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33.決着

 皇帝が淑妃の宮を訪れた翌日。

 陽秀宮に呼び出された珠蘭は、江林県で起こった事の流れを聞いていた。部屋には皇帝に近しい側近と雲英だけが残っている。


「やはり、淑妃でしたか」

「知っていたのか?」

「いいえ。でもそうではないかと思っていました。証拠を握っているわけではありませんので、あくまで、思っていた、程度の話です」

「そう思っていながら調べなかったのは、あえてか?」


 珠蘭は微笑んで何も答えない。その通りだったからだ。

 淑妃は皇帝の子を産み、皇后よりも長く皇帝に仕えてきた妃だ。珠蘭でさえも淑妃が皇帝に忠実であったことを知っているのだから、皇帝はそれを充分に感じていることだろう。


 皇后との間の感情がどうであれ、淑妃は皇后を害することがあったとしても、皇帝を害することは考えられない。それならば、皇帝にとってはこのまま何も変えないほうがいいのではないかと思ったのだ。


「陛下は調べを続けていたのですね」

「余は指示を出して報告を聞いただけだ。そうでなければよいと思ったが、残念であった」


 皇帝は無念そうに目を伏せ、溜息を吐く。それから珠蘭に向き直った。


「皇后に頼みがある。被害を受けた皇后には悪いと思うが、淑妃の処分は降格に留めてもらえないだろうか」

「え?」

「淑妃から婕妤(しょうよ)への降格、及び、余は子には会いに行くが彼女の元へは通わない。その処分で許してもらえないか?」


 婕妤といえば、四夫人、九嬪に次ぐ二十七世婦の位の一つだ。皇后を除き妃嬪の最高位である四夫人の地位とは明らかな差があり、側室ではなく妾、妃嬪ではなく侍妾、そして妃嬪の朝の会にも参加できない身分である。


「厳罰が適切なことはわかっているが、淑妃はこれまで忠実に余に仕えてくれた。なにより、この件を大々的に知らせたくない」


 もし淑妃に厳罰を与えるとすれば、この件を公にする必要がある。そうなれば被害者であり未遂であったにしても、珠蘭の貞操にも傷がつく。皇帝はそれも懸念していた。


「やはり降格だけでは甘すぎるか?」


 皇帝が命令すればそれは決定なのだが、一応後宮の主は皇后だ。だから、淑妃の処分は表向き皇后が下すことになっている。


 珠蘭はきょとんと皇帝を見上げた。

 珠蘭は政治のことを詳しくは知らないが、淑妃を降格させれば朝廷の均衡が崩れる恐れもある。大変なのではないだろうか。


「よろしいのですか? わたくしはてっきり処分はなしで今まで通りに、と言われると思っておりました。それでもいいのですよ?」


 今度は皇帝がきょとんと珠蘭を見た。


「いや、さすがにそれは駄目だろう。淑妃も覚悟していたようで、余が話をしたら毒をくれと言われた」

「毒!」


 まさかの単語に目が丸くなる。

 毒って、毒か? 長期的に接種するタイプじゃなくて、一発即死のやつか?


「皇后もそこまでは望まないだろうと断ったが」

「当然ですよ! 毒って、毒って!」


 思わず皇后らしさが抜け落ちた。淑妃の起こしたことは許せることではないが、死んで償え、とまでは思っていない。

 その姿に皇帝が苦笑し、人前であったと珠蘭は取り繕った。


「とにかく、異論がなければその方向で進めてもらいたい」

「陛下がよろしいのであれば、わたくしはそれに従います」


 皇帝は大きく頷くと、人払いをした。なんだろうかと思いつつも珠蘭もそれに倣い、雲英に下がってもらう。皆が出ていった別の扉から、全忠が俯いた一人の青年を連れてきた。宮中の下男の格好をしている。


 下男が皇帝に直々に見えることなどない。這いつくばるように膝も頭も床にべったりとつけ、深く礼をとって縮こまっている。


「面をあげよ」

「……ほら、陛下の命だ。あげよと言われたらあげよ」


 横に控えた全忠に言われ、彼は震えながら上半身を起こした。まっすぐ皇帝を見られないようで、皇帝の足元を凝視している。


「あっ」


 声を上げてしまったのは、見覚えのある顔だったからだ。

 延、と呼ばれていた男。珠蘭を犯すように命じられ、なんとか助けようとしてくれた人だ。


「無事だったのですね。よかった」

「お前が気にしているだろうと思って連れてこさせた。まずはこの者に礼と詫びをしなければな」


 皇帝が下男に礼などありえない。全忠は少し動揺したが、皇帝は軽く手を上げてそれを留めた。


「延と言ったか? 命がけで助けようとしてくれていたと皇后から聞いた。其方でなければ手遅れだったかもしれぬ。皇后を守ってくれたこと、礼を言う。それにも関わらず、あの時余は思い切り殴ってしまった。許せ」


 全忠に小突かれて、延は「とととんでもないことです」と声になっているようななっていないような声を出して、またひれ伏した。


「なんだ、死ぬ覚悟はできていたというのに、余と対峙する覚悟はないのか」

「陛下の前にいきなり出されたら、下男下女なら誰でもそうなりますよ」


 珠蘭はふふっと笑う。

 かつての葉がもし延の立場だったら、間違いなく同じ行動を取っただろう。皇帝を見ちゃいけない、口を開いちゃいけない。

 代わりに全忠が口を開いた。


「この者は非常に頭の回転が早く、仕事ができます。身寄りのない奴婢のようなので、これからこちらで陛下の為に働いてもらうことになったのですよ」

「全忠が気に入っているようなので、くれてやった」

「陛下、その言い方は語弊を招きます」


 焦る全忠を見て皇帝がクッと笑う。延はずっとどうしたらいいかわからないように縮こまっている。

 珠蘭は別の心配が出てきて、「まさか」と呟いた。全忠は宦官だ。その下につくということは。


「宦官にしたわけじゃないぞ。彼はもう杖刑を受けた。軽いものであったから、もう回復しているだろう」

「それならばよかったです」

「それに、宦官にしてお前の近くには置きたくない。ほら、顔を見るたびに思い出しては辛いであろう」


 陛下優しいなぁ、と感動していた珠蘭は、全忠が笑いを噛み殺すような顔をしていたのに気が付いていなかった。




 後日、珠蘭は淑妃の宮を訪れて正式な沙汰を下した。

 表向きの降格の理由は、数年に渡り皇后と徳妃に懐妊を妨げる薬をわたしていたこと。ちなみに徳妃はそれに気が付いており、飲んではいない。


 李淑妃は李婕妤となり、彼女は何も言わずに宮を移った。


 彼女の降格はいろいろな余波を残したものの、この事件はこれで一旦幕を閉じる。



 〇〇〇



 玉祥は自身の宮である陽秀宮で湯を浴び、全忠の用意した新しい衣に袖を通した。淑妃が降格されて以来、皇后の宮以外で後宮へは足が遠のいていたが、ずっとそうしているわけにもいかない。


 すでに李家からは次の娘の入内を迫られている。もしくは今後宮にいる李家ゆかりのご令嬢に手を付けるか、すでに手を付けているところへ頻繁に通うか。

 どれも気が進まない。


「なぁ全忠、なんで後宮なんてものがあるんだ」

「それを私に聞きます?」

「女ばかり大量に集めて侍らせて、楽しいのか?」


 玉祥は女が駄目なわけではない。まだ若い男であるし、そこは普通だと思っている。

 だけど、後宮は政治が絡みすぎる。

 幼いころから女同士の汚い部分をいろいろ見てきたため、女性不信気味ではあった。


 ちなみに後宮がなければ玉祥も生まれていないのだが、それはそれである。


 支度を整えながら全忠をチラッと見る。彼は子を成す義務もなければ、女性問題とは基本的に無縁なはずだ。つい、ポロッと言葉が漏れてしまった。


「お前はいいなぁ」


 ピクリと全忠が動いた。


「陛下、本当にそう思います?」

「あっ」


 全忠は宦官である。玉祥が抱えるような女性問題とはたしかに無縁だが、望んでそうなったわけじゃない。

 玉祥は一瞬で自分の失言を悟った。決して宦官が羨ましいと言ったわけではなかったし、貶めるつもりなんてなかったのだ。本当に、つい、うっかりだ。


「すまん! そんなつもりじゃなかったんだ」

「それ、他の宦官に言っちゃ駄目ですよ」

「俺が悪かった。許せ」


 全忠は素で慌てる玉祥をわざと一睨みして、フッと笑った。


「宦官ごときにも謝っちゃう陛下、好きですよ」

「なんでそんな卑屈な言い方になっちゃうんだ? 俺の失言だ。悪かったって」





「陛下にご挨拶を。寒かったでしょう。中へどうぞ」


 徳妃の宮は柔らかい香りがする。徳妃という立場上それなりの装飾品はあるが、あまり華美ではなく、品よくまとまっている。

 壁には数枚の絵が飾られている。そのうちのいくつかは徳妃が描いたものだ。徳妃が絵を好んでいることは知っているので、玉祥は絵画を贈ろうとしたことがある。良かれと思ったのに、すっぱり断られた。


「陛下に贈られた絵であれば、気に入ってもそうでなかろうとも、飾らなければならないでしょう?」


 だそうだ。それを聞いたときは思わず笑ってしまった。

 それゆえに、徳妃への贈り物は筆や画材が多い。



 男児二人としばらく遊んでやる。玉祥には父である先帝と遊んだ記憶はごくわずかしかない。相手をしてやりたいとも思うが、複雑な気持ちでもある。だいぶ分別のつく年齢になってきたとはいえ、男の子二人はやんちゃで大変だ。壺などの割れ物が飾られていないのは、誤って割ってしまう可能性があるからだそうだ。


 侍女が子二人を伴って出ていくと、部屋が急に静かになった気がした。


「酒を一杯もらいたい」


 徳妃の首席宦官に声をかけると、彼は恭しく礼を取って取りに行った。皇帝の後ろには全忠が控え、それ以外の宦官、侍女は人払いをしている。


 徳妃の宦官が酒の入った瓶を一つと杯を二つ置き、徳妃の後ろに控える。徳妃が瓶から杯に酒を注ぎ、自分の分も入れて一口飲んでみせた。


「淑妃……李婕妤のことは聞いたな?」

「えぇ、皇后さまにうかがいました。大変でしたね。陛下もお辛かったでしょう」


 事件は公にはされていないが、徳妃には話してあった。特別に仲が良かったわけではないが、皇帝を即位前から支える者同士、徳妃にも思う事はあったらしい。


「李婕妤が降格したことで、徳妃にも影響があるだろう。すでに朝廷では余派が動き出している。すまないな」

「それは仕方のないことです。こちらにも、今まで李婕妤についていた侍妾たちが贈り物をもってやってきておりますわ。陛下は朝廷をまとめるのに大変でしょう。うまく立ちまわりますから、こちらのことはどうぞお気になさらず」


 淑妃が降格したことで、徳妃の子が皇太子筆頭候補となった。まだ立太子するつもりはないが、李派に遅れをとっていた余派は今がチャンスとばかりに動き出しているし、李派は焦っている。


「皇后さまのご様子はいかがですか? 朝の会では皇后さまらしく取り繕っていらっしゃいますけれど、大変な思いをされたのでしょう」

「落ち着いてはいるが、あのようなことがあったのだ。男を怖がっている。それに、余は現場を直接見たし皇后を疑ってはいないが、もし今皇后が懐妊すれば、誰の子だという議論になるかもしれないな」

「まぁ、では……」

「しばらくは、そういうことだ」


 徳妃が小さく息を吐く。

 玉祥は酒の入った杯を手に取ると、一口含んだ。徳妃もそれに続く。


「陛下自ら現場に乗り込むなど、なぜそんな無茶をされたのです。怪我がなかったので良かったものを」

「襲われたと聞いて、いてもたってもいられなかったのだ。結果として間に合った。後でいろいろ苦言を呈されたが、後悔はしていないぞ」


 チラッと後ろの全忠を見やる。

 全忠は会話には入らないものの、仕方がありませんね、という顔をした。


「陛下が男を殴って救い出したというのには驚きましたわ」

「余が現場に踏み込んだら、皇后の上に男が乗っていたのだ。それをみてカッと頭に血が上って、気がついた時には殴っていたんだ。その男は……」

「聞いていますわ。皇后さまを助けようとしていたのでしょう? でも陛下が人を殴るなんて、想像もできませんでしたもの。それだけ皇后さまのことを想っていらっしゃるのですね」


 徳妃は一瞬目をキラキラさせたが、玉祥が「ん?」と真顔で首を傾げたのを見て、今度は目を瞬かせた。


「……あら? お気付きでない?」


 全忠が緩く首を横に振っている。

 徳妃は「まぁ、お飲みくださいませ」と杯に酒を追加した。そんなに飲むつもりはないのだが、注がれたので口にもっていく。


「その時の感情はいろいろありすぎて表現できないんだが、自分の女を奪われるのはこういう気持ちなのかと初めて知った。それで、徳妃を思い出した」

「わたくしを?」

「徳妃も……辛かったであろうな」


 もう一口酒を含んだ。そんなに強くない酒のはずがとても辛く感じる。

 苦い顔をする玉祥とは反対に、徳妃は柔らかく微笑む。


「陛下がそのような顔をする必要はございません。お気持ちは嬉しいですが、陛下にもわたくしにもどうしようもなかったことではありませんか。陛下はいろいろと気を回しすぎですよ」


 徳妃はくいっと杯を傾けて、プハッと息をはいた。妃っぽくない仕草は、とても艶めかしい。それから悪戯っぽい顔をした。


「ところで、陛下」

「なんだ?」

「わたくしに、もう一人、子をくださいませんか?」

「徳妃?」


 驚いて徳妃を見ると、目は真剣だ。まだ酔いは回っていないはず。


「本気か?」

「本気ですよ。もう一人、子を産みたく存じます」

「それでいいのか?」

「えぇ。冗談でこのようなことは申しませんわ。大丈夫です。体調を整える薬湯も飲んでおりますし、妃嬪の中では年長ですけれどまだ産めますわ」

「そういう心配はしていない」

「駄目でしょうか?」

「余はかまわないが、それは……」


 徳妃の宦官が「準備をしてまいります」と微笑んで一礼し、出ていく。

 徳妃を見れば、気持ちは揺るがないらしい。

 

「子は多いほうがいいでしょう?」

「それはそうだが……徳妃は強いな。わかった」


 全忠が椅子を引く。

 玉祥は立ち上がると徳妃を連れ、二人で寝室へ向かった。



 徳妃の細い指が玉祥の上衣を脱がせ、丁寧に棚に掛けた。


「いずれ、皇后さまとの御子も期待しておりますよ」

「それはどうだろうな」

「大切になさりたいのはわかりますけれど、それも皇帝と皇后の務めではございませんか」

「それを言ってくれるな」

「皇后さまも陛下を大切に思われているようにわたくしには見えますよ」

「そうだろうか。だいぶ雑に扱われている気がするが」


 呆れた顔をする徳妃に苦笑しながら、玉祥は揺らめく蝋燭の火を吹き消した。

誘拐騒動はこれで一段落。

次は楽しく(?)芋掘りをします。

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