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25.到着

 宮城(きゅうじょう)から江林県(こうりんけん)への馬車旅一日目は、なかなかに刺激的だったと言っていい。


 隣接している県とはいえ、さすがに一日でつく距離ではなく、途中で一泊することになっていた。宿場に到着すると、皇帝は青白い顔を隠すように姿勢だけは保ち、珠蘭を伴って宿に入った。部屋に入って人目がなくなるなりそのまま厠へ直行して吐き、それが治まると寝台に倒れこんだ。


「陛下、大丈夫で……はなさそうですね」

「うん」

「お食事も無理そうですね」

「うん」


 共に夕餉をとる予定だったが、どう考えても食べられそうにない。あとはお任せください、と全忠に言われ、珠蘭は皇帝の前を辞した。


 そして、部屋でぐっすりと寝た。

 陛下、大丈夫かな、とは思った、と付け加えておく。



 翌朝皇帝に挨拶に行くと、先に淑妃が来ていた。


「陛下、昨日は夕餉をほとんど召し上がらなかったと聞いて、わたくし、心配でなかなか寝付けませんでしたの。お加減はいかがですか?」

「問題ない。心配をかけたな」


 全忠によれば、淑妃が持参した粥を朝餉に少し食べたという。まだ李家についていないにも関わらず、さっそく邪魔者感をひしひしと感じた珠蘭は、挨拶だけを述べると早々に退出した。



 また同じ馬車に乗り込み、江林県へ向かう。宿の人たちが頭を下げるのを窓越しに見ながら、カッポカッポと馬は進み始めた。予定では今日の夕方に着くはずだ。


「顔色は少し回復されたようですけれど、昨夜はゆっくり休めましたか?」

「あまりよく寝れなかったが、まぁ、大丈夫だ」

「陛下の大丈夫はあてにならないのですけれど」

「ちゃんと馬車内では吐かなかっただろう」


 それはそうだが、吐きそうでずっとヒヤヒヤしていたこっちの身にもなってほしい。とはいえ、皇帝にもどうしようもないのだろうが。


「お前は休めたか?」

「はい。食事も美味しかったですし、ぐっすり寝たので元気です」

「ぐっすり寝たのか」

「はい、寝ましたけど?」


 なぜか少しの沈黙。

 寝ちゃ駄目だったのか?


「淑妃は余が心配で休めなかったと言っていたぞ」

「心配だったとしてもできることもないのですから、ゆっくり休んでおいたほうがいいではありませんか。寝不足で体調を崩すほうが周りも困るでしょう。あ、もしかして、心配で眠れませんでした、という健気な感じを求めてます?」

 

 皇帝は唖然とした顔で珠蘭を見て、それからプッと吹き出した。


「いや、求めてない。余が体調を崩すたびに心配だなんだと騒がれるより、気が楽だ」

「そうですか? ではこれからもそうします」

「でも少しは心配していいぞ」

「心配しておりますよ。今日ここで陛下が吐かないか、本当に心配です」

「それは余も心配している」


 真面目な顔で言う。勘弁してほしい。


「気分が悪くなる前に言っておくことがある」

「気分が悪くなる前提なんですね」

「いいから聞け。今向かっているのは李家だ。淑妃を差し置いて皇后の座についているお前をよく思わない者も多い」

「淑妃を差し置いて皇后の座につけたのは陛下ですよね」

「いちいちうるさい。李家の領地内で皇后になにかあれば李家の責任になるから、軽率なことはしないはずだ。それでも万が一はある。充分に気をつけろ」


 珠蘭は肩をすくめた。皇帝は珠蘭を心配してくれているらしい。

 じゃあ、なんで連れてきたんだ。そう聞きたいけれど、これが皇后としての仕事なのだから仕方がない。


「余がいるときは余から、そうでないときは護衛から離れないように」

「わかりました」


 一通り注意を述べると、皇帝は窓の外に目を向ける。


(何か話題を探した方がいいんだろうか)


 きっと道中に皇帝を楽しませるのも妃嬪の仕事なんだろう。でも、皇帝は話しかけてほしいのか、それとも静かに過ごしたいのかわからない。無理に話しかけて、酔って吐かれても困る。


(まぁ、いいか)


 考えるのも面倒になって、珠蘭も窓の外へ目を向けた。今日は天気もよく、のどかな風景が移っていく。


 しばらくそうして景色を眺めてから、皇帝は今日は持ち込んだらしいクッションを枕に上半身を横たえた。昨日膝に頭を乗せたのは、苦肉の策だったのだろう。


「もう駄目だと思う前に言ってくださいね。馬車止めてもらいますから」

「わかってる」



 二日目の馬車旅は、一日目に比べて穏やかだった。

 昨夜ゆっくり休めなかったらしい皇帝が、時折顔をしかめながらも、うつらうつらと寝たからだ。珠蘭はただ外を眺めていた。


 予定通り、夕方に江林県へ入った。

 城下ほどではなくとも、ここも栄えているのだろう。のどかな農村風景のときには聞こえなかった賑やかな音が響いている。


 街を越えたところに滞在先の県吏の館がある。馬車が速度を落とすと、皇帝は何事もなかったかのように姿勢を正した。馬車が止まる揺れで、皇帝が一瞬おえっという顔をした。


「大丈夫ですか?」

「問題ない。あぁ、馬車の中でのことは他言無用だ」

「わかっていますよ」


 皇帝に合わせて珠蘭も皇后の顔に切り替えると、ゆっくりと馬車を下りた。

 宮を思わせるような大きな屋敷の前に、たくさんの人が礼を取って出迎えている。


「ようこそお越し下さいました。長旅お疲れでございましょう。さぁ、中へどうぞ」


 先頭に立って真っ先に挨拶をしてきた彼が県吏なのだろう。

 上質な衣を身にまとっているけれど、出ているお腹を隠し切れていない。

 その姿を見て、思わず身体がこわばった。ずっと昔が思い出される。


 わかっているはずだったけれど、ここは後宮じゃない。ここで出迎えてくれている男性たちは宦官ではないし、催される宴にもいっぱい来るのだろう。


「皇后、どうした?」


 ハッと顔を上げると、少し青い顔と目が合った。皇帝も体調が良くないのに、全くそう見えないように振舞っている。珠蘭は皇后なのだ。皇后らしく振舞わなければいけない。


「何でもございません」


 ニコリと微笑むと、中へ通された。

 豪華な調度品が並び、この家の位の高さが伺える。


「歓迎の宴を催したいところですが、長旅でお疲れのことと思います。本日はお食事をお部屋にお持ちし、明日歓迎の意を受け取っていただきたく思いますが、いかがでしょうか?」

「ご配慮、痛み入る。提案の通りにさせてもらおう。食事は部屋で皇后と取る」


 皇帝と淑妃の仲がいいところを見せるはずが、いきなり別である。大丈夫なのだろうかと皇帝をチラリと見ると、彼は後ろに控えていた淑妃に向いた。


「淑妃はせっかく久しぶりの親族の家であろう。体調が大丈夫であれば、食事は親族と取ってはどうか? 積もる話もあろう」

「お心遣い感謝いたします」


 こうして皇帝は珠蘭と食事を取るように見せて、馬車酔いでほとんど口にできない分を珠蘭と全忠が腹に収め、「おいしく頂いた」とそこそこに空いた膳を返すことに成功した。

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