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23.秋のはじめ

 皇帝の暮らす陽秀宮の私室でさっと湯を浴び、後宮へ向かう準備をする。


 疲れた。

 非常に疲れた。


 朝廷では、李家が中心となっている李派と、余家が中心となっている余派、二大派閥が台頭している。現在は李派が完全に優勢。巨大化しすぎた李派は怖い物なしの状態で、このところ横暴がひどくなっている。


 懐を温める官吏がいる一方で困窮する民がいる。

 概ね、裏にいるのは李派だ。

 わかってはいる。わかっちゃいるのだ。だが、大きくは手を出せない。


 玉祥の母は李家から嫁いだ李皇太后。玉祥を即位させるのに尽力したのも李派であり、支える母体もまた李派。これを一気に崩せば、玉祥の地位は危うくなる。


 少しずつ、ごくごく少しずつ切り崩しにかかり、李派ではなく自分の直下に置く。

 これがなかなか骨が折れる。


 偶然にも、それは後宮における珠蘭と状況が似ている。

 珠蘭も少しずつ後宮の女性たちを取り込み始めているところだからだ。


 はぁ、と長い溜息が出た。

 疲れた。再びそう思った時。


「お疲れですね」


 気持ちを読んだかのように全忠に声を掛けられた。この何もかも見通しているような側仕えには気を張ってもしょうがない気がして、素直に「そうだな」と返す。


「このままお休みになれば良いのでは?」

「そうだよな」


 全忠の言う事は正しい。このまま酒でも一杯飲んで、寝たほうがいいのだろう。

 頭ではそう判断しつつ、それでも止めることなく支度させる。

 なぜだろうか。

 玉祥にもよくわからなかった。予定を変えることすら面倒だと思うくらい、きっと疲れているのだろう。


「行くのですか?」

「皇后に、俺が今日行くまでに覚えておけと本一冊渡してきてしまった」

「皇后さまならば、そんなに残念がりませんよ、きっと。むしろホッとしたりするんじゃないですかね」

「なんかお前、ひどくないか?」


 お渡り中止を聞いた皇后が喜んでいる姿が目に浮かんでしまい、玉祥はなんだか癪に障って顔を歪めた。


「絶対に行く」



 外に出ると、夜風が肌を冷やした。

 夏も終わり、空を見上げると薄い雲ごしの月がぼんやりと輝いている。


「陛下、寒くありませんか? もう一枚羽織るものをお持ちしましょうか」

「いや、いい。行ってくる」


 全忠を残して宮を後にし、後宮へ入る。

 もう辺りは暗いというのに、道にはちらほらと女たちの姿が見える。


 どこにいても、見張られている。


 生まれた時からずっとそうだったので普段は大して気にならないのだが、今日は疲れているからか、そんなことを感じた。



 〇〇〇



 お渡りになる皇帝を出迎えるため、珠蘭は宮を出た。

 夜風が冷たい。もうそんな時期かと空を見上げると、薄い雲に隠れた月がぼんやりとした光を放っていた。


 宦官を連れた皇帝が見えると、珠蘭は深く礼を取った。


「陛下にご挨拶を……ずいぶん冷えるようになりましたね。寒くありませんか?」

「皇后こそ寒かろう。中へ」


 初めの頃は皇帝を出迎えるのも怖くて何も話せなかったけれど、ずいぶん慣れたものだ。約束をしてから、皇帝はその約束通りに何もしてこない。それが分かったら、安心して出迎えられるようになった。


 一通り麦ちゃんを撫でまわし、席につく。

 今日は普段よりもモフモフを堪能していた気がする。


「なんだかお疲れのようですね。何かあったのですか?」


 皇帝は温かいお茶を手に取ったままの姿勢で、珠蘭を見た。少しの間見つめられた珠蘭は首を傾げ、ハッとした。

 そういえば、読んだ「婦徳」という本には「女は政に口を出すべからず」とあった。


「申し訳ございません、陛下のお仕事を詮索するつもりはなかったのです。顔色が優れないようだったので気になっただけです」

「いや、皇后にも気がつかれるほどに顔に出ていたかと思っただけだ。気にするな」


 皇帝が手を軽く振ると、宦官たちが下がっていき、部屋には二人と雲英だけが残る。


「お疲れでしたら無理にこちらにいらっしゃらずとも、宮でゆっくりお休みになればよかったのに」


 ついポロッと本音が出たら、皇帝はちょっとムスッとしたように珠蘭を睨んだ。


「おい、そこは、お疲れの中いらして下さり感謝します、とか言うところだろ?」

「あー、なるほど。次からはそう言うようにします」

「言わなくていい」

「えっ?」


 どっちだよ。


「あっ、そうだ。これ、畑で取れた南瓜を使って作った菓子なのです。陛下にいただいた種からできたものですよ。疲れた時には甘い物といいますし、よかったらどうですか? わたくしもさっき食べましたけれど、美味しくできていますよ」

「お前……」


 なんだか言葉に詰まってしまった。雲英が頭を抱えているから、何か良くないことを言ったらしい。なんだろう。


「そこは、陛下の為に用意しました、と言え。余っているからついでにどうぞ、くらいな感じで出すな。ここではかまわないが、外では気を付けるように」

「あー、なるほど。では、陛下の為にわたくしが作りました。お口に合うといいのですけれど。こんな感じでどうですか?」

「作ったのはお前じゃなくて料理人だろ」

「わたくしですよ」

「は?」

「厨房でこねて、焼きました。手伝ってはもらいましたけれど、だいたいわたくしが」

「……そんなこともやってるのか」


 皇帝はひょいっとその南瓜まんじゅうをつまんで、口に運んだ。あっ、毒見、と思ったときにはペロリとひとつ食べてしまった。雲英が目を覆っているけれど、まぁ、いいか。どうやらお口には合ったようでなによりだ。


「まぁ、陛下の為に作った、っていうのは嘘ですけどね」

「言わなきゃわからないのに、なんで言ってしまうんだ?」

「嘘がつけない性格のようです」

「薄々、ではなくけっこうしっかりと感じてた」


 二人で寝室へ入る。皇帝の手には本がある。

 本来寝室には何も持って入れないことになっている。それは寝室で妃嬪が皇帝を害することがあってはならない、というためなので、皇帝自身が持ち込む分には問題にならない。

 珠蘭としては、持ち込まないでいただきたいが。


「さて、覚えたか?」

「うっ」


 皇帝は寝台に腰かけ、珠蘭は座布団の上に座って小さな机の上に本を乗せる。最近はこうして、お互い本を読んで過ごしたりもするようになった。


「だいたい覚えましたよ。陛下、本当にお疲れのようですね。すぐにお戻りになれないなら、せめて横になっていてください」

「本当は覚えていないから、そういってごまかそうとしてるんじゃないか?」

「だ、だいたい覚えましたよ」


 ジトッとした目を向けつつも疲れているのは本当のようで、横にはならなかったが寝台の壁に身体をもたれさせて本を開いた。

 珠蘭も本に目を向けた。

 しばらく読んでいると、クッと笑った声が聞こえた。


「何かありましたか?」

「すごい顔してたぞ。外では皇后らしくなってきたと思ったのに、気を抜きすぎじゃないか?」


 顔の表情に気を配ってみると、たしかに眉間に皺が寄っていたかもしれない。ちょっと本が難解だったのだ。


「陛下の前でも皇后らしくしていたほうがいいですか?」

「いや、そんなことはない」

「よかったです。陛下も気を抜いていただいていいのですよ。毎日ほとんど気を張っているのでしょう? 今は誰もいませんし」

「お前がいるだろう」

「そうですけど、ほら、わたくし、半分は下女ですし。下女はいてもいないようなものでしょ?」

「いきなり重いこと言うなよ」


 軽くしようと思ったのに、逆効果だったらしい。

 皇帝はだらんと壁にもたれながら、本を読んでいるようなそうでないような様子だ。横になって少しでも休めばいいのに、ここでもできないなんて不便な身分である。

 

「半分は下女と言ったが、もう半分は元々の皇后なのか?」

「うーん、わたくし自身にもよくわからないのです。下女の葉と珠蘭、どちらの記憶もあるのですけれど、どちらでもあるような、もはやどちらでもないような」

「なんだそれは」

「なんでしょうね? 考えても分からないので、考えるのはやめました。もうこれでいいかって」

「良いのか?」


 皇帝は苦笑した。


「駄目だ、と思っても変わりませんし、仕方がありません。陛下にも皇帝の顔とそうでない顔があるように、いくつか違うのが混じってわたくしなんです」

「……それ、なんか違くないか?」


 違うと言われても仕方がないのだ。自分でもおかしいと思うけれど、そういうものとするしかない。


「まぁいい。とりあえず、問題を出すぞ」

「忘れてなかったのですね」


 ちぇっと少し口をすぼませる。

 注意されるかと思ったが、見ていなかったのか、特に何も言われなかった。


「江林県の名産品は?」

「柑橘類と、絹」

「県吏はどの家だ?」

「李家です」

「地形の特徴は?」

「大きな川があるので水害が起こりやすいですが、それを除けば作物が非常によく採れる地域です」

「おおむね合格」


 ホッと息を吐いたのも束の間。


「もうすぐ視察に行くから、江林県のことはよく覚えておけよ」

「そうなのですか。お気をつけて」

「何他人事みたいに言ってるんだ? お前も行く」

「えっ?」

「聞いてなかったのか」


 聞いてない。絶対に聞いてない。


「わたくしも行くのですか?」

「うん」

「あの、視察の邪魔にはならないでしょうか?」

「うん」

「他には誰が行くのですか?」

「う……ん……」

「陛下?」

「……」


(あれ?)


「陛下、どうかしましたか?」


 返事がない。

 そっと皇帝の前に移動し、下から覗き込んでみる。


(寝てる?)


 よほど疲れていたのだろう、本を読む姿勢のまま、壁にもたれて寝ているようだった。


(だから横になってくださいと言ったのに)


 できることならば楽な姿勢にしてあげたかったけれど、たぶん動かしたら起きてしまうだろう。


 下女の頃は、皇帝は雲の上のさらに上くらいの存在だった。そもそも、本当に存在するのか、人の形をしているのだろうか、なんて思ったことさえある。


 寝ている姿は少しあどけなくて、一人の青年の姿だ。


 落ちそうになっている本をそっと抜き取り、代わりに膝に布を掛けた。起きなかったことにホッと小さく息を吐いて、もう一度寝顔を見た。

 きっと、珠蘭には想像できないような、いろんなものを抱えているんだろう。


 少しの間だけ、ゆっくり休めますように。

 少しでも、疲れが取れますように。


 そう願いながら、そろりそろりと移動して、また本に目を落とした。

日常の一コマでした。

玉祥は少し後に起きて、寝てしまったことに唖然。

珠蘭は「疲れてたんですね~」くらいであまり気にしていません。

次回、視察です。

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