全知全能と神樹の中で
神樹の麓。異常なまでの生命力を感じる巨大な幹は、近くからでは左右に顔を向けなければその全幅を確かめることは出来ない。そして、その下方から伸びる大きな根は地上に露出している一部だけでも大きく広がっているのが分かり、地下にはどこまで伸びているのか想像も出来ない程だ。
「……凄い、ね」
そして、生い茂る樹冠は正に冠の如く広がっており、自然物とは思えないような巨大さを見せている。最初に連想したのは、お父さんに連れられて家族で行った野球観戦のドームだった。地球にこんな樹が生えていたら、間違いなく世界一の観光名所になっていたと思う。
「えぇ、凄いのよ。実際、この星で最も強大な生命なんじゃない? あー……アレを除いて」
そう言って、スイが視線を向けたのは少し離れた場所にある石像……僕が創ったゴーレムだ。大きさは約三メートルで、膝の辺りまで届くようなひょろ長い腕と黄金色の稲妻を纏った斧を持つ。どうやら丁寧に手入れされているようで、苔むしていたり汚れていたりなんかはしないようだ。
「まぁ、アレは生命かって言うと怪しいんだけど……ここの皆は、アレをどういうものだと思ってるの?」
「智慧の神、戦斧の神、石の神、守護神……色んな呼び方があるけれど、私は智慧の神と呼んでいるわ」
「……勝手に動いたりしてないよね?」
「えぇ。でも、動くんでしょう?」
知ってるんだ。いや、それよりも……智慧の神って何だろう。他は見た目から連想できる名前だけど、智慧の神だけはゴーレムの見た目には似合っていない。
「うん、動くけど……智慧の神って、どういう由来なの?」
「あの石像こそが、私達に智慧を齎した存在だからね」
スイの答えに、僕は眉を顰めた。ゴーレムが勝手にそんなことを? いや、だけど動いてはいないらしいし……良く分からない。
「気になるなら、聞いて来たら良いんじゃない? 神樹様は、きっとソワソワして待ってるわ」
「……分かった。色々と、話して来るよ」
僕はスイに手を上げ、そして神樹にそっと手を触れてみて……何も起きない。そう思った瞬間、僕の視界が入れ替わった。
白い世界。真っ白な世界。だけど、どこか暖かな光に満ちている世界。そこが天界だと言われれば、きっと僕は信じていただろう。
「……こ、こんにちは」
そして、その世界には世にも美しい女が立っていた。完璧なまでに整った輪郭、透き通るような白磁の肌は、陽光を深くまで吸い込んだように美しく、そして輝かしく見えた。身に纏っている白く薄いドレスのような服も、ただ彼女の美しさを覆い隠すものでしかなかった。
「――――待っていた。長き時」
スイにも似た琥珀色の瞳が僕を見ている。深みのある少し低い声は僕の心臓にまで響くようだった。久し振りに、こんなに緊張してる。絶世の美女なんて言葉がこの世にはあるけれど、彼女は神性の美女とでも言うべきか、神秘的な美しさが滲み出していた。
「悠久。永遠にも思えた。貴方が私に手を触れ、祈ってくれたあの日さえも、波にさらわれるような時の流れに過ぎぬと思った。しかし、足音が再び枝葉の間に響いた。あの時と、変わらぬ足音が……胸の奥に光が満ちたように、私の心は歓喜に包まれた」
「う、うん……?」
滔々と神秘的な声で語る神樹だが、僕の耳にはいまいち良く伝わって来なかった。
「しかし、私の枝葉は愛おしい貴方を傷付けようとしていた。枝の先は喉元まで迫り、葉がその皮膚を斬り付けようとしていた。私は焦燥し、憤怒し、恐怖し、かつてない程の不安に飲まれ、感情の濁流に流されるようだった。単なる樹であった私に、ここまでの感情の揺らめきがあったものかと驚く程に」
「えっと?」
神樹は、しかし真摯な瞳で僕を見ていた。文句の一つでも言いたいところだったが、その目に気圧されて僕はただ聞き返すことしか出来なかった。
「私は焦燥のままに枝葉を地に伏せさせ、憤怒のままに死をも命じた。それで愛おしい貴方の怒りが、悲しみが無くなってしまえばと祈っていた。されど、私の下までやってきた貴方は穏やかに、それどころか楽しそうに私を見上げていた。私は堪え切れぬほどの歓喜に身を打ち震わせ、そして今……貴方を私の中に迎えた」
「……つまり?」
「私の枝葉が愛おしい貴方を傷付けようとしたこと、決して許されないこととして深く詫びる。しかし、それに怒りも無く穏やかに、そして楽し気に私に会いに来てくれた貴方に、私は心からの感謝と、根の先まで響くような歓喜を覚えた」
あ、もしかして枝葉って木人のこと?
「……うん、分かってきたかも」
多分、アレだよね。『木人達が槍を向けたりして本当にごめん、けど怒らずに居てくれる寛容さにありがとう。あと、私と会うの楽しみにしてくれてて嬉しい』……みたいな感じだよね。
「僕も、ごめん。何も言わず、突然現れて……怖かったよね」
「貴方が謝る必要など無い。私は、確かに恐怖も覚えた。怒りのままに消されてしまうかも知れぬと。しかし、それは私が過ちを犯した故のことに過ぎない」
「違うよ。僕が悪いんだ。僕が、傲慢だった。君や、木人達の事情を何も考えていなかった。ごめん」
「違う。貴方が悪いことなど、何も無い」
僕は神樹に一歩距離を詰めて、その手を取った。
「じゃあ、こうしよう。仲直りの握手だ。お互い謝って、お互い許して、仲直りだ。君は、仲直りしてくれるかな?」
「……分かった。愛おしい貴方を傷付けようとしてしまったこと、深く謝罪する」
「うん、許すよ。それと、僕も身勝手に色々と行動してごめん。もう少し、君達の気持ちを慮るべきだった」
「私も、許す」
握った手を上下に軽く振り、僕は仲直りを達成した。うん、きっと……いや、やっぱりそうなんだ。大仰な喋り方のせいで勘違いしちゃったけど、彼女の心根は純粋で、子供に近いんだろう。
「よし、仲直り成立だ」
「復縁」
それ、なんか意味違うんじゃないかな。良し、決めた。絶対にこの言葉遣い……っていうか、喋り方は矯正してやる。色々と話すことはあるけど、これも絶対にやってやるからね!




