13.謹慎
五日間の謹慎を言い渡されて、珠蘭は俯いた。
それを珠蘭の後方、背中側から見た雲英は、珠蘭がショックを受けていると捉えた。大抵の妃嬪にとって、陛下から謹慎の命令が出れば、とてつもない打撃となる。何だかんだいっても、こんな小さな体にいろんなものを背負っているのだ。いきなり言い渡された謹慎が、どれほど心に負担を掛けたことだろう。
雲英は珠蘭の心境を思って、溜息をひとつ吐いた。
対する珠蘭はというと、ニヤける顔を隠して考えていた。
(五日間、宮から出さえしなければいいんだよね)
謹慎中の皇后の元を訪れる者はいないだろう。皇帝だってこないはずだ。ということは、その間は伽の心配などせず、宮の中であれば好き勝手に過ごせるということではないか。
かつての下女部屋とは違い、皇后の宮なのだ。比べ物にならないほどに広い。見えるところは綺麗に掃除されているが、手を入れたいところはいくつもあった。見えないところにも入ってみたい。
(畑を広げるでしょ、果物の木を植えるでしょ、厨房に行くでしょ……)
やりたいことは山積みだ。五日間の自由時間を得た今、さて何からやろうか。
フフッと笑うと肩が震えた。
一方、それを後方から見た雲英は、肩を震わせる珠蘭を気の毒に思った。皇太后を怒らせたことは良くなかったにしても、皇太后の体調不良までは珠蘭の責任だとも言い難い。
さすがの雲英も泣いているのだろう珠蘭に説教をしようとは思えず、なにか慰めの言葉はないかと探した。
「娘娘、皇太后さまが体調を崩されたのは、娘娘に非があったわけでは……」
「え? あぁ、そうね、皇太后さまの件。お見舞いには行けなくなってしまったけれど、なにか見舞い品は贈るべきかしら?」
珠蘭が振り返ると、雲英は目を瞬かせた。
珠蘭もつられてパチパチと瞬きをする。はて、何かおかしいことを言っただろうか。
「……娘娘?」
「…………はい?」
雲英の下がっていた眉がみるみる上がり、ついでに目尻も上がり、顔が赤くなってきた。珠蘭はニヤけた頬を無理に戻そうとして引きつらせたまま固まり、雲英の形相からそっと目を逸らす。
これはまずい。なんだかまずい。
珠蘭の額から、冷や汗が一筋垂れた。
「娘娘!!」
「はいぃっ!」
このあとどうなったかは、推して知るべし。
「それで、また怒られたのですか?」
「うん」
「それなのに、今ここにいるんですね?」
「大丈夫、今、雲英いないから」
「そういう問題じゃないと思いますけど」
珠蘭と明明がいるのは宮の中にある厨房だ。さっきあげた餌を子犬が受け付けなかったので、雲英が外に出たのを見計らって作りに来た。
本来ならば厨房は高貴な身分の夫人が立ち入る場所ではないし、夫人側からしても穢れのある場所という認識があるので近寄らないものだが、下女として食堂でも働いていた記憶のある今の珠蘭に忌避感は全くない。
ちなみに、厨房といっても広くはないし、最低限の設備しかない。基本的に食事は後宮の中にある大きな厨房で作られて運ばれるからだ。おかげで料理のほとんどは冷めている。
この厨房は軽く調理をしたり、温め直したり、そんなことに使われている。
最初こそ止めに入っていた厨房担当の宮女も、何度か来るうちに何も言わずに厨房に入れてくれるようになった。それでも珠蘭が包丁を取り出したのを見て、ぎょっとして必死に止めた。
「皇后さまに傷でもできれば、私の首が飛びます」
「大丈夫、わたくしの腕、今傷だらけだから。ひとつふたつ増えても問題ないし、毛玉ちゃんにやられたって言えばいいし」
「そういうことではありません」
嘆かれた。
残念ながら、それくらいでめげる珠蘭ではない。用事を言い渡して宮女を下げると、やっぱり包丁を握った。
ちなみに毛玉ちゃんとは、先日溺れていた子犬である。名前がまだないので、もふもふした見た目から毛玉ちゃんと呼んでいる。
「娘娘、包丁は危ないです。私がやりますよ」
「大丈夫よ」
「一応止めましたからね」
明明はまるで最初からそうなることが分かっているかのようにあっさりと引き下がり、菜っ葉を手にした。雲英に見つかったらきっと、自分は止めたけれど止まらなかった、と言い訳するんだろう。それでも結局は一緒に叱られることになるのだが。
トントントントン。
「娘娘、上手ですね」
「慣れてるから。明明は料理は?」
「あまり経験がないです」
興味深そうに覗き込む明明を気にせず、火に鍋を掛ける。水と菜っ葉と米を入れて煮込み、味付けすれば、雑炊の完成だ。犬用なので、塩分は控え目にした。
「うん、美味しい。食べてみる?」
「熱っ……あ、美味しいですね」
それにしても、犬用に作っている雑炊が下女時代の自分の食べ物よりも良いっていうのは、なんとも複雑な気分だ。
「食べてくれるかしら?」
「娘娘自ら作ったのですよ。食べなかったら、毛玉ちゃんの喉に流し込んでやります」
そんな明明の圧力に屈したのか、それとも単純に美味しいと思ってくれたのか、毛玉ちゃんはぺろりと粥を平らげた。だんだん元気になってきたようで安心だ。
宮ごもり二日目。
朝の会に出席する必要もなく、宮の外に出ることのない珠蘭は、着飾る必要がない。
「明明、下女の服を手に入れてほしいの」
「さすがに皇后さまにそのような格好はさせられません」
「よくわたくしが着るつもりだってわかったね」
「娘娘の考えることですから」
多少簡素になったとしてもやっぱり重い衣からは逃れられないか、と半分諦めていたら、明明は下女服から少しだけ質の上がった宮女服を手に入れてきた。非常に良い仕事をする。
「明明すごい!」
「そうでしょう。褒めてくださってもいいですよ」
そんなやりとりを経て得た宮女服に着替え、髪を適当にまとめた。ためらいなく、いや少しはあるかもしれないが、明明も同じ服を着た。「娘娘よりも良い物を着るわけにはいかない」だそうだ。
「明明、どう? 似合うかしら?」
「似合いません」
「そう? 明明は似合ってるよ」
「それは私には宮女が似合うっていう嫌味ですか?」
「何を着ても可愛いってこと」
「ごまかされませんからね」
そうして向かったのは長明宮の片隅に作った畑。来客が通る場所ではないので目立たないし、建物の影になる時間もあるけれど、わりと日当たりも良い。
「おっ、良い感じに育ってる」
「そうですね。娘娘、見て下さい、花が咲いてますよ。実がなるかな?」
なんだかんだ文句を言いながら手伝っていた明明も、少しずつ育つ植物は面白いらしい。優しく花に触れて微笑んでいる。
「さて、今日はこっちまで畑にしたいんだよね。まだ植えたいものがあって」
「また怒られますよ」
「そうですよ、やめましょうよ。僕、雲英怖いんですよ」
「雲英は今いないから大丈夫。それに、彼女、怖くないよ。恐るるに足らず!」
「怖いですよ! 恐れましょうよ!」
会話に入ってきたのは宦官、春慶だ。男手もほしいという理由で呼び出され、皇后には逆らえないから参加しているけれど、バレたら雲英に一緒に怒られるという損な役回りである。
ちなみに雲英は皇太后の体調不良の原因を調査するとのことで、宮にはいない。安心して畑仕事に取り組めるはずだ。
「怒られるってわかってるのに、よくやりますよね」
「明明もついてきてくれるじゃん? 意外と楽しんでるよね?」
「反対しても娘娘はやめないでしょう?」
鍬を手に動かしながら、口も動かす。
そう、反対されたところで諦めないのが珠蘭だ。
「よくわかってる。まぁ、見つかったらその時はその時。一緒に怒られよう」
「嫌ですよ」
「こうやって畑仕事で汗を流すっていうのも良いと思うんだよね」
「娘娘がやる仕事じゃありません。言っておきますけど、私も職務外ですよ?」
「僕もですからね!」
聞いていないようで、時折春慶も会話に参加してくる。
「なんだかんだ言っても一緒にやってくれる明明、大好きよ。愛してる」
「そういうことは陛下に言ってください」
「あ、春慶も、だい……」
「わー! やめてください! もし誰かに聞かれたら、それ、冗談じゃすまなくなりますから! 僕の首飛びますから!」
軽口を叩きながら、畑も叩く。非力な珠蘭と違って、春慶はずんずんと開墾していく。頼もしい限りだ。
そんな春慶を横目に見て、珠蘭は立ち上がった。珠蘭だってやればできるのだ。鍬を大きく振りかぶって頭上高くまで上げ、自然と視線も上がったその先。
いるはずのない人と目が合った。
「へ……陛、下?」
珠蘭もそのままの姿勢で固まったが、それは相手も同じだった。
「皇后……で、合ってるよな、雲英?」
皇帝の後ろには皇帝付きの宦官と、雲英が呆然と立っていた。
雲英は非常にゆっくり、とてもゆっくり、大きく頭を抱えた。
「皇后さまに、間違いございません」
この時ばかりは、珠蘭は雲英にちょっと申し訳ないと思った。




