全知全能と大蛇
この村で最も大きな建造物である神社に入ると、何だか空気が変わったのが分かった。
「こちらです」
中心にある木製の建物。所謂、本殿と呼ばれるようなそれは、何の変哲もないシンプルな見た目であるというのに、近付くだけで怖気が走るような異様さに包まれていた。
「……これが」
「黒靄様、大丈夫ですか?」
僕が呆然と呟くと、祈里が案じるように声をかけて来た。僕の声に滲む恐怖が伝わってしまったのかも知れない。
「うん、大丈夫」
怖いけど、負けるとは思ってない。相手が何だろうと、僕に敵うことは無いと知ってるからだ。それでも、僕は人間だから本能的な恐怖に少し体は震えている。
「行こうか」
僕は本殿に踏み出し、閉ざされた木の扉に手を掛けた。全く開きそうにないその扉だが、僕はその扉を簡単に開いた。
「ッ、本当に開くとは……」
そこには、漆黒だけがあった。扉の向こう側にある絶望を示すかのように、その門は黒く黒く染め上げられていた。
「行く前に、巫女殿……念の為にこれを、持って行きなされ」
「! ありがたく受け取らせて頂きます」
村長から祈里へと、純白の刃を持つ短剣が手渡される。祈里はそれを恭しく受け取り、強く握った。
「では、後は頼みますぞ。ご武運を祈りまする」
「うん。行ってくる」
一歩引いた村長に僕は頷き、二人に守護の印を刻んでからその漆黒の門に触れた。すると、渦を巻くように僕の体がその門の中に取り込まれた。
そこは、門と同じく漆黒の空間だった。その漆黒の空間の中心には巨大な白い蛇がとぐろを巻いて眠っており、僕は息をすることすら恐ろしくて出来なくなった。
「黒靄様……」
黒い靄に覆われた僕の手に、小さい手が触れる。思わずそちらを見ると、不安げな表情でこちらを見上げていた祈里が居た。
「……大丈夫」
呼吸を取り戻した僕はそう返し、宮司さんも無事に送られて来たのを見て白蛇様に視線を戻した。
「再展開」
僕の左右から、二つの魔法陣が開いた。黄金色のものと、黒紫色のもの。そこから、それぞれ金色の炎の鎖と紫色の炎の鎖が飛び出し、僕の意思に従って伸びていく。
「ッ、凄い……!」
「これは、魔術……しかし、余りにも完成され過ぎている」
天冥炎鎖。炎熱によって全てを焼き尽くす正の鎖と、触れたものを負へと引き摺り込み、消滅させようとする負の鎖。二つの鎖を操るこの魔術は使用に際して大量の魔力を必要とするが、僕には関係なかった。
「燃えろ」
白蛇様へと迫る二本の鎖。その途中で目を覚まし、体を起こした白蛇様だったが、避けることは出来ずにその全身を二本の鎖に雁字搦めにされる。
「ぐぬぉおおおおおおおおおおおおッッ!!?」
轟くような悲鳴を上げ、暴れるのは白蛇様だ。全身を燃やされながらのたうち回り、その中でも僕を見つけて睨み付けた。
「貴様かァアアアアアアアッッ!!? 貴様が術者だなッ!? 舐めるなよッ、小僧がァアアアアアッッ!!!」
小物の如く叫んでいた白蛇様だが、その身から邪気と呼ぶべきか神気と呼ぶべきか、混沌とした力が溢れると、絡み付いていた二本の鎖を引きちぎってしまった。
「ッ、不味いッ!」
「黒靄様……!」
手を合わせて何かを唱え始めた宮司さんと、白刃の短剣を構えて僕の前に立つ祈里。怒りのままに地を這ってこちらに向かってくるのは白蛇様だ。多分だけど、触れられたら死ぬんだろうね。
「驚いたよ。流石は邪神だね。でもさ」
「あっ」
僕は祈里を僕の背に戻しながら手の平を前に突き出し、迫り来る大蛇を弾き飛ばした。
「僕には勝てる筈がない」
数十メートルと吹き飛ばされた大蛇は驚愕に目を見開いて僕を見た。
「貴様は……貴様は何者だッ! どうやってここに入った!? いや、お前か……お前が門を開いたのだな。どうやって我が承認を得ずに侵入させたかは分からんが……」
「いいえ、私は門を開いてなどいない」
「何だと……貴様は何なのだッ、そこな巫女を置いて失せよッ! 貴様なぞの背に隠すなッ、それは我の物だッ! 成熟するまで待っておったのだぞ……ククッ、貴様らを殺した後が楽しみだな。巫女よ、先ずはこやつらの死体を全て食わせてやる。知っているか? そこな宮司はお前の……」
「『弐纏弾』」
黒と白。二色のオーラを纏った球体が大蛇の顔を殴りつけ、大蛇は不快気に宮司さんを睨み付けた。
「貴様……」
「余計なことを喋るな。蛇め」
大蛇はその言葉を聞き、見ただけでも伝わる程に怒気を昂らせた。しかし、その体に宮司さんの攻撃による傷は付いていない。
「お前を殺す為に磨いてきた術も、僅かにすら傷をつけられない……寧ろ、諦めがついたくらいだ」
宮司さんが腕を降ろし、溜息を吐いた。大蛇はその様子を見てもまだ激昂しており、自身の周囲に無数の白い球体を生み出した。
「死に絶えよッ、脆弱なる人間共めッ!!」
放たれる無数の白い球体を、僕は念じるだけで簡単に消し去った。
「馬鹿なッ!!?」
「脆弱なる、ね……」
僕は大蛇に意識を向け、全知全能の力を行使した。
「君も、そんな気分を味わってみると良いよ」
「なッ!? あ、有り得ん……こ、これは……!?」
大蛇の身が、見る見るうちに小さくなっていく。それは、気付けばただの蛇にしか見えない程の大きさまで縮んでいた。
「力を封じたんだよ。君はもう、ただの蛇だ。いや、それより弱いね。幾ら牙を突き立てようと、虫の一匹殺せないよ。今の君は」
「ば、ばかな……こ、この我に、この我に如何なる手段でそんな術をかけたッ!? き、貴様ッ! まさか、神だとでも言うのかッ!?」
怯えるようにじりじりと下がる白蛇に、僕は首を振った。
「いいや、人間だよ。残念だけど、君はただの人間に負けるんだ」
僕はそう言いながら、二人に視線を向けた。
「止めを刺したければ、譲るよ。僕はアレに対する怒りはあっても、恨みは無い」
「……祈里」
「良いのですか、宮司さま」
祈里の問いに、宮司さんは頷いた。
「村長殿がその短剣を貴方に託したということは、この村の運命はお前に委ねられたということだろう。それに、辛い思いをしたのは私では無くお前の筈だ。私はいつも、見届けて来ただけに過ぎない」
「……分かりました」
話し合いを終えた祈里が純白の刃の短剣を両手で握り、白蛇へとじりじりと歩き距離を詰めていく。白蛇は全力で逃げているようだが、それでも歩いて追いつける程度の速度しか出ていない。
「くッ、止めろッ!! 止まれ、巫女よッ!! 止まらなければ呪い殺すぞッ!!」
「怖いね。やってみたら?」
威圧感の一切が全く消えてしまった白蛇に、祈里は恐れることなく突き進み、警告にも耳を貸すことは無い。
「き、貴様ァ! 奴隷の分際で……! 貴様なぞ、我に食われ、壊される為の玩具として生まれただけの存在に過ぎぬッ! その癖して、主人たる我を殺そうとは何たる不遜……!」
「そうやって、醜く喚き散らして死んでね。その方が、きっと今までの巫女さん達も喜ぶと思うから。無様に、悲惨に、みっともなく死んで?」
「や、やめよッ! やめよやめよッ! やめるのだ巫女よッ、主を傷つけるなど間違っているッ!!」
「報われず死んでいった巫女さん達の為に……どうか、地獄で報いを受けてね」
祈里の足が白蛇を踏み付けて地面に縫い留め、黄金色の輝きを放つ純白の刃が振り下ろされる。
「止めろォオオオオオオオオ――――」
ぷつりと、簡単に白蛇の頭は斬り落とされ、不死身の筈のその身は神の祝福を取り戻した刃によって簡単に滅ぼされてしまった。




