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9.皇太后の生誕祝い1

 春も終わりにさしかかる頃。眩しい日差しが室内に入り込んできていた。空気はまだひんやりしているが、たぶん外の日向は暑いくらいだろう。皇帝生母である皇太后の生誕祝いにぴったりな、良い陽気だ。


 朝から珠蘭(じゅらん)明明(めいめい)に髪を盛られていた。妃嬪たちの朝の会に参加するためにいつもしていることではあるが、今日は特別にいつもよりも豪奢だ。


(重いなぁ)


 だいぶ慣れてはきたものの、下女だった頃は髪飾りなんて一つもつけないのが当たり前だったので、どうにも動きにくい。頭からしゃらしゃらと音が鳴るのも居心地が悪い。


「今、重くて嫌だなぁ、って思ったでしょう?」

「なんでわかった?」

「そういう顔してました。我ながら上手く結えたと思って自画自賛してるんですから、そんな顔しないでくださいよ」

「あ、そうなの」

「褒めてくれてもいいですよ」

「それは本当に、純粋にすごいと思ってる」


 心がこもっていないです、などと文句を言いながらも、明明の手は止まらない。

 明明の技術がすごいと思っているのは嘘偽りなく、他の妃嬪の侍女には負けない自信がある。髪結いも、化粧も、それから着付けも。珠蘭に長年付き従っているだけあって、珠蘭に似合うものを熟知している。


「本当だって。明明の手にかかれば五割増しどころか、別人かしらっていうくらい綺麗に見えるもの。わたしじゃないみたい」

「あら、それは元の素材がいいからですよ」

「そうだよね、素材、いいよね」

「それ自分で言います?」

「明明こそ、自画自賛してたじゃない」


 ちょっとだけ機嫌をよくしたのか、髪を引く強さが優しくなった。なるべくおだてようと心に決める。


 明明はてきぱきと手を動かし続けている間、やることのない珠蘭は鏡の中を覗き込む。もう十八にもかかわらずあどけない顔がこちらを見ていた。美人であるとは思う。どちらかというと可愛らしい感じだ。白い肌にくりっとした黒目の大きな瞳、スッとした鼻筋に小さめの口。


 まだ下女の(よう)であった意識が強いから、どうにも目の前に映っている顔が自分だという認識が薄い。だから、珠蘭としては「あたし可愛い」とか痛い感じで思っているわけじゃなくて、客観的にそう判断しているに過ぎない。

 周りからはどう見えるにしても。


「はい、できましたよ。あんまりにも綺麗で溜息出ちゃいました?」

「溜息は出たけど、その溜息じゃないね」


 明明はふふっと笑いながら珠蘭を着付けの部屋に誘導する。そこにはこれまた豪奢な祷裙(じゅくん)が用意されていた。


「この衣装着たら、暑くて倒れそう」

「我慢してください。これでも薄い方ですよ」


 お金も手間もすごくかかっているだろう衣装を「暑そう」の一言で片付けた珠蘭も、皇帝と皇后のみが身に着けることを許されている朱色の衣を目にしつつも「我慢してください」で済ませる明明も、もう、何といったらいいか。きっと必死で仕立てた針子たちが聞いたら泣くし、朱色をまとえない淑妃が聞いたら怒り狂う。

 どちらもいないのをわかった上での発言ではあるが。


 多少の文句を言っても当然着ることにはかわりがないわけで、小柄な身体に衣装をまとって、さらに飾りを付けられ、珠蘭は明明と共にしずしずと長明宮を出た。




 皇太后の生誕祝いの会場は後宮内にある御花園である。会場が屋外なので、陽気の良い日で助かった。実際に動くのは祭事を開催する部署ではあるが、一応皇后主催ということになっているので、天気が悪いと何だかんだと嫌味を言われると予想されたから。


 嫌味くらい聞いてもなんとも思わないが、まぁ、言われないに越したことはない。


 だいぶ早めに来たつもりだったけれど、会場にはすでにたくさんの人が集まっていた。後宮の中なので、集まっているのは女性と宦官だけ。珠蘭が一歩会場に足を踏み入れると、それに気がついた女性たちがあっちからもこっちからも礼を取る。


「皇后さまにご挨拶を」

「皇后さまにご挨拶を」

「皇后さまにご挨拶を」


(あー、もう一気にやってくれないかな)


 笑顔でじりじりと進むも、なかなか通れない。

 挨拶してくるのは侍妾たちだ。位としては四夫人、九嬪より下なので、普段はあまり会う事がない。


 ようやく挨拶の輪を抜け、これから皇太后を迎えるに当たって問題がないか、辺りを見回すと、徳妃が同じように挨拶を受けながらやってくるのが見えた。ようやく近くまで来ると、徳妃が小さく「ふぅ」と息を吐いたのを見てしまい、勝手に親近感を覚えた。あちらからしたら迷惑だろうが。


「皇后さまにご挨拶を……あら、わたくし遅れてしまいましたか?」

「いいえ、むしろ早いくらいです。わたくしは主催ですので、少し早く来たつもりだったのですけれど。侍妾たちはもっと早かったようですわ」


 徳妃はくすっと笑いながら、声を小さくした。


「皆、陛下のお目にかかろうと必死なのですよ。ほら、女官たちも、あわよくばと着飾って。なかなか御目通りする機会がございませんもの。仕方のないことですわ」


 侍妾たちに参加義務はないが、今日の主役である皇太后を祝うためにわざわざ足を運んでいる。表向きはそういうことになっている。


 また挨拶の声が聞こえ始めた。今度やってきたのは淑妃だ。彼女は挨拶を適当にかわしながら、ずんずんとやってくる。その速さたるや、これでもけっこう挨拶を受け流したと思っている珠蘭の比ではなかった。


(ほぅ、ああやって振り切るのか)


 あまり真似したいとは思わないが、勉強にはなる。


 淑妃と形ばかりの挨拶を交わしている間に、辺りが騒がしくなった。母を祝うため、皇帝が来たのだ。皇帝は最初に挨拶しようとした侍妾を軽く手で制すると、そのまま歩き始めた。皇帝の席に向かって人が避け、自然と道ができる。


(ほほほぅ、ああやるのか)


 さすが皇帝である。挨拶しようとするご令嬢たちをものともせずに、自分の速度で堂々と人でできた道を歩いてくる。ご令嬢が頬を染めているのも全く意に介していない。


 淑妃と徳妃に続き、珠蘭も皇帝に向かって礼の姿勢を取る。


「陛下に……」

「挨拶はよい。ここにいる皆から挨拶を受けていたら、日が暮れてしまう」

「それは、その通りですね」


 許されて顔を上げると、皇帝が苦笑していた。珠蘭と同じ朱色を散りばめた衣に身を包み、髪を上げて小さな冠を付けている。

 飾り立てた女性たちの中にあってもその一段も二段も上を行く端正な顔立ちに、一見すると優しそうな微笑み。ほぅ、という溜息がそこかしこから聞こえてくる。


「皇后さま、もうまもなく皇太后さまが宮を出られるそうです」


 皇后付きの宦官である春慶(しゅんけい)がそっと告げると、それを聞いた皇帝がまず動き、席に着いた。それを見た淑妃と徳妃も自分の席へ向かう。その姿をみせることで、ざわついていた下の立場の者たちも静かに各々の場所へ移動し始めた。こういうところはさすが四夫人だ。


 珠蘭も皇后として、皇帝のとなりの席に腰を下ろした。どうにもこの非常に目立つ場所が自分の位置だという気がしないが、そういうものなので仕方がない。

 今は夜ではないし、ここは室内ではないのだけれど、皇帝の隣にいるのが少し怖くて、なるべく目を合わせないように前を向く。


「皇后、どうかしたか?」

「いいえ。陛下のご尊顔が眩しくて見られないだけでございます」

「そうか? 皆はそうではないようだが?」


 見回してみれば、一同が皇帝へ熱い眼差しを向けている。一部は単純に鑑賞しているような、そして一部は「こちらを見て」とでも言わんばかりのギラついた瞳。まるでこの場所だけ気温が高くなったみたいだ。

 にもかかわらず涼しい顔をしている皇帝は、さすがというべきか。


「皆、美しい皇后に見惚れているのであろう」


(いやいや、どう考えても陛下を見ているでしょう。むしろこっちには射殺さんばかりの視線が来ていますよ)



 そこへ皇太后の輿が到着した。皇帝が立ち上がるのと同時に皆が立ち上がり、皇太后を出迎える。


 ゆっくりと輿が開き、皇太后が姿を見せた。

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