第二章 裏世界への門出 ②
あれから幾日後。
学校は夏休み中であるにもかかわらず、何日間か登校日がある。もちろん行く気などない。魁斗は重たい瞼を閉じたまま、自宅のベッドで横になっていた。まるで、生きた死体のように身体は動きそうにない。
玄関のチャイムが鳴る。
魁斗は一度目を開くが、起き上がる気力などなく、再び、瞼を閉じる。
再度、玄関のチャイムが鳴る。
無視。
すると……
ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン……!
玄関のチャイムが何度も何度も怒涛のように鳴り響いた。
――うるさいっ!
「魁斗ー!」
聞き覚えのある声が玄関の方から聞こえてくる。魁斗は大きくため息をつくと、ベッドから重たい体を起こす。よたよたとおぼつかない足取りで階段を下りていく。玄関ドアのすりガラスのシルエットで誰がドアの前に立っているのか一目でわかった。ドアの鍵を開けた。ドアノブを回し開かれたドアの向こう側には、思った通りの人物。制服姿の累が片手にスクールバックを持って立っていた。
「おはよう、魁斗。学校行くよ」
開口一番、累は言う。
「はっ、なんで? 行かないよ、こんな時に」
「いいから! 行くよ!」
魁斗が拒否をしようとも、いやおうなしに学校へ行くように急かされる。
「なんでだよ……」とブツブツごねるも、「いいからっ!」と準備を進めさせるために誘導されてしまう。累に手伝われながら、しぶしぶ学校へ行く準備を始める。
あんなことがあったのに……。何で学校なんか……。
ダラダラ動いていると「早く、着替えてっ」と二階の自室まで背中をぐいぐい押される。部屋の中に移動させられるとドアをバタンッと勢いよく閉められ、累は部屋の外で待機。どうやら、着替えは手伝ってくれないらしい。魁斗はしぶしぶ自分で制服へ着替えることに。
しばらくして、ちょうど着替え終えると、
「着替えた? なら行くよ!」
タイミングよく自室のドアを開けられ、累が袖を引っ張る。連れ出されるような形で家をあとにした。
※※※
学校の校門が見えてくると、ぞろぞろと同じ学生服姿の生徒たちがブレザーを揺らしながら、同じ目的地へと流れていっている。
すれ違う生徒や少しだけ距離の離れている生徒たちからは好奇な目で見られていた。
事件のこと、さすがに知られているんだな……。
好奇な視線には気づいていたが、あまり気にならなかった。それどころじゃないというのが正直なところ。彼らの好奇心や興味に対し、なにかを思う心の余裕が今の自分にはない。
「いい? 気にしないのよ」
と。あらかじめ、累にはこうなることを予想されており、耳打ちも受けていた。
校門をくぐっても累は傍を離れなかった。
いつもなら校門をくぐる手前くらいから、魁斗のもとを離れていって、先に校舎の中へと入って行ってしまうのだが、今回は特別なのだろうか……。
教室の入り口まで一緒に並んで登校すると、累はそっと離れていった。離れる前に、
「またあとで……」
小さく耳元で呟かれた。そのまま、累は自分の席の方へ。
あとで?
累が無理やり学校に連れてきた理由は何だろう?
今、学校に来てなにか意味があるのだろうか?
わからない……わからないけど、またあとで、と言われたのだから、あとなのだろう。
……それに、今日は教室まで一緒についてきてくれた。
ただ、それだけなのに少しだけ自覚なしに薄く微笑んでいた。
累とは一緒のクラスだが、席は離れている。
中学・高校と累はなぜか学校では自分に関わってこないというのが当たり前になっていた。というよりも、累は学校で人と絡んだりすることを極端にしない。なにかしらの理由はあるのだろうが、その理由を自分は知らない……。
魁斗はひとり、自分の席まで歩いて座ると何人かのクラスメイトが近づいてきた。口々に励ましの言葉や慰めの言葉をかけてくれる。『大変だったな』『元気だせよ』『何かあれば言えよ』など、同情の表情や言葉が入り交じりながら魁斗を囲んだ。
こんな時に話しかけられるのは辛かった。
「うん。ありがとう」
当たり障りのない言葉を返して、上辺だけの笑顔を顔に貼りつける。彼らの言葉を自分の心に受け入れるほどの余裕はまだ無い。
※※※
学校が夏休み中のためか、授業は昼前に終了した。
担任の先生が近くに来ていろいろと話をしてくれたのだが、何も頭に入らなかった。友達の慰めの言葉も、先生の励ましの言葉も、どんな声も、耳には届かない。先生に対しても、友達の時と同じように上辺だけの笑顔を貼って、適当に対応。
帰る前に男友達が魁斗のもとへ近づき、よかったらと夏休み中の遊びに誘ってくれた。だが、全て断った。
「そうだよな。ごめん、こんな時に」と謝る友達の相手をしていると、累が近づいてきて、さりげなくメモを渡してきた。ノートのページをちぎったような切れ端が半分に折られている。メモを渡すと累はすぐに去っていった。魁斗は累の名前を呼ぼうと振り返るも、すでに教室のドアが閉められた後だった。メモには、『あとで屋上に来て』とだけ記されていた。
慰めの言葉をかけてくれた友達を見送り、ひとり教室で対応の疲労に息ついた後、ようやく魁斗は自分の席から立ち上がって教室を出た。
屋上へと足を運ぶ途中、それぞれ横切っていく教室を横目に覗いてみると、生徒はほぼ帰宅しており、学校内に人はほとんど残っていなかった。いつもよりも早い放課後ということになるのだが、授業をしている時のにぎわいのある学校の雰囲気は消えており、閑散とした寂しい雰囲気が流れていた。
屋上へ足を運ぶ途中の廊下で、何人かの先生とすれ違い、その中のひとりが足を止めて、声をかけてくれた。
先生はなにを言おうか、複雑な表情を浮かべて、少し言い淀みながらも、
「紅月……今日はよく来てくれたな。……まぁ、気をつけて帰れよ」
一言だけ添えて先生は振り返り、去って行く。
魁斗は先生の後ろ姿が消えるまで、その場で見送ると、再び屋上へと足を運んだ。
屋上へと続く扉が見え始める。踊り場まで着いたときだった。ふと見上げると、扉の窓には二つの人影。そのうちの一つが激しく動いているように見えた。
口論しているような動き。
見えないからよくわからないけど……。
聞き慣れた声。
それは、累の声だった。怒声が耳に届く。
――え、今のって……。なに? なにが起きてんの?
虚ろな意識から一転。目の前がはっきりとしてくる。
素直に驚いていたのだ。
累が学校で声を上げるところなんか見たことない。本当に累なのか? と少しだけ自分を疑ったが、間違いなくこの声は累だ。十年はこの声を聞いて生きてきたのだから、間違えるはずが無い。
怒声はまだ続いている。話している内容までは聞き取れず。屋上へつながる階段を一気に駆け上がっていく。
屋上を隔てる扉のドアノブを回したとき――
――パシンッ!
と、乾いた音が空に響き渡り、怒号が止む。
魁斗は勢いよく扉を開いた。目の前に広がるのは、怒りの表情の累と頭を下げている女生徒の姿だった。
二人は魁斗が来たことに気がついて、視線をこちらに向ける。
頭を下げていた女生徒は顔をあげて魁斗を見据えた。右頬がちょっと赤くなっている。
その女生徒の方を見ると、色違いのネクタイに色違いの校章。
どうやら、ひとつ上の先輩のようだ。
魁斗は、先輩の顔に目をやると、驚きで目を見開いた。
こちらを向いて微笑む彼女は雅やかな魅力をまとっていた。腰まで伸びる黒髪はさらさらと上質な絹糸のように風にゆらゆらと揺れている。そして今にも消え入りそうな透明感のある白い肌に、どこか潤んだような優しくて、甘い瞳。
一瞬、見惚れていた。
彼女と目が合うと、穏やかな笑みを浮かべられて挨拶をされる。
「こんにちは、紅月魁斗さん。はじめまして、ですね」
そう言って彼女は目尻を下げて、優しく微笑んだ。
彼女は、この学校では有名人だ。
名前は――皆継左喩――。
高校二年生の一つ上の先輩だ。何で知っているのかというと、学校内で彼女は人気者だからである。容姿端麗で文武両道。そのうえ、物腰が柔らかくて、誰にでも分け隔てなく関わる。文字通りの大和撫子で男子生徒たちからは羨望の眼差しで見られている。
まさかの人物に驚いて、数秒間立ち尽くす。そして、挨拶を返していないことに気づくと、魁斗は困惑しながらも挨拶を返す。
「えっと……こんにちは、皆継先輩」
挨拶を聞いて左喩は、にっこりと笑って会釈をしてくれた。釣られて魁斗も軽く会釈をする。
「えーっと……何かあったの?」
魁斗は右頬を掻きながら、累の方に振り向き、尋ねる。
いったい、さっきまで何があったのかを思っていると、累と左喩が意味深な空気で顔を見交わしている。
そして質問には左喩が答えた。
微笑みを浮かべたまま、胸にそっと手を当て、
「紅月魁斗さん。あなたを皆継家で引き取ることとします―――」
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