街に巣を食う者
夜の空気がぬるく、重たかった。
コンビニ裏の塀に腰掛けていた京志たちの前に、カクが戻ってきた。首にタオルをかけて、ポケットからくしゃくしゃになったメモ用紙を取り出す。
「……聞いてきましたわ。三角公園で、剛田の話。」
京志が顔を上げ、間柴が口元をぴくつかせる。後藤竜は腕を組んだまま、目だけがカクに向いていた。
誰よりも先に反応したのは春也だった。「はやっ、ほんでなんかつかめたんか?」
カクは一呼吸おいて、声を低くした。
なんとなくその空気を感じ取った京志も、無言でうなずいた。
「三角公園でな、それっぽいヤツ何人かに声かけたら、すぐ出てきましたわ。口揃えて言うてました。“親殺し”やって。」
「……親殺し?」
「山王中に通ってた頃、中1の時ですわ。実の親父、酒癖悪くて、家で暴れてたらしいです。ある晩、とうとう剛田が包丁持ち出して、ドスッとやった。──血の海やったらしいです。しかも、そのまま逃げもせんと、血まみれのまま煙草吸うてたって──現場目撃した人が言うてたそうっす。もう“人間やなかった”て。」
誰かが喉を鳴らした音が、やけに響いた。
春也の手がポケットの中で小さく震えているのを、京志は見逃さなかった。
「さすがの西成でも、その晩は騒然やったらしいですわ。家庭裁判所、速攻で送致されて、“矯正必要”ってことで13歳で少年院。
で、中3の終わりに戻ってきた。山王中にはおれんようなって、西成の自立支援施設から天王寺区の寺田中に通ってたらしいです。」
「そっからは現場仕事してたみたいやけど、すぐ辞めたらしいです。すぐサボる、すぐキレる、で。」
後藤竜が鼻を鳴らす。「まぁ、想像つくな。」
「でな──問題はここからですわ。今、地下格闘技で名前上がってるのは前に話したと思うんすけど……“裏の顔”があるっぽい。」
京志の視線が鋭くなる。
カクは一度まわりを見回してから、声を潜めた。
「これは絶対言うなって言われたんですけどな──三角公園のホームレスのオッチャンに、缶ビールとセッタ奢ったら……口、滑らせてくれましたわ。」
間柴がクスッと笑う。「さすがカク。」
「どうやら、剛田──携帯使った詐欺、やっとるらしいです。」
「詐欺?」竜が眉をしかめる。
「知らんっすか? オレオレ詐欺、振り込め詐欺。電話一本でジジババから金騙し取る、最近よくあるやつですわ。
剛田の仲間が女の名義使って携帯契約して、金引っ張っとる。おっちゃんも金になるならってことで名義売ったそうっす」
「それだけやない。ホームレス集めて、風呂もない部屋に住まわせて、生活保護の金ピンハネ──」
カクの声が更に低くなる。
「うまい投資話うたって、金持っとるジジババからも騙しとるらしいです。しかも、それを西成だけやのうて、堺とか東大阪まで広げとるとか。思いつく限りの悪さしとるみたいで途中で聞いてるだけで気分悪うなりましたわ。」
春也の顔から、笑いの気配は消えていた。
「やってること、ヤクザよりタチ悪いな……」と呟いたが、その声すら虚ろだった。
カクが見た剛田の像。それは人間の皮をかぶった、別の生き物やった。
暴力じゃない。理屈でもない。ただ「心」がない。
──いや、あるのかもしれん。ただし、腐った場所に根を張った、違う種類の“心”が。
カクの声が、震えていた。
「……剛田はもう、戻れへん。不良とかヤクザとかそんなんやないんですわ。」
その言葉には、拒絶と同時に、理解と諦めも混じっていた。
「……おもろいやんけ。」
京志の声は重く、静かに空気を切り裂いた。
笑ってはいなかった。けれどその目は、内側から激しく燃えていた。
それは怒りか、挑発か、それとも自分たちの守るべきものを背負った覚悟か――。
その夜、言葉は少なかった。けれど、誰もが共鳴していた。
生きる術として人を騙し、裏切り、食い合う社会の真ん中に、剛田理貴という男がいる。
そして、この街で懸命に生きてる人間を食い物にしてる。
まだ絶望に飲み込まれていない何かを守らなあかん。
言葉は少なかった。しかし、西成で育った彼らの胸の内で確かな決意が燃え上がっていた。