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4.朝の会

 下女であった(よう)が皇后珠蘭(じゅらん)として生きるようになって一月ほど。

 本調子ではなかった身体はほぼ癒えた。そうなれば、今までのように宮に閉じこもっているわけにはいかない。


 外に出るにあたって、雲英(うんえい)はとても苦労した。珠蘭の所作は洗練されていたが、ところどころでどうしても葉、いわゆる下女らしさが出てしまうのだ。


「まぁ……、なんとかなるでしょう」


 まぁ、の後の長い沈黙が気になるところではあるが、そう雲英の評価を得た珠蘭は、後宮の朝の会に参加することになった。一月以上休んでいたので、久しぶりである。



 後宮の朝は、本来そんなに早くない。なぜなら後宮とはそもそも、皇帝を夜に迎える場所だからだ。


 実際はそんなことを言っていられるのは妃嬪(ひひん)、せめて侍妾(じしょう)くらいの階級までであって、女官は仕える主が動き出す前に準備が必要だったし、下女に至っては日の出と共に動き始めるのが普通だったので葉の朝は早かった。だから葉が珠蘭となってからもその習慣が抜けず、珠蘭だけは朝が早い。


 ともかく、一般的に妃嬪の朝は早くないので、朝の会といっても午前中のずいぶんゆっくりとした時間に行われる。


 髪を結われて着付けされ、化粧をして会場へ向かう。髪は重いし衣装も重い。動きにくいったらない。そう愚痴を零してみても、皇后の品格がどうのこうのらしい。そんなものいらない、と珠蘭は少し思っていたようだが、葉は激しくそう思う。


 会場に入り一段高いところに設置された豪奢な椅子に腰を掛けると、四人の妃嬪が立ち上がった。


「皇后さまにご挨拶を」

「楽になさい」


 まずはお決まりの言葉が終わると、優雅に腰を下ろす。それからは連絡があればする、なければ雑談をして終了だ。これを毎日やる必要があるのだろうかと疑問だけれど、そういう習慣なので仕方がない。


 

 皇帝の妻妾には明確な序列があり、皇后、四夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻の順である。数字の数だけ定員があるが、そこまでならいてもいいというだけであって、さすがに全部が埋まっているわけではない。その階級ごとにさらに細かい序列もあって、非常にややこしい。


 皇后、四夫人、九嬪までがこの朝礼に参加することになっている。それ以下の序列の侍妾は参加しない。なので、現在の参加者は皇后、四夫人の二人、九嬪の二人の合計五人だ。

 なお、それぞれ侍女を連れているが、それは参加者の数には含まれない。



 今日は復帰一日目なので、まずは元気な顔を見せつつ一言挨拶せよ、と雲英から言いつかっている。ぐるりと一周優雅に見回して、ゆっくりと口を開いた。


「わたくしが不在の間、迷惑をかけましたね。皆は息災でしたか?」

「問題ございません」


 微笑みかけてみれば、それに負けない微笑みが返ってきた。側室の中で最も高位である四夫人のひとつ、淑妃(しゅくひ)の位にいる華やかな美人だ。彼女は二十三歳で長女と皇二子の生母だ。元がはっきりした顔立ちなのだから、そんなに化粧をしなければいいのに、と思わなくもない。

 ついでに、女でさえもついチラッと目線が下がってしまうような、立派なものをお持ちだ。


(胸、でかいなー)


 チラッとじゃなく、凝視した。下女時代は共同風呂(というより水浴び場)だったけれど、あんなに立派なものを持つ人を見たことがない。


(やっぱり養分の違いかしらね)


 おばちゃん丸出しの感想を抱いていると、淑妃の眉間に薄く皺が寄った。慌てて目線を逸らす。


「体調が戻られたようで、お喜び申し上げますわ」


 これほど良い笑顔で全く笑っていない目ができるというのは、逆にすごいと感心さえする。後宮に生きる女としては、見習うべきところなのかもしれない。


「淑妃にはわたくしがいない間この会を取り仕切ってもらい、助かりました」

「当然の勤めでございますわ」


 まるで「戻ってこなければよかったのに」とでもいうように、ツンと上を向いた。


「心配していたのですよ。回復なさったようでよかったです。やはり皇后さまのいらっしゃらない朝の会は寂しいものですもの。ねぇ、妹妹(まいまい)?」


 四夫人の座につくもう一人、徳妃(とくひ)が微笑みながら問いかけると、九嬪の二人が「えぇ」「本当に」などと同調しながら頷いた。徳妃は淑妃とは違って、本当に喜んでいるように見える。


 徳妃は二十五歳で、皇一子と皇三子の生母。おしとやかな美人さんだ。感情を隠すことに長けているようで、本心がいつも見えない。

 ついでにこちらも立派なものをお持ちだ。


(妃嬪には大きさの基準があるんだろうか?)


 さりげなく目線を下げて自分の胸を確認する。うん、二人ほどではないがそれなりに、その、肩が凝りすぎない程度の、良いサイズだ。好みはあるかもしれないが、基準はきっとない。


 ちなみに、妃嬪の間では仲がよければお互いを「お姉様」「妹妹」と呼ぶ習慣がある。もちろん、実際に姉、妹なわけではない。

 珠蘭は淑妃と徳妃から普通に「皇后さま」と呼ばれている。彼女たちからしたら珠蘭は位は上だが十八歳で年下なので、姉とも妹とも言い難いからである。

 単に呼びたくないから、というだけの理由である気もするが。


「心配をかけました。おかげ様でまたこちらにこられるようになりました。今後ともよろしく頼みますね」


 なんの「おかげ様」なのだろうか、なんて思いながら、笑顔を貼り付ける。



 これだけのやりとりからもわかるように、皇后は淑妃にわかりやすく疎まれている。徳妃からも、おそらく疎まれている。それには単純明快、かどうかはわからないが、それなりの理由がある。


 二人は皇帝が即位前、皇太子時代に側室として嫁いだ。その頃には正室の皇太子妃がいたが、彼女は夫が皇帝として即位する前に亡くなってしまった。そうなれば当然二人のうちのどちらかが正室に繰り上がり、皇后になると思うだろう。


 しかし、皇帝は二人から皇后を選ばず、隣国の公主(こうしゅ)であった珠蘭を皇后に迎えた。


 自分が皇后になると思っていたのに、いきなりやってきた隣国の公主にその座を奪われたのだから、当然良い気はしない。特に皇后筆頭候補と自他共に思われていた淑妃は、相当荒れたらしい。


 ちなみに淑妃と徳妃は実家の派閥が対立関係にあるため、あまり仲が良くない。ついでにいうと、後宮全体が大きく淑妃の派閥と徳妃の派閥で分かれているので、隣国から来た珠蘭は頂点にいながら孤立している。



 そんなことを表に出さずに(一部は出している人もいるが)ウフフオホホと微笑むのが後宮である。


 珠蘭は優雅にお茶を一口含んだ。決まりではないが、皇后がお茶を飲むと雑談が始まる。


「そういえば皆さま、聞きました? 泰寧宮(たいねいきゅう)に幽霊が出るんですって」

「幽霊?」

「そうなのですよ。なんでも、夜になると誰もいないはずの宮から女の声が聞こえてくるんですって」

「嫌だわ、徳妃。最近、宣寿宮(せんじゅきゅう)でも似たような噂があったではないの」


 泰寧宮、宣寿宮はどちらも今は主がおらず、使われていない宮だ。昼には最低限の掃除に下女が入ることもあるが、夜は無人のはずである。


「亡くなられた昔の妃嬪の霊が出るんじゃないかって話ですわよ」

「わたくしが聞いた噂では、自害した女官だとか。宦官の声が聞こえたという話も聞きました」

「それは警備していた宦官ではなくて?」

「呻くような声だったとか」

「いやだ、怖いですわ、お姉様」

「先日昼に通った時はなんともなかったように見えましたけれど」


 一度話題が出ると止まらない。


「本当に幽霊ならば、昼なら出ないのではありませんか?」

「宣寿宮とまとめて祈祷してもらったらどうかしら? 宣寿宮もまだたまに出るって噂よ」

「それがいいかもしれませんわね」


(あー、それは……)


 珠蘭、いや、葉にはなんとなく思い浮かぶことがあった。


「皇后さまはどう思われます?」

「祈祷の前に、わたくしが後日調べに参りましょう」

「えっ? 皇后さま自らですか? 申し訳ございません、わたくし、皇后さまのお手をわずらわせるつもりではなかったのです」


 申し訳なさそうに目を伏せる徳妃と、逆にやれるものならやってみろと言わんばかりの鋭い視線を向けてくる淑妃。


 珠蘭は大事(おおごと)にしたくなかった。なんとかして自分が調べを進められるように、言葉を探した。


「後宮はわたくしの管轄ですもの。主として調べなければなりません」


 結果、淑妃により睨まれた。

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