第六章 生きてさえいてくれれば ④
――雨が弱まっていく。
雲の隙間から紅色に輝く月が二人の頭上に浮かぶ。
雨雲を蹴散らすような、たった一つの光が注ぐ。
その光に照らされて二人の影が伸びる。
二つの影は重なったままで、まるで、最初から一つの影のようだった。
そのうちの一つの影が揺れ動く。
自分でも整理しきれない複雑な感情がそこにはあった。
わかってやれなくてごめん、とか、ずっと苦しかったよな、とか。
あらゆる心苦しい感情がある。
だけど、もっと頑なに、自分の心が訴えている。
苦しいけど、辛いだろうけど、
――生きててほしい。
それが、自分の心からの想い。
心の底から沸き立つ感情だ。
優弥の時にも感じたが、自分はもしかしたら、どこまでも自分勝手でわがままな人間なのかもしれない。
だけど、この世でたったひとりの大切な亜里累が居なくなるなんて耐えられるはずがない。
だから、おれは――
魁斗は顔を上げて、まなじりを強めていく。
そして、もう一度言葉を紡いだ。
「累、許せないものは許さなくてもいい」
そっと呟きながら、真っすぐに累の目を見つめる。
ゆっくりと開いていく瞳に自分の姿が映りこむ。
累の目は赤く、目尻は大粒の涙で濡れていた。
「だけど……自分の命を投げ捨てるようなことはしないで、ほしい」
これはおれの願いだ。身勝手で残酷なことを言っている。
「お前の手が汚れててもいい、なんでもいい。おれは……」
累の瞳が大きく揺れ動いた。
「おれは、お前の家族を絶対にやめはしない。だから――」
魁斗の瞳に光が宿る。
月の光のように、暗闇の中でも届けと願いを込めて。
「――ただ、生きていてほしい」
言葉が届いたと同時に累が崩れ落ちる。
その後は、大きな声を上げて、顔も隠すことなく、泣き始めた。
わんわんと鳴いた。
――わたしは生きていていいんだろうか?
累が喘ぐみたいに心の内を吐露する。
だから、魁斗はもう一度伝えた。
――生きててほしい。
聞いて累が嗚咽交じりに泣き叫ぶ。
声を裏返しながら、喉を嗄らしながら、魂ごと吠えるみたいに。
こいつの心の中身が久しぶりに覗けたような気がした。
泣いている累とは対照的に魁斗は柔らかい笑みを浮かべる。
累をもう一度、この腕に優しく包みこむ。
壊さないように、消えてしまわないように、優しく、優しく、そっと包んだ。
抵抗はない。逆にしがみつくように魁斗の背中に手を回す。
おれにとっての累は自分の命よりも大事なものなんだと、この想いを伝えるように、優しく抱きしめ返す。
胸の中で震えて泣いている累が、どうか、いつかはまた心の底から笑って過ごせるようにと祈りながら、言葉を続けた。
「これからもさ……辛い、この世界を……一緒に、生きていこうな」
口角を上げて、ニコッと白い歯を見せて言った。
そして、魁斗は決意した。
もしもまた累がひとりで泣いていたら、
もしもまた生きることが辛くなる日が来たら、
その時は、必ず傍にいよう。
累の深すぎる傷を、深すぎる孤独を、絶望を、少しでも埋めてあげられるように。本当は優しいやつが、生傷を開いたままひとり、孤独に生きていくなんてことがないように。
一緒に乗り越えてやる。
この残酷な世界を。何度でも、何度でも……。
しばらく泣き声は止まらなかった。
耳をつんざくような咆哮。
だけど、その咆哮さえも、愛しいなって思えた。




