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【第四幕 開幕】 鬼狐ノ月 ~キコノツキ~  作者: 椋鳥
第三幕 ~金毛九尾~
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第三章 この手は穢れている ④


 目を覚ます。

 ここは木造建ての借家アパート。築五十年。

 カーテンの隙間から朝日が射し込んで累の顔を照らす。

 その眩しさに思わず顔をしかめた。

 天気は快晴。


 累は布団から上体を起き上がらせると顔を横に振る。顎の先から撫でるようにして目元を覆った。


 最近、どうにも眠れない……。


 覆っていた手を下ろし顔を上げると、魁斗が住んでいるはずの皆継家の方向へと顔を振り向かせる。


 魁斗はおばさんの事件後、皆継家に移り住んでからはめっきりこの家には来なくなった。この家に上がったのは、引っ越しをした時を含めてもせいぜい二、三回くらいだ。


 俯くように、畳に目を落とす。


 正直、あの家を出るのは寂しかった。引っ越した当日は内緒にしてるけど、ひとりでひっそりと涙を流したのを今でも覚えている。全然眠れなかったし、夜が明けるまでが物凄く長く感じた。


 それほどまでに、あの家は居心地が良かったし、わたしにとって、この世界での唯一の居場所だった。


 あの家で、ようやくわたしは人として……



 ――人並みの暮らしを、人並みの普通を、人並みの幸せを手に入れた。



 だけど――それでも出ていった。

 理由はいろいろとある。

 絶対に守りたいものがあった。

 それは半分壊されたけど……。









 カーテンを開ける。

 まばゆい光が一気に射し込んできて、思わず目を瞑った。

 目を開け、視界が広がると、冷たい窓ガラスに手を当てて窓の外を眺める。以前、三人で暮らしていた家の方向を見る。


 しばらく目を凝らす。


 子供時代の自分と魁斗が楽しそうに走っていくのが見える。そして、おばさんが後ろから優しい顔で見守っている。しかし、結局は幻影で。もうどこにもその姿は見えない。


 今は、少し懐かしい。

 その懐かしいと思う感覚がとても悲しい。哀しくて、辛くて、苦しい。


 魁斗を毎朝、呼びに行くのは嫌いじゃなかったな……。


 部屋の中を眺める。

 閑散とした六畳一間。他に人間が暮らしているような雑多な気配はない。

 この空間には自分以外は誰もいない。当たり前だ。一人で暮らしているのだから。

 

 この部屋には、わたし一人だけ。


 魁斗には何度か、家を出る理由を聞かれた。

 でも、まともに答えてはあげられなかった。

 言えなかった。それに知らなくてもいい。


 わたしは魁斗とおばさんの生活が守れればそれでいいと思った。あの二人が、ずっとずっと幸せに暮らしてさえいてくれれば、それで満足だった。そのためには、どんな条件だって飲んだし、なんだってやった。



 ――だけど、壊された。

 ――絶対に、絶対に、絶対に許せない。



 ひとり、部屋の中で奥歯を噛み締める。

 窓ガラスに当てている指先に力が入る。

 ガラスに爪が当たり、つつーっとひっかいたような音が鳴る。


 そして、ゆっくりと目蓋を閉じた。

 

 どうしようもなく己は弱い人間なんだと、わたしは知っている。

 気がつけばひとりぼっち。ものすごい孤独感だ……。


 もう元には戻らない。

 とにかく寂しくて、寂しくて、寂しくて……。

 本当に寂しくて、仕方がない。

 どうしようもないのに、人が恋しいのに、目の前で自分の家族を奪われたのだから、他人に心が開けない。誰に対しても疑いの目を向けてしまう。自分は臆病でダメな人間だなってつくづく思う。昔とさして現在も変わっていやしない。


 累は遠い日の記憶をたどっていくように、目蓋を開けて三人で暮らしていた家の方に再び視線を向ける。そっと手を伸ばすように動かしていくが、窓ガラスにぶつかり遮られる。口元を引き結び、ひとり寂しく目を伏せていく。


 わたしがすべてを失って、これからどう生きていけばいいのか、どのようにして生きていくべきなのか、わからなくなった。そんなときに巡り合えたんだ。おばさんと魁斗に。



 錯綜する精神に高まる気持ち、あふれ出しそうな感情を抑え込み、累は少しだけ昔のことを思いだしていく――





 ※※※


 



 記憶はまだらだ。

 気がつけば、おばさんと手を繋いでいた。

 連れられた先は魁斗とおばさんが住んでいるお家。

 家の玄関が開かれると、ある男の子が立っていた。年齢はわたしと同じくらい。男の子はおばさんの傍らにいるわたしを見てきょとんとした表情を浮かべていた。


 おばさんが男の子になにかを話している。

 

 すると、男の子はわたしの目の前にやってきて優しい笑顔を向けてくれた。肌はほのかに日焼けしていて、Tシャツから伸びる腕はわたしのとは違って少しごつごつとしている。


「おれ、魁斗」


 そう言って、にかっと笑ってわたしの手を掴む。笑ったときに覗く真っ白な歯が印象的だった。


「きみ、名前は?」


「……」


「おれ、六歳! もう小学生なんだぜ!」


「……」


「きみはおれよりちっちゃいから、おれの方がお兄さんだな」


「……」


 ふんぬっと鼻息荒く、誇らしげに両手を腰に添えて、偉そうに仁王立ちをした。

 とにかく、いきなりうるさかった。

 活発で明るくて真っすぐで。そして、わたしの中に容赦なしに踏み込んでくる。

 最悪な印象だった。


 でも……


 その後に、もう一度わたしの手をぎゅっと握ってくれた。

 わたしより、うんと温かくて安心する体温。


 横に立っていたおばさんが顔を近づけて笑う。


「ゆっくりでいいからね。お腹すいたでしょ、ご飯食べよ」


 連れてきてもらったこの家はあまりに温かくて、あまりに優しくて、あまりに安心できて。わたしにとってはきつくて辛いものだった。


 そのぬくもりが辛い。

 その優しさが辛い。

 その家族を感じる温かみが辛い。


 ――自分の家族を思い出して。










 それから幾日も過ごした。

 この家は最初の印象と変わらず温かい家だった。

 思わず、ほっとしてしまうほどに。

 その度に思い出してしまう。

 わたしの家族は、わたしの目の前で殺されてしまった。

 なにも悪いことなどしていないというのに。


 わたしが生まれてから、家族を含めて、疎まれ、恐れられ、忌み嫌われて、後ろ指をさされて、石を投げつけられた。そして、最終的に逃げ出そうとしたら殺されてしまった。


 わたしの家族だって優しくて温かかったのに。


 まだ母さんの手のぬくもりを覚えている。

 まだ父さんの優しい眼差しを覚えている。


 だから、この家はあまりに……



 ――わたしにとって残酷だった。










 笑えなかった。

 なにも言えなかった。

 そして、苦しくて、辛くて、痛かった。


 どうせ、この家庭も壊れるんだと思った。


 だけど……


 男の子はしつこく声をかけてくる。

 なにも返事を返さないのに、俯いたわたしの顔を覗いてはぎゅっと手を繋いでくる。

 そのせいで、ちくりと胸が痛くなる。

 痛いからやめろって思った。

 だけど、その反面で……どうしても、どうしても、その繋がりが温かく感じて、嬉しかった。










 男の子は黙っているわたしの手を繋いだまま、色んなところに連れて行ってくれた。

 ところどころに流れる用水路、小さな稲荷神社。錆びついた鉄棒と砂場しかない公園。

 そんなところでも顔をきらきらと輝かせて笑ってる。


 なにが楽しいの……?


 わたしにはよくわからなかった。

 家族を失って以来、この世界が灰色に。モノクロで支配されていたからだ。

 彩りなんてものはありはない。

 なにも美しく見えないし、なにも感じない。

 ただの白と黒だ。


 だけど、手を引く男の子はどんなものを見ても、光って見えているように。どんなことでも楽しんで見せる、そんな色鮮やかな子だった。










 その男の子は、いろいろとしゃべってくれた。

 一番多い会話の内容は『兄妹になってあげる』だった。

 なれるわけないのにね。

 だけど、ずっと言ってくるの。

 真っすぐな目でわたしを無条件に包み込むように。


「累はさ、いろんなものを無くしたんだよな。じゃあさ、おれがいっぱいあげるよ! お兄ちゃんだからなっ! あげられそうなものはなんだってあげるし、おれがなってやる! 友達が欲しいなら、おれがなってあげるし、家族が欲しいなら、もうなってるし! 兄妹が欲しいなら、お前を妹にしてやるっ! ……だけど、その……け、結婚は……母さんとするからできないけど――」


 時々、おかしなことも言っていたけど……。


「――おもちゃだって貸してあげるし、お菓子だってわけてあげる。累はお稲荷さんが好きそうだから、それも一個多く分けてあげるよ! そうしたらさ、きっともう、寂しくも辛くもないだろ?」


 男の子は一生懸命に言葉を伝えに来てくれた。


 魁斗は、あの時の言葉を覚えているかな。

 わたしにとって、少しだけ寂しさが薄まったような、そんな言葉だった。



 


 ※※※





 ある晩、わたしは夢を見た。

 いや、夢ではない。

 あれは現実。フラッシュバック。


 里から逃げるわたしたちを追ってきている者たちが夜の闇に隠れながら近づいてくる。

 必死に逃げるも、その者たちは追いつき、そして、わたしたちに攻撃を加えた。その手に持っているのは刃物。投げてくるのは手裏剣やくない。


 両親はわたしを庇うようにして、その全てを体に受けた。

 倒れながら、両親は涙を流して叫んだ。


「逃げろっ! 累!」


 そして、冷たい地面に倒れ伏した。

 わたしは倒れた両親を見つめ、震えて動けなかった。

 すぐ近くに黒い影。闇夜に刃物だけが鮮明に輝いて光っていた。


 影者は二人。

 木々の陰から静かに近づいてくる。

 そして、一人がわたしに向けて刃物を振りかざした。

 なにかをぶつぶつと呟いている。


「呪われた子。裏切り、災厄を起こす前に……」


 影者は刃物を振り下ろしてくる。

 あまりの恐怖に目を閉じた。だけど、刃物はわたしに届かなかった。


 倒れていた両親が立ち上がり、わたしの目の前の影者を後ろから貫いた。影者は心臓を貫かれ、口から血を吐きながら絶命した。心臓を刺したのは母さんだった。母さんは息も絶え絶えに、もう一度、わたしを見てから叫んだ。


「累! はやく……はやく逃げ……」


 その瞬間だった。

 もう一人の影者に母の心臓は貫かれた。

 ひとたび、刺した刃物が引き抜かれると、血が大量に溢れ出し、母さんの目は色を失った。傍らにいた父さんはその姿を悲痛な表情を浮かべながら見ると、母さんを殺した影者に一目散に小太刀を突き刺そうと特攻する。だが、父さんの刃が届く前に影者の刃が先に父さんの腹部を突き刺されていた。すぐに引き抜かれて、お腹から血がドクドクと流れる。


 父さんは膝を落とし、地面に手をついて、なんとか倒れないように歯を食いしばりながら堪えていた。倒れそうになる父さんに向かって、影者は言った。


「安心しろ。我らがはらってやる」


 そう呟くと影者は両手で握った小太刀を頭上にあげた。背中を突き刺すために振り下ろす。父さんは突き刺される前に持っていた小太刀で、影者の足元、片側の腱を切った。


 苦鳴を上げ、態勢を崩す影者。その隙に父さんはわたしの方に顔を向けて、叫んだ。


「今だ! 逃げろ! るィ……」


 言葉は最後まで繋がれなかった。

 最期に呼んでくれるはずの、その名前すらも途中で打ち止められた。


 影者が背中から父さんの心臓を貫いたからだ。

 引き抜かれ、血飛沫が舞う。

 父さんの目からも生の光が。鮮やかだった瞳の色が失われ、そのまま地面に倒れ伏した。

 間違いなく絶命していた。


 影者は片方の足を引きづりながらも、わたしの方へと近づいてくる。

 わたしは今度こそ振り向かずにその場から逃げた。


 覚えているのはそこまでだ。





 ※※※





 発作的だった。

 黒く塗りつぶしたような暗い夜になると思い出してしまう。

 記憶が蘇っては、無理やり忘れようとした……けど、ダメだった。

 どうしても思い出してしまう。


 ひとりでぶるぶる震えて、涙が溢れていた。

 怖かった、暗闇が。

 どうしようもなく、恐怖が、不安が、絶望が押し寄せてくる。


 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い……


 体を恐怖から守るように、精一杯に丸めて縮こませる。

 それでも、震えが止まらない。



 そんなときに――



 後ろから温かい手が伸びてきた。

 その手はそっとわたしの身体を包み込んで寄せてくれた。


 背中から穏やかな心臓の鼓動が伝わってくる。


「おれが、家族になってやるからな」


 そう言って、優しく、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 その腕が、その鼓動が、その言葉が、その温かさが、痛い。

 

 ――痛いほどに、嬉しかった。


 ひとりぼっちになったと思った。

 本当は寂しくて死にそうだった。


 わたしは、なにも返せないのに。

 わたしは、疎まれているのに。

 わたしは、忌み嫌われているのに。

 わたしは、災厄をもたらすかもしれないのに。

 

 この男の子はずっと寄り添ってくれる。


 思わず、その手を握っていた。


 たしかな、ぬくもりを感じた。



 






 やがて、溢れる涙を全て流し終えると、男の子にちょいちょいと服を引っ張られる。

 体を起こして、目蓋についた涙を拭うと、男の子に目を向ける。


 男の子は窓から零れる月明かりに照らされていた。


「累……見ろ。月だ」


 その夜空に向かって指を差す。

 暗い空にはまんまるなお月様があった。


 息を飲んだ。

 雲が、漆黒の雲が、晴れていく。

 満月が、夜の天を眩しく照らしていた。

 柔らかくて、優しく包み込んでくれるような光だった。

 どんな暗闇の中でも、それは明るく輝いていた。


 二人で窓の外を見ながら、わたしはずっと眺めていられると思った。

 暗闇の中にも光はあるんだと知った。



 ――その瞬間だった。



 視界が透き通り、目の前が煌めきはじめた。

 モノクロの世界が鮮やかに色づき、染めていく。白と黒が七色に変わっていく。


 時が止まるほどに――それは、ただただ、美しい光景だった。


 ちらりと隣を見る。

 男の子は夜空に浮かぶ本物のお月様をじっと眺めている。

 その横顔を見て、

 大きくて、優しくて、温かくて、美しくて、暗がりをそっと照らしてくれる。



 彼は、わたしの月だと思った――










 次の日も、その次の日も。

 男の子は話しかけてくる。

 あまりにしつこかったから笑っちゃった。

 そうしたら、今度は黙りこくったの。

 わたしの顔を見て、まるでお化けが出たみたいに、目を大きく見開いて。


 あれ……もしかしてわたしの顔……変?


 不安になったけど。

 男の子は、すぐに笑い返してくれた。

 それを見て、わたしもまた笑った。

 そうしたら、あいつはもっと笑うの。

 馬鹿みたいに笑い合った。

 寂しさなんて、記憶の奥に沈んでいった。


 ――この子がいるなら、きっと……わたしは大丈夫だ。

 








 笑っちゃうのは、その後もずっとわたしを妹にしようとして兄貴ヅラするところだ。年齢は一緒でもわたしの方が早生まれ。


「累は何月何日生まれ? おれは一月二十二日!」


「……わたしは十一月十三日……わたしの方が生まれたのが早いね」


「……」


 あの時の、あいつのばつの悪そうな顔は面白かった。

 

 わたしを笑顔にさせてくれるのは、いつだって魁斗だ。

 幸せな気持ちにさせてくれる。


 だから、なにがあろうと魁斗のことは守るって決めてるんだ。

 わたしは、もう一度この世界で生きる目的を見つけた。

 たとえ人を殺しても、自分が死んでも、魁斗だけは守るって。


 わたしの……



 ――この手は穢れている。

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