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噂の主

作者: ゆう

 

 昼休み。50分の短期戦に挑む、腹を空かせた大学生の群れ。

「席空いてねぇ~」

 ごったがえした食堂に辟易しながら座席を探し歩く。これが、大島(おおしま)唯意人(ゆいと)の日課だ。

 大学3回生にもなれば、それなりに友人もいる。少なくともランチのテーブルを一緒に囲める位の知り合いは、そこそこいる。

 かといって、「今日一緒に昼飯食おうぜ」、なんてやりとりをSNSで繰り広げたりはしない。好きなタイミングで、好きな食堂で、その時の気分に従って行動したいからだ。

 冷たい。行き当たりばったり。適当。知り合いたちは苦笑を浮かべなら、彼の性格をこう評した。ランチの約束を頑なに拒む唯意人の、表向きの理由を聞いて。

 つまり、唯意人は今日も、持ち前の自由さを発揮している……ように見えていることだろう。

「とりあえずあっち行ってみるか」

 素うどんとおにぎりのランチセットをトレーに乗せて。座席の間を回遊する。

 うどんの汁が零れないように。ゆっくりと。

 人にぶつからないように。ゆっくりと

 雑談が聞き取れるように。ゆっくりと。


「で? 昨日の合コンは? どうだった?」

「持ち帰り成功」

「マジで?」

「おぅ。すっげーエロい一夜を満喫した後の俺の表情がこちら」

「いや見たくねぇ~」

 ゲラゲラ笑いながらスマホの画面を見せびらかしている。毎日、どこかのテーブルで、誰かが繰り広げてる話題ではある。

「てか、最中のは? 動画とかねぇの?」

「見たい?」

「ドヤ顔うぜぇ。つかさっさと見せろよこの野郎っ」

「ちょ、待てって。音オフるから」

 ニヤニヤ笑いながら、多少は声を潜めた二人。

「まずは……これが店出た後に撮った写真」

「へぇ? みんな美人じゃん。で、誰? 相手は?」

「こいつだよ。この花柄ワンピのツインテールちゃん」

「くっそかわいいじゃんマジかよ……」

 それでも聞き取れるレベルの会話にそっと耳を傾けながら、唯意人は狭い通路を歩く。ゆっくりと。

「で? 動画は?」

「こそ撮りしたんだけどよ……」

 会話の続きが気になるが、その二人の周辺に、空きはない。

 立ち止まって席を探すふりをするのにも、限界がある。

 会話の続きが気になったとしても、怪しまれない程度に、さ迷い歩く。これが唯意人の美学だ。

「こっちもいっぱいかよ~。あっち空いてねぇかなぁ~」

 わざとらしく、少し声を大きめにして、迷える子羊のふりをする。

 それから歩き始める。ゆっくりと。次の獲物を探して。


「ねぇ。昨日のあれ、何なの?」

「え? まだその話すんの?」

「は? 終わってないけど?」

 どうやらケンカ中のカップル。

 食べ終わったのなら早く席を空けろ。ケンカは他所でやれ。そんな視線に構う余裕もなさそうな彼女と、スマホを触りながら適当に返事をする彼氏。

(雰囲気は最悪そうだな……)

 ついニヤニヤしそうになる表情を、口の端を噛むことで押さえつけた唯意人は、ゆっくりと歩む。

「だぁかぁらぁ~! 言っただろ? バイト先の先輩だって。たまたま駅で会っただけだよ」

「夜の11時に? おかしくない?」

「バイトあがりだったんだよ、むこうは」

「悟は? バイトなかったでしょ? なんで駅に居たの?」

「暇つぶしに散歩してたんだよ」

「は? 散歩? 散歩とかしたことないよね? てか普通しないよね? 夜の11時に。駅を散歩とかしないよね? 散歩するなら家の近くの公園とかでしょ普通」

「うっせぇし。散歩くらいするし」

「ねぇなんで? なんで嘘つくの?」

「嘘じゃねぇし。てか、行くぞ。混んできたからな」

 チラチラと集まり始めた周囲の視線を感じてか、悟はトレーも持たずに立ち上がった。

「ちょっと待ってよ! ねぇ!」

 怒りながらも、彼氏の食器を自分のそれに重ねた彼女。慌てているだろうに、ポケットティッシュで、テーブルを拭いている。彼氏が食べ散らかしたカレーを拭き取るために。

「遅ぇ。さっさと来いよ」

「だって……テーブル汚れてたんだもん」

「愛のさ、そういうのちゃんと拭くとこ、いいよな。好きだわ」

「……もぅ」

 肩を組んで急にイチャイチャしだした二人に、唯意人は苦笑をこぼした。周囲で二人の様子をチラチラ見ていた大学生たちも、唯意人と同じような表情を浮かべている。

「あれ? ったくあいつら、どこに居るんだよ……」

 カップルが去ったテーブル。

 そこに座らずに済む言い訳を、わざとらしく口に出した結人は、また歩みだす。ゆっくりと。

(お? あっち行ってみるか)

 唯意人の進路に居る、獲物二人。高そうなスーツを着た男性と、その取り巻きらしい男性だ。

「……教授、聞きました? 土木学科のM教授のこと」

「Mさん? いや、知らない。何かあったの?」

「最近休講が続いてたんですけど……どうやらセクハラらしいですよ」

「セクハラ? 本当に?」

「えぇ。私もたまたま聞いたんですが……」

 この手の秘密話は、男性が不自然な距離感で話していることが多い。唯意人は経験からそう学んでいる。

「それで、被害の申し立てがあったらしくて。それも一気に4人から」

「4人? 本当に?」

「えぇ、どうやらそうらしいですよ」

「そっか。セクハラか」

「えぇえぇ。しかしまぁ同時に四人からですからね。間違いないってことでしょうね」

「まぁ、経緯を見守ることにしよう。まだ決まったわけじゃない」

 取り巻きの男性は、ニヤニヤ笑っている。きっと下品な想像を繰り広げているのであろう。

 だから、気づいていないようだ。高そうなスーツの男性が、ずっと難しい表情のままでいることに。その会話の内容も、その表情も、とても不快だと言わんばかりの態度だ。

「では私はこれで失礼するよ。急ぎ返信が必要なメールがあってね。君はゆっくり食べなさい」

「はい、お疲れ様です」

 テーブルに座ったまま、ぺこりと頭を下げる。

(どうやらこのおっさんは、礼儀作法には無頓着らしい)

 唯意人は頭の中で計算を繰り広げる。

(食事中に急に話しかけても気にしないタイプと見た。チャンスだ)

「あの、すいません。僕今、先生の講義を取ってるんですけど。割かし人数の多い」

「人数の多い講義? なら基礎線形代数かな? それとも……」

「あ、それです。その講義が面白いですって、お伝えしたくて」

「それはどうも。君も今から食事? 一緒にどう?」

「あ、すいません。向こうで友人が待ってるんです」

「そっか。じゃあまた講義の時にでも声をかけて。分からないことがあれば教えてあげるよ」

「ありがとうございます。失礼します」

「うん」

 頭を下げながら、唯意人はほくそ笑んだ。講義名が分かれば、担当教員の名前が調べられる。シラバスシステムで検索をかければいい。

(今日のネタは決まったな)

 先ほどよりは軽い足取りで、唯意人は回遊を再開する。

 脳内で計算をしながら。

(あの取り巻きのおっさんが、高級スーツ教授から干される日も、そう遠くないだろうな。なんなら教授は、距離を取りたいと思ってるかもしれない。同じ研究室だから仕方なくランチを一緒にとっているといった感じかもな。だとしたらストーリーは……)

 晴れやかな表情で唯意人は歩く。ゆっくりと。

(さっきのケンカップルのネタもいい。ネタがない時に使わせてもらうか)

 唯意人は歩く。ゆっくりと。脳内で小説のプロットを書きながら。

 唯意人は、趣味で小説を書いている。ペンネームはオオカミ少年だ。大学名を公表しつつ、実話に基づく小説をSNSにUpする。これがバズっている。

 小説の登場人物は、もちろん全員、仮名だ。

 だからこそ、登場人物がどこの誰なのかを推理するコメントが、大学関係者からたくさん寄せられる事態となっている。

 事実を踏まえつつも、あくまでも大学を舞台とした創作であるというスタンスも、読み手の推理を掻き立てるらしい。

 どこまでが事実で、どこまでが創作なのか。

 読者はみんな、灰色を好まず、白と黒に分けたがるらしい。


「あ、ゆい! こっちこっち! ここ空いてるよ!」

「おぅ!」

 同じ学科の女の子。名前は崎下くるみ。唯意人に好意を寄せ、それを隠そうとしない。

 だからよく、唯意人は、友人から質問を受ける。「くるみと付き合うつもりはないのか?」 と。唯意人は「くるみはかわいいと思うけど、付き合うつもりはない。付き合ったら相手のペースに合わせるのが大変そうだ」と、決まって返すことにしている。

「今日もランチ一緒にできるとか、運命だよね」

「かもね」

「だよね? 嬉しい」

 微笑むくるみを見ながら唯意人は箸を掴み、うどんをすする。

 随分と温くなった汁を一口、飲み込んで。

(今夜あたり誘ってみるか)

 普段は薄い性欲に火が付いた理由を、唯意人は冷静に分析した。

「今日のコーデ、かわいいじゃん?」

 白のワンピにピンクのカーディガン、そしてポニーテール。

「でしょ? ありがと!」

「うん。でもまぁ、昨日のもよかったけど」

「昨日? 花柄のワンピ?」

「そうそう。ツインテールも。かわいかったよ」

「ありがと! また着てくるね!」

「うん」

(夜ご飯に誘って。その後、くるみの家で宅飲みでもして…)

「あ、そうそう。ゆい、このアカウント知ってる?」

「……なにそれ?」

「最近ね、うちの大学で話題になってるの」

「へぇ? 何系?」

「小説。でも、うちの大学の関係者が仮名で登場するの」

「そうなんだ」

「うん。でね、どこまでが事実で、どこまでが創作なのか、曖昧なの」

「へぇ」

「興味ない?」

「うん。あんまないかも」

「そっか。くるみは唯意人が主だと思ったのにな」

「へ?」

「違うの?」

「え? なんでそう思ったわけ?」

「だってみんな噂してるよ? 唯意人が主だって」

「は?」

「今日のネタは、ケンカしてたカップル? それともセクハラ教授? それとも正義作法に疎い無神経な講師?」

「え?」

「それとも……私? 合コンで持ち帰られたって話題にするの?」

 気が付けば、周囲に人が集まっている。

 唯意人とクルミを囲むように。何十という学生、事務職員、教員、清掃業者が、じっと唯意人を見つめている。

 さっきのカップルや合コン話で盛り上がっていた男子大学生、教授とその取り巻きも、唯意人をじっと見つめている。

「あのね? 唯意人を見習って、私たちも小説を書くことにしたの」

「小説って……どんな?」

「詳しくは決まってないの。でも、タイトルは決まってるの」

「タイトル?」

「うん。現代版オオカミ少年」

「現代版?」

「そう。嘘の噂を流し続けた少年が、誰からも信じてもらえなくなるの」

「は?」

「ゆい、知らないでしょ? ゆいの小説で浮気を疑われたり、セクハラやパワハラを疑われたり、不正な会計があったって調べられたり、ゴミを回収して女子大生の使用済み商品として転売してるって噂のせいでクビにされそうになったり……大学に居づらいなって、退学したり転職したりした人がたくさんいるの」

「は?」

「私のお父さんも、その一人」

「嘘だろ?」

「現代版オオカミ少年。嘘の噂を流し続けた少年は、生涯、孤独に生きました。なぜって? SNSにゆいの悪事を、ゆいの悪意を、これからもずっと拡散し続けるから。みんなで、ずっとずっとね。SNSをチェックされるから、ゆいの就職活動は絶対にうまくいかない。実家にも居場所がなくなると思う。でも、仕方ないよね? ゆいが自分でしたことだもんね」

「ち、違う。俺じゃない。俺じゃないよ」

「嘘つくんだ」

「う、嘘じゃねぇし」

 震えた声に、説得力は宿らない。

「証拠は? 証拠を出してみろよ」

「……うん」

 静まり返った食堂に、響き渡った通知音。

 それが絶え間なく続き、鳴り響く。次々に。

「ほら、やっぱりね。ゆいが主だった」

「え?」

 唯意人を囲む人々の手に、スマホが握られている。

「みんな今、送信したよ。唯意人のアカウントに」

「は?」

「被害を訴えるコメントを。悪意ある主の正体を暴く写真付きで」

 カップルがさっと、テーブルの上に置かれていたスマホを奪い取る。

「返せよ!」

 あっという間に、顔認証で解除されるロック。

 通知マークが灯ったSNSアプリ。

「罪を認めて謝ってくれるなら許そうかなって。そう思ってた。けどもう無理」

 ゆっくりと、くるみは立ち上がる。

「ゆい、じゃあね」

 くるみは、綺麗に微笑む。芝居がかった笑みを数秒、唯意人に捧げた後、彼女は冷たく言い放った。

「あ、社会的にもバイバイだね?」



 ―――噂の主(終)。


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