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45.不安

「皇后さまが身ごもった徳妃さまに毒を盛ったらしい」

「皇后さまは寵愛を失ったらしい」

「最近陛下が寵愛されているのは昭媛さまらしい」


 そんな噂が瞬く間に広がった、というところまでは聞いている。

 後宮は噂が好きである。女性たちの伝達能力はまるで風のよう。すごい早さで隅々まで行き渡ったらしい。


 そんな伝言ゲームは尾ひれはひれがついて、大抵の場合どんどんひどいことになっていくのだが。




 噂が広がっているという話以降情報が入ることなく、珠蘭たちが宮に軟禁状態になってさらに三日。もう騒ぎがあってから八日が経過しているというのに、長明宮には情報もなければ誰の訪れもない。


 珠蘭は玉祥を信頼している。信じてもいる。だけど、さすがにここまで何の音沙汰もないと少し不安になってきた。


 徳妃とお腹の子は無事だろうか。

 順調に回復していると聞いたが、その後どうなっただろう。騒がれていないということは無事だと信じたい。


 それから、玉祥があの昭媛を寵愛するなんて思っていない。だけど、昭媛の宮へ通っていたのは事実だ。もしかしたら宮の中で何かあったのかもしれない。例えば、二人になってみたら良い雰囲気になったとか、色仕掛けが成功したとか……。


 そんなことで玉祥が昭媛に傾くとは思っていないはずだったのに、どうしてそんな考えが浮かんでしまうのだろう。


『ここで弁解を聞く気はない。下がれ』


 そう言われたときの、皇帝の鋭い視線が刺さる。

 もしかしたら、珠蘭が毒を盛ったと信じたのかもしれない。

 もしかしたら、そんな珠蘭の事を憎んだかもしれない。

 もしかしたら……。


「明明、わたしくしはこのまま徳妃を害した罪人になるのかしら?」

「何を言っているのですか。そんなわけないじゃないですか」


 そんなわけないと珠蘭も信じている。だって、毒など盛ってない。

 だけど、もし罪人とされたらどうなるのだろう。


 珠蘭は隣国の公主なので、この国の後宮にいるのは両国の友好のためだ。もっと言えば人質的な意味合いもある。だからいきなり処刑とはならない気はするが、表向き病死とすることならできるかもしれない。


 もしくは皇后位から落とされるか、それともこのままの位を保ちつつ幽閉か。


「どうなるにしても、もう陛下にはお会いできないわね」

「えっ?」

「もし罪人と認められてしまったら、の話よ。陛下が罪人に会うことはないでしょう?」


 玉祥は怒るだろうか。失望するだろうか。それとも、優しい玉祥のことだ、それでも気遣うかもしれない。

 だけど、どうしたって今のように会うことはできなくなる。罪人の元へ玉祥が通うわけにはいかないし、こちらから会いに行ける人でもない。


 うぬぼれかもしれないけれど、この一年強で少しは皇后らしくあれるようになってきたと思っている。皇帝の隣で、わずかでも皇帝の支えになれたらいいと思う。


 でも、それも叶わなくなる。


「ははーん、娘娘、さては陛下にお会いできないのが寂しいのですね?」

「えっ?」

「だって、今、娘娘は陛下の事ばかり考えているのでしょう? わかりますよ、もうしばらく陛下にお会いしていないですものね。寂しいですよね。会いたいのですよね」

「そんなこと……」


 ないだろうか。

 実際に今、会えなくなることが辛いと思っていた。


 珠蘭は皇后なのだから、まず第一に宮の者や後宮に暮らす女性たち、皇后が機能しなくなった時のことを考えなければいけないはずなのに、浮かんできたのは玉祥のことばかりだ。


「……あるわ」

「あら、どうしたんですか? えらく素直ですね」

「わたくしがいつも素直じゃないみたいに言わないでくれる?」

「娘娘はご自身が素直だと思っていたのですか」

「わたくし、皇后失格だわ」

「急に話が重くなりましたけど、大丈夫ですか?」


 そうだ、まずは皇后の仕事だ。

 もし皇后をやめなければならなくなったとき、後宮の女性たちが困らないようにしなければならない。とりあえず、やらねばならないことをまとめておこう。


 誰に引き渡したらいいだろうか。

 最有力候補の徳妃は毒を受けた妊婦。貴妃は幼すぎる。昭媛、無理。修儀と充儀? 少しなら任せられるだろうか。


「どうしよう、全然大丈夫じゃないわ」

「なんだか罪人になる前提で考えているみたいですけれど、そうはならないと思いますよ?」

「明明、あっちの書類出してきてくれる? 見直すわ」

「私の話、聞いてました?」



 それから二日、徳妃が毒に倒れてから十日がたった。未だ情報も誰の訪れもないまま、珠蘭は皇后の仕事をまとめていた。そして頭を抱えていた。


「引き渡せる人がいない」

「だから、引き渡さなければいいではありませんか」

「明明、とりあえず、畑行くよ」

「はい? ちょっと繋がりがわからないんですけど」

「頭が動かないときは身体を動かすって決まってる。それに、瓜は大きくなりすぎると美味しくない」

「瓜……」


 珠蘭は良い感じにボロくなった宮女服に着替えると、宮内の畑に立った。宮を出るなとは言われているが、宮の中ならば問題ない。明明と一緒に実った野菜を収穫して、雑草を抜いた。そうしているとなぜか気分が上向いてくるのだから、作物って不思議だ。


 ついでにこれから植える予定のところも耕しておこうか。先日収穫を終えた空地がある。鍬に持ち替えてザック、ザックと鍬を落とす。ちょっと土が固まって力がいる。


「よいしょぉ」

「それ、淑女らしくないです。気品溢れる感じでお願いします」


 気品溢れる鍬使いって、どうやったらいいんだ?

 ずいぶんと難しい注文である。珠蘭はちょっと考えたけれど、早々に諦めた。


「誰も聞いてないからいいでしょ。それ、よいしょぉ。もう一度、よい……?」


 鍬を振り上げた瞬間。

 誰もいないはずのところで目が合った。そのままの体勢で固まる。

 相手はわずかに口元を緩めたように見えた。


「この光景、見覚えがあるな」

「陛、下……?」

「元気そうでなによりだ。とりあえず、それを下ろせ」


 皇帝に向かって鍬を振り上げる事件、二回目発生。一回目にひどく驚いた皇帝は、今回はとても落ち着いていた。

 後ろについている雲英が、すごく、ものすごく大きい溜息をついた。




 室内に戻り、珠蘭は着替える為に私室に下がった。玉祥が着替えるように言ったからだ。


「そのままでも構わないと言いたいところだが、後宮の主である皇后への報告でもあるので簡単でいいから整えろ」


 そう言った皇帝は珠蘭の知る玉祥で、徳妃の宮の前で見た冷たい視線をした皇帝とは別の人物のようだった。

 明明に手早く着付けられながら、そう思う。


「陛下、お待たせして申し訳ございません」

「良い。それより、これは何だ?」


 礼を取ると、それを気にせず玉祥は書物を前に出した。珠蘭がまとめていたものだ。皇帝が来るという先触れもなかったので、広げたままだったらしい。


「わたくしが皇后でなくなったとき、困ることがないように書き記しておいたものです」

「はぁ、なぜそうなる」

「なぜって、わたくしは徳妃に毒を盛った罪人として処罰される可能性があるのですよね。もしそうなってしまっても後宮が恙なく運営されるようにするのが、皇后の務めではございませんか」


 玉祥になぜそうなると言われるとは思わなかった。後宮がガタついたら皇帝だって困るだろうに。

 玉祥の眉間にぐぐっと皺が寄った。どうやら望んでいた答えではなかったらしい。


「お前が徳妃に毒を盛ったのか? 罪人だという自覚があるとでもいうのか?」

「いいえ、断じてそのようなことはございません」


 玉祥が睨んできたので、珠蘭はまっすぐに見返した。徳妃に毒を盛るなどあるはずがない。罪人として処罰される可能性があるのは承知しているが、罪人ではない。その自信はあるので、目を逸らすわけにはいかない。


 しらばく睨み合った後、玉祥は珠蘭に「とりあえず座れ」と言った。立っている珠蘭と座った玉祥では珠蘭の方が目線が高い。皇帝を見下ろすような姿勢になんとなく居心地の悪さを感じていたので、言われるがままにすぐに座った。


 玉祥は机を指でトントンと叩いている。あまり機嫌がよくない証拠だ。


「余は今、猛烈に複雑な気分だ」


 眉間には皺が寄ったままだ。動作と言葉が合っていなくて、珠蘭は思わずきょとんとしてしまった。


「なんですかそれは」

「お前を褒めるべきか、怒るべきか、決めかねている」

「それならば、どちらもおっしゃってください」

「どちらから聞きたい?」


 温厚な玉祥が怒るというのだから、あまり良い事ではないに違いない。それならば、先に褒められておいた方がダメージは少ないかもしれない。


「では、褒めるほうで」

「皇后でなくなった時のことまで考え、後宮に混乱が少ないようにまとめるとは、皇后の職務に忠実だな。後宮の主として実に頼もしく感じる」


 これは褒められたのだろうか。内容は褒められているようにも思うが、どちらかというと怒っているような口調だからか、全くそのように感じない。


「お褒め頂き光栄です。では、お怒りのこととはなんでしょうか?」


 おずおずと問いかければ、玉祥は拳を握って珠蘭を睨んできた。これはたしかにお怒りのようだ。ススッと珠蘭が体を引けば、ずずず、と玉祥が前のめりになってくる。


「皇后でなくなったときのことをよく考えているようだが、お前は余が皇后を廃すると思ったのか? 徳妃にお前が毒を盛ったと、本気で俺がそう思ったとでも?」

「その可能性はあるかなと」

「言っておくが、俺はお前が毒を盛るなど少しも考えていなかった。当然皇后を廃するなど全く考えていなかった。お前は俺を信じていなかったのか?」


 珠蘭は目を丸くした。玉祥は変わらず珠蘭を睨んでいるが、怖いという感情はなかった。


(なんだ、陛下はわたしを信じてくれていたんだ)


 むしろ安心感が溢れてくる。

 そして安心したからだろうか、それと同時に憤る気持ちも出てきた。


 信じていた。信じていたとも。それでも不安になるくらいに、何も情報を渡さず宮からも出さず、冷たい態度を取ったのは玉祥ではないか。そもそも皇后が毒を盛った可能性がある、と言ったのも玉祥だ。


 そう言いたくなるのを堪えて玉祥の瞳を覗き込むと、怒りの他に少しの悲しさも見える気がした。玉祥が珠蘭を信じていたように、玉祥も珠蘭が当然信じているものと思っていたのかもしれない。


(信じ切れていなかったのかな)


「もしかして、昭媛が寵姫だという噂も信じたのか?」

「信じていませんよ」

「少しも?」

「……」


 そっと目を逸らすと、はぁぁぁとすごく長い溜息が聞こえてきた。


「お前、昭媛だぞ? 俺は……」

「陛下」


 態度を崩して感情を出し続ける玉祥に、全忠がそっと嗜めるように声を掛けた。この部屋にはお互いの信頼できる側近しかいないが、人払いをしているわけではない。


「皇后さまは状況が分かっていないのですから、まずは報告なさってはいかがですか?」


 玉祥は「そうだな」と呟くと、姿勢を正した。

 珠蘭もそれに倣って背筋を伸ばす。


「報告しよう」

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