表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/64

8.皇帝2

 皇帝である朱玉祥(しゅぎょくしょう)は、その端正な顔を歪めていた。なるべく表情を読まれないようにしている彼がここまで素を出せるのは、ここにいるのが自分と雲英(うんえい)全忠(ぜんちゅう)の三人だけだからだ。


 皇帝という立場は孤独だ。言葉の裏を考えなければならず、簡単に人を信じることはできない。二十歳という若さで即位して三年、ようやく信頼できる臣下も増えてはきたが、まだまだ警戒を怠ることもできない。


 そんな中でも雲英は、皇帝にとって数少ない信用できる臣下だった。むしろ幼少期からの教育係であったこともあり、頭が上がらない存在の一人で、皇帝という立場の玉祥に向かってあれこれ口出しできる貴重な人だ。


 だからこそ、玉祥は雲英を皇后に付けた。隣国である黄国(こうこく)からやってきた皇后の教育のため、そして彼女を見張るために。



 その雲英が話したことにもかかわらず、その内容はどうしても信じがたいことだった。

 皇后の身体に下女であった(よう)という別の人格が入り込んでいるというのだ。


「俺は雲英を疑うつもりはないが、信じられない」

「そうですよね」


 雲英もあっさりとそれを認めた。それだけのことを話している自覚はあるらしい。


「当然ですが、私も信じられませんでした。しかし珠蘭(じゅらん)さまが知りえない情報をたくさん持っており、その内容と調査した内容に矛盾は一切なかったのです」


 葉という人物がその日に亡くなっていること、一緒に働いていたという下女の話や寝食していた場所、そこに働く人、仕事内容、葉が使っていたという服の穴の開いた場所まで、全てが一致していた。


「そのような話がありえるのか? 全忠、お前はそのような者をみたことがあるか?」

「いいえ、陛下よりも一回りほど長く生きておりますが、そのような話は聞いたことがございません」

「さらにその一回り近く長く生きておりますけれど、私にもそのような経験はございませんよ」


 会話に入ってきた雲英は、ため息交じりに言った。

 そこで黙ってしまったのが良くなかったのかもしれない。いきなり雲英がキッと睨んできた。


「何ですか、私の歳に文句でもあるのですか」

「ない。というかなぜそうなる? 歳の話など、今はしていないだろう?」


 皇帝であるにもかかわらず、玉祥は少し慌てた。女は歳の話になると、ひどく面倒臭い。しかもこちらからは何も言っていないというのに、勝手に怒っているときた。


「雲英、それ、お若いですねと言っても怒るし、もうそんな歳かといっても怒るし、何も言わなくても怒るんだろう? 俺、どうしたらいいの?」

「……それもそうですね」


 プッと笑い声が聞こえ、玉祥は振り返って睨んだ。全忠はしまったというような顔をして、そっと目を逸らす。この手の話に関しては全忠もこちら側に違いないのに、完全に他人事である。あとで雲英に怒られたらいいんだ。


「話が逸れた。雲英の言っていることが正しいとして、今の皇后は皇后の形をした別人ということなのか?」

「いえ、それがそうとも言い切れないのです。ご本人は葉という下女の人格が強いと感じているようなのですが、こちらから見ると珠蘭さまの性格もかなり反映しておりまして」


 珠蘭は黄国の公主で、母は側室ではあったが父帝に寵愛されていたため、蝶よ花よと育てられた。そのせいか、素直ではあったが、歳の割に子供っぽく我儘なところがあった。


「俺の前ではいつも大人しかったぞ」

「それは陛下の前だからです。宮の中ではよく侍女や宦官を困らせていましたよ。でも内向的なので、それが外にでることはありませんでした。それが、葉の性格なのか、なかなかにやっかいな方向になりまして」

「やっかい?」

「先日は宮に畑を作りたいと言い始めました」

「畑」

「そう、畑です」

「どこに?」

「宮の空いていた場所に」


 いままでであれば、駄目だと言えばなんだかんだ文句をいいつつも受け入れて動こうとはしなかったが、今の珠蘭は行動的だった。駄目と言われたからといって諦めることもなく、雲英がいない隙に畑を作ってしまったのだ。


「私が見つけた時にはすでに芽が出ており、嬉しそうに、なおかつとても満足そうに謝られました」

「謝ってるのか、それ?」

「ちなみに広げるつもりらしいです」

「おい」


 その他にも、厨房に入り込んだり、自ら掃除し始めたり家具を動かしてみたり、宮の池で魚を飼い始める計画を立てたりしているという。


「という感じで、私が言っても止まりません。制御不能です。今のところ、悪い方向に暴走することはないのですが、困りました」

「それはおもしろい、あ、いや、困ったな。雲英が振り回されるなんて、滅多にないぞ」

「小さかった頃の陛下にはけっこう振り回されましたけれど?」


 それを言われてしまうと立場がなく、目を泳がせることになる。


「とにかく、珠蘭さまの記憶も性格もありますので、珠蘭さまと葉という人物が一緒になってしまったような感じなのです」

「それは戻らないのか?」

「わかりません。ご本人も最初はいずれ葉という人物が身体から出ていくのだろうと思っていたようなのですが、出ていき方もわからず、最近ではもう一緒になってしまっているので難しい気がする、とも言っていました」


 雲英も困惑していることがよくわかる。

 一体これはどうしたものか。この現象についてはもうどうしようもないか。すでに二か月弱がたっているのだ。と思ったところで、玉祥は雲英を見つめた。


「雲英、なぜそれを俺に黙っていた?」


 雲英の肩がピクリと上がり、おそるおそるというように皇帝を見上げ、それから頭を下げた。


「申し訳ございません。ただ、このような事態になり、陛下が皇后を廃するのではないかと恐れました」


 一般的に受け入れられない現象。皇后の中身が下女だったとなれば、どうなるだろうか。騒ぎになる前に廃后して尼寺に送る、などという措置が取られないとも限らない。それでも雲英は皇后の中に珠蘭がいることに気が付いてしまった。なんとか助けたかった。だから、一月で見た目だけでも皇后らしく振舞えるように教育したのだ。


「俺がそうするとでも思ったのか?」

「私も陛下がいきなり皇后を廃することはしないだろうと思っております。ですが、皇帝としての立場で、絶対にないといえますでしょうか?」


 玉祥は少し目を見開き、それからゆっくりと溜息を吐いた。


「そうだな、悪かった。ということは、皇后が俺を見て怯えていたのは、俺が寺に送るかもしれないと思ったからか?」

「いえ、それは違いますね。むしろ乗り気でしたよ。尼寺ならば自由に生きられそうだと」

「は?」

「元が下女でしたから、侍女がいないとか生活水準が下がることに関しては全く問題ないようです。あ、でも、美味しい物は食べたいと言っていましたね。宮のほうが美味しい物は出るかしら、と」


 それが基準なのか、と目眩がした。皇后という立場はそんなに軽いものではないはずだ。


「それならば、なぜ俺は怯えられているんだ?」

「陛下が、ということではなく、男が怖いそうです。葉は後宮の下女になる前、私奴婢としてある屋敷に仕えていたそうで、そこでいろいろあったようです」

「いろいろ?」

「その内容までは聞いていませんが、立場が奴婢でしたからね。相当なこともあったのではないでしょうか。仕事上で宦官と接していたのでだいぶ慣れたとは言っていましたけれど、夜伽となるとどうにも怖いようです」


 男が怖いというのは皇后として致命的な部分でもあるし、心配でもあるが、玉祥は怯えられている原因が自分でなかったことに少し安堵していた。


「私からお話できることは以上です」

「わかった。これからも皇后を支えて、報告してくれ」

「それは、これからも皇后さまをそのままの地位におくということでよろしいですか?」

「そのつもりだ。黄国との関係を考えるならば、理由もなく皇后を廃しては問題になる。雲英、なるべく皇后が変な方向にいかないように導いてほしい」

「それはなかなかの難題ですね」


 そう言う雲英の顔は安堵と喜びをたたえていた。


「雲英、ずいぶん皇后に情が移ったようだな」

「私は陛下の臣下ですよ。でも、できることならば、皇后さまにも幸せであってほしいとは思います」

「そうか」


 何やら複雑な顔をした玉祥に、全忠がわざとらしく声をかける。


「私は陛下が幸せであれといつも祈っていますよ」

「ほぅ」

「だからそろそろ休みませんか。夜も更けてまいりました」

「お前が寝たいだけじゃないのか? それに、こんな話を聞いた後で寝られるか」

「それならばこの全忠が子守唄を歌ってあげましょう」

「いらぬ。余計に寝れなくなる。それに、最後にひとつ、話したいことがある」


 玉祥は冷めきったお茶を一口含み、髪をかき上げた。うーん、と肩を後ろに伸ばしてから背筋を伸ばして姿勢を整え、真面目な顔になった。

 それを見た雲英と全忠も姿勢を正す。


「雲英、毒の出所はわかったか?」


 周囲には体調不良とだけ伝えられているが、皇后が昏睡した原因が服毒であることはわかっている。珠蘭が自分で用意したわけではもちろんない。

 普段ならば毒見があり、さらに珠蘭本人も気が付いて避けただろう。だがあの時、珠蘭は気が付いていながら毒の入った杯を口に運んだ。


「目星はついておりますが、はっきりとした証拠は出ておりません」

「そうか。つかめそうか?」

「なかなか尻尾を出しませんので、難しいかと」

「そうか。ならば、深追いするな」


 雲英がハッと顔を上げた。それは、これ以上追及するな、毒を盛った犯人を逃がしておけ、ということだった。


「今はまだその時ではない。犯人がわかったところで、潰されて終わるだけだ。それよりも、こちらが疑っているということが伝わってしまっては困る」

「はい」

「俺にはまだ力が足りない。すまない。毒には充分気を付けてくれ」


 皇帝にすまないとまで言わせてしまえば、雲英にはこれ以上言葉を続けることができない。立ち上がって深々と礼を取ると、御前を辞した。

読んで下さりありがとうございます!

平日に一話を目標に更新しています。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ