54.街歩き2
閑散としていた高級商店街と違い、こちらは活気に溢れていた。人の往来も多く、売り子たちの賑やかな声が響く。
道の片方には長屋のような建物が並び、卓子のある飯屋や商店が軒を連ねている。もう片側には建物がなく、露店が並んでいた。色鮮やかな野菜と果物が並び、籠の中の鶏が時折けたたましく鳴く。
「賑やかだな」
「活気があるのは良い事ですね」
玉祥は物珍しいようで、ひとつひとつのお店をじっくり見ている。この速度では日が暮れてしまいそうだ。
「陛……玉祥さま、あそこ行ってみたいです」
珠蘭が指差した先には、蒸気がもくもくと上がっていた。たぶん饅頭か何かの店だろう。人の列ができているから、美味しいに違いない。
並ばずにいきなり横から買おうとする玉祥を引き連れて最後尾に並ぶと、人々の視線が集まった。並びもせずに割り込むなよ、という睨みではなく、明らかにどこか良家のお忍びだとバレているのだろう。譲るべきか、見なかったことにするべきか悩んでいる、そんな素振りだった。
そんなことは気にせず、玉祥は「なるほど」と呟いていた。歩こうとすれば人が避けて道ができる身分の人である。もしくは、「あれを」と一言指示すればすぐにお付きの者が用意する。それがいつものことなので、こうして同じように並ぶのもまた新鮮らしい。楽しく並んでいるので譲らなくていいですよ、と周りの人に心の中で思う。
思ったよりも早く順番がきた。どうやらここは肉饅頭と書かれた一種類しか置いていないらしく、数を言えば包んでくれるようだ。玉祥は注文ができるのだろうかと見ていると、店主や並ぶ人の「早くしてくれ」という雰囲気を感じ取ることもなく、のんびりと店構えを見ていた。
「ずいぶんと大きなせいろだな」
「へい、一回で百個ほど蒸せるんですよ」
「ほぉ」
「それで、いくつ包……」
「これはどうやって作っているのだ?」
珠蘭はたまらず玉祥を背に庇うように前に出ると、「二つください」と注文した。店主が「助かった」という顔で包んでいる間にお金を用意する。
それを見た玉祥が自分で払うと言い出した。
「ええと……これでいいか?」
出したお金は一番大きいもの。それじゃない。店主も困っている。珠蘭は仕方なく玉祥のお金入れを奪うように借りると、中から金額に近い硬貨を差し出した。
「おつりはいりません」
「へい、どうもね、お嬢さん」
包みを受け取って、逃げるように玉祥を引っ張り、店から離れる。皇帝陛下には市井での買い物は難しいのかもしれない。
「とりあえず、食べませんか? わたくしお腹が空きました」
朝から何も食べていない。露店には卓子や椅子はないようだ。周りを見回せば、買ったものを持ち帰る人もいれば食べ歩いている人もいる。適当に段差に座り込んで食べている人もいる。歩きながらでいいかと決めた珠蘭は包みから饅頭を出して、一つを玉祥に渡した。まだ熱いそれを割ってみると、湯気と共に良い匂いがする。
「いただきます」
パクリとかぶりつく。肉饅頭らしいが野菜がメインのようで、肉は遠慮がちに入っている。シャキシャキとした歯ざわりが心地よく、うま味が詰まっていて美味しい。人が並ぶお店なだけある。
珠蘭が食べるのを興味深そうに眺めると、玉祥も同じように真ん中で割った。普段かぶりつくなんてことはしないのだろう、少し戸惑いながらも口に入れ、目を丸くした。
「どうですか?」
「美味しいな」
「お口に合ったようでよかったです。でもいつものほうが素材はいいのでは?」
「んー、そうかもしれないが、蒸したてを食べることはないからな。お前もだろ?」
珠蘭たちの料理は作られて口に入るまでに時間が経過している。毒見や検査が入るからだ。たまにこっそり自分で厨房に立つ珠蘭と違って、玉祥ができたてを食べられるのは珠蘭の宮くらいだろう。
「外で食べると美味しいですね。いくらでも食べられそうです。次はあっちへ行ってみませんか?」
「まて、食べ終わってない」
街を歩く機会がないのは珠蘭だって同じで、だんだんと楽しくなってきた。果実水を買って飲み、果物を切ってもらってその場で食べた。
穀物に野菜や乾物など、食材の店が多いが、露店ではなく建物側ではお皿や鍋を売る店があったり、服飾雑貨の店もある。どこも庶民向けなので価格は控え目だ。この近隣に暮らす人々はここで何でも揃えるのだろう。
古着を眺めてみたり、飴細工を買ってみたり、それから鶏を潰す瞬間を見てしまった玉祥が倒れそうになったり。そんなことをしながらゆっくりと歩くことしばらく。
珠蘭は装飾品の露店の前で足を止めた。指輪、腕輪、首飾りに髪飾り。色とりどりの装飾品たちが並ぶ。良い物に見慣れている玉祥にとってはくすんでいるだろうが、今の服装にはピッタリ合いそうだ。
その中にあった、丸い玉がいくつかついた腕輪を手に取った。店主に目配せすると「かまわない」というように顎をくいっと動かしたので、そっと玉祥の腕にはめてみる。
見上げてみると、まんざらでもなさそうな顔をしていた。
「おじさん、これください」
「はいよ」
「ちょっとまて」
玉祥はその横にあった色違いを珠蘭の腕に付け、それと似たデザインの簪を一本珠蘭の頭に挿し、満足そうに微笑んだ。
「これで頼む。いくらだ?」
この数回の買い物でやり方を覚えたらしい。問題なく支払いまで終えていた。
「わたくしからの贈り物にするつもりでしたのに」
「選んでくれたのだから、それでいい」
「気に入りましたか?」
「あぁ」
珠蘭はふふ、と笑った。やっぱり玉祥は「こんなものを」と見下すようなことは言わなかった。それが無性に嬉しかった。不思議そうな顔をした玉祥に説明する。
「以前、李婕……えっと、李さんと一緒に街を歩いた時、これに似た物を買ったんです。玉祥さまに差し上げようと思って。でもその後にあんなことが起こったでしょう? それで、なくしてしまって」
「それは残念だったな、俺が」
もらうものを一つ逃したと玉祥は笑った。
「李さんには、玉祥さまに失礼だと叱られましたよ」
店を去りながら、店主に聞こえないように「そんなものを贈るなんて何を考えているのか、と」と小声で付け加えた。玉祥に意味は通じたのだろう。お互い常に最高級品を身に着けている身分だ。「そんなもの」といえば「そんなもの」に違いはない。
玉祥が歩き出すのについて行きながら、振り返って装飾品をもう一度見る。
「まだ何か気になるものがあったか? 全部買ってもいいぞ?」
玉祥はいたずらっぽく笑った。
珠蘭はそれを聞いて切なくなった。冗談で言ったことは分かっている。それをやる人じゃないのは知っているけれど、玉祥にはやろうと思えば本当にできる。珠蘭でもできてしまう。
『俺、こういうのつけてみたいんだよね』
『いいね。あたしはこっち』
昔を思い出した。買えなかった、あの頃。
「どうした?」
覗き込まれてハッとした。
「あ、いえ、玉祥さまが全部買ってしまったら、買いたい人たちが困るでしょう。わたくしは頂いたこれで充分ですよ」
「珠蘭?」
付けられたばかりの腕輪を見る。薄桃色の半透明な丸い石が光って綺麗だ。
「何かあった顔してたぞ。大丈夫か?」
ごまかされてはくれないらしい。珠蘭は短く息を吐いて、微笑んだ。
「昔を思い出したんです」
「どんな?」
「聞いても面白くないですよ? ずっと昔の話です」
それで、珠蘭としての経験ではないことが伝わったのだろう。玉祥は「嫌でなければ話せ」とあくまで命令ではないように言った。当時を思い返してみる。
「昔、その当時のわたくしは屋敷の外に出ることは滅多にありませんでしたが、たまにお使いを言い渡されて、ここみたいな街に来たんです。さっきみたいなお店があって、綺麗だなって言い合いながら、一緒に来た人とただ見ていたんです」
まだ後宮の下女になる前のこと。葉はある屋敷で奴婢として働いていた。
葉が外出する時は、必ず誰かと一緒だった。一人だとお金や買ったものを盗られてしまうからだと思っていたけれど、今になって思えば、奴婢が逃げ出さないようにするためでもあったのかもしれない。
ずっと屋敷で働き続けていた葉にとって、街に出るのは数少ない楽しみの一つだった。お金などないから何も買えないけれど、見て回るだけでも気持ちが明るくなった。
その日は、小さい頃から一緒に働いてきた奴婢仲間と二人だった。お使いをすませて戻る途中、装飾品の露店の前で足を止めた。
どれが綺麗だ、あれがいい、こっちのがいい、よしこれに決めた。買えるわけもないのに、どれを買おうか、と二人で選んだ。
『いつか俺がここにあるの、全部買ってやるよ』
彼はそう言って笑った。買える見込みなんてなかったから、お互い冗談だとわかっていた。
でもそれで想像するのだ。こんなにいっぱいあったらどうしよう? 全部つけられるかな? って。考えてみれば、一度に全部を身に着ける必要なんて全くないのに、無理やり全てをつけているところを思い浮かべて、重くて動けないんじゃない? などと言い合って一緒に笑った。
「今ならば、全部買う、というのが本当にできるんだな、と思ったんです。それだけですよ」
「そいつとは恋仲だったのか?」
「え?」
そこ? と思いながらきょとんと見上げると、玉祥は睨むように珠蘭を見てきた。
「違いますよ。血の繋がりはありませんけれど、どちらかというと彼は兄みたいな存在でした。それに、奴婢は恋なんてできませんよ。行動はすべて主人次第ですし、結婚も出産も、主人が決めることですから」
「お前は結婚してたのか?」
「していませんよ」
「そうか」
「すみません、話が重くなってしまいましたね。そんなことを思い出したから、余計にこれを頂いたのが嬉しかったのです」
腕を見ながら、宝物にします、と笑ってみたけれど、玉祥は笑わなかった。やっぱり奴婢時代の話は面白くなかったらしい。
「そろそろ昼食の時間でしょうか?」
「もうそんな時間か」
食べ歩いていたのでそんなにお腹が空いていないが、帰る時間も考えると今のうちに食べておいた方がいいだろう。保養地に戻ってから食べて、それからすぐに出発だと、たぶん玉祥は酔う。
たくさん歩いたので、休憩を兼ねて座って食べられる店に入って麺を食べた。
店のおばさんが「おや、新婚さんかい?」とおかずをおまけしてくれた。新婚でもないのだが、なぜか玉祥が照れていた。あまりお腹は空いていなかったが、せっかくの好意なので詰め込み、パンパンになった。素朴な味で美味しかった。
ここでも玉祥がお金を払った。会計の仕方はすでに習得したらしい。学習能力の高い人だ。
全て払ってもらっていることにちょっとだけ悪いなと思ったけれど、相手は皇帝である。市井での買い物など痛くも痒くもないだろうと思い直し、ごちそうさまでしたと言うにとどめた。
「もう店じまいしているところもあるのだな」
「そうみたいですね。売り切れ次第閉店なのかもしれません」
馬車を停めている高級商店街に戻る道を歩く。まだ賑わってはいるけれど、朝に比べれば人通りは減っており、朝並んで買った肉饅頭のお店ももう閉まっていた。
「あの饅頭、また食べたかった」
「そんなに気に入ったのですか? では似たものを料理人に作らせてみたらどうでしょう?」
「ここで食べたから美味いんだろ」
それもそうかと思う。もっと高級な材料を使って作っても、玉祥の手元につくころにはきっと冷めている。それなら今度珠蘭の宮で作ってみようか。同じ味にはならないだろうけれど。
「そこの店に寄るぞ」
玉祥が入っていったのは、既製服を売る呉服屋だった。場所は高級商店街と庶民街の中間くらいにある。安い中古の服から新しい衣まで、たくさんの服が売られていた。
玉祥は手に取っては珠蘭を見て、戻して、手に取って、珠蘭を見て、と繰り返した。一体何をやっているのか。
「これにしよう。どうだ?」
目の前に出された服は新しい庶民の服。淡い色だが何色か入っていて、庶民の中では少し裕福な感じだろうか。優しい色合いが好みではあった。
「気に入らないか?」
「いえ、可愛らしいと思いますが」
「なら決まりだな」
「え?」
玉祥は自分の服なのか男物も一枚買って、店を出た。
これから馬車に戻って、一度保養地へ行く。そこで着替えるのはお忍びとはいえ庶民服ではない。それから皇宮に戻ればもっと格の高い衣を身にまとうことになる。
「いつ着るのですか?」
「次の街歩き」
「えっ?」
「なんだ、これで終わらせる気か? 俺はまた行くつもりだぞ。もう買ってしまったのだから、付き合え」
珠蘭は笑って「はい」と答えた。