全知全能と黒い靄
全知全能によって語られた悲惨過ぎる運命に、そして醜悪なる怪物に僕は自身の手を強く握り込んだ。こんな子供が、そんな目に合わなきゃいけないのか? 空前絶後に困っている人とは言ったけど、まさかここまでなんて思っていなかった。心の内側から沸々と怒りが湧いてきて、その白蛇様とやらを今すぐにでも打ちのめしてやりたくなった。
「大丈夫。僕が絶対助ける」
「あ、あの……」
僕は内心にぐつぐつと煮え返る怒りのままに立ち上がり、そこを去ろうとした。だけど、祈里に背を触れられて足を止めた。
「お名前を、教えて下さい」
「……何でも良いよ。マックロでもクロスケでも、黒いモヤモヤでも」
そう言ってから、僕は彼女が映画という存在を知らないのだということを思い出した。四百年前から隔離された村であるというなら、映画もテレビも何も知らないだろう。
そもそも、隔離された村が四百年も生き残れるのか……と思ったが、きっと白蛇様は恩恵もある程度は齎して居るんだろう。少なくとも、村が存続できる程度には。
「本当のお名前は、教えて下さらないのですね」
「秘密だね。でも、良いんだよ。この村が解放されたら、僕なんて忘れて自由に生きて欲しいし」
僕はそう言って、この部屋から今度こそ去ろうとして……扉ががちゃりと開き、祈里の母が入って来るのを見た。
「祈里? 何だか声が聞こえるけど、大丈夫……きゃああああああああッッ!!?」
悲鳴を上げた祈里の母に僕は黒い靄の内側で冷や汗を垂らし、慌てて両手を上げて弁明する。
「待った! 僕は怪しい者では……あるかも知れないけど!」
「あ、あるんじゃない! 祈里ッ、こっちに!」
「お母さん、落ち着いて……この人が、きっと預言の人よ」
「預言の……白霧に、相反する存在……ッ!」
祈里母は目を見開くと僕に駆け寄り、床に頭を擦り付けた。
「お、お願いします……!」
「ストップ。立って。良いから、お願いだから。立って下さい……僕が、気まずいので」
僕は祈里母の体を掴んで立たせた。すると、祈里母は黒い靄の僕の体に構わず手を突っ込み、僕の肩を掴んでこちらを見た。
「お願いします! 私に出来ることなら何でもするので……どうか、娘をッ! 助けてくださいッ!」
「分かってる! 分かってますっ! 元から、その為に僕は来たんで……大丈夫です」
「……その為に?」
「はい。態々探して……って言うほど苦労はしてないですけど、そうです」
僕が言うと、祈里母は土下座こそしなかったが、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……! 本当にッ、お願いします……!」
「はい、任せて下さい」
寧ろ頭を下げ返し、僕はそう答えた。
「あの、村長と宗像さんに話してきますので……ここで、少しお待ち下さい!」
「あ、いや、大丈夫ですよ。あんまり、色んな人に……あれぇ」
興奮した様子の祈里母は、僕の言葉が聞こえていないのか、駆け出すように出て行ってしまった。残された僕は祈里の方を見た。
「すみません。母は慌てると話が聞こえなくなる人で……」
「あはは、別に良いけど……そういえば、村長は分かるんだけど宗像さんっていうのは?」
「ここの村の宮司さまです。白蛇様の言葉を代わりに伝えたり、儀式の補助をしたり、色々と役目があるんです」
「儀式っていうのは?」
聞いてから僕はしまったと思ったが、祈里は気にした様子もなく口を開いた。
「白蛇様の住まう空間に繋がる門を開く為の儀式です。通る人間を示し、白蛇様がそれを認めることで、その人だけが通れる門が開きます」
へぇ……この村を隔離する結界と言い、用心深いんだね。
と、僕が考えていると、祈里は勘違いしたのか何かを悟った表情で僕を見た。
「そういえば、門を通る為の方法が無い、ですよね……」
「ん? いや、大丈夫だよ。僕はどこにでも行ける」
「ほ、ほんとですか? 良かったです……」
「うん……」
まぁ、やろうと思えばここからでもその白蛇様とやらを倒すことは出来るんだけどね。あぁ、白蛇様のことを思い出したらまたムカついて来た。この前はあの吸血鬼が殺されたことに動揺を覚えていた僕だが、今の僕はその白蛇を殺すことに全く躊躇いが浮かばなかった。
だけど、祈里ちゃんを見ると落ち着いた様子でこちらを見上げていた。だから僕も、怒りを鎮めることにした。最も怒るべき彼女が落ち着いているのに、関係の無い僕だけが怒っていても仕方ないからだ。
「……黒靄様と、お呼びすることにしますね」
「黒靄様?」
くろもやさま。響きだと結構可愛いかも知れない。
「黒いモヤモヤとでも呼んでくれと言っていたので、そこから取って……黒靄様と」
「様付けなんてしなくて良いよ。僕は、ただの人間だから」
僕が言うと、祈里は目を丸くして僕を見た。
「え? 神様じゃないんですか……?」
「いや、人間だけど……?」
「いや、神様です」
「いや、神様じゃないです」
押し問答を繰り返すと、祈里はふふっと笑った。
「私の中では、神様です。例え、本当に助けてくれなかったとしても……私の不安を消してくれただけで、嬉しいです」
「本当に助けるし、神様じゃないよ」
僕は溜め息を吐き、そう答えた。すると、家の玄関ががちゃりと開いて数人分の足音が近付いて来るのが聞こえた。




