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短編集

婚約破棄された悪役令嬢の私は、断罪イベントを逆利用して王太子を切り捨てました 〜氷の宰相補佐に溺愛されて、今さら戻れと言われてももう遅いです〜

作者: 夢見叶

 王立アカデミーの大広間で、音楽が止まった。


 シャンデリアの光も、さっきまでの喧騒も、すべてが遠くなる。視線が、一斉に私に集まった。


 この空気、知っている。


 前世でプレイした乙女ゲーム「ラピスラズリの王冠」の、悪役令嬢断罪イベント。


 私の名前は、エルヴィラ・フォン・グランツ公爵令嬢。ゲームの中で、王太子の婚約者であり、ヒロインをいじめ抜いた末に、断頭台送りになる悪役令嬢だ。


 そして今、私の目の前には、金髪碧眼の王太子殿下、ユリウスが立っている。隣には、栗色のふわふわした髪を揺らす少女。平民出でありながら、特別な聖属性の魔力を持つと噂の、学園のシンデレラガール──ミリア。


 ……はいはい。この構図も、台詞も、全部知ってる。


「エルヴィラ・フォン・グランツ!」


 ユリウス殿下の声が響いた。私は、レースの扇子で口元を隠しながら、その続きを心の中で先回りしてつぶやく。


(ここで、婚約破棄宣言ですね)


「この場をもって、お前との婚約を破棄する!」


 ほら来た。


 周囲の令嬢たちが息を呑み、青い目をした殿下の横顔を見上げている。ミリアは、涙で潤んだ瞳を震わせ、殿下の袖をぎゅっとつかんだ。


 私の耳には、貴族たちのひそひそ声が届く。


「とうとう、殿下が決断なさったのね……」

「グランツ公爵家も落ちたものだわ」

「平民の娘に負けるなんて、滑稽ね」


 全部、想定の範囲内だ。


 というか、シナリオ通りすぎて笑えてくる。


「エルヴィラ。お前はミリアを執拗にいじめ、ドレスを汚し、靴を隠し、ついには階段から突き落とそうとした! 心優しいミリアは黙って耐えてきたが、もう見過ごすことはできない!」


 ユリウス殿下が、芝居がかった動きで私を指さす。


 ……前世で見た、ゲームのあのCGを思い出した。画面いっぱいに晒される悪役令嬢の冷たい笑み。プレイヤーの私が、盛大に悪役を嫌い、ヒロインに肩入れした場面だ。


 今では、笑えないけれど。


 だって、その悪役の中身が、今の私なんだから。


(でもまあ、ここまでは予定通り)


 私が今日のために、どれだけ準備を重ねてきたと思っているのか。


 前世の記憶を持って、この世界に生まれ直したのは、私が10歳のときだった。鏡の中の金髪の少女がにっこり笑った瞬間、脳内にゲームのストーリーとキャラクター情報が、洪水みたいに押し寄せてきた。


 そこに記されていた、悪役令嬢エルヴィラの末路。


 処刑。


 いやいや、冗談じゃない。


 社畜OLとして、過労死寸前まで働いて、ようやく終わった人生の次が、公開処刑エンドとか、笑えないにもほどがある。


 私は決めたのだ。絶対に、この未来を変えてみせると。


 だから、ここから先は、ゲームとは違う筋書きだ。


「……ユリウス殿下」


 私は、扇子をぱちんと閉じて、一歩前へ進み出る。


 ざわ、と空気が震えた。


「お話は、以上でよろしいでしょうか」


「ま、まだ何か言い訳をするつもりか!」


「いいえ。言い訳ではありません」


 私は、ゆっくりと腰を折る。


「まず、こんな公の場で、一方的に婚約破棄を宣言されたことについて。王家とグランツ公爵家の長年の盟約を思えば、非常に残念でなりません」


 顔を上げると、いくつもの視線が絡み合って私を射抜いていた。


 軽蔑と期待と、好奇心と。人の感情って、本当に忙しい。


「ですが、婚約破棄そのものについては、私からも願い出るつもりでしたので」


「……は?」


 間抜けな声を出したのは、ユリウス殿下だ。


 ミリアも、ぽかんと口を開けている。


「望むところですわ。婚約破棄、お受けいたします」


 私は、にっこりと笑った。


 大広間が、一瞬で静まり返る。弦楽器の奏者たちでさえ、弓を止めてこちらを見ていた。


「な、何を勝手な……! お前に拒否権などない!」


「契約は、双方の合意が必要ですよ、殿下」


 私は、前世で鍛えた社畜スマイルを浮かべながら、さらりと返す。


「一方的な婚約破棄には、相応の理由と証拠が必要です。なので、こうして事前にきちんと準備をしてまいりました」


「準備、だと……?」


 私は、すっと右手を上げた。


 白い手袋の上で、青く透き通る小さな石が輝く。


「記録結晶ですわ。殿下も、ご存知ですよね」


 魔力を込めると、水晶がふわりと宙に浮かび、淡い光を放ち始めた。


 次の瞬間、空中に映像が展開される。


『ミリア。分かっているな? エルヴィラにやられたと、皆の前で証言するんだ』


『で、でも、本当にそんなこと……私は、エルヴィラ様に何も……』


『いいんだ。きみは正しい。あいつは傲慢で冷酷な女だ。いずれきみを標的にする。先に潰しておいた方がいい』


『……ユリウス様が、そう言うなら』


 茂みの陰で繰り広げられる、ふたりだけの会話。


 場所は、学園の中庭。誰もいないはずの昼休み。ゲームでは、ヒロインが「嫌がらせを受けている」と打ち明け、王太子が彼女を守ると誓う甘いシーンだった。


 それが今や、悪巧みの相談現場として晒されている。


 ざわめきが、波のように広がっていく。


「な、なぜ……そんなところに……」


 ユリウス殿下の顔から、あっという間に血の気が引いていく。


「中庭のベンチの裏に、小さな傷があるのをご存じですか? あれ、設置の痕です」


 私は、肩をすくめた。


「殿下とミリア様が、いつどこで、どんな会話をするか。だいたい把握していましたので」


 ゲームのルートを、何周も何周も見てきたから。


「もちろん、他の日の分もありますわ。例えば──」


 私は軽く指を鳴らす。


 映像が切り替わり、今度はミリアが侍女に指示を出す姿が映る。


『お願い、これ、エルヴィラ様の部屋の前に置いてきてくれない?』


『で、でも、これは……』


『大丈夫。少し驚かせたいだけなの。きっとすぐに片付けてもらえるから』


 侍女の腕には、べったりと何かがついたドレス。


 ゲームでは「エルヴィラがミリアのドレスを泥で汚した」として語られる事件だ。実際には、ミリア自身が汚して、それを私のせいにしようとしていた。


 証拠は、全部そろっている。


「さらに、侍女と使用人たちの証言も。報酬を弾んだら、皆様いろいろと教えてくださいました」


 私は目線だけで合図を送る。


 その合図に応えて、一歩前へ進み出る気配があった。


 黒髪に、淡い灰色の瞳。冷静な眼差しをした青年。


 ノア・フォン・ライナルト。若くして宰相補佐を務める、ライナルト侯爵家の嫡男だ。


 このゲームでは隠し攻略対象だった人物。メインルートではあまり目立たないが、個別ルートに入ると、とんでもない溺愛ぶりを発揮する、ファンの間で人気のキャラ。


 そして今、彼は私の隣に立っている。


「証言を取りまとめたのは、ライナルト家が預かっている」


 ノアは、淡々とした声で周囲に告げた。


「一連の調査は、陛下のご命令によるものだ。ユリウス殿下とミリア嬢の言い分が真実かどうか、確認せよとな」


「……父上、が?」


 ユリウス殿下が震えた声を出す。


 ノアは視線を上げた。


「陛下」


 その一言で、大広間の2階部分にある観覧席のカーテンが、ゆっくりと開く。


 そこには、王冠を戴いた国王陛下と、王妃様、重臣たちの姿があった。


 大広間中の貴族たちが、一斉にひざまずく。


 私も、ドレスの裾をつまみ上げて優雅に一礼した。


「ユリウス」


 国王陛下の低い声が、静かに降ってくる。


「そなたの言い分と、証拠は、明らかに矛盾している。これをどう説明する」


「こ、これは罠だ! 父上、これは……!」


「罠だと?」


 国王陛下の目が、細くなる。


「侍女や使用人が、そろって同じ嘘をついたとでも言うのか。記録結晶の映像も、ガラスに映ったそなた自身の姿も、すべて偽装だと?」


 私は、水晶の映像を一時停止させた。そこには、横顔のユリウス殿下が、はっきりと映っている。


「それに──」


 国王陛下の視線が、私へと向けられた。


「エルヴィラ・フォン・グランツ」


「はい、陛下」


「このような場を設ける前に、そなたは何度も、ユリウスの素行とミリア嬢の行動について、書面で報告してきていたな」


「はい。殿下の婚約者として、見過ごせないことが多々ございましたので」


 前世の知識だけに頼るつもりはなかった。だから、私は自分の目で見て、自分の耳で聞いて、記録に残してきた。


 授業をサボってミリアと逢引きをしていたこと。


 公務の勉強を疎かにし、ミリアと菓子を食べていたこと。


 ミリアのためと言って、王都の商人から過剰な献上品を受け取ろうとしていたこと。


 1つ1つは小さな綻びでも、積もれば大きなほころびになる。


 私の報告書には、日付、場所、目撃者、会話の要約が、びっしりと並んでいる。


 それらすべてに、ノアの署名が添えられているのだ。宰相補佐としての、公的な証人として。


「ユリウス。そなたがどれほどミリア嬢に心を奪われているか、私は何度も注意したはずだ」


「わ、私はただ……彼女の聖なる力が国のためになると……!」


「聖女としての真偽を、誰が確かめた?」


 国王陛下の声が、冷たく響く。


「教会は、正式な鑑定を行っておらぬと報告してきたぞ。きみは、誰の言葉を頼りに、ミリア嬢を聖女と呼んだ」


「それは……彼女の話では、幼い頃から不思議な光が見えていたと……」


 私は、内心で無言のため息をついた。


(ゲームの中でも、そこ曖昧だったものね……)


 プレイヤー視点だと、ヒロインは特別な存在で、何となく聖女扱いされていた。ただ、公式に認定されたわけではなかった。


 実際、今のミリアからは、特別な聖属性の魔力は感じない。むしろ、私の方が光属性が強いくらいだ。これは、鑑定士からこっそり聞いた事実だ。


「ユリウス。そなたは、王太子としての務めを忘れ、1人の娘に溺れた。その結果が、今この場だ」


 国王陛下の声が、一段と厳しくなる。


「エルヴィラ・フォン・グランツ」


「はい」


「そなたは、婚約者としての務めを果たそうとした。報告を怠らず、証拠を集め、感情に流されずに事実を伝えた。その忠義、確かに受け取った」


「もったいないお言葉でございます」


 本気で、胸が熱くなった。


 前世では、どれだけ頑張っても、誰も見てくれなかった。


 残業をいくらこなしても、終電で帰っても、「助かるよ」の一言で終わりだった。評価シートの「よくやっている」の文言が、何の慰めにならないかも知っている。


 だから、今こうして、努力がきちんと評価されることが、少しこそばゆくて、でもすごく嬉しかった。


「さて」


 国王陛下は、重々しく息をつく。


「ユリウス・フォン・ラグランジュ。そなたとの婚約を、ここに正式に破棄する」


「……!」


「同時に、王太子位を剥奪する」


 大広間が、どよめきの渦に飲み込まれた。


 ミリアが、真っ青な顔でユリウス殿下の腕にすがりつく。


「い、嫌です……! ユリウス様が王太子じゃなくなるなんて……!」


「大丈夫だ、ミリア。私はきみがいれば、それで──」


 彼の言葉を、国王陛下の声が遮った。


「心配せずとも、一緒におることは許す。北方辺境の教会にて、共に奉仕に励むがよい」


「「……え?」」


 ユリウス殿下とミリアの声が、見事に揃った。


「そなたらが本当に民のためを思っていたというのなら、辺境で雪にまみれ、病に苦しむ民と向き合えばよい。言葉ではなく、行動で示せ」


 国王陛下の目が、ほんの一瞬だけ痛みを帯びたように見えた。


 実の子どもを罰することが、どれほど辛いか。私は想像するしかないが、胸が少し締め付けられる。


 けれど、それでも。


 王として、国を守るための決断なのだ。


 ユリウス殿下は、何か言いかけて、ぎゅっと唇を噛みしめた。ミリアは泣き叫んでいる。


 私は、その光景を冷静に見つめながら、心の中で、そっと息を吐いた。


 ……これで、あの未来は消えた。


 処刑台で首をはねられるエルヴィラ・ルートは、完全に潰した。


「エルヴィラ・フォン・グランツ」


 国王陛下が、改めて私を見下ろす。


「そなたは、ユリウスとの婚約破棄を望むか」


 その問いに答えるのは、今日この場に来る前から、決めていた。


「はい。私は、殿下との婚約関係を、正式に解消したく存じます」


「理由は」


「……そうですね」


 私は、一瞬だけ目を閉じる。


 前世の記憶が、ちらつく。


 終電間際の電車。冷え切ったコンビニのおにぎり。残業で冷え切ったオフィス。


 誰にも必要とされないまま死んでいくかもしれなかった私を、今こうして必要としてくれる世界がある。


 だから、私は、自分で選びたい。


「殿下とは、価値観が大きく異なっているからです」


 私は、静かに言葉を紡ぐ。


「私は、貴族としての義務を果たしたい。公爵家の令嬢として、国を支える責任を果たしたい。おそらく殿下は、それよりも、愛する人を優先されるでしょう」


 ユリウス殿下が、はっと息を呑む気配がした。


「どちらが正しいとは申しません。ただ、歩むべき道が違うだけです」


 彼が愛を優先するなら、私は義務と責任を優先する。そこに、決定的な断絶がある。


「それに──」


 私は、扇子をぎゅっと握りしめた。


「私には、すでに心に決めたお方がおりますので」


 あちこちから、驚きの声が漏れた。


「こ、心に決めた方……?」

「グランツ公爵令嬢に、そんな噂は……」


 ユリウス殿下が、信じられないものを見るような目で、私をじっと見つめている。


「な、誰だ……誰なんだ、その男は……!」


「ノア・フォン・ライナルト様です」


 私は、振り向いて彼の名を呼んだ。


 ノアは、少しだけ目を見開き、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。


 ああ、この笑顔。前世で攻略対象として画面越しに見ていたときも、好きだったけれど、生で見ると破壊力が違う。


「先日、私がお伝えした通りですわ。ノア様。私との婚約の件、今ここで改めて、お受けいただけますか」


 大勢の前で、婚約の返事を迫るなんて、本来は令嬢らしからぬことかもしれない。でも、私はもう知っている。


 普通にしていても破滅する悪役令嬢なら、好きにやった方がましだ。


 ノアは、私の前に進み出ると、すっと片膝をついた。


 礼儀作法の本で見た、美しい貴族のプロポーズの姿勢だ。


「エルヴィラ」


 彼は私の右手をとり、ゆっくりと手袋の甲に唇を寄せた。


「こちらこそ。グランツ公爵令嬢エルヴィラ。きみの婚約者となることを、ここに望む」


 その瞬間、大広間がざわめきで揺れた。


「ライナルト侯爵家とグランツ公爵家が……!」

「宰相家と公爵家の縁組なんて……」

「どれほどの権力が……」


 貴族たちのささやきが、空気を震わせる。


 ノアは、そんな周囲の反応などまるで気にしていないように、ただまっすぐに私だけを見ていた。


「ユリウス。既にグランツ公爵とライナルト侯爵、そして私の間で話は済んでいる」


 国王陛下の声が、静かに落ちる。


「そなたの婚約者は、ノアに譲られる予定であった。そなたが、今日このような場を設けずともな」


「な……」


 ユリウス殿下の肩が、がくりと落ちた。


 ミリアは、その腕にしがみつきながら、震える声で叫ぶ。


「どうしてですか! エルヴィラ様はこんなに意地悪なのに……! 私の方が、ずっと殿下を愛しています!」


「ミリア」


 私は、静かに彼女の名を呼んだ。


「あ、あの……」


「意地悪と言いましたが、私はあなたに何かしましたか?」


「だって……私の部屋に虫を放したり、ドレスを汚したり、靴を隠したり──」


「それらは、実行犯と依頼者の証言、証拠がそろいました。先ほどお見せした通りです。あなた自身の指示でしたよね?」


 ミリアの顔から、血の気が引いていく。


 でも、私は追い詰めるのが目的ではない。


 ゲームなら、ここで選択肢が出てくる場面だろう。


 「悪役らしく高笑いする」とか、「冷たく見下して罵倒する」とか。


 ……そんなルート、私は選ばない。


「あなたのことは、最初、本当にゲームのヒロインみたいだと思っていました」


 ぽつりと、本音がこぼれる。


「明るくて、前向きで。貴族のルールを知らないからこそ、まっすぐに人の懐に飛び込んでいける。そういうところが、眩しくて」


 前世の私にはなかったものを、ミリアは持っている。


 だからこそ、本来なら彼女は、もっと別の形で輝けたはずだ。


「でも、あなたは、間違った方向に進んでしまった。誰かが、『そのやり方は違う』と止めるべきだったんだと思います」


「……っ」


 ミリアの目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。


 私にも覚えがあるからだ。


 前世で、寝る暇も惜しんで働いていたとき。誰かが「そこまでしなくていい」と言ってくれたら、何か違っていたかもしれない。


 誰も止めてくれなかったから、私はそのまま倒れて死んだ。


「だから、辺境での奉仕は、罰というより、やり直しのチャンスだと思ってください」


 私は、ほんの少しだけ笑った。


「あなたの力が本物なら、きっと誰かの役に立てます」


 ミリアが、はっと顔を上げた。


 その瞳には、まだ幼さと弱さがある。でも、完全に救いようがないわけでもない、と私は信じていた。


 ……少なくとも、ゲームのヒロイン補正はあるはずなので。


   ◇


 断罪騒動が終わり、大広間の空気が少しずつ落ち着きを取り戻していく。


 貴族たちは、新しい勢力図を頭の中で描きながら、さっそく情報交換を始めていた。人の順応力って、本当にすごい。


 その喧騒から少し離れたバルコニーに、私はいた。


 夜風が、熱くなった頬を冷ましてくれる。


「……疲れた」


 思わず、素の言葉がこぼれた。


 誰もいないと思って口にした愚痴は、すぐに聞き慣れた声に拾われる。


「お疲れさま」


「うわ」


 振り向くと、ノアがいた。


 黒い礼服に身を包み、いつもの少し眠たげな目で、私を見ている。


「驚きすぎだろう」


「ノア様、足音が静かすぎるんです。もっと存在感を出してください」


「それは宰相補佐には向かない性格だな」


 くすりと笑うノアを見て、ようやく胸に溜まっていた緊張が、少しずつほどけていく。


「……本当に、終わったんですよね」


「ああ。少なくとも、きみが処刑される未来は消えた」


「さらっと怖いことを言わないでください」


「本当のことだ」


 ノアは、私の隣に立つ。


 バルコニーから見える庭園には、月光に照らされた白い花が咲いている。ゲームでも見た、エンディングの1枚絵の風景だ。


「エルヴィラ」


「はい」


「……よく、やり切ったな」


 不器用な褒め言葉。


 でも、それが胸の奥にじんと響いた。


「怖くなかったと言えば嘘になります」


 私は、手すりに手を置きながら、正直に口を開く。


「前の人生で、私、頑張りすぎて倒れて死んだんです」


「……ああ」


 ノアは、うなずいた。


 そう、彼は知っている。


 私がこの世界の人間ではないことを。前世で、日本という国にいたことを。過労死寸前まで働いていたことも。


 きっかけは、1年前のこと。


 私は、ノアに押しつけられた書類を見て、つい口走ってしまった。


『これ、日本の稟議書より面倒なんですけど』


 言った瞬間、しまったと思った。


 でも、ノアは見逃さなかった。


『今、何と言った? ニホン?』


 そこからは、なし崩しだった。


 私の説明下手な話を、ノアは粘り強く聞いてくれた。「別の世界」「ゲーム」「シナリオ」「攻略対象」。まともに取り合ってくれなくても仕方ない話を、真剣に聞いて、ひとつずつ整理してくれた。


 そして、静かに言ったのだ。


『きみの話が本当なら、きみは1度、誰にも止めてもらえずに死んだ』


『……はい』


『なら、今度は、誰かが止める番だろう』


 その「誰か」を、彼は自分にした。


 だから、今日も。


「陛下の前に報告書を出すときも、証拠集めをするときも、ずっとノア様が一緒にいてくださったから、ここまで来られました」


「それは、きみが最初に泣きついてきたからだ」


 ノアは、わざとらしく肩をすくめる。


「生徒会室に突然現れて、『死にたくありません。助けてください』と言った令嬢の顔を、忘れろと言う方が無理だ」


「うああああ……思い出させないでください……!」


 床を転げ回りたい黒歴史だ。


 あの日の私は、本当に追い詰められていた。


 ユリウス殿下とミリアの距離は縮まり、ゲームのイベントも次々と消化されていた。断罪イベントの日付も、着々と迫ってきていた。


 1人で何とかしようとして、何もできないままタイムリミットに近づいていく感覚。


 前世でも味わった、あの詰み感が、私を焦らせた。


『ゲーム通りなら、私、このまま断罪されて、処刑されるんです』


『それを、信じているのか』


『信じるとかじゃなくて……今のところ、全部シナリオ通りに進行しているので……』


 泣きながら必死に説明した。ノアはそれを、ただ無言で聞いていた。


 そして、ぽつりと言った。


『分かった』


『え』


『きみの話が本当でも嘘でも、証拠を集める価値はある』


 そうして、彼はいつもの冷静な顔で、私に手を差し伸べたのだ。


 その手を、私は今も握りしめている。


「……あのとき、ノア様に頼ってなかったら、今ごろどうなってたんでしょうね」


「そうだな」


 ノアは、少しだけ視線を落とす。


「きっと今ごろ、断頭台はさすがに避けられたとしても、修道院で一生を過ごすコースだろう」


「あ、それはゲームのバッドエンド2ですね」


「本当にあったのか」


「ええ。処刑よりはマシですが、甘いものも恋もない一生は、絶対に嫌です」


「甘いものと恋が同列なのか」


「同列です。どちらも人生に必要ですから」


 私が即答すると、ノアはふっと笑った。


「じゃあ、きみの人生に必要なものを、私が用意する番だな」


「……え」


「甘いものも、恋も」


 あっさりと言われて、脳内が一瞬真っ白になった。


「の、ノア様……?」


「婚約者だろう」


「それは、そうですけど……」


「自覚が薄い」


 ノアは、少しだけ頬を膨らませた。


 普段冷静な彼が、たまに見せるこういう子どもっぽい表情が、ずるいくらいに愛おしい。


「エルヴィラ。きみはさっき、皆の前で言った」


「え」


「『心に決めたお方がおります』と」


 思い出して、顔から火が出そうになる。


「や、やめてください……! 勢いで言ったんです、あれは……!」


「勢いで言った言葉を、私は大事にする」


 ノアは、まっすぐな目で私を見る。


「だから、覚悟しておけ」


「か、覚悟……?」


「これから、きみが面倒だと言うくらい、甘やかす」


「……っ」


 心臓が、ばくんと跳ねた。


「きみは、前の世界で、甘やかされることを知らずに生きてきた」


「そう……かもしれません」


 残業続きでも、「助かるよ」の一言で済まされていた。褒められることも、労われることも、ほとんどなかった。


「だから、今度はちゃんと覚えてもらう」


 ノアは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「仕事をしなくても価値があること。役に立たなくても、いてくれるだけで嬉しい人間がいること」


「……」


「きみが笑っていてくれるだけで、私が幸せだということ」


 そんな、甘すぎる言葉を、よくもまあ顔色ひとつ変えずに言えるものだ。


 ずるい。ずるい。本当にずるい。


「……ノア様」


「ああ」


「私、本当に、ノア様でよかったです」


 ようやく、言葉にできた。


 前世では、誰かを選ぶ勇気も、選ばれる期待も、持てなかった。だから今、こうして自分の気持ちを口にできることが、少し誇らしい。


「ゲームだと、ノア様って、隠しキャラで。普通にプレイしていると、最後まで顔も見ない人も多くて……」


「隠し……」


 ノアが、微妙な顔をする。


「ひどい扱いだな」


「でも、ルートに入ると、すごく溺愛してくれるんですよ。全力で守ってくれて、支えてくれて」


「ふむ」


「だから、前世の私は、ノア様ルートがいちばん好きでした」


 ぽろっと、本音がこぼれた。


 ノアは、目を瞬いたあと、ゆっくりと笑った。


「それは、光栄だ」


「今世も、ノア様ルートを選べて、私はとても満足しています」


「今世の私は、前世よりも、さらにきみを甘やかすつもりだ」


「どこまで行くんですか、その溺愛」


「きみが音を上げるところまで」


「一生音を上げません」


「なら、一生続ける」


 ああ、ダメだ。これ、完全にゲームより甘い。


 このままだと、糖度が高すぎて、読者の血糖値が危ないレベルだ。


 ……などと、メタなことを考えられるうちは、まだ大丈夫かもしれない。


「とりあえず」


 私は、咳払いをして話題を変えた。


「溺愛の前に、お願いがあります」


「なんだ」


「甘いものです」


「本当に同列なのだな?」


 ノアが呆れたようにしながらも、どこか楽しそうに口元をゆるめる。


「前の世界では、ゆっくりお茶をする時間なんて、ほとんどありませんでした。コンビニのおにぎりを片手で食べて、キーボードを叩くような生活で」


「ブラックだな」


「ブラックでした……」


 だから今世では、絶対に譲りたくない。


「仕事を言い訳にしないで、ちゃんと休憩して、おいしいお菓子を食べて、何でもない話をして笑う時間を、たくさん作りたいです」


 それは、私がこの世界で叶えたい、ささやかな夢だ。


 ノアは、少しだけ驚いたように目を瞬き、それから穏やかに笑った。


「いいな、それ」


「いいでしょう?」


「ああ。きみが望むなら、王都中の菓子店を制覇しよう」


「制覇まではしなくていいです! 少しずつ回りたいんですから」


「では、毎週1軒ずつだ」


「……それ、けっこう本気のペースですよ?」


「本気だからな」


 ノアは、さらりと言ってのける。


「日曜の昼は、なるべく仕事を入れないようにする。きみとのお茶会のために」


「ノア様が、仕事を調整する……?」


「宰相補佐だ。日程調整くらい、どうとでもなる」


 職権乱用では、という言葉が喉まで出かかって、飲み込む。


 私のために使ってくれるなら、それはそれでいいかもしれない。


「約束ですよ?」


「ああ。何度でも約束する」


 ノアは、私の手を取る。


 その手は温かくて、安心する温度だった。


「エルヴィラ」


「はい」


「これから先、たぶん面倒ごとは山ほどある」


「だと思います」


 ユリウス殿下の後継となる新しい王太子の選定。教会との関係調整。辺境への支援計画。貴族社会の勢力図の変化。


 想像するだけで、頭が痛くなってくる。


「それでも、きみは前に進むんだろう?」


「もちろんです」


 私は、迷わず答える。


「どうせなら、最後まで見届けたいですから」


「何を」


「この国の物語も、自分の物語も」


 前世の私は、途中で物語から降ろされてしまった。


 今度こそ、エンディングまで、自分の足で歩いてみたい。


「なら、私も一緒に歩く」


 ノアは、穏やかに言う。


「きみが転びそうになったら支える。倒れそうになったら引き止める。立ち止まりたくなったら、隣で一緒にサボる」


「最後のは、若干不真面目では?」


「たまにはサボった方が、いい仕事ができる」


「それ、前の世界の上司に聞かせてあげたかったです」


 きっと、「じゃあ代わりに残業してくれる?」とか言われていたに違いない。


 私は、思わず笑ってしまった。


 ノアも、つられるように口元をほころばせる。


 夜風が、2人の間を通り抜けていく。


 大広間では、まだ音楽が鳴り始めていた。きっと今ごろ、貴族たちは「新しい王太子が誰になるか」で大騒ぎだろう。


 でも、今この瞬間、私にとっていちばん大事なのは、そんなことではない。


 隣に、私を選んでくれた人がいること。


 その人と、これからの日々を一緒に紡いでいけること。


「ノア様」


「ああ」


「改めて、よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしく頼む」


 ノアは、もう一度私の手の甲に唇を寄せた。


 それは、さっき大勢の前でしたものよりも、ずっと静かで、ずっと甘い口づけだった。


   ◇


 数週間後。


 噂好きの貴族たちは、新しい王太子候補の話題と、辺境に送られた前王太子と元シンデレラガールの噂で、毎日忙しそうだ。


 そんな中、私はといえば──


「エルヴィラ嬢、こちら、本日のおすすめタルトでございます」


「ありがとうございます」


 王都でも評判の菓子店の、窓際の席で、ずらりと並んだタルトを前ににこにこしていた。


 苺のタルト。レモンクリームのタルト。チョコレートとナッツのタルト。


 どれもこれも、おいしそうで、目移りしてしまう。


「そんなにうれしそうな顔をするのは、初めて見た」


 向かいの席で、ノアが呆れたように笑っている。


「そりゃあもう。前の世界では、こんな贅沢なタルト、滅多に食べられませんでしたから」


「いつもコンビニのおにぎり、とやらだったんだろう」


「そうです。たまのご褒美スイーツは、コンビニスイーツでした」


「それも悪くなさそうだが」


「悪くはないですけど、今ここにあるタルトの方が、100倍は幸せです」


「数字で言うあたりが、きみらしい」


 ノアは、楽しそうに肩を揺らす。


 私は、フォークを手にとって、苺のタルトを一口。


 さくさくの生地と、なめらかなカスタードクリームと、甘酸っぱい苺が口いっぱいに広がる。


「おいしい……」


 思わず、幸せのため息が漏れた。


「本当に、幸せそうだな」


「幸せです。ノア様と一緒に、おいしいものを食べて、何でもない話ができるのが、私の理想でしたから」


「それなら、これからも毎週続けないとな」


「はい。約束しましたからね」


 そう、これはノアとの「甘いものと恋」の時間だ。


 仕事に追い詰められていた前世の私には、絶対に手に入らなかった時間。


 エンディング後の、おまけシナリオみたいな、そんな穏やかな日々。


「そういえば」


 ノアが、紅茶のカップを口に運びながら、ぽつりと言った。


「この前、大臣の1人が訊いてきた」


「何をですか?」


「『グランツ公爵令嬢は、あの騒動のとき、怖くなかったのか』とな」


 私は、フォークをくるりと回した。


「怖くなかったと言ったら嘘になりますよ」


「だろうな」


「でも、あのとき、ちゃんと怖いって思えたから、よかったのかもしれません」


「どういうことだ」


「前の世界の私は、怖いとか疲れたとか、よく分からなくなってたんだと思います」


 言葉にしながら、自分でも腑に落ちていく。


「怖いとか、嫌だとか思う前に、『やらなきゃ』『やらないと怒られる』って気持ちが先に来ていて」


「……」


「だから今、『怖い』ってはっきり感じられて、それをノア様に言えて、陛下に言えて、自分で道を選べたのが、すごく安心したんです」


 ノアは、黙って聞いていた。


「怖いって言うのは、甘えじゃないんですね」


「当たり前だ」


 ノアは、即答した。


「怖いものを怖いと言える人間の方が、よほど強い。自分を誤魔化さないからな」


「ノア様」


「ああ」


「私、これからも、怖くなったら怖いって言います」


「うん」


「疲れたら疲れたって言います」


「うん」


「甘やかしてほしくなったら、ちゃんと甘えてもいいですか」


「その時点で、もう甘えている気もするが」


 ノアは、少しだけ呆れながらも、すぐに柔らかく笑った。


「いいぞ。いくらでも甘えろ」


「いくらでも、って言いましたね?」


「ああ。撤回しない」


「では、遠慮なく」


 私は、苺のタルトを一口すくって、ノアの前に差し出した。


「はい、あーんです」


「……」


 ノアが固まった。


 無理もない。宰相補佐という冷静沈着な立場の彼に、「あーん」を要求する令嬢など、普通はいない。


 でも、普通じゃ破滅するのが悪役令嬢だ。


「ノア様。私、前の世界でこんなこと、1度もしたことなかったんです」


「それは、想像できるな」


「だから、今世でやってみたかったです」


 私の言葉に、ノアは小さく息を吐いた。


「……本当に、きみは時々、とんでもないことを言い出す」


「嫌でしたか?」


「嫌なわけがない」


 ノアは、ほんの少し耳を赤くしながら、タルトをぱくりと口に入れた。


 その瞬間、なぜか私の方が心臓がばくばくする。


「おいしいかどうか、感想をお願いします」


「おいしい」


「もっと具体的にお願いします」


「甘い。きみと同じくらい」


「…………」


 ダメだ。この人、本当にゲームの隠しルートを超えている。


 前世の私がプレイしていたら、確実に画面の前でもだえ転がっているところだ。


「エルヴィラ」


「はい」


「きみの人生は、ここからだ」


 ノアは、ごく普通の口調で言った。


「ゲームのシナリオも、前世の記憶も、きみが歩く道の参考にはなるが、決めるのはきみ自身だ」


「……はい」


「だから、何度でも選べ。どんな未来を望むのか」


 彼の言葉が、胸に深く落ちていく。


 私は、タルトを一口かじりながら、ゆっくりと息を吐いた。


「私は、何度でも選びます」


「うん」


「何度でも読みたくなるような物語を、自分で選びます」


 前世で消費するだけだった物語を、今度は自分で紡ぐ。


「ノア様と一緒に」


 私がそう言うと、ノアは満足そうに目を細めた。


「いい答えだ」


 窓の外には、明るい午後の陽射し。テーブルの上には、甘いタルトと紅茶。そして、向かいの席には、私の選んだ婚約者。


 婚約破棄されて、悪役令嬢と呼ばれて。


 その代わりに手に入れたのは、自由な未来と、ずるくて優しい宰相補佐と、毎週の甘いお茶会。


 たぶん、この先も大変なことは山ほどある。


 ユリウス殿下の後始末も、辺境の支援も、貴族社会の改革も。


 でも、それでも。


 私は、何度でもこの物語を読み返したいと思うだろう。


 なぜなら、その物語の主人公が、私自身なのだから。


 そう思いながら、私はもう一度フォークを手に取り、目の前のタルトをおいしく平らげた。


あとがきまで読んでくださって、ありがとうございます。


今回は

婚約破棄 × ざまあ × 悪役令嬢 × 溺愛

をぎゅっと詰め込んだ短編として

「婚約破棄された悪役令嬢ですが、先に王太子を切り捨てたら 氷の宰相補佐に一途に溺愛されました」

を書かせていただきました。


エルヴィラが自分の足で未来を選んで、ノアと一緒に甘いタルトを食べられるところまで描き切るのが目標だったので、どこか1つでも「にやっ」としてもらえたなら、とてもうれしいです。


もし

少しでも続きが読みたい

エルヴィラとノアのイチャイチャ番外が見たい

別カップルや別世界線も読んでみたい

と感じていただけましたら、


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婚約破棄ものや悪役令嬢物が好きな方の、本棚のすみにでも置いてもらえたらうれしいです。

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良ければ下記リンクの作品も連載してますのでお読みいただければ幸いです。


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