潜む力
文字でも音でもなく、なんというか……本能のようなものだ。
【検出対象:呪い毒素・時間停止型】
【構造解析……完了】
【能力コピー準備……】
【コピー対象:アレク・フォン・アウグストゥス(時間回溯)】
【モード:逆向運転】
【実行開始】
月涙が胸から浮き上がり、空中に漂う。
光線を投射し、アレクの胸に繋がる。
そして、奇跡が起きた。
アレクの体内の黒い紋様が消え始める。
消えるのではなく、『吸い出される』――墨汁がストローで吸われるみたいに、光線に沿って月涙へ流れていく。
月涙は毒を吸収し、表面の光が白から暗紫へ、そして桜色へ戻る。
その過程は約一分続いた。
最後の黒い紋様が消えた時、アレクの胸が動き始めた。
彼は咳をし、目を開ける。
「俺……死んでない?」
「死んでない」
私は泣きながら笑う。「おかえり」
月涙は掌に戻る。表面に新しい文字が浮かび上がる。
【能力覚醒:絶対模倣】
【効果:観測した能力をコピー可能(原理の理解が必要)】
【今回のコピー:時間回溯・逆向(解毒モード)】
【消費:保持者の生命力(軽度)】
【備考:頻繁な使用禁止】
私が読み終わる前に、視界が真っ暗になる。
意識を失う直前、アレクの慌てた声が聞こえた。
「神月!」
私は三日間、昏睡していた。
その間、たくさん夢を見た。
現実の家、母の味噌汁、学校の屋上、小百合が応援ボードを掲げて「雪方、頑張れ!」と叫ぶ夢。
そしてアレクの夢も。
アリシアではない、本当の姿。黒髪、碧い瞳、笑うと左の口角に薄いえくぼができる。
彼は夢の中で言った。
「生きろ」
目が覚めると、私は洞窟の中にいた。
アレクのマントが体に掛けられ、頭の下には服を重ねた枕がある。
私は焚き火に掛けられた鉄鍋を見つめた。
中の煮込みは、妙に「ぐつぐつ」と音を立て、色も怪しい――墨緑と深褐色の間の色で、表面には不明な生物の……目玉?が浮かんでいる。
アレクは火のそばに座り、短剣で枝を削っていた。
横向きに座り、火の光が彼の顔を跳ね、集中した表情を映し出す。
私が動く。
「起きた?」
声は小さく、安堵が混じっている。
「うん……」
座り上げようとするが、全身が無力で、中学の頃のマラソン後みたいだ。
「動くな」
アレクが物を置き、こちらへ来て私を支え、マントをきつく巻く。「三日間、昏睡してた。月涙の覚醒能力は生命力を消費した。安静が必要だ」
「三日?!」
私は目を見開く。「じゃあ使徒たちは――」
「去った」
アレクは言う。「俺たちが死んだと思ったらしい。崖の上も確認したが、監視の痕跡はなかった。でも念のため、数日はここにいる」
彼はそう言いながら、いわゆる『キノコ汁』を器に入れて渡す。
「飲め。薬草を入れた。体力が戻る」
「本当に食べられるの?」
私は慎重に後ろへ引く。
「もちろん」
アレク――男の姿に戻っているが、左目に仮の眼帯をして――自信満々に鍋の中の怪しい物体をかき混ぜる。「北境を彷徨ってた時、年寄りの猟師から教わった『荒野のサバイバル煮込み』だ。七種類の食用キノコ、三種類の野菜、そして昨夜の罠で捕まえた……えーと、多分モモンガ?」
「多分?」
「皮を剥いたらみんな似てる」
彼は肩をすくめ、一匙すくって私の前に差し出す。
朝日を受けて、煮込みは妙な油光を放ち、中の一つの『キノコ』が微かに震えている。
私は深呼吸し、目を閉じ、覚悟を決めて口を開く――
「ぷっ」
変な食感。ゴムボールを噛んでるみたいだが、不思議な甘みもある。
「どうだ?」
アレクが珍しく期待の表情を見せる。
私は三回噛んで、なんとか飲み込む。
「……意外と、まずくない」
「でしょ!」
彼の目が輝き、犬みたいに褒められ待ちの表情になる。「俺の料理の才能って……うおっ!」
言い終わらないうちに、彼は突然腹を押さえ、顔色が青ざめた。
「待て、俺……『蛍光キノコ』と『毒影キノコ』を間違えたかも……」
「何だって?!」
――十分後。
私は軽い食中毒でふらつくアレクのそばに座り、水を飲ませながらため息をつく。
「つまり、さっきの自信満々の顔は誰に向けての演技だったんだよ」
「そ、そういうのは……」
彼は地面に丸まってまだ強がる。
「味は良かったけど毒って何の意味があるの!
史上初の『自作の煮込みで死ぬ異世界転生者と皇子』になりたいの?!」
「餓死よりはマシだろ……」
「こんな時に『どの死に方がマシか』比較するな!」
私は額に手を当てて、普段は冷静で頼りになるくせに、生存スキルの話になると途端に不器用になるこの男を見て、ふと笑いがこみ上げた。
「……この数日、ずっと私の世話をしてたの?」
「当たり前だろ?」
アレクは立ち上がり、火のそばに戻って枝を削り続けた。「お前が俺の命を救った。三日間面倒を見るのは、当然の義務だ。」
言い方は軽いけれど、私は彼の目の下にできたクマと、乾いた唇のひび割れを見逃さなかった。
「頭はまだ少しクラクラする……他は大丈夫。」
「熱が二回も出た。意味不明な寝言もたくさん言ってた——『数学の宿題』とか、『部活』とか、『お母さん、家に帰りたい』とか。」
「……聞かなかったことにできないの?」
「できればそうしたい。でも、お前が叫びすぎてたんだよ。」
彼の口元が、ほんの少しだけ上がった。「洞窟って反響するから、聞かないほうが無理だ。」
……最悪、めちゃくちゃ恥ずかしい。
でもこの三日間、彼はほとんど眠れていないはずだ。理由は色々ある。
「ありがとう。」
「礼を言うべきは俺だ。お前がいなかったら、俺はもう死んでた。」
「月涙のおかげだよ」
「でもそれを起動したのはお前だ。宝玉が覚醒したとき、俺は温かい力を感じた。あれは宝石そのものの力じゃない……お前の意志だ。」
私は何も言わず、うつむいてスープを飲んだ。
空気が少し微妙になった。
沈黙を破るために、私は聞いた。
「今、何してるの?」
「杖を作ってる。」
アレクは削り終えた枝を掲げた。「お前の体はまだ回復してない。歩くとき支えが必要だ。あと簡易の罠も作った。夜にウサギでも捕まえれば——毎日キノコばかりじゃ飽きるだろ。」
前者は実用的で、細やかだ。
後者——キノコスープは『かなり頑張ってる』味だった。次はもう作らないでほしい。
「昔から……野外で生きるの得意だったの?」
「この三年の大半は野外だった。最初は何もできなくて、死にかけた。そこから少しずつ覚えて、今は少なくとも野外で死なない程度にはなった。」
彼の口調は淡々としているのに、その内容が私の胸を締め付ける。
十九歳。帝国の宮殿で贅沢を味わうべき年齢なのに、逃亡の毎日を送っている。強者と戦い、ウサギを捕まえ、水を探し、追手を避ける。
「それで……偽装が壊れたままなら、これからどうするの?」
「また作る。」
アレクは懐から小さな布袋を取り出し、銀色の破片をいくつか取り出した——鏡面宝玉の残片だ。「鏡面宝玉は砕けたけど、破片はまだ使える。ただし偽装効果はかなり落ちるし、持続時間も短い。でも少なくとも……一時的に身分を隠せる。」
「でも、私の前で偽装する必要なんてないよ。」
その言葉に私は思わず固まった。
「どうして?」
「お前はもう真実を知ってる。しかも……俺の命を救った。命の恩人の前で偽装するなんて、あまりに虚しい。」
彼はそれを平然と言った。
「そうだ。最初にお前が覚醒した能力を見たとき、俺は調べてみた。まず、能力名は『絶対模倣』。効果は観測した能力をコピーできる。ただし条件が二つある。」
アレクはノートを指差した。「第一、能力発動を自分の目で見ていること。第二、能力の原理を『理解している』こと。」
「原理を理解するって、どういう意味?」
「例えば俺の時間回溯。」
彼は手を上げ、掌に銀色の紋が浮かんだ。「お前は何度も見て、これは『局所的な時間を逆行させる』って概念を理解した。だからコピーできた。でも、もしお前が理解不能な魔法、例えばエルフの『生命共鳴』みたいなものを見ても、コピーは無理だ。」
わかった。つまり私は説明書を理解しないと動かない、パチモン機械みたいなものだ。
「制限は?まさか制限なしってことはないよね?」
「ある。」
アレクは続けた。「第一、生命力を消耗する。お前が三日間昏睡したのは、時間回溯をコピーしたときの消耗が大きすぎたからだ。第二、純粋な天賦はコピーできない——例えば生まれつき力が強い人間の『体力』とか。第三、使うたびにクールタイムが必要で、具体的な時間は不明だが、短くはない。」
彼は少し間を置き、付け加えた。「それと一番重要なのは、月涙が今表示してる情報は、以前より詳細になってる。」
私は胸元を見る。月涙の表面に淡い金色の文字が浮かんでいた。
【名称:無垢の心(5番破片)】
【所持者:神月雪方】
【ロック解除能力:絶対模倣(初級)】
【現在の複製可能能力ライブラリ:時間遡及・逆方向(解毒モード)】
【生命力消費:使用ごとに保有者の寿命を約3~7日削減(複製強度により変動)】
【冷却時間:72時間】
【備考:理解が深ければ深いほど、複製は真になる。濫用者、死。】
……寿命が削られる?!
「ちょっと待って!寿命が削られるって何!?しかも3〜7日って!何回も使ったら死ぬじゃん!」
「だからこれが禁忌能力なんだ。」
アレクは私の肩を押さえた。「でも心配するな。俺が調べた限り、お前が前回使ったときの消耗はだいたい五日だった。でも月涙は同時に周囲の自然エネルギーを吸収して補充してる。結果として、実際の損失は半日くらいだ。」
半日……まだ耐えられる?
「でもそれでも命がけじゃん!もっと普通の能力ないの?例えば火を吐くとか、空を飛ぶとか、美少女戦士を召喚するとか……」
「贅沢言うな。少なくとも反撃の手段は手に入った。それに……」
彼は私を見た。「月涙の本当の名前、『無垢之心』は面白い。」
「どういう意味?」
「古語で『無垢』は『純粋』とか『汚れていない』とか、『無限の可能性』を意味する。たぶん月涙が雪方を選んだのは、お前が異世界人としての『無垢』——この世界の常識に縛られてない、固定された力体系がない——だから、何でも模倣できると判断したんだ。」
「つまり私は白紙。白紙だから何でも描ける、と。」
それは確かにロマンチックだけど、現実は――私はまだ白紙で、相手はすでに完成された名画だ。
「で、封印はどうなった?少しでも解けた?」
アレクは頷いた。「お前のおかげだ。お前が時間回溯をコピーしたとき、月涙の力と俺の能力が共鳴して、『時の枷』に衝撃を与えた。」
彼は手を上げ、銀色の紋が再び浮かんだ。「今は回溯できる時間の上限が、五分から十二分に伸びた。範囲も三メートルから十メートルに拡大した。」
「いいじゃん!」
「でもまだ足りない。予言者が仕掛けた枷は三層ある。今は一層しか破れてない。完全に解除しない限り、俺は本来の力を出せない。」
彼は能力を収め、洞窟の外を見た。「だから、こちらから仕掛ける必要がある。」
「そういえば、さっき言ってた‘アリシア’って、母さんのミドルネームなの?」
「うん。母上の本名はアリアナ・フォン・アインツ。アリシアは彼女が少女時代に使ってた名前だ。彼女はそれが一番自由だった時代だと言っていた……だから俺は、その名前を使って、自由を忘れないようにしたかった。」
アリアナ・フォン・アインツ。
この名前、どこかで聞いたことがある気がする……
「待って。」
私は碗を置き、胸元の月涙に手を触れた。「月涙が覚醒したとき、前の持ち主に関する情報が出た……」
私は目を閉じて、文字列を思い出す。
【元持ち主のアリアナ・フォン・アインズ、帝国皇后、“盟友”の裏切りで死亡。】
私は目を開けて、アレクを見た。
彼の顔色が変わった。
「今……何て言った?」
私はもう一度、ゆっくり繰り返した。
アレクはその場で固まった。火の光が彼の顔を照らし、信じられないという表情が浮かぶ。そしてその碧い瞳に、溢れそうなほどの悲しみと怒りが滲んだ。
「母上……宝玉持ちだったのか?なら彼女の死は……事故じゃない?」
「情報はそうだった。」私は慎重に聞いた。「‘盟友の裏切り’って……もしかして……」
「予言者だ、あのクソ野郎。」
アレクは歯を食いしばった。「三年前のクーデターのとき、予言者教団は皇室の‘盟友’だった。彼らは‘皇室を守る’という名目で宮殿に入り、母上は彼らを信頼していた……それなのに……」
彼は拳を握りしめ、爪が掌に食い込んだ。
――理解した。
三年前のクーデターは、単なる第二皇子の権力奪取なんかじゃなかった。
予言者は最初からすべてを計算していた――皇位も、宝玉も。
彼らはまず皇后の信頼を得て、油断した瞬間に手を下し、月涙の宝玉を奪うつもりだった。
だが、何らかの理由で宝玉は逃げ延び、そして今になって、私を新たな持ち主として選んだ。
アレクは、最初から最後までその真実を知らなかった。
彼は母が自分を守るために命を落としたと思っていた。
でも実際は――母は、宝玉が予言者の手に渡るのを防ぐために死んだのだ。
まるで人狼ゲームの予言者だ。
私の知っている「全国最強の予言者」と違って、あちらはこの実力至上の世界に認められた存在で、分析すら不要――おそらくは権能、天から与えられた力。
そんなチート相手に、今の私の実力なんて、赤ん坊がライオンに立ち向かうようなものだ。
「……だから、月涙が君を選んだのも、偶然じゃないのかもしれない。」
アレクは静かに言った。「母上は……最期に、宝玉に何か『仕込み』をした可能性がある。」
「仕込み?」
「例えば、『すべてを変えられる者』を探させる、とか。母上は生前よく言っていた。運命は固定されたものじゃない、壊せるものだと。もしかしたら……彼女の最後の願いは、予言者に操られたこの運命を壊す誰かを残すことだったのかもしれない。」
彼は私を見た。その視線は、複雑だった。
「そして君だ、神月雪方。異世界から来た、魔力を持たない少女。それなのに、嘘を見抜き、絶望の中でも立ち向かう勇気がある……たぶん、それこそが月涙が君を選んだ理由だ。君は『変数』なんだ。予言者にも読めない、『想定外』。」
私は言葉を失った。
変数? 想定外?
私はただの、普通の女子高生なのに。
でも……もしそれが本当だったら?
もし、私に何かを変えられる力があるのなら――
私は月涙を強く握った。
宝石の温もりが掌から伝わってくる。まるで、私の決意に応えるみたいに。
「アレク。」
「ん?」
「協力しよう。」
私は彼の目を見つめた。「守る側と守られる側じゃない。対等な、盟友として。君は私がこの世界に慣れて、強くなって、生き延びるのを手伝う。私は君の封印を解いて、皇位を取り戻して、予言者に復讐する。」
右手を差し出す。
「どう?」
アレクはその手を見つめ、数秒黙った。
そして――握り返した。
「契約成立だ。」
彼は言った。「ただし、条件がある。」
「条件?」
「生きろ。何があっても、生き続けろ。俺は母上を失い、皇位を失い、三年の人生を失った……これ以上、唯一の盟友まで失うわけにはいかない。」
彼の手は、とても温かかった。
「君もだ。」
――お前も生きろ。
「一緒に生き延びて……私たちを殺そうとするクソ野郎どもを、まとめて地獄に叩き落とそう。」
アレクは笑った。
社交的な作り笑いじゃない、心からの笑顔だった。
「いいな。じゃあ、決まりだ。」
焚き火が、パチパチと音を立てる。
洞窟の外では、夜が深まっていく。
でも洞窟の中では、すべてを失った二人が、互いの手を強く握っていた。
新たな契約が、ここに結ばれた。




