牙を生やしたイノシシが私を睨んでいます! 慌てて木の上に上ろうとしましたが、ヌメヌメして登れません。熱で鉛のように重くなった両足を必死で動かし、森の外まで逃げきり、なんとかイノシシから逃げ切れました。
息を切らし、ふと景色を見ると手入れされた草原に、一本の砂利道が走り、遠くに北の街が見えます。安心した私は、靴が砂利を踏む心地よい響きを耳にしながら、ゆっくりと歩みを進めます。後ろから人の足音がし、振り向きました。
背後から歩いてくるのは、毎日顔を合わせる行商人でしたが、いつもと違い青い顔をしています。行商人は、元気がなさそうな声を出しました。
「熱を出してしまって、すみませんが今日の行商は休みです。今から北の街の診療所に行くんですよ」
顔なじみに会った安堵感からか、体が軽くなった気がします。一緒に歩きながら、気になったことを行商人に尋ねました。
「森でイノシシに会いませんでしたか?」
「私はあの危険な森は通りません。防壁を通って来ました」
具合が悪いのに、どうして無理をしたのかと不思議に思った私は、行商人に質問しました。
「あの防壁を乗り越たのですか?」
行商人はきょとんとして、私の顔を見てから、意外そうな表情を浮かべます。
「防壁にはドアが付いています。どうして調べなかったのですか?」
私は、堂々とそびえる防壁を見ただけで、勝手に超えられないモノと思いこんでしまったのです。
北の街の診療所で診察を受け、注射を打ってもったからでしょう。体が楽になり、帰途は防壁に向かって歩きます。しかし、防壁にたどり着いて、どんなに探してもドアなど見つかりません。困り果ててしまった私に、背中から話しかけてくる人がいます。顔色が多少良くなった行商人でした。
「ドアは、ここにありますよ」
行商人が指を差したのは地面でした。私は防壁を見てドアは、垂直に付いているモノだと勘違いしていたのです。二人でドアを持ち上げて、ゆっくりと階段を降ります。防壁の下をくぐり抜ける階段があったのです。
自宅に戻った私は、ベッドで横になり、北の街を何度も訪れる夢を見ていました。
元気になり、防壁のドアを通り、北の街に買い物に出かけるようになったら、行商人は来なくなってしまいました。行商人とは自宅まで、商品を売りに来るモノと思いこんでいたのでしょうが、不都合はありません。(完)