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14.蟄居中の宮にて

 土のたっぷりついた宮女服を着て、顔には化粧もなく、適当にまとめられた髪は飾りがないどころかボサボサ。誰が見てもまさか皇后だとは思わない格好をした珠蘭(じゅらん)は、さらに皇帝を見つめながら鍬を振り上げていた。

 そんな姿を見て、名目上は夫である皇帝は何を思っただろうか。

 しばしお互いに固まったのち、なんとか血が通い始めた皇帝が告げた第一声は、


「とりあえず、下ろせ」


 であった。


 この状況から考えて、珠蘭が皇帝を狙ってなどいないことはわかっている。それでも皇帝に向かって鍬を振り上げている状態は、皇帝を害しようとしている、と言われても文句が言えない。


「あっ、はい、すみません」


 珠蘭も素直に従った。格好はどうにもできないが、とり急ぎ鍬を地面に置き、皇帝に向かって礼の姿勢をとる。土付き宮女服であるにも関わらず、ちょっとだけ、ほんとにちょびっとだけ高貴な者のまとう気品が溢れたのは、公主であった珠蘭の生い立ちと、なにより雲英(うんえい)の努力によるものだろう。


「陛下にご挨拶を」

「うん」


(うん?)


 それは姿勢を崩してもいいのだろうか。通常と違う返しに珠蘭には判断がつかず、そのままの姿勢を継続する。


 一方、皇帝は内心で衝撃を受けていた。それはもう、思わず素が出てしまうほどに。


 彼は先帝の子であるから、後宮で生まれて後宮で育ち、その後も貴族社会の中で生きてきた。当然のことながら母である皇太后が畑を耕しているのは今も昔も見たことがないし、かつて後宮にいた父帝の妃嬪もそんなことをしなかった。

 淑妃も徳妃も自分の前に出るときには位に相応しい衣に身を包み、髪を結って装飾具を付けている。ましてや、今目の前にいるのはその上に立つ皇后。そのはずではなかったか。


 後ろから皇帝付き首席宦官である全忠(ぜんちゅう)が「陛下」と小さく声をかけ、ようやく皇帝はハッとして「楽にせよ」と言い直した。


 珠蘭が顔をあげると、皇帝は無言で珠蘭を見つめたのち、くるりと踵を返した。珠蘭はホッとして、皇帝が帰ったら続きを耕そうと思ったのだが。


「お見送りを」

「見送りじゃありませんっ!」


 雲英がすかさずキッと声を張り上げたので、全忠は堪えきれずに吹き出した。



 宮の中に場所を移し、珠蘭は皇帝と向き合って座っていた。本来皇帝を宮に迎えるのであれば、その宮の主は身支度を整えてもてなすはずだが、珠蘭は軽く払った土付き宮女服のまま。このままでは不敬ではないか? と雲英に相談すると、


「そのままでも不敬ですが、これから湯浴みして御仕度を整え直す時間、陛下を待たせるほうがより不敬です」


 ともっともな答えが返ってきたので、この状況になっている。外から見ればバッチリな装いの皇帝に対して縮こまっている宮女服の女性は、何か罰を受けているかのように見える。あながち間違いではないが。


 ちなみに珠蘭の「この姿で皇帝の前に出るのは不敬なのでやめましょうよ」という副音声は認識されなかった。もしくは認識されつつも却下された。


「あの、まさか陛下がいらっしゃるとは思わず、このような格好で申し訳ございません」

「そう、だな」


 より縮こまった珠蘭に、皇帝は言葉を間違えただろうかと考えた。「いや、良い」と言うべきだったか。でも、はたして本当に良いのだろうか。驚きはしたものの、別に怒っているわけではなかった。だが皇后がこのような格好で、良い、というわけではない気がする。今までなかった事態に混乱していることは否めない。


「先触れを出せば皇后が見当たらないと言われ、宮から出ないように余が告げたというのにまさか外出したのかと思えば……まぁ、宮にいたことには安堵したが、一体そのような格好で何をしていた?」


 何って、見たらわかるだろう、畑だ。とは思ったものの、そんなことは言えやしない。


「畑を耕しておりました」

「なぜ?」

「作物を植えるためでございます」

「植えてどうする」

「どうする、とは? えっと、食べるためでございますが」

「食べる?」

「収穫して、食べます。それ以外に畑に作物を植える意味がありましょうか?」


 珠蘭は首を傾げた。

 下女の暮らす小屋の裏手には小さな畑があり、さまざまな作物が植えられていた。こっそり勝手に作っていることになってはいたが、黙認されていた。下女に出される食事量は充分ではない時もあったため、そこで採れた作物を腹の足しにしていたのだ。


 そんな経験があったから、珠蘭にとって畑に作物を植えるのは食料を増やすためだ。もう一つ理由があるとすれば、下女時代には作れなかったいろんな作物を育ててみたい、という欲求だった。


「皇后の食事が足りないわけではあるまい?」

「それはそうですけれど、せっかく増やせる土地があるのに、どうして育てないのでしょう? もったいないではありませんか」

「もったいない?」


 皇帝と下女では立場も環境も違いすぎる。皇帝はもったいないという珠蘭の感覚が理解できなかったし、珠蘭は皇帝の感覚が理解できなかった。


(まずい、このまま話が進めば、畑などやめろと言われるかも)


 それは困るので、なんとか違う話題に変えようと口を開いた。


「ところで、あの、陛下。今日はどのようなご用件でお越し下さったのでしょう?」

「あぁ、先日の皇太后の生誕祝いで母上が体調を崩した件だが、調査報告を聞くために後宮に来たので、ついでに寄ったのだ。皇后にも直接話したほうがいいだろう」


 雲英もその場にいたのだから、わざわざ来なくてもいいのに。

 という思いが表情に出てしまったような気がするけれど、何事もなかったかのように取り繕って、来てくれた礼を述べた。


「残念なことに厨房から毒物が見つかった。遅効性の毒だ」


 毒といっても、人を害するほどの効力があるわけではないらしい。場合によっては薬にもなる素材で、医局には常にあるものだそうだ。これを服用すれば、数刻の後に強い腹痛に見舞われ、嘔吐、下痢などの症状が現れる。一過性のもので、摂取量にもよるが、ほとんどの場合は長くても一日あれば快方に向かうという。


「厨房の下女が月餅に混入させたと供述した。幸いにも母上は半分ほどしか食べなかったそうで、今は回復している」

「月餅ならばわたくしも食べましたし、他の者にも配られたのではありませんか? 皇太后さま以外にも被害はあったのでしょうか?」

「母上の祝いだったから、母上のものだけ桃色が付けられていたそうだ。それを狙って混入させたらしい。厨房にはもうこのような事が起こらないように徹底させ、下女には処分が下された」


 その言葉に、胸がざわりとした。その下女は、どうなったのだろうか? 処分って?


「どうしてその下女は、皇太后さまの食事に毒を入れたりしたのでしょうか?」

「詳しくはあとで雲英に聞け」


(それなら最初からそうすればいいのに)


「とにかく、元々疑っていたわけではないが、皇后が直接関わっていないことがはっきりした。それでも、一応は皇后主催のお祝いであったからな。全くなにもなしというわけにもいくまい」

「はい」

「予定通りこのままあと三日、宮から出ずにすごせ。それで終いだ」

「かしこまりました」


 皇帝は全忠に「戻るぞ」と告げて立ち上がりかけた。


「あぁ、そうだ。宮から出なければ構わないが、その姿は外部の者には見られないように気をつけよ。皇后の威厳もなにもなくなる」

「えっ、それって……」


(見つからなければ畑をやっても良しってこと?)


 今度こそ皇帝は立ち上がると、軽く衣の皺を手で払い、歩き始めた。

 珠蘭も後に続く。


「わたくしをお咎めにならないのですか?」

「余が何か言わずとも、どうせ後で雲英に叱られるのであろう?」


 皇帝はわずかに口角を上げると目を丸くした珠蘭を見て、それからその後ろに控える雲英に目線を向けた。


「雲英、ほどほどにしておいてやれ」


 今度は雲英が目を丸くして、絞り出すように「御意」と答えた。

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