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知らずの鑑  作者: 加藤とぐ郎
籠の章 見ざる其方に
5/8

2 毒髪の少年②

 端から見れば、さぞ珍妙な光景であったろう。伊達眼鏡の一般男子、独立自動の着用縫包、巨大荷物と怪力少年。波打ち際にて邂逅。異世界における売買取引の一場面である。


「その筏、売っていただけませんか」

「何に使うんだ?」

「そのまま筏として使うんですよ。どうやって海を渡ろうかと思案していたのですが、ちょうど貴方達が立派な筏で上陸したのを発見しましてね、なんという幸運かと驚きましたよ。渡りに船とはまさにこのことです」

「海をって、本当にこれで航海する気か?自分で評判落とすのもあれだけど、あんまりおすすめしないよ?乗り心地なんて有ったものじゃないんだから」

「いえいえお気になさらず。僕もこの道は長いですからね、近くの島くらいなら丸太一本で渡れますよ。しかも貴方を無事この浜まで運んできた筏なら、これ以上望むことなんてありません」


僕は、この少年が海の上で丸太に乗っている映像を、ぼんやりと思い浮かべた。丸太一本で渡るってどんな達人だよ。というか“この道は長い”って、この子は何歳なのだろう。


「とりあえず、この筏が入り用ってのはわかったよ。で、いくらで買い取ってくれるんだ?」

「三百エッシャーでいかがでしょう?」


……うん。分かりきっていたはずだった。話し易かったのか僕が馬鹿なだけか、頭に栄養が足りてないからかもしれない。ここが異世界ってことすっかり忘れていた。何だよ、エッシャーって。それが高いのか安いのか妥当なのか不当なのかもわからない。失敗した~。


「えっと~──」

「えっ、そんなにっ!?」


おお!ナイスフォローだ、エテクマ。そうか、比較対象が無いから仮に正当な値段だったとしても、売り手にとっては意外、という場合もあり得る。この返しなら、思ったより低かったパターン、高かったパターン両方に対応できる。そして相手の反応で三百エッシャーがどんな金額か見極められる。完璧だ。


「ええ!僕にとってはそれ程価値があるんです。これまた心配は御無用ですよ。今回の商いでは、少々稼ぎ過ぎてしまいましたから。ちょうどバランスがとれるくらいで」


どうやら三百エッシャーは高額のようだ、それもかなり。しかし手に入れた所で、果たして使えるだろうか。価値もわからない通貨を持って、未知の商品が並ぶ市場に出て行ける訳がない。


「う~~~ん」

「もしご不満なら、更に上乗せ致します!」

「タイム!一旦、こいつと相談する時間をくれないか?」

「構いませんよ。僕はいつまででも待ちますので、どうか御緩と」



 「このまま売ってもいいのかな」

「普通に考えるなら、この先使い道の無い物を高値で買い取ってくれるんだから乗った方が賢い取引だ。あんなもの、極端に言ってしまえばゴミでしかない。でも迷ってるんだろ?」

「そうなんだよ。なんとな~くいまいち気乗りしない」

「多分、奴は金より物を重宝するタイプだ。守銭奴には見えないし、嘘吐きの臭いもしない。あの筏も、奴にとっては本当に価値のあるものなんだろう」

「それは僕もそう思う、でもだから何だよ」

「現状俺たちに金の使い道はない。ならば、奴が鞄の中に詰めてる、実用性が高くて貴重で質の良いものと交換した方が、最善の選択と言える」

「なるほど、物々交換ね。確かにあのギチギチの鞄の中に、食料ぐらいは入ってそうだ」

「正気か?」

「え?」

「何で消耗品、それも旅人にとってかなり貴重な食料取って行こうとしてんだ。しかもこれから海に出ようって奴から」

「だってお腹は空いてないけど、感覚を誤魔化してるだけで食べなきゃ死ぬんだろ?」

「おいおい。あのな、もっとずっとこの先この世界で使える便利なものを──」

「冗談ね!僕もう行くわ!」


その場しのぎでもいいから何か食べたかったんだよ。こっちはえらい長いこと食を断たれてるんだ。飢餓の頂点まであと僅か、超えたらデス。


「お決まりになりましたか?」

「決まったよ」

「そうですかそうですか」

「やっぱり三百エッシャーで売るのはやめにしておくよ」

「でしたら、如何程値上げ致しましょう?」

「いや金じゃなくて……、その……」


僕は考える。今必要なもの。食べ物、食い物、食物、食料、食糧、栄養、養分、エネルギー、フード、飯、ご飯、米!温かい白いご飯が食べたいな!

──うむ。靴……、靴が無いな。どんな道でも素足だと厳しいよな。よしっ!


「靴をくれ!筏と交換で!」

「は、いわかりました靴ですね」


一瞬、言葉が詰まったような。もしかして靴は無いのか。いや無いなら無いと答えるか。あ、でもサイズとかあるよな。僕27センチなんだけど。


「はぁ、そうですね少々惜しい気もしますが」


少年は靴を手放すことに抵抗があるようだった。その様子を間近で見ても、少年が何故こんなに渋っているのか見当が付かなかった。いや、やはり金銭よりも、品物を集めることを目的として行商人をやっているのか。だから危険を冒して旅をして色々な場所に赴いて商いをしている。そう考えると、たかが靴を一足売るのに、躊躇うのにも納得がいく。でも僕は靴ならばどんな物でもいいのだけれど。そこまで貴重な品を──。


「よいしょっ!はいどうぞ!いや~さすがは博識のお人、この筏に比べても負けず劣らず引けを取らず価値のある、この()()()()にお目をつけるとは。今までお会いした何方よりも優れた鑑識眼をお持ちだ!さあ御遠慮なさらずに、お受け取りください。僕はこれから海路を往く身。陸路を往く貴方様のおみ足を文字通り全てから守る、この()()()()も崇高な主に仕えられて喜んでいることでしょう」

「   」


脳みその隅から真っ白になった。一瞬のことで、何かの見間違いに思えたが、明らかな現実だった。履いていた革の靴を少年が脱ぎ、足から離れたその一瞬で、まるで真空に吸い込まれるように重厚に歪み、と同時に、まるで溜息が吐き出されるように軽薄に成されていった。異なる形、異なる色、異なる質、異なる材の異なる物に。


「な……」

「そんなに驚きます?貴方の人差し指のそれと同じ、単なる魔法ですが」

「な……、い、いいのか?貰っても?本当に?」

「ははあなるほど。僕が思いの外簡単に譲ったことに驚かれたのですね。勿論差し上げますとも!ではこれにて取引成立ですね!」


 靴は靴でも、まさか今履いてる物をそのまま渡されるとは思わなかった。いや厳密には“そのまま”ではないな。信じ難いことに、革製の靴がサンダル──グラディエーターサンダルと呼ばれるようなストラップが多くしっかり固定できるタイプのサンダル、に変身したのだ。

「わからない」とエテクマは言った。

「魔法」と少年ははっきりと言った。

何故、「魔法」なんて言葉で片付けてしまえるのか。僕のショックは大きかった。だったら僕が、元いた世界からこの世界に来たのも、「魔法」なんて現実で片付けるつもりなのか。僕はそんなの受け入れられない。もしこれが夢じゃないのなら、僕は眠り姫のように絶対に目覚めることない眠りに就きたい。その魔法とやらで僕を永遠に眠らせてくれよ。だって絶対おかしいだろ。


「コラ!悪い子め!」


いつの間にか僕は、俯いていた。顔を上げると猿でもあり熊でもあるマスコットが道化ている。そしてアンバランスに大きい頭を近づけて、僕にひっそりと囁いた。


「聞いた?魔法だって。これで一つ手がかりゲットだね。もしかして一個で満足しちゃうの?僕たちまだまだ知らない事だらけなんじゃないかな?立ち止まってたってつまらないじゃない。せっかく貰ったサンダル履いて、僕と世界を見に行こうよ!きっと楽しくて嫌なことなんて忘れられるからさ!ほら、」


僕にふかふかの手を差し伸べる。


「涙拭けよ」

「泣いてないでしょ!涙出てないよ!」

「ったくやっと正気に戻ったか。お前、のんきに落ち込んでたら本気で死ぬんだからな」

「わかってるよ。でも、ありがと」

「ふん!俺のキャラじゃねえことさせやがって」

「いやあれが本来あるべきキャラだろ!?マスコットキャラクターだよね!?」

「そんなことよりいいのか?もう行っちまうぞ」


振り向くと、少年は既に筏を海に浮かべて立っていた。


「素敵な物をくださって、ありがとうございました!」

「もう行くのか?まだ話したい事とか、聞きたい事が沢山あったのに!」

「ええ!」


波が音を立てて少年を遠ざけていく。心なしか、僕を運んで来た時の波とは全然別の声に聞こえる。少年の手にはおそらく巨大な鞄から取り出したのであろう、オールが握られていた。



「あなたとは、またどこかでお会いするでしょう!だからその時に沢山お話しましょう!」

「何で会えるってわかるんだー!」

「そんな予感がするんですー!」


あっという間に僕達の距離は、大声も届かないくらい離れていってしまう。小さくなる彼に聞こえるように、大声よりも大声で叫ぶ。


「気をつけろよーー!」

「お元気でーー!」

「またなーーー!」

「……~~~ーーーー!


僕達は大きく手を振った。波の向こうの彼もまた、両手を大きく振り返した。こんな時になんだけど、この世界にも別れ際、手を振る文化はあるらしい。そして気が付くと、空はほんのり夕方に傾いていた。手元にはまだ温もりのあるサンダルだけが残った。ちょっと気になるなとは思ったけど、大事に使おうと心に決めた。

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