47.処遇
「では、この後宮の主である皇后に相談だ」
「なんでしょうか」
「皇太后と昭媛の処遇についてだ。後宮の女性に関する権限は皇后にあるので、基本的には皇后の決定に従いたいとは思う。だが、皇帝の母だからな。相談させてもらいたい」
皇后が後宮の主であると主張したからか、玉祥は皇后として尊重するように、丁寧に語った。嬉しいような、くすぐったいような、それでいて背筋が伸びるような気持ちになる。
「まず昭媛だが、皇后ならばどういう処罰を下す?」
「昭媛は徳妃と陛下の子を害そうとしました。これは極刑に値します」
きっぱりと言い切ると、玉祥が目を見張った。珠蘭がいきなり重い刑を課すとは思わなかったのだろう。だけど、皇后とはそういう職だ。
「お前がそんなにはっきりと判断を下すとは思わなかった」
「昭媛が惜しくなりましたか?」
「いや、それはないが」
「ではすぐに刑を執行しましょう」
微笑みながらそう言うと、玉祥はさらに目を見張った。
「……とわたくしが言ったら、陛下はどうなさいますか?」
昭媛があんな性格で、嫌だから、憎いから、重い刑を課すという話ではない。重い刑を課すことに罪悪感を覚えないわけでもない。
たとえ相手が徳妃や雲英や明明のように珠蘭と親しい間柄であったとしても、もし罪に手を染めていたのなら厳しく罰しなければならない。
それが皇后の務め。
珠蘭は、その覚悟があるということだけは伝えたかった。
玉祥はそんな珠蘭を見つめ、そして一度小さく頷いた。
「皇后の判断に従おう」
今度は珠蘭が目を見張る番だった。
玉祥は皇后としての珠蘭を尊重するように見せるだけでなく、実際に任せようとしてくれている。今はそれがわかっただけで充分だ。
「ではそのようにしましょう、と言いたいところですが、今回はそうもいきませんね」
もし昭媛が毒を盛った相手が皇后か皇帝の子であったら、珠蘭は迷わずに昭媛を極刑にした。だけど、毒を盛った相手は徳妃と生まれていない子だ。もちろん妃嬪を害することも罪ではあるが、残念なことに、後宮では命の重さは平等ではない。唯一である皇后と違い、妃嬪は替えがきく。まだ生まれていない子は一人とは数えられない。
「下女ならすぐに始末されていたでしょうね」
下女が妃嬪に毒を盛ったとなれば問答無用で処罰される。だけど今回に関しては、昭媛もまた妃嬪の一人だ。
「もし徳妃が害されていたら、もしくは御子が流れるようなことがあれば、わたくしは昭媛を極刑にしたでしょう。ですが、幸いにも徳妃と子は無事でした。皇太后さまからの差し金であったことも考えて、身分剥奪の上、追放でいかがでしょうか?」
皇太后の処遇を決めるのはこれからだが、皇帝の実母という立場の者を極刑にはできない。皇太后の罪をすべて明らかにすることはないだろうが、罪が多いはずの皇太后は極刑にならず、皇太后の指示に従った昭媛だけを極刑にするのはいささか不公平すぎる。身分とはそういうものであるのだが。
珠蘭としては、譲歩できる最大限のところを示したつもりだったが、皇帝からの返事は「それはちょっとまずい」だった。
「何か問題がありましたか?」
「昭媛とは誓って何もないが、宮に通った記録だけはある。外に出して後に、皇帝の子を産んだ、などと騒がれることがあってはやっかいだ」
「そうでしたね。失念しておりました。では後宮で下女として働いてもらいましょう。それでどうですか?」
玉祥が頷いたことで昭媛の処遇は決まった。
蝶よ花よと育てられたあの性格の昭媛だ。下女にされるのは死ぬより辛いかもしれない。
「次に母上なのだが」
玉祥は厳しい顔をしている。多数の罪を犯し、断罪することにしたとはいえ、皇太后は玉祥の母だ。複雑な思いもあるだろう。
それと同時に、複雑な事情もある。
この国には孝という考えがある。たとえ皇帝であろうと、いやむしろ皇帝だからこそ、その孝を守れなければ名声に傷がつく。ただでさえ安定したとは言い切れない朝廷をこれ以上ぐらつかせるのは避けたい。
それから、この国には連座という考えもある。家長が罪を犯した場合、一家でそれを償う。また家長ではない家族の一人が罪を犯した場合、それを止められなかった家族にも罪があると考えられる。そうなれば玉祥にも罪があることになってしまう。
「罪の大きさを考えると極刑かそれ以上が妥当なのは分かっているのだが……」
「それはできないですよね」
「後宮に関しては皇后の決定に従うと言っておいてすまないが、ここは幽閉に留めてほしいと思っている」
玉祥はなるべく感情を乗せず、淡々と告げた。
珠蘭もそれに異論はない。
「後宮から出して寺へ送ることも考えたが、外で李派の者たちと会われては困る。表向きは療養として、外部と接触することがないように監視をつけ、宮に幽閉としたい」
「それでいいとわたくしも思います。陛下が大丈夫であれば、それで進めますね」
了承の意を伝えると、玉祥はこわばっていた表情を綻ばせた。ホッとしたような、やるせないような、そんな顔だ。たぶん一番辛いのは玉祥だろう。
「すまないな」
「陛下が謝ることなど、ひとつもございません」
「お前も毒を盛られただろう? それで死にかけたこともある。それをなかったことにしろと言っているのと同じだぞ?」
「そうですけれど、そのおかげでわたくしが今のわたくしになりました。もしかしたら、感謝しているくらいかもしれませんよ?」
玉祥はふっと笑うと、「お前にはかなわん」と呟いた。
軟禁状態を解かれた珠蘭には、やることが山ほどある。軽く現実逃避したくなるほどだ。
皇太后と昭媛の処遇が決まった後、玉祥は一杯だけ茶を飲み、厳しい顔つきで皇太后の宮へ向かった。珠蘭が行こうかと言ったが、決着は自分がつけるべきだと玉祥は譲らなかった。
珠蘭も皇后の仕事をこなさなければならない。
まずは貴妃の宮へ行って説明し、軟禁状態を解いた。
次に昭媛だ。予想はしていたが、これはなかなか大変だった。
処遇を告げると昭媛は宮で大暴れし、手元にあった椅子を珠蘭に投げつけたため、ひとまず後宮内の牢に入ることになった。牢での態度が落ち着けば下女として仕事につくことになるが、しばらくは監視下に置かれた状態での労働となるだろう。
(こんな人に入ってこられても、下女だって困るもんなぁ)
かつて下女だった頃、ご令嬢だったらしき人が身分を剥奪されて共に働くようになる、ということが何度かあった。元ご令嬢にもいろいろなタイプがいて、状況を受け入れて馴染めるように努力する人もいれば、なんでわたくしがこんなことをしなきゃいけないのよ、と威張り散らす人もいた。
昭媛は後者だろう。こういう人は、いつの間にかいなくなる。
当時はそんな人達がどこへ行ったのか知らなかった。元の境遇に戻れたのかね? なんて仲間と話していたくらいだ。皇后になってから知ったことによれば、大抵の場合はもうこの世にいないらしい。
(昭媛がそうならないといいけれど)
それは昭媛次第。
徳妃の宮へ行くことができたのは、三日後のことだった。この騒ぎで朝の会も開催されていないので、毒を飲んでから初めて会うことになる。
珠蘭が宮へ着くと、徳妃が大きくなったお腹をさすりながら出迎えてくれた。
「皇后さまにご挨拶を。わたくしが伺うべきところ、いらしていただいて恐縮ですわ。ひとまず中へどうぞ」
徳妃は拍子抜けするくらい元気だった。そう振舞っているところはあるかもしれないが、少なくとも顔色は悪くない。
「体調は悪くなさそうですね。大丈夫かしら?」
「えぇ、おかげ様で何ともありませんわ」
なにがおかげ様だ。
もちろん具合が悪いことを望んではいない。だけど、心配したのを返してほしいと思ってしまうくらいだ。
通された部屋は徳妃が毒を飲んだ日、お茶会をした部屋だ。その時は貴妃と徳妃の子供たちが遊んでいたが、今日は子供たちは別室にいるらしい。
「徳妃、わたくし怒っているのですよ」
「無理もないことですわ。皇后さまになにも相談せず、皇后さまを貶めるようなことをしたのですもの」
徳妃はまったく後悔していないといった口ぶりで話しながら、彼女の首席宦官からお茶を受け取った。それに少し違和感を覚える。通常は侍女がお茶を出す。宦官から飲食物を受け取ることはほとんどない。
珠蘭の目線を見たのだろう、徳妃はチラッと宦官を見てからお茶を机に置いた。
「彼は毒に詳しいのです。毒見係と彼が確認してからわたくしが口にするようにしているのですよ」
「なるほど」
珠蘭は宦官を見ると、わざと皇后としての圧力を感じさせるような声色で話しかけた。
「大変なお役目でしょうけれど、これからも二度と徳妃が毒を口にしないように、よく確認なさい」
二度と、を強調して言う。
宦官は少し目を見張り、それから微笑んで恭しく首を垂れた。
それを見た徳妃はクスッと笑う。
「徳妃、笑っている場合ではございませんよ。わたくし怒っていると言ったでしょう?」
「皇后さまには申し訳なく思っていますけれど、わたくし、後悔はしていないのです。陛下のお役に立てましたから」
「後悔してくれなくちゃ困りますよ。陛下だって、飲まなくていいと言ったのでしょう? お腹に子がいるのですよ。子の前に、徳妃に何かあったらどうするのです?」
徳妃は顔をあげると目を瞬かせた。
「皇后さまは陛下と同じことをおっしゃるのですね」
「同じ?」
珠蘭は思わずきょとんと徳妃を見た。怒っているように見せていたはずだったのに、表情が崩れてしまった。いかんいかんと思い直す。
昨日の昼に、玉祥は徳妃の宮を訪れている。その後で珠蘭の宮を訪れ、徳妃に進捗を報告してきたと言っていた。珠蘭のところでも必要な報告だけして戻っていった。皇太后幽閉により、朝廷のほうもごたついていて忙しいらしい。
「陛下もお腹の子だけでなくわたくしの身を案じてくださったのですよ。妃嬪などいくらでも替えがきくというのに、ありがたいことですわね」
それからフフフと笑って「お二人はそっくりですわ」と呟いた。
なにがそっくりなのだ。
「とにかく、次にこのようなことがもしあれば、わたくしに相談してください。本来そのような役目をするのはわたくしでしょう」
「嫌ですわ」
必要であれば毒を飲むのは珠蘭だと言えば、徳妃は間髪入れずに拒否した。上の身分の者からの言葉をこうもあっさりきっぱり断るとは。珠蘭は命令したつもりはなかったが、それでも少し驚いた。
「わたくしは陛下にも皇后さまにも傷ついてほしくありませんの」
「わたくしも、ですか?」
「えぇ、皇后さまも。当然でございましょう」
「それならわたくしも、徳妃に傷ついてほしくないのですけれど?」
言い返して睨んだら、徳妃はただふんわりと笑った。
なんだろう、この暖簾に腕押し感。しばらく睨んでみたが、勝てる気がしなくて諦めた。駄目だ、経験値が違う。
皇帝に傷ついてほしくないというのはわかるが、なぜ珠蘭もなのだろう。徳妃とは共に後宮を恙なく運営するために、上手くやれていると思っている。珠蘭の方が位は上だが、先輩の妃嬪として尊敬もしている。最近では徳妃を頼りがいのある姉のような存在であり、仲間だとも思っている。
だけど、この後宮の中では、皇帝の寵愛を競うライバルでもあるはずだ。今の状況で珠蘭がいなくなれば、おそらく徳妃は皇后の座につくだろう。徳妃にとって珠蘭は邪魔な存在に違いない。
徳妃は妃嬪の中で一番先に玉祥に嫁いでいる。玉祥が皇太子になる前の話だ。一番長く玉祥に仕えている上に皇子の母である。皇后に相応しい条件を揃えながら、珠蘭にその座を軽々と奪われた。憎く思って当然だ。
それなのに、徳妃はいつでも珠蘭を立てる姿勢を崩さない。皇帝が珠蘭の宮に通っても嫌な顔一つしないばかりか、早く子を、と言ってくる次第だ。
最初はきっとお世辞であり社交辞令なのだろうと思っていた。口ではそう言いつつ、心の中では何を思っているかわからないと。
だけど、そう見えなかった。いつでも本気で言っているように感じた。
「徳妃はどうしてわたくしにも尽くそうとしてくれるのですか? ずっと不思議だったのですよ。なぜ徳妃はわたくしを疎まないのだろうかと。徳妃にとってはわたくしがいないほうが都合がいいでしょう?」
実際に李婕妤は珠蘭を排除する方向で動いた。
動くまではしないとしても、珠蘭の存在を快く思わないほうが普通の感情だと思う。
そう聞けば徳妃はおっとりと首を傾げ、それから微笑んだ。
「簡単なことですわ。わたくは陛下の忠実な臣下ですもの」
「臣下?」
妃嬪も臣下だといえばその通りだけれど、他の妃嬪が自分の事を臣下だと言ったのは聞いたことがない。だからなんとなく聞き返してしまった。
皇后は皇帝と並ぶ存在であるから、臣下ではない。徳妃は忠実な臣下だと言った。それはつまり、皇后になるつもりはないと宣言しているということだろうか。
「えぇ、臣下です」
徳妃は部屋をチラッと見回し、人払いをした。どうしたのだろうかと思いつつも珠蘭もそれに倣って側仕えを下がらせると、徳妃はなぜか苦笑した。
「そんなに簡単に側近を下げてしまって。わたくしが皇后さまを害するかもしれないとは考えないのですか?」
「考えませんよ。害そうとするならば、徳妃にはその機会がいくらでもあったでしょう?」
「相変わらず陛下と同じで人が良いですね。それでは狙われてしまいますわよ」
徳妃はふふっと笑いながら一度目を伏せ、それからゆっくりと顔を上げた。
「皇后さまになら、お話しても良さそうです。少し、わたくしの昔話に付き合ってくださいますか?」
誤字報告ありがとうございます。




