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48.徳妃の恋

「きっと楽しい話ではございませんし、陛下に失礼な話もございます。少し長くなると思いますけれど、お話ししてもよろしいでしょうか?」

「えぇ、聞かせてください」

「わかりました。皇后さまはご存じだと思いますけれど、わたくしは徐家の娘として生まれました。徐家は余家に連なる家系で、名家の娘ばかり集められている後宮では霞みますけれど、けっこうな名家なのですよ」


 徳妃はゆっくりと話し始めた。

 徳妃が徐家出身なことはもちろん知っている。余家派閥の中では五本の指に入る家柄だったはずだ。


「名家の娘として生まれたわたくしは、いずれ政略的にどこかの良家に嫁ぐことが生まれながらにして決まっていました。皇后さまもそうではありませんか?」

「そうですね」


 良家の娘はほとんどの場合、父や家族の決めた相手に嫁ぐ。早い人では、生まれた瞬間に相手が決まるという人さえいる。そこに自分の意志は関係ない。それが常識。


「両親はわたくしを皇族に嫁がせたかったようです。だから相応しい令嬢になるようにと、幼いころから厳しく躾けられました」


 毎日専属の講師がつき、作法やら器楽、芸術に婦徳。一日中お勉強ばかりの日々。「皇后さまもそうではありませんでした?」と聞かれて思い返してみれば、そうだったと思う。ただ珠蘭の場合は、あれはやりたくないこれは嫌だ、とわがままを言いまくっていた記憶があるが。


「そんな日々がつまらなくて、わたくしはよく抜け出して外で遊んでいました。庭園は興味深いものが多くて、抜け出しては連れ戻されて。それを繰り返していました。わたくし、意外とわんぱくだったのですよ。両親も困っておりましたわ」


 ふふ、と徳妃は笑う。

 外での姿だけを見ていると淑女の鑑のような振舞いをする徳妃だが、こうして話してみると意外と行動的で活発な様子がわかる。わんぱくだったと言われれば、そうなのだろうな、と思える。


「ある日、あれは雨の降った翌日でしたわ。また抜け出して、見つからないように木にのぼって隠れていたのです。下からわたくしを探す声がしたからどんどん上って、そしたら下りれなくなってしまって……」


 〇


 たしか五歳くらいの時の話です。

 探しに来た人達はここにはいないと思ったらしく、違う方向へ行ってしまいました。

 どうしよう。下りられない。


 怖くなって泣き出しそうになっていたとき、ペタペタと足音が聞こえたのです。下を見ると男の子が不思議そうに見上げてきて、わたくしを見るとギョッと目を見開きました。


『お、お嬢様? そこで何やってるんですか』

『下りれなくなってしまったの』


 彼は助けを呼ぼうとしたのでしょう、周りをキョロキョロと見て誰もいないことを確認すると、わたくしを見て言いました。


『ちょっと待ってて。誰かを呼んできます。動いちゃ駄目だぞ』


 その時思ったのです。これは絶対に叱られる、と。それに、彼を見たらなんだか元気になって、自分で下りられる気がしたんです。


『待って、大丈夫、下りられるから』

『危ないから駄目だよ、わぁ、駄目だって!』

『大丈夫』


 彼の言葉も聞かずに、わたくしはゆっくり木をつたいました。それで……


『あっ、わあぁぁぁ』

『え、ああぁぁ』


 雨で濡れていたので滑ってしまったんですね。そのまま落下してしまいました。

 それを彼が必死に受け止めてくれたのですけれど。彼もまだ子供でした。だから受け止めきれず、わたくしは彼に飛び込んで、彼はそのまま後ろに倒れました。


 幸か不幸か、地面が昨日の雨でぬかるんでいたのです。

 彼はぐちょっとそのぬかるみに背中から落ちて泥だらけに。わたくしも顔やら手やら、泥がたっぷりついてしまって。だけどその地面のおかげで二人とも怪我はありませんでした。


 ひどい顔だとお互い笑い合った後、二人揃ってたっぷり叱られました。


 彼にしてみれば、助けようとしたのに巻き込まれて、叱られて。いいところなしですよね。

 だからわたくしは後日、菓子を包んで彼に持っていったんです。


 その頃からでしょうか、わたくしは抜け出しては彼と過ごすようになりました。


 彼はわたくしの二歳年上で、使用人の子でした。住んでいる世界が違ったからか、彼はわたくしの知らない事をたくさん知っていて、話を聞くのも一緒に遊ぶのもとにかく楽しくて。そのころのわたくしにとっては、お兄ちゃんができたような感じでした。


 彼と遊ぶのが楽しくて、彼に会えるのが嬉しくて、頻繁に抜け出しては彼に会いに行きました。でも彼は使用人。わたくしと会っているのがわかると、彼が叱られました。だからこっそり会いに行っていたのです。


 でも今思うと、それも両親は分かっていたのでしょうね。


 それからしばらく、抜け出してはこっそり会うというのを繰り返していたのですけれど、ある日、堂々と遊んでいいと両親に許可されました。


『ただし、条件がある。明林(みんりん)、良く聞きなさい』

『はい、お父様』

『遊んでもいい時間以外は、ちゃんとお勉強をすること。良くできれば遊ぶ時間をたくさん作ろう。そのかわり、できなければ遊ぶ時間はないよ。それに、安世(あんせい)にも仕事がある。邪魔をしちゃいけない』

『はい』

『それから、明林はいつかお嫁に行く。安世と遊べるのは今だけだ。それを忘れてはいけない』


 明林はわたくしの名前、安世というのは彼の名前です。

 当時はまだ子供でしたから、二つ目に言われたことはよく理解できておりませんでした。とにかく、こそこそと隠れることなく遊んでいいんだというのが嬉しくて、わたくしは『はいっ!』と大きく返事をしたのを覚えています。


 それからのわたくしは、遊ぶ時間欲しさに必死に勉強しました。合格がもらえると外へ飛び出して行って、彼と遊びました。屋敷の外には出られませんでしたけれど、広い屋敷でしたから遊ぶ場所には困りませんでした。虫や池の魚を取ってみたり、花を摘んでみたり、ひたすら穴を掘ってみたり。どんなことでも楽しくて。


 時にはいたずらもしました。誰かの靴を隠してみたり、厨房に忍び込んで食材をつまみ食いしたり。だけど叱られるのは彼のほうなので、歳を重ねるとともに叱られるようなことはやらなくなっていきましたけれど。


 ある時まではそうして兄妹のように過ごしていました。わたくしは兄のように彼を慕い、彼もまたわたくしを妹のように可愛がってくれました。皆から『お嬢様』と傅かれる中で、彼だけは対等に近い形でわたくしの側にいてくれました。



 気持ちに変化が訪れていたのは、いつのことだったでしょう。気がつかないうちに、少しずつ変わっていたのでしょうね。


『お嬢様、これからはそのように気軽に俺に話しかけてはいけません』

『安世? どうしたの、急に。お嬢様って』


 とまどいました。皆がいる場所ではお嬢様と呼ばれていたけれど、二人のときはずっと名前で呼び合っていました。その時は二人きりだったにもかかわらず、改まった口調で話してきたのです。


『……もう、無理なんだ。俺も明林も、もう子供じゃない。明林はお嬢様で、俺は使用人だ。立場を弁えなきゃいけない』

『そんな、立場なんて、どうでもいいじゃないの』

『どうでもよくないんだ』


 彼から距離を取られるようになって初めて、わたくしは彼を慕っていたことに気が付きました。兄のような存在としてでなく、男性として。


 彼もまた、わたくしのことを妹のように思えなくなっていたと聞きました。だから距離を置いたと。


 いずれ離れなければならないことはわかっていました。わたくしは近い将来どこかへ嫁ぐことになるということも、理解したくないけれど理解できる年齢に充分になってしまっていました。


 それでもわたくしは、彼と一緒にいたいと思ってしまいました。彼の気持ちもわたくしにあると分かってしまったら、もう止めることはできませんでした。


『安世、お願い。嫁ぐ日まで、その日まででいいの。側にいさせて。距離をとるなんて言わないで』

『でも……』

『どうせいずれ離れなければいけない。そうなれば、もう会う事も難しくなるのでしょう? ならば、せめて今だけでも一緒にいたい。お願い……』


 彼はわたくしを抱きしめてくれました。


 その日から、わたくしたちはまるで小さかった頃のように、周りに隠れてこっそりと逢瀬を重ねました。思い返してみれば、あの頃のわたくしは想い合えたというだけで浮かれていて。使用人たちはたぶん気が付いていたのでしょうね、見て見ぬふりをしてくれました。

 父にだけは見つかると大変なので、すごく気を使いましたけれど。


 いずれ終わりのくる、身分違いの恋。



 ささやかな幸せを感じながら、いくつもの季節が過ぎていきました。そして、恐れていた日がやってきてしまったのです。


『明林、お前の縁談がまとまった』


 わたくしは当時第五皇子であった玉祥様の側妃として嫁ぐことに決まりました。わたくしは頭の中が真っ暗になっていくように感じましたが、皇族に嫁がせたいと考えていた両親はとても喜びました。

 

『嫁ぎ先が決まったの。第五皇子の側妃になるんですって』


 彼に告げると、彼は拳を握りしめながら、ただ静かに『そうか』とだけ呟きました。

 お互いにこうなることは分かっていました。だからといって、じゃあさようなら、とすることは、すぐにはできませんでした。


『嫁ぎたくない』

『俺だって! 俺だって、嫁がせたくない』


 彼は苦しいくらいに強くわたくしを抱きしめて、『行くなよ』と言いました。行かないと言いたかった。ずっとここにいると、この腕の中にいたいと、言いたかった。このまま一緒に逃げようか、なんてことも頭をかすめました。


 それでも、それはできませんでした。彼への想いは絶ちきれないけれど、それでもこの家に生まれていままで大切に育てられたわたくしは、恩を全て捨てて逃げることはできなかったのです。


『手紙、書くわ。届くかわからないけれど。もし届いたら、返事をちょうだいね』


 彼は何も言わずにわたくしを見つめました。

 そして、一度だけ、口付けを交わしました。


 わたくしは何度この日の事を後悔したでしょう。いくら後悔しても、し足りないくらい、ずっと後悔し続けています。

 一緒に逃げる決意ができないのであれば、彼を突き放すべきだったのです。これで終わりよと、わたくしは嫁ぎ先で頑張るから貴方も幸せになってと、思い出を胸にこれからはお互い別の道を歩みましょうと、そう言えていたらどんなに良かったでしょう。


 この時はまだ、彼と永遠に別れるという決意ができなかったのです。未練がましくも『手紙書く』だなんて、きっと届けようもないのに。


 さようならと言えずに。



 その日から長い事、彼は姿を見せませんでした。嫁ぐ日が迫ってくるのに、彼がいない。もしかしたらわたくしたちの関係に気が付いた父が、一緒に逃げることがないように、わたくしに近付けないようにしてしまったのかもしれないとも考えました。

 父にそれを聞いても、苦い顔をするばかり。


 会ったら苦しくなることはわかっていましたけれど、それでも最後に会いたかった。今までのお礼も、さようならも言えずに別れるなんてしたくありませんでした。


 心の中で焦りながらも、嫁ぐための準備はどんどん進んでいきます。美しい婚礼衣装も、ズタズタに切り裂いてしまいたい気分でした。


 もう会えないのだろうかと思った、わたくしが嫁ぐ、わずか数日前のことです。彼が帰ってきたと聞いて慌てて外に出てみれば、彼はどことなくやつれた顔をして、それでも喜色を浮かべて立っていました。


 わたくしは誰に見られていようが気にせずに駆け寄って、彼の手を取りました。


『もう会えないかと思ったのよ』

『すまない。だけど明林、これからもずっと一緒だ』

『何を言っているの? わたくしはもう嫁ぐというのに』

『俺もついていく。明林の嫁ぎ先についていって、ずっと明林を支えるよ』

『そんなこと、できるわけ……』


 できるわけないのです。侍女がついていくのは普通のことですけれど、男の従者は共に行けません。そんなことは彼だってわかり切っているはずなのに。

 そう思って彼を見上げると、彼はわたくしを慈しむように微笑みました。


 彼は宦官になって戻ってきたのです。

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