27.街歩き
江林県滞在は五日の予定だ。
その間、珠蘭は基本的に暇である。
この国では基本的に政は男が行うものだ。文官も武官も男ばかり。貴族階級以上の女性が必ず学ぶ「婦徳」によれば、夫に従うのが良妻であるとされている。
庶民であれば女だからと家に閉じこもっている余裕はないが、貴族階級以上となれば、女は外で働かない。
江林県に来たのは、治水工事の視察の為だ。
皇帝はその仕事をこなすため、治水工事現場へ出かけていった。
皇后と淑妃は視察に行かない。否、行けない。
貴族の間では女性が外で働けば「女を働かせなければならないほど貧しい」と、家の当主が白い目で見られる。
皇后がついて行ったところでさすがに皇帝にそのような見方をする者はいないだろうが、特に何の相談があるわけでもなく、当然のようにお留守番は決定していた。
(なんで来たんだろう)
考えちゃいけない。地方を訪れる皇帝に同行するのは、后妃の仕事の一つだ。
暇である。
やることといえば、宴で皇帝の隣に座って微笑み、頃合いを見て退席することくらい。その他の時間はここの家の方に丁重にもてなされ、至れり尽くせりの接待を受けるのみ。
「暇ねぇ」
雲英と明明だけになった部屋で思いっきり態度を崩し、卓子にだらりと頭を預けて呟く。
「娘娘、私たちしかいないとはいえ、ここは自室ではないのですよ」
「いいじゃないの、雲英。ここの方々からも、ごゆるりとお過ごしください、って言われているんだし」
「だらけていい、という意味ではございませんよ。いつどこでだれが見ているかわからないのですから、もう少し姿勢を正し……」
雲英は厳しいが、珠蘭は聞き流す術をすでに身に着けている。
暇なのは珠蘭だけではない。侍女も暇だ。いつもやっている細々とした支度や雑用がない。明明は何かやることはないかときょろきょろしている。落ち着かない。珠蘭と一緒に休めばいいのに、できないらしい。そういうところは真面目だ。
「お茶をお出ししますか?」
「さっき飲んだばっかりよ。お腹たぽたぽになっちゃう」
「ですよね。では、お庭の散策に行きましょう」
「昨日行った」
「ですよね。では……昨日行っていない裏庭の散策に行きましょう」
「裏庭は勝手に入っちゃ駄目でしょう」
「ですよね」
ふぅ、と三人で溜息をつく。
結局、お庭散策案が採用された。
行く当てもなくフラフラと庭を歩いていると、淑妃一行に出会った。親戚の家なのだから親族や知り合いと積もる話もあるだろうと思っていたけれど、もしかしたらあちらも暇なのかもしれない。
「皇后さまにご挨拶を」
「ごきげんよう。立派な庭ですね。李家の権勢がよくわかります」
「ここは傍系ですから、本家はもっと広いですよ」
「そうなのですか」
隣国後宮育ちの珠蘭は、この国の有力貴族がどの程度なのか勉強はしているが、実際に理解しているわけではない。それでもこの庭を見れば、李家の権力の大きさがよくわかる。
珠蘭の感想としては、李家ってすごいんだなぁ、くらいであるが。
「皇后さま、もしお時間あればなのですけれど、街へ出かけてみませんか?」
「街へ?」
「えぇ。後宮から出ることは滅多にないでしょう。せっかくの機会ですから、歩いてみるのもいいかと思いますの」
淑妃からの意外な提案に、珠蘭は迷った。魅力的ではあるが、予定にないことをすると周りに迷惑がかかる。
それに皇帝は不在だ。外出してはならないという決まりはないが、勝手に動くのはどうだろう。
「もちろん陛下が戻られる前にわたくしたちも戻るつもりです。護衛もいますし、ここは李家が県吏を務める地ですから、わたくしを狙ってくるようなことはないと思います。共に行動すれば、危険は少ないかと」
「そうかもしれませんね」
「今の街の様子を見てみたいですし、お土産の一つでも選びたくはございませんか。何よりわたくし、時間が余っているのです」
やっぱり淑妃も暇だったらしい。
その誘いに乗ることにした。なにせ、暇だったのだ。
訪れた街の商店街は思ったよりも人が少なく、重厚そうな建物が並んでいた。そのうちの一軒に入る。装飾品を扱う店らしい。淑妃は髪飾りをいくつか手に取り、裏を見たり光にかざして見たり、吟味している。子供用の小さいものだ。
「これをいただくわ」
とても可愛らしい花の形の髪飾りは、淑妃の娘によく合うだろう。
別の店で淑妃が息子用の玩具を購入したので、珠蘭は徳妃の子へのお土産として玩具を二つ買った。公平に淑妃の子にも買ったほうがいいかと思ったけれど、それは淑妃に「わたくしが買いましたから」と止められた。
店から外に出ると、一区画向こう側が賑わっているように見えた。
「あちらには何かあるのかしら?」
「向こうは庶民が利用している商店の多い地域だそうですよ」
人通りが少ないと思ったけれど、こちら側は高級商店街だったらしい。どうりで値段も高いと思った。
「あちらに行ってみることはできるかしら? 少しでいいの。覗いてみたいわ」
付き添っていた雲英が少し顔を曇らせたけれど、淑妃が「行ってみましょう」と賛同してくれたので向かうことになった。
そちらの商店街は、葉だったころに馴染みのある市場に似ていた。道を歩く人達の服装からも、庶民が普段よく使っている場所らしい。
雑貨屋、呉服屋、食事処などが並び、そのまま進むともっと人が多くなり、屋台が増えた。
いい匂いがしてくる。湯気がもくもくと上がって、美味しそうな饅頭が並べられていた。吸い寄せられるように近付くと、お店のおばさんが目を丸くした。どう見ても庶民の格好ではない珠蘭たちを見て、慌てて飛び出してきて頭を下げた。
「おばさん、気にしないでください。あの、お饅頭買ってもいいですか?」
「もちろんですが、お口に合いますかどうか」
「では二十個ほどくださる?」
包んでもらっている間に、雲英からお金を受け取る。
「おばさん、この街はいつもこんな感じなの?」
「そうですね。でも、今はもうお昼を過ぎてますから人が少ないかな。朝はもっと人がいますよ。昔に比べれば少なくなったけどねぇ」
「もっと賑わっていたんですか? あ、ありがとう。お代はこれで大丈夫かしら?」
おばさんの手にお金を握らせて饅頭を受け取る。その場で皆に配ると、ひどく困惑された。珠蘭も一つ取って、その場で口に入れる。雲英に目を丸くされたけれど、お叱りはあとで受けることにしよう。だって出来立てが一番おいしい。
「まぁ、なんてこと。毒見もせず」
淑妃も目を丸くしている。
「たまたま立ち寄ったお店で、目の前で蒸されていた饅頭ですよ? いつ毒を入れると言うのですか。うん、美味しい」
残りは護衛の一人にまとめて渡した。少し離れてついてきている護衛もいるから、あとで配ってくれるだろう。
唖然としている皆を置いて、珠蘭はどんどん進む。葉だったころのわくわくが蘇ってきた。
ふと装飾品を並べた屋台の前で足を止める。指輪に腕輪、首飾り。どれも庶民が身に着ける簡素なものだ。高価なものを見慣れている淑妃にとっては取るに足らないものなのだろう。一度覗いただけであからさまに興味をなくした。
たぶん、珠蘭が今つけている耳飾り片方だけで、いや、それについている玉一つだけでここにある全てを買うことができて、更におつりがくる。
ふいに、昔を思い出した。
『俺、こういうのつけてみたいんだよね』
『いいね。あたしはこっち』
買えるわけがなかった。お金なんて持っていなかったから。お互いそんなことは分かっていた。だから、見ていただけ。
「おじさん、これとこれ、ください」
「これとこれですかい?」
「そうです」
珠蘭の身なりで購入するとは思えなかったのだろう。店主はひどく驚いたように、それを売ってくれた。丸い玉がいくつかついた、貴族から見ればみずほらしい腕輪。
歩きながら、淑妃が問う。
「それ、どうするつもりですの?」
「陛下に差し上げようと思って」
「そんなものを? 何を考えていますの。陛下に失礼ですわ」
「そうかもしれませんね」
意味がわからないというように、淑妃は顔をしかめた。むしろ怒っているようにも見えた。
高級商店街地区に戻ってきた珠蘭たちは、淑妃の「少し休憩して戻りましょう」という提案で茶廊に入った。服装からして上客だと思われたのか、二階の個室に案内された。
窓が少し開いていて、涼しい風が入ってくる。珠蘭と淑妃が卓につくと、良い香りのお茶と茶菓子が出された。
「皇后さま、歩いたので疲れましたね」
「そうですね」
明明と淑妃の侍女が壁際に控え、それ以外は室外で待機している。護衛は扉の外に控えているらしい。
「淑妃は後宮に入る前、このように街を歩くことはあったのですか?」
「たまに行きましたよ。でも、庶民の利用する商店街まで行くことは少なかったですね。皇后さまは街歩きに慣れていらっしゃるように見えましたけれど、黄国では街歩きをしましたの?」
珠蘭はギクッとして、すぐに表情を取り繕った。
「いいえ、ほとんど後宮から出ることはありませんでした。今日は新しいものがたくさん見れて、貴重な経験ができましたわ」
「そうなのですか。いきなり饅頭を買うので驚きましたわ」
それからたわいもない話をしながらお茶を飲んだ。
菓子を一口入れた時、窓の方から音が聞こえた気がした。
「何かしら」
「どうかしましたの?」
「窓から音が聞こえた気がして」
明明が確認しようと動いたその時、窓の少し開いた隙間からにゅっと指が出てきた。
「えっ?」
そのままガッと窓が開かれ、がたいのいい男が二人入り込んできた。二人は室内を見回すと、迷う事なく珠蘭に近付いてきた。
珠蘭が逃げ出すよりも男の方が早い。手首を掴まれると、あっという間に珠蘭はその男に担がれ、口を塞がれた。変な匂いがする。
「んー!」
もう一人の男が淑妃を担いでいるのが横目に見える。珠蘭を担いだ男は、窓からヒョイと飛び降りた。珠蘭も一緒に浮遊感を感じる。
(何? 誰!?)
もう一人が淑妃を抱えて飛び降りて来るのが見えた。
そこで、珠蘭の意識は途切れた。




