絶対的支配者
大阪・南港。
深夜1時、湾岸線から外れた廃倉庫。
そこでは、法律もモラルも通用しない異空間が形成されていた。
違法すれすれ――いや、ほぼアウトな地下格闘技イベント
“STRAY DOGS”。
リング代わりの鉄柵に囲まれた金網。
ネオンの残骸。
酸化した鉄の匂い
誰もが「何か」を背負ってここにいる。
暴力しか知らない者、暴力を金に換えたい者、
そして――暴力に魅入られた者。
⸻
この夜、注目を集めていたのは泉州の名を背負った一人の男だった。
宮野将暉。
地元泉州の暴走族、羅刹の頭。
全身にトライバルのタトゥー。
野犬のように尖った眼光に、無数の傷跡が刻まれている。
彼を囲む十数名の若い連中。
高級ブランドのジャージに身を包み、タトゥーだらけの若者たち。試合前の緊張感とアルコールがいい塩梅に絡み、確実に高ぶっていた。
「おらおらぁ!!宮野いったれやぁ!殺したってもええぞこらぁ!!」
「泉州なめとったら拐ってまうぞボケがぁ!」
汚いヤジが飛ぶ。
タバコの煙と観客の吐息が濃密に交じり合うその空間は、
まるで地獄が地上にこぼれ落ちたような景色だった。
そこに、“神”が降りてくる。
会場が一気に静まりかえる。
理由はただ一つ――あの男の名がアナウンスされたからだ。
「赤コーナー… 西成無道所属… STRAY DOGS 王者… 剛田ァァァ——理貴ィィイイ!!」
照明が全消灯。
会場全体が一瞬、闇に沈む。
その暗闇を割って、重低音のビートが鳴る。
ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ……
まるで人間の心音のような、圧迫感のある音。
そこに、何かが近づいてくる。
金網の奥、煙の向こうから**“それ”**が姿を現す。
剛田理貴——182cm、95kg、スキンヘッド、全身刺青。
右半身には和彫りの桜吹雪と登り龍。
左半身には洋彫りのドクロ、蛇、火炎、天使の羽。
テーマも思想もない。
あるのはただ、「圧」と「異形」。
筋肉が“盛り上がっている”のではなく、“膨張している”。
まるで肉体そのものが、
**「殺すために設計された武器」**のようだった。
彼の視線が金網の内外をなぞるだけで、
観客席の最前列が自然と数歩、後退する。
恐怖ではない。
“本能”が命令している。
「こいつから離れろ」と。
⸻
金網の外では、彼の舎弟たち――
20人以上の黒パーカーの無法者たちが鋭い目つきで見守っている。
その姿は応援ではない。
狂信。
【ゴング】
理貴はゆっくりと歩を進めた。
焦らない。挑発もしない。ただ、じっと見ている。
宮野が一気に距離を詰めて右ストレート。
それを理貴は――避けない。
ドスッ。
鈍い音。
拳が顔面を捉えた――はずだった。
だが、理貴は表情一つ変えず、
その場から微動だにしない。
逆に、次の瞬間――
ゴッ!!
肘打ち。
宮野の側頭部が潰れるように陥没する。
そのままよろけた宮野の後頭部に、
跳び膝蹴り。
金網に頭が叩きつけられ、歯が飛ぶ。
それでも理貴は止まらない。
マウントポジション、肘、肘、肘。
会場に響くのは、
**「ミシッ、ベキッ、べチャッ」**という
肉と骨の混ざった音。
レフェリーが慌てて止めに入ろうとするが――
片手で吹き飛ばされる。
「....まだ生きとるやんけ」
理貴の声は、低く、静かで、感情がない。
⸻
会場全体が静けさを帯びる中
宮野の応援団が騒ぎ始める。
「やめんかいこらぁ!!」
「なんしとんじゃおまえ!!」
しかし次に動いたのは、宮野の応援団――ではなかった。
剛田の舎弟たちだった。
金網の外から、宮野の陣営へ向かう。
「さっき、“殺したれ”言うてたな。」
「拐うって?」
その語調は怒りではない。
ただの確認だった。
次の瞬間、
地響きのような打撃音が響いた。
宮野の仲間の一人が、
鉄パイプで後頭部を打たれ、膝から崩れる。
もう一人は顔面を殴られ、地面に倒れ込み、
容赦なく踏みつけられる。
「やめろや!!やめて……」
罵声と殴打が飛び交う。
誰一人、止めようとしない。
いや――止められない。
ここでは、勝者が“神”なのだ。
宮野のチームの数人は悲鳴を上げ、
外へ逃げようとするが、すでに出口は舎弟たちが塞いでいる。
そこにあるのは、完全な支配。
暴力による統治。
「反撃」という概念が成立しない空間。
誰もが怯えて見ているだけ。
それでも、誰も警察に通報などしない。
なぜならこの空間そのものが――
**“剛田理貴の王国”**だからだ。
⸻
理貴はその光景を眺めながら、
静かにタバコに火を点けた。
その煙の向こうで、血まみれの宮野が痙攣していた。