「家族の話を売るのは良くない」って視点が欠けてたぁ〜
私は自身の母がパーソナリティ障害者であり、父親が「家に盗聴器がある」と騒ぐタイプであることをこのサイトで公言しているし、仏像を掘り続ける親戚や祖父の奇妙な話を書いている。
これはいわゆる「身内の話」であり、
あまり良くないと思う人もいるらしい。
なるほど。それは知らなかった。
以前、「奇妙な街に住んでいた」という微ホラー小説を書いていたときには、「身内以外の話はよくないから書かない」という決断をした。
裏を返せば「身内のことなら話してもいい」と、とらえる事もできるが、確かに私は、身内に何の思い入れもないし、「外敵」としか認識していない。
「外敵」と聞くと「家族を外敵呼ばわり!?」とびっくりするかもしれないけど、行政が私を保護した事実が以上、外敵であることには違いない。
だから身内の話を控えるという考えに至らなかった。
これは感覚のズレによる視点の不足だ。
私は、自身のトラウマや心で感じたことをよくエッセイにする。そのエッセイたちは、どこかにいるいつかの私のような人間に「情報の共有」を目的としている。
そのため、私のトラウマや心の傷の成り立ち、その色と形を記述する必要があると強く感じている。
なぜなら、心を閉ざした人間は特別な印がある話しか受け取れないからだ。理不尽に傷ついていない、家族で苦労していない人間の話を彼らは受け取らない。
これは彼らが悪いわけではなく、鍵を持たない人が特別な場所に入れないのと同じで、共通の印を持たない限り、「傷ついた心」という特別な領域には入れない。
傷口に向かって、「甘えんな」「頑張れ」という人間がいる以上、彼らの心はそうして守られていたほうがいい。
だから私は、自分なりの印をエッセイに刻む。届けたい人に届かないなら書く必要が意味がないから。
身内といえば⋯⋯私は付き合っている彼女や彼女の家族の話もする。彼女は境界知能で浮気を10回、嘘を200回くらいついた、という話もここで書いたが、彼女が「ぽぴの思うことを書いて読ませてほしい」という相互関係の基、彼女の話を書いている。
彼女は文字で書かれた情報を好む。私が何を考えて、どんな視点をもって世界を見ているのかとても不思議に思っている。
私が書いた作品は、投稿される前に、必ず彼女が読むようになっている。ショッキングな話も、明るい話も全て、彼女が「面白かった」、「分かりやすかった」といった感想を得て、ここに投稿されている。
⋯⋯つまり?
私は悪くな⋯い?
ん?
「家族の話を売るのはよくない」という話は、身内の話を使ってお金を稼いだり、名声を集める目的が良くなくて、私のようなお金や名声を目的としていない「トラウマの対処法」や「少数派の共感や意見」を目的としているなら問題ないということか⋯⋯?
母たちの話を面白おかしく書こうと思えば書ける。けれど、なんだかんだで、母たちも何らかの被害者であると思っているからそれはしない。
突然だが、私は「夏目アラタの結婚」という漫画にとても救われている。身勝手で劣悪な環境がそこにはあるからだ。自分が経験していることを「世界が無い」と否定してくるのは、本当に、本当に辛い。
それが続くと、「自分の人生が全て悪い夢なんじゃないか?」って思い始めて、自身ですらも「辛い経験や痛みは無かった」と否定しはじめちゃうから。
だから、私がどう思われようが、そういう人たちの存在を認めるエッセイをこれからも書きたいと思う。
(このサイトの人をネタにしたり、精神を解剖することもない。)




