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32.淑妃の供述

「何をおっしゃっているのでしょう?」


 冷静さを装うように、淑妃はコテリと首を傾げた。


「つまり、わたくしが皇后さまを攫わせた。陛下はそう疑っているということですの?」

「残念ながら、そういうことだ」

「本当に、わたくしをお疑いに?」


 皇帝は何も答えず、ただじっと淑妃を見つめている。

 淑妃も皇帝を見つめた。まっすぐに自分を見ている瞳。今この瞬間、皇帝に見えているのは自分だけ。それにも関わらず、こんなに切ないのはどうしてだろう。


 どれくらいそうしていただろうか。先に目を伏せたのは淑妃だった。


「そうなのですね。では、その証拠とやらを教えていただけますか?」


 感情的になることもなく、ただ静かに淑妃は聞いた。

 皇帝も一度目を伏せ、口を開く。


「自害した二人の他に、関わった奴婢を一人捕らえている。この者は詳しくは知らされていないようだが、そこから推察して協力者を捕らえた」

「誰ですの?」

「茶廊の従業員の一人、それから李家の者だ」


 皇后と淑妃が襲われた茶廊で二人を部屋に案内した従業員。彼は二人を部屋から連れ出した賊二人を一時的に匿い、護衛が方々に散ってから逃がした。金品の見返りを得て協力したと話している。


「ちなみに彼は、皇后と淑妃であったことは知らなかったようだ」


 その従業員の話から割り出された李家の親族の一人と、使用人。この二人が淑妃からの依頼を元に現場を調査し、計画を立てたらしい。


「この二人と淑妃は直接やり取りがあるはずだな? この使用人と淑妃が話しているところは数人に目撃されている」

「李家の使用人とわたくしが話すことに、何の不思議もないのではございませんか」

「そうだろうな」

「それに、わたくしも一緒に攫われたのですよ。逃げ出すことができましたけれど、わたくしも被害者だとは思いませんの?」

「本当に淑妃が何も関与していないのであれば、被害者だろう」


 皇帝はおかしな点の一つとして、茶廊の位置を挙げた。

 皇后や付き添っていた側近たちの話から、どういうルートで街歩きをしていたかは明確にされている。茶廊に寄る前にいた場所から李家へ戻るまでに、同じもしくは上の格の茶廊が数件あった。


「淑妃は茶廊をいくつか聞いていたと言った。それにも関わらず、大きく遠回りしなければならないあの茶廊を選んだのはなぜだ?」

「それは、そこの茶菓子が美味しいと聞いていたのです」


 出された茶と茶の種類はすでに把握している。茶も菓子も、ごく一般的なものだったようだ。毒見をした者によれば、味も特別に凝っている物ではなかったという。


 それから茶廊で護衛を遠ざけたのも淑妃だ。二人が攫われたあと、なぜか淑妃のところには誰もいなくて、逃げ出すことができている。


 そして、大きな矛盾が一つ。


「宿から逃げ出した時、賊どころか店の人もいなくてとても静かだった、と淑妃は言ったな。それなのに、そこに皇后がいるとわかったのはどうしてだ?」

「あ……」

「誰もいなかった宿で、静かだったにも関わらず、すぐに兵を出すように要請した。兵にも皇后がいるから救出をとはっきり言っていたそうだな。まるでそこに皇后がいるのを知っているかのようではないか」

「それは……」


 皇帝はまっすぐに淑妃を見る。淑妃はわずかに動揺した。


「兵が宿へ乗り込んだとき、賊は『予定より早い』と言ったそうだ。それは元々兵が来る予定があったということだろう。淑妃が早めたのか?」


 直前でやっぱりやめようと思って、ぎりぎりで反省して急がせたのかもしれない。そう期待して聞いた皇帝に、淑妃はたっぷりの時間を置いた後、全てを諦めたように微笑んだ。


「いいえ」


 淑妃が企てたと肯定する言葉。そして、皇帝の期待を裏切る言葉。

 落胆した皇帝に対し、淑妃は落ち着いていた。ただ静かだった。


「お話しましょう」



 〇〇〇



 江林県の李家で、淑妃は主犯の一人である女性に声を掛けられた。親族と行っていたお茶会でポロッと零した淑妃の悩みや、後宮での噂などを聞いていたらしいその婦人は、淑妃に提案を持ち掛けてきた。


「皇后さまに他の男をあてがいましょう。どのような経緯であれ、他の男に触れられた女の元へ陛下が通うことはないはずですわ」


 皇后に向いている皇帝を自分に取り戻すのが淑妃の利。皇后に子ができなければ、淑妃の子が帝位を継ぐ可能性はぐっと高くなる。そうなればどうぞご贔屓に、というのが婦人の利。

 双方の利が一致して、そこから計画が始まった。


「迷いはありましたが、彼女に皇后さまの貞操に傷がつくだけ、命を脅かすわけではない、という言葉に、わたくしはこの話に乗ることを決めました」


 それからの手配はその婦人が行った。確認の為にその婦人に仕える使用人が間に立った。


 実行の日、皇后が庭の散策をしているところへ淑妃が向かう。そして街歩きへ誘い出すことに成功すると、護衛を最小限だけ付けて外出した。


「想定外だったのは、皇后さまの動きです。まさかお饅頭を買ってその場で食べるとは思いませんでしたわ。これには側近たちも目を丸くしていましたのよ。お腹が膨れたら茶廊は必要なくなるのではないかと、ヒヤヒヤしました」


 クスッと笑って淑妃は続ける。

 

「それから、庶民街にも行きたいと言い出したことにも驚きました。でも、少し腹ごなしをした方がいいと思って賛成しましたの。その結果、予定していた茶廊と遠くなってしまいました」


 遠回りすることに何か言われるかと危惧したけれど、街の構造を知らない皇后たちは問題なくついてきた。護衛を室内には入れないようにし、賊二人が侵入したのは計画通り。淑妃も一緒に攫われたように見せたのは、淑妃が疑われないようにするため。服の色で対象がどちらかを示し、皇后だけを薬で眠らせた。


 そこから協力者の茶廊の従業員に囲われ、護衛が去ってから宿へ移動。時間を見て、淑妃だけそこから抜け出した。


「兵の到着が予定より早かったのは、想定外のことが起こったためです」


 本来の計画では、皇后が犯された後、賊たちをまとめて捕らえる予定だった。


 ちなみに賊二人は隠れる場所を用意してそこにいるようにと指示されており、実行犯である延にすべての罪を負わせると説明されていた。自分たちは逃げて多額の金品を受け取るつもりでいた二人は、すっかり騙されたことになる。


「想定外の一つ目は、わたくしが逃げ込んだ店の近隣に馬がいたこと。これによって、予定よりも早く李家に知らせがいきました。それから二つ目は陛下です。まさか視察途中のはずの陛下が自ら騎乗して駆けつけるとは思いませんでした」


 兵を指揮してきたのが、今牢に入っている李家の者だ。頃合いを見計らって突撃の指示を出すはずだったが、皇帝が駆けつけてきたために早めざるを得なかった。


「ぎりぎりのところで間に合ってしまったのですね。残念です」


 それからのことは、淑妃は直接関与していない。立案者の婦人か使用人が賊二人に毒を与えたのだろうと淑妃は思っている。もう一人、延は皇帝側の兵に見張られていたため、関与できなかったのだろう。


 〇〇〇



「わたくしから話せることは以上です」


 淑妃は静かに言葉を切った。


「陛下はわたくしが首謀者であると確信していらっしゃったのですね」

「そうでないことを願った。だから、そうでない証拠を探そうとした。だが探せば探すだけ、淑妃がやった証拠が出てくることになった。皮肉なものだ」


 皇帝は寂し気に苦笑した。

 淑妃は悪戯っぽく皇帝を見上げた。


「どうしてわたくしがこのような行動に出たか、聞いてはくださらないのですか?」

「余のせいであろう」

「どうでしょうね。そうかもしれません」

「恨みがあるのなら、いくらでも言ってくれてかまわない」

「そう言われてしまうと、何も言う気になれなくなってしまうではありませんか」


 淑妃は皇帝を慕っていた。

 皇帝の心が淑妃にないことは分かっていた。それでも皇帝の子を産み、皇帝の為に努力してきた。

 皇帝は皇帝らしく、特定の誰かに入れ込むことはなかった。それが皇帝であり、それでいいと淑妃も思っていた。むしろ、それがいいのだと思っている。


「陛下が皇后さまばかりを気にされるからいけないのですよ。わたくしは全て陛下の為に過ごしていますのに」

「これは、余のためであったと?」

「いいえ、そんなことは申しませんわ。わたくしにも欲があるのですよ。できることならば、陛下にわたくしだけを見てほしかった。今みたいに」


 淑妃は微笑んだ。

 今だけは、皇帝は淑妃だけを見ている。他に誰もいない。


「そのために、賊とはいえ民が死んだ。関わった者も極刑になるだろう。その者たちのことは考えなかったのか?」

「それは……」

「皇后は、あの状況でも真っ先に淑妃の心配をしたぞ。淑妃は無事かと。無事だと伝えたら、心から安心していた。その皇后がどれだけ苦しんだか考えなかったのか?」

「やはり、陛下は皇后さまが一番なのですね」

「そういう話をしているのではない!」


 淑妃は寂しそうに皇帝を見上げた。


「一つだけ、望みを叶えてはくださいませんか?」

「何だ」

「毒をくださいませ。陛下からの毒で、旅立ちたく思います」

「淑妃! なにを言うか!」

「陛下に害をなす存在になり果てたわたくしは、もう必要ありません。陛下の手で、送ってくださいませ」


 皇帝がドンと卓子に拳を当てた。茶器がカチャリと音を立てる。

 皇帝が淑妃を睨む。それにも動じず、淑妃はただ静かに皇帝を見つめている。


 しばらく睨んだあと、皇帝はきつく握っていた拳を開いた。


「淑妃の望みは叶えられない。余は淑妃を殺せない」

「……どうして。最後の望みなのですよ? ひとつくらい叶えて下さってもいいではありませんか」

「子には母が必要だ。本当に余のためを思ってくれるなら、その気持ちがまだ少しでも残っているのなら、余の子の為に生きてくれないか」


 部屋の外から小さく子が泣く声が聞こえた。大泣きして出ていったので寝ていると思ったが、起きてしまったのだろうか。大きな音を立ててしまったので、聞こえたのかもしれない。


 扉の外に目線を向け、淑妃は一筋涙を零した。


 皇帝は最後に一口だけお茶を口に含んだ。冷え切ったお茶は、それでも皇帝の好きな味だった。




 淑妃を置いて、宮を出た。主に代わって見送りに出た依依という侍女を振り返る。彼女は後宮に入る前から淑妃を支えていた侍女だ。


「淑妃のこと、よく見てやってくれ」


 ハッと顔を上げた依依は、それだけで何があったのか察したようだ。

 皇帝の前に駆け出ると、膝をついて深く頭を下げた。


「どうか私を罰してください。全て私の責任でございます」

「沙汰は追って言い渡す。淑妃を思っているならば、寄り添ってやってくれ。余はもう、そうしてやることができない」


 皇帝は歩き出す。夜風が殊更に冷たく感じた。


「全忠、寒いな」

「そうですね」

「そこは『そうですね』なんだな?」

「それ以外に今は言う言葉もございませんから」


 しばらく黙って歩き、皇帝はふと足を止めた。


「どうなさいましたか?」

「皇后のところへ行く」

「はい?」

「聞こえなかったのか? 皇后のところへ行くと言った」

「聞こえましたけれど、空耳かと。お渡りの連絡はしておりませんよ」

「茶を一杯もらうだけだ」


 クルッと角度を変え、皇帝は長明宮のほうに向かって歩き出す。

 慌てて全忠たちも方向転換してついていく。


「いきなり訪れては驚かれるのではないですか? もう就寝準備を整えているかも」

「皇后はそんなこと気にしないだろ」

「もしかしたら寝ているかも」

「寝てたら、起こす」

「えっ?」


 全忠は後ろの宦官に指示を出して、長明宮に走らせる。皇后に連絡が行くまえに皇帝が突撃しそうだが、この状況では仕方がない。



 全忠の予想通り、先触れが急いで門を開けさせ、中の侍女に話しているところに皇帝は到着した。


「邪魔をする」


 宮の主である皇后の代わりに犬の麦ちゃんが出迎えた。だいぶ大きくなった。

 ひとしきり撫でまわす。なぜか皇帝になついている麦ちゃんは、まんざらでもなさそうに尻尾を振っていた。


 そのうちに皇后が出てきた。もう寝る準備をしていたのだろう、上掛けは着ていたが装飾品は付けておらず、髪も軽く結っているだけだ。


「陛下、一体どうしたのですか?」

「邪魔をする、とは言った」

「そういうことではありません。今宵は来る予定ではなかったのでしょう?」

「来ちゃ駄目だったか」

「駄目ではないですけれど、なにもおもてなしできませんよ」

「かまわない。喉が乾いた。茶を一杯飲んだら帰る」


 珠蘭は外に出ている皇帝付きの宦官にも室内へ入るように勧めた。なにぶん急だったので火鉢の用意はできていないが、外よりは温かいだろう。


 珠蘭の部屋に入ると、皇帝を立たせておくわけにいかないので、椅子を勧める。明明が手早くお茶を出し、珠蘭が自らつまみを持ってきた。


「何だそれは」

「ふふふ、芋を薄く切って揚げたのですよ。やってみたら意外と美味しくて。すでに少し湿気てしまっていますけれど、食べてみてください」


 珠蘭は毒見として一つつまんで食べて見せた。パリ、という軽快な音がなる。


 その様子を見て、思わず皇帝はフッと顔を緩ませた。

 淑妃のところであれば、このように珍妙なものは出されない。たとえ急な訪問であったとしても、ある程度皇帝が好むものを出してくるはずだ。さらに湿気ているものなど、絶対にありえない。


 皇帝の側近であれば、皇帝に対して失礼だと眉をひそめるかもしれない。だけど玉祥はそうは思わなかった。


 どこへいっても最高のおもてなしをされる。自分よりもずっと年上の者たちから傅かれる。それが当然の環境で生きてきた。相手が気を使えば使うだけ皇帝だって気を使うし、それなりの対応をしなければならない。皇子らしく、皇太子らしく、皇帝らしく。常に気を張っていなければいけない。


 それが苦しくて、辛かった。


「どうかしましたか?」

「いや。お前は余に気を使わないのだなと思っていた」

「急にやってきて気を使えって、ひどくないですか? 用意も何もできていないんですから、仕方がないではありませんか」

「そうだな。だが、急に来なくても似たようなものだろう?」

「もっとしっかりもてなせってことですか?」

「いや、このままがいい」

「訳が分からないんですけど」


 珠蘭と同じように一枚手に取って、口に入れてみる。

 パリ、と軽快な音をたて、口の中で弾けた。


「うん、軽い食感がいいな」

「でしょう? 気に入ってくださいました? まだあるのでいっぱい食べて下さい」

「お前……もう夜だぞ。夜に揚げ物を出して、いっぱい食べろはないだろう」

「大丈夫ですよ、陛下、太っていませんもの」

「そうじゃない」


 そう言いながらも、もう一枚手にとる。これは後を引く。


「これから芋の収穫時期なので、芋掘り大会をやろうと思ってるんです」

「芋掘り?」

「そうです。これから寒くなるでしょう。そうすれば炭が必要になりますから、まずは芋掘りです」

「繋がりが全然わからないんだが」

「下女たちにも炭を渡せるように、わたくしなりに考えたのですよ。芋を掘ってその量によって……って、陛下、なんだかずいぶんとお疲れですね。どうされました?」


 今更か? と玉祥は苦笑した。淑妃だったら、最初に皇帝の顔色を見ただろう。お疲れのようですから、とそれに合わせた茶でも出したかもしれない。


 だけど、こちらの方が気が楽なのは、どうしてだろう。


「いろいろあってな。明日、詳しく話す」

「そうですか、わかりました。それならさっさと帰って休んでください。ここでお茶を飲んでいる場合ではないのではありませんか」

「おい、せっかく来たのに追い出すな」

「ここで寝るよりご自身の宮の方がいいでしょう? さ、わたくしももう寝ますのでお戻りください」

「お前、俺の扱い雑だよな」


 一応ちゃんと見送りはされたが、本当に追い出された。

 後宮では、歓迎はされても追い出された経験はほとんどない。


 夜の風はやはり冷たいが、少しだけ気持ちが軽くなっていた。

 クッと小さく笑って、皇帝は自身の宮に向かって歩き出した。

書いていて、なかなかしんどかったです。

読むのはもっとしんどいはず。それにも関わらず読んでくださって、ありがとうございます。

次回で誘拐騒動は一旦おしまい。

そこからは軽快になる、はず。

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