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知らずの鑑  作者: 加藤とぐ郎
序章 知らずのままに、生還
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2 白雲ばかり

 筏の上はやることが無い。体調は概ね良好で、不自然にお腹が空いてない。風も波も穏やか、日差しは強いが暑くもなく寒くもない。少し湿度は高くじっとりしているような気もするけどしない気もする。快適だ。人間が住むにはちょうど良すぎるくらいの適した気候。問題はここが海の上で何も無いということだけだ。目下のところ餓死の心配は無さそうなので、何故か。僕が恐れているのは発狂だ。こう何も無いと暇すぎて気が狂ってしまう。と言ったが、実は何も無い訳ではない。僕と同乗している変なキャラの着ぐるみである。なんとなく遊ぼうと試みたが五分と持たなかった。今は頭だけ立てて、平べったくなった体を寝かしている。仰向けで顔だけ起こしてる様に見える状態だ。こいつにイマジナリーフレンドよろしく話しかけるのにも飽きたので、ずっと空を見ている。時間の流れがかなり遅く感じるため、朝も昼も夕も夜も倍以上だ。でも昨日からずっと曇りで、今はもう白雲ばかりだ。


「あーーーーー。うーーーーー。はああああ」


 どうしようもない現状、ただ死を待つだけか。いかんせん景色が変わらないものだから、移動しているのかも定かではない。ぼんやりと、流されているような気はする。何もわからない。僕はどうなってしまうんだろう。喉が渇いてきたところを見るに少なくとも脱水症の末に死ぬぞ。嫌だ。


「お前は良いよな着ぐるみだから

「まあな。でも俺様も野晒しはきついぜ

「俺様キャラかよ。じゃあ、僕らどのみち息絶えて魚の餌だ

「俺様は食えねえだろ

「……。そうか」


いざとなったらこいつを食えばいいのか。


「いや食べても死ぬから!」


一人ツッコミがむなしく波に溶けていく。もう水の声では癒されない。雲は雄大な顔で僕を見下す。なすがまま、運否天賦の流木が、されるがまま、舞い散る花弁が、ありのまま、所在不明の僕が、風に運ばれる。


 「なあお前もう気付いてるんだろ。ここが地球上じゃないって

「そりゃあ僕だって気が狂っても馬鹿じゃないさ

「へへへっ、なんたって月が二つだからな

「初めは体感時間が遅いだけかと思っていたけど、明らかに一日の長さが長い

「知ってる星座が一つも無いでたらめな星空

「地球のどこかでないことは確定だ」


しかしそれがわかったからといって為す術なし。それから諦めて二日経つ。時間的には二日以上だ。日の出を二回見たがその間に五回睡眠をとった。睡眠時間が短すぎるかもしくは長すぎるのか、夜に寝て目が覚めても夜のまま、夜明けに寝て目が覚めても太陽は正中していなかった。太陽なのかすらわからない星を睨んでも、何も掴めない。今は雲の上だ。絶望。絶笑、否、笑い事ではない。


 こんなに長い間、空を眺め続けたことは生まれてなかった。雲が進むスピードが思ってたより速かった。それだけじゃない。空はすぐに顔を変え、二度と戻らない。今あるものが容易く移り、停まることなく流れて行く。そして遮る物が何も無い、こんなに大きな空を見たのも初めてだった。すごく不思議な気持ちだ、自分もこの宇宙の一部だと思うと。今の僕も、この空も、同じ瞬間の漠然とした存在なのだ。なんか、何焦ってたんだろう、僕。──じゃなくて、ここに来る前の僕。また寝ようかな。眠れるっていうだけで結構助かってる。おやすみ。また、あした。


 おはよう。いやぁ爽やかな曇天ですね。相変わらず。潮風が気持ちいいなぁ。え?いやいや別にあのあと目を開けたら病院のベッドの上で、家族が抱きついてきてハッピーエンド~なんて夢オチなんて期待なんてしてなんてないから!……家族、……友達。最悪だ、心の底に抑え込んででずっと考えないようにしてきたのに。思い出したくなかった。寂しいよ。会いたいよ。涙が止まらなくなった。ダムが決壊するシーン、あまりピンと来ないけど、その通り僕の顔は崩れてしまった。声も抑えられない。溜まった孤独を嘔吐する。いいよ、どうせ誰もいないし、どれだけ格好悪くても。


「ふふっ、うっふ……、ふふふふ、えう、ぐぅぅふぅふぅ、ひっぐ、うぅぅ、おぇっ、うぉぉえっ、はあ、はあ、な、ん……、なんでだよ、なんでだよくそっ!くそ……ぅぅぅぅぅぅぅぅぅうう」


うずくまって、丸くなる。そろそろ僕も限界なんだな。意外とこういう時は冷静でいられる。冷静に理性を捨てていく。離していく。


 いや。まだ大丈夫そうだ。泣いて吐いたらすっとした。不安定な足場に無意味に立ち上がる。もう、吐き出せるだけ全部出した。胸の所に力が入る。どこからかガソリンを注がれているようで、鼻から空気を送り込む。心臓が回転する。僕は生きている。波に揺られよろめきながら。


「おっと!危ない落ちるところだった」


投げ出されそうになった体を、筏のへりに両手をつけて何とか止める。そういえば空ばっかりで海は気にしてなかったな。水面は僕の情緒並みに不安定だ。波だけに。


「ははっ。苦笑」


揺らめく境界に誘われた好奇心が手を浸す。冷たくて気持ちいい。雑念が洗われる。荒んだ脈が落ち着く。魚が人差し指に囓りつく。


「痛っっっっっっっっっだァ!!?」


 激痛。反射で魚を振りほどくも、鮮血が海面に波紋を作る。既の所で食い千切られずに済んだような悲惨な赤さ。皮と肉と骨がご挨拶。突然のショックに脳がパニックになってしまいそうだ。悲鳴が頂天を()いて()いて()いて()いて()いて()いて痛痛(ついた)。尋常じゃない痛みが右腕全体を襲う。痛い死ぬ!滅茶苦茶痛いぞ!左手で強く押さえても、芯まで剥き出しになった指から血が溢れてくる。ほんの数秒だったのに、いくらなんでも凶暴過ぎるだろ!海に落ちなくて本当によかった。っていうか僕、踏んだり蹴ったり躙られたい放題だな。


 あれ?何か、体に変に力が入る。痛い痛い!正座していた膝がいきなり痛くなった。気温が温かくなってきたような。力が入ったと思ったら、一気に力が抜けていく。疲労が濁流のように押し寄せて後から後から体に異変が降りかかる。頭が茫々として目もぼやけていく、音質が変わって耳が嫌に響くし、強烈な潮の臭いに鼻が辛い上に、喉の渇きが倍になって息を吸うのも吐くのも苦しくなって、肩がかなり凝ってる、腰も痛い、お腹が空いて痛い、更に脚に力が入らない、靴の中が蒸れて気持ち悪い。指の痛みは引いたけれど、指以外の不調が甚だしくなっていく。とりあえず靴は脱いだ。座り続けているとお尻が痛いので立つ。立つと目眩がして倒れそうになった。まさかとは思うが、毒か。さっきの魚に咬まれて毒をもらったのか。だとしたら最悪だ。もう助かりようが無いのだから。



 「ああ僕……死ぬんだ」

「まあまあ、落ち着けよ」

「落ち着けってなんだよ!こっちはもう限界もいいとこなんだぞ!それでも踏ん張……って──」


着ぐるみがかっこつけて座りながら、僕に言う。


「俺の考えを聞かせてやるからさ」


毒による幻覚症状だ、きっとそうに違いない。あるいは誰かが着ぐるみに入ってなきゃ説明がつかない。恐怖が音を建てて這い上がる。あり得ない。お前は僕の想像上の存在を被せられた単なる着ぐるみだろ。


「あり得ないと言うならば、最初からだろう。まずは今のところ急死する可能性は無いから、安心した方が精神衛生的に良い」

「お前は誰だ?」

「俺の事が気になるか?だったら俺の話からするとしよう」

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