全知全能と白い霧の森
一日一善、座右の銘を遂に定めた僕だが、具体的に何をするかは決まっていなかった。その場のノリで何かしたって良いけど、そうしてると何も出来ずに一日が終わる日もありそうだった。
「……ふぅ」
僕は長い息を吐き、瞼の裏の記憶を掻き消した。僕が縛り付けた吸血鬼の男を、炎の鞭が雷撃と共に焼き尽くすその光景を。そして、狭い部屋の片隅で震えている柚乃の姿を。
忘れてはいけない。だけど、思い詰め過ぎても良いことは無い。
今日なんて、休みだしなぁ……やろうと思えば、何でも出来る日ではあるけど。善行かぁ……ゴミ拾いとか? 確かに善行ではあるけど折角なら僕にしか出来ない善行をしたいところではある。
例えば、僕には困っている人が分かる。僕にしか救えない程に困っている人が分かるし、僕なら誰だろうと救うことが出来る。
良し、決めた。僕にしか救えない人を救おう。きっと、空前絶後に困ってる人が居る筈だ。もう、人を救う覚悟は絵空のお姉さんを救う時に決めた。
「そうと決まれば、即行動だ」
僕は自分の部屋のベッドから立ち上がり、全知全能によってサッと着替えて部屋を出た。そのまま家族に軽く出かけることを伝えて玄関から外に出た。
後は、人気のない場所まで歩いた後に困っている人の場所に飛ぶだけである。
「条件は……」
僕は幾つか条件を定め、その空前絶後に困っている人の元へと透明化した状態で転移することにした。別にこの場からでも救えるだろうけど、一応現地には行きたいよね。
それと、誰がどんなことで困ってるのかはまだ僕にも分からない。こういうのはきっと、ライブ感が大事だ。
「良し、行こう」
かくして、僕は誰も居ない物陰から消え去った。
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気付けば、僕は薄暗い森の中に立っていた。だけど、おかしい。さっきまではピカピカと日の差す朝だった筈だ。そう考えて空を見上げると、白い霧のようなものが森全体を覆っており、空から差す光もその霧に阻まれて弱まっているようだった。
「ここは、一体……」
周囲を見回し、観察するもその正体には思い至らない。だが、視界の奥に誰か人が居るのを見つけた。
「……え、巫女さん?」
それは、巫女の装いをした少女だった。白い衣に赤い袴の紅白の装いは、シンプルだが本人の雰囲気もあってただのコスプレには見えなかった。
背は僕より低く、恐らく歳は中学生くらいに見える少女だが、腰の辺りまで伸ばしている黒髪は絹の様に美しく、どこか切なげに伏せられた黒い瞳には強い意志が宿っているように見えた。
その目を見て僕は確信した。きっと、この子だ。この子が、空前絶後に困っているんだろう。
「……やはり、ダメですか」
巫女の少女は森でも白い霧が濃い方へと歩いて行くと、途中で足を止めて息を吐き、そう呟いた。諦観の滲むその声は、僕より年下の子供が出すものとは思えなかった。
声を掛けようか、それとも全知全能でその事情を調べてしまおうかと考えている中、歩き出した少女についていくとその先に建造物らしきものが映った。
「村?」
白い霧と木々の隙間に薄っすら映る建造物の群れは、進んで行く内にどうやら村であるということが分かった。段々と、畑や民家の姿がくっきりと見えて来る。ただ、どうにもその村は……というか、この森はどんよりとした雰囲気が漂っていた。
村の中は霧が晴れているが、それでも空は霧で覆われていた。これが雰囲気が暗い原因かな、と考えていると少女は村の中でも建造物……神社らしき場所の中に入っていった。
「祈里。覚悟は出来たか」
神社の中、石畳の上で空を見ていた紫色の袴の男が少女の気配に気付いて視線を向け、そう問いかけた。
「はい。覚悟は、元より出来ています」
「……そうか」
答えた少女に、男は重い表情で頷いた。
「儀式は、明日だ。今日は帰って……家族と、話してきなさい」
「分かりました。宮司さま」
少女は深く頭を下げると、神社を背にして去っていく。男の方も気になるが、僕が救うべき相手はこの少女だと睨んでいたので、少女の背を僕は追いかけた。
暫く歩いた後に、少女は数ある民家の内の一つに入り込んだ。鍵はかかっておらず、扉は簡単に開いた。
「ただいま、帰りました」
「ッ、お帰りなさい……祈里」
少女が玄関を上がると、飛び込んで来た女が少女を抱きしめた。
「宮司さまが、最後に家族と話して来なさいって」
「そう……」
何も言えず、黙り込んだ母に少女が口を開く。
「大丈夫だよ。藤時さんも、白霧と相反する存在がこの村を救うって言ってたし。あの人の占い、外れないんでしょ?」
「そう、ね。その通りね。きっと、大丈夫よ……藤時さんの言う通りになる筈よ……」
母はそう言って頷いていたが、その後に耐え切れず口にする。
「……祈里。やっぱり、私が行くわ。貴方の母だもの、きっと、私でも……」
「無理だよ、お母さん……白蛇様に見初められたのは、私だから」
「分からないわ。行ってみたら、きっと……」
少女は、祈里は首を振り、母の肩を掴んで少し距離を離し、顔を見た。
「無理だよ。もう、巫女の呪いも私にかかってるから……ねぇ、最後にお母さんのご飯食べたいな。明日は、もう食べられないと思うから」
「……分かった。うんと美味しいの、作るからね……」
そう言うと、母は祈里から離れ、止まることなく流れるその涙を拭いながら台所の方へと歩いて行った。
「……」
祈里はその背を見送ると、静かに歩いて行き、寝室に入って扉を閉じた。
「ッ……ぃや、だよ……」
布団の上に座り込み、蹲った祈里が一人で泣き始めたのを見て、僕はたまらず声をかけた。
「――――ねぇ、助けてあげようか?」
少女は赤くなった目を見開いてこちらを見上げ、しかし誰の姿も見つからないのできょろきょろと周りを見回した。




