第三章 散る命に憂う ②
学校に到着。
今日はさすがに早起きしすぎて眠気が襲ってくる。早く着きすぎたため、教室内には誰もいない。
「……くああ……」
噛み殺しきれない欠伸が漏れる。
ヤバいぞ。これは、授業中に寝てしまう。
魁斗は自分の席に着くと、机に全身を預けるように突っ伏す。もはや重い目蓋は半分閉じかけ、徐々にまどろんでいく。
これは無理だ、と思い目を閉じた。
そのまま、眠りの世界に入り込んでいった。
夢の中では、蒼星暁斗がいた。それも、当然のように隣の席に。「おはよう、魁斗」と普通な感じで挨拶をしてきて、自分も笑顔で挨拶を返していた。挨拶を交わすと、まるで友達同士のように小突き合ってくだらない会話を交わす。そこに、友作たちが加わってきて、また笑顔が広がって。まるで、以前の状態に戻ったようだった。授業が始まると、教科書を忘れた暁斗が「魁斗、見せて」なんて言いながら、机を並ばせて、一緒に授業を受けていた。
――そんな、ありえない夢。
しばらくすると、がやがやと教室内に喧騒の音が鳴っている。その音で魁斗の意識は覚醒し目を開けた。いつの間にか、教室内には集まったクラスメイトたちが談笑したり挨拶を交わしている。
教室の時計をチラッと見ると、時刻は八時二十分。あと、十分で朝礼が始まる時間だった。目蓋をこすりながら突っ伏してた机から体を起こす。
あっ……眠気は少し覚めたな。
どうやら少し眠ったことで目が覚めたらしい。人目もはばからず、椅子に座ったまま、天井へ向かって、ぐいーっと思いっきり伸びをする。
「お前、よく寝てたなぁ。夜更かしでもしたのか?」
気がつけば目の前の席には友作が座っており、こちらに体を向かせて、顔をのぞき込んでいた。
「お、いや、べつに……ただ早起きしすぎただけ」
魁斗は、あばばっと欠伸を漏らす。そんな様子を友作は心配そうに見てくる。
「……まさか、お前。朝から新聞配達とか、そういった類のことしてるとか?」
「うんうん。まあ、そういったとこ」
魁斗は寝起きで回らない頭で何も考えずに答えた。
朝のことは仕事と言えば仕事みたいなものだし。金払ったけど……。
わけのわからない言い訳を自分の中でしておく。仕事の定義や基準がもはや無い。
そんな魁斗のテキトーな発言に友作が反応。ふるふると身体を震わせる。
「おまえ……朝から頑張りすぎなんだよ……何かあればさ、おれがご飯持ってきてあげるから……」
朝から、なぜか目の前で悲しい映画でも見た後のように友作が瞳に涙を溜める。こらえきれず、目尻からこぼれてしまった涙を持参していたハンカチで拭き取る。
えぇ……なんか寝て起きたら、目の前で友達が泣きはじめたんだけど……。
魁斗の頭はまだ回ってはいない。
クラスメイトたちは、一年前に魁斗が親を亡くして以来、一人で生活費や学費を払い、孤独に生活をしていると思っている。だが、それを魁斗は知らない。適当にごまかしていたら、どんどんどんどん可哀そうだけど、一人で辛い顔は見せずに、挫けず、頑張って生きている、そんな哀れな少年というふうに思われているらしい。
「このみぃ~、聞いてくれよぉ。魁斗が朝から新聞配達して頑張ってるんだとよぅ~」
友作は目元をハンカチで拭いながら、隣の席に座っていた好に話しかける。目線を向けて気がついたが、好も小刻みに体を震わせていた。そして、こちらに振り返ると、
「聞いてたよぉ~う、涙が止まらないよぉ~。魁斗くぅん、お願いだから、くたくたになる前にわたしたちを頼りなよぉ~」
目から激流のように涙を流し、くしゃくしゃになった顔を向けて、そう伝えてくる。
魁斗は一瞬固まる。
ヤバい。嘘を重ねてきたことが変な方向に進んでいる……。
さすがに焦りの冷汗が流れ始める。
「いや、大丈夫だって。おれ……ほら、身体が丈夫だし……」
苦笑いを浮かべて、そう弁明するも、
「そういう問題じゃないよぉ~ぅ」
好がさらに涙を滝のように流しながら、ずいっと迫ってくる。
わ、訳がわからない。どうしてこうなる? なんだこの状況は……?
寝て起きて頭が回らない中、目の前でカオスな状況が発生している。もはや、頭が真っ白になり、どう収集をつければいいのかわからない。
「もうお前はさぁ、昼食の弁当持ってこなくていいから、おれがなんか食料持ってくるから……」
「わたしが弁当作って持って来るよぉ」
友作と好が止まらない。
なぜか昼の弁当を持ってこなくてもいいとか、そんなことを言っている。だけど、弁当は左喩さんと智子さんに毎日作ってもらっている。自分が作ったなんて言い張ってるけど、毎日美味しい弁当を作ってもらっているのだ。この状況をあの二人に、どう説明すればいいのかわからないし。二人の作る弁当がすごく美味しいから、それは阻止したい。
「いやいや、ほんとに大丈夫だって! おれ、弁当作るの好きだから……」
言うと、ウオーンとまるで兄妹狼のように手を取り合って泣きわめきだした。
魁斗は絶望し、この状況を収めるのは無理だと判断。
泣いている二人を置き去りに席を立ち、なんの用事もないが教室の後ろを彷徨い歩く。言い方を変えれば逃走を図った。
あ、そういえば……。
魁斗は辺りを見渡し始める。
優弥は同じクラスにいるって言ってたけど……あれは、はたして本当だろうか?
魁斗は教室の後ろに突っ立って、教室内全体を見渡した。
すると、教室の廊下側。前から二番目の席に座っている累と目が合う。累は半身になりながら、つまらなそうに頬杖をついてこちらを見ていた。
目を見交わすと累はパクパクと口を動かし、メッセージを送ってくる。魁斗は累からの通信をコンタクト。読唇術の心得もない魁斗でもすぐにわかった。アホって言っている。長年、累と連れ添った経験が言っているから、間違いない。
まあ、アホの形ぐらいは誰でも読み取れると思うが……。
魁斗はまるで子供が反抗するように口をいーっと歪ませると、累に通信を送る。
悪かったな、アホでっ!
パクパクと口を動かす。しかし、通信は虚しく途中で遮断。口を動かしている最中に累が体を前に向き直したのだ。
うおい、累っ! ちゃんと最後まで通信をキャッチしろよっ!
それでも、魁斗は身振り手ぶりをして、テレパシーを送り続けるも、届けたい人には決して届かず。後ろ姿だけが虚しく瞳に映る。
なんだよ……。
もういい、とあきらめて教室内に居るはずの優弥を探すこと数十秒。
目を凝らす。まわりをじっくりと見渡す。そして……
――居たっ!!!!
居たのだ、優弥が。
思えば、なぜ今まで気づかなかったのだと思えるほどに、普通に居た。
優弥は教室のちょうど、ど真ん中の席に座っている。
人が教室に集まってくると席周辺の人混みにまみれて、さらに影が薄くなっていた。
誰も優弥を見向きもしないが、無視をしているわけでもない。それどころか、優弥は率先してクラスメイトに挨拶を交わしている。
「おはよう」
優弥が笑顔で挨拶をすると、
「お、おおぅ……なんだ、えっと……優弥か。おはよう」
まるで、居ないはずの人間が突然目の前で姿を現したかのように驚いて、名前を思い出すのに少し時間がかかり、挨拶を返すクラスメイト。
挨拶が返ってきた優弥は、なぜか満足げだ。ニコニコと笑っている。挨拶を終えると、クラスメイトと会話をすることもなく、席に座り直して目線を前に向けている。クラスメイトは再び、近くの友達と談笑を再開。
……なるほど。
これは、たしかに気づきづらい。誰かが優弥に着目してあげないと、こいつは埋もれてしまう。それほどまでの無害感を振りまいている。そのおかげで教室内での存在感は薄まるばかり。累とはまるで違ったタイプだ。累は自ら一人になろうとしている。近寄るなオーラをふんだんに振りまき、近づけまいとしている。そのためか、教室では腫物のような存在感がある。認識はされているが触れられないのだ。だが、優弥は違う。こいつは人と関わろうとしているのに、持ち前の物腰の柔らかさと優しそうな見た目、そして雰囲気。それすなわち無害感オーラで存在感を薄まらせてしまっている。挨拶を交わしたクラスメイトに会話を展開するわけでもないし……。
……なんだろう?
こうして認識してしまった以上、声をかけた方がいい気がする。もう、お互いを知らない仲でもないんだし。
魁斗は教室の後ろからズンズンと教室のど真ん中まで歩き進めると、優弥の席の前に立ち、
「おはよう、優弥っ!」
元気よく挨拶をしてやった。
優弥はまるで、この星でたった一人、自分しか生き残っていないと思っていたら、もう一人の生存者を見つけたかの如く感動したような顔を浮かべ、
「おはよう、魁斗くんっ!」
威勢よく答える。
「優弥……」
「なに?」
魁斗はまるで生き別れた弟を見つけたような顔をして、
「お前を見つけるのには苦労した……だが、ちゃんと見つけた。普通に居たんだな、この教室の中に……」
「魁斗くん……」
見つめ合う。
優弥は瞳を甘く揺らし、口元をぎゅっと一度つぐむと、その唇を開いた。
「口元にカレーついてるよ」
悪びれもなく魁斗の口元を指差して答える。
そして、朝礼のチャイムが鳴った。
※※※
昼休憩は、やんややんやと友達同士でテーブルを合わせて弁当を広げる者、購買にパンやらおにぎりやらを買いに行く者、食堂で昼飯を注文して食べる者など、昼ご飯を食べる手段は人それぞれ。そして、優弥は弁当を持ってきている。魁斗と同じ弁当持参組だ。自分の席でその弁当を広げて食べようとしていたのが見えたため、なんとなく優弥をあのまま一人でほうっておくのも忍びなく、魁斗は優弥を呼んで一緒に弁当を食べるグループにご招待。聞けば、弁当はいつも自分の席で一人で食べていたという。
「あれっ? お前、友達いるって言ってなかったっけ?」
「それは前のクラス。時間がかかったけど最後に友達が出来たんだ。ようやく、ぼくの存在がクラスに認識され始めた頃に。でもまあ、その子とは二年生になってクラスが変わってから、あまり会ってないけど……」
なんという哀しき性を背負っているんだろう。泣きそうになる。実際に目の前で弁当を広げている友作はその話を聞いて涙をこぼしている。もう涙腺がゆるゆるで壊れてしまっているようだった。
こいつ、涙もろいな……。まあ、いいやつなんだけど……。
魁斗は涙腺がぶっ壊れている友作を一瞥すると、優弥を今はいない暁斗の席に座らせ、机を向かい合わせに並べる。友作含め何人かの男友達と一緒に昼食を食べ始めた。優弥は弁当包みを解き、弁当箱をぱかっと開ける。綺麗に彩られた弁当の中身が見える。
ほほう、色んな食材を巧みに使用して弁当箱に敷き詰めている。
魁斗も同じように弁当包みを解き、弁当箱を開けると、綺麗な弁当の中身が見える。優弥は魁斗の弁当の中身をのぞき込み、
「わぁ、すごいね。それって、左喩さ…むぐっ」
優弥の口を大急ぎで塞いだ。そして、瞬時に耳元で、
「ちょっと来い、優弥」
席を外して教室の隅でこそこそと事情説明。自分は今一人暮らしで、左喩さんとは一緒に暮らしていないということになっている。これが、もしバレると、この学校の男子生徒に社会的に抹消されてしまう危険性があること。だから、口を滑らさないでくれ、と注意喚起をした。聞いた優弥は、うんうんと頷き、共に席に戻る。
「お前ら、いつの間にそんなに仲良くなったんだ」
帰ってきた二人に友作が尋ねてくる。
裏の事情を説明するわけにはいかず、優弥と肩を組み、「おれたちは前世からの同士なんだ」とテキトーにごまかした。
昼食を食べ進めていると、ふいに友作が優弥に尋ねる。
「そういえば優弥も弁当なんだな。お前の弁当もすっごい中身が綺麗だけど、母ちゃんか?」
優弥は一度、弁当の中身に目線を向けると、
「ううん。ぼく、母さんは居ないから……でも、これは作ってもらったんだ」
優弥はにっこりと優しい笑顔を見せると、弁当の中身を見せて「いいでしょ」と言う。
ふーん、あの仲居さんみたいな恰好をしていた人が作ったのかな、と魁斗は佐々宮の家でのことを思い返していると、友作はぷるぷる震えだし、堪えられなくなったように、顔を歪ませ、
「お前ら……同士って……そういうことか……」
また、なにか誤解をしているようだ。再び、涙を流して震えが止まらなくなっている。
おい、もうなんか……こいつの涙は見慣れたぞ。
そして、魁斗も思った。
優弥に母さんが居ないっていうのは今、初めて知った。
そういえば、おれは優弥のこと、まだ何も知らないな……。
優弥の顔を見やる。
優弥は突然泣き出した友人に何が起こったのかわからず、困惑した様子であたふたとしていた。
これから高校と裏世界でおそらく長い付き合いになっていくことになる。
少しずつこいつのことも知っていこうと、ひとり心に決め、大好物の唐揚げを口の中へと放った。




