第一章 消えた武器 ③
学校が終わり、放課後。
累も一緒に皆継家で稽古に取り組んだ。
門下生を含めた稽古を終えても、まだ体の体力が残っているくらいまでは成長した。
居残りで累と稽古を継続。内容は組手だ。今日こそは、一本取ってやると意気込んで立ち向かうも、
「……くっそ……はぁっ……はぁ……はぁ……はぁっ……」
まったく歯が立たない。というか、攻撃が当たらないのだ。どうしても。累の動きが速すぎて、掠りもしなかった。それに、攻撃が速すぎて防御も間に合わない。今回も、あえなく惨敗。
「はぁ……はぁ……」
「やだ……なんか、あんたがはぁはぁ言ってると変態っぽく聞こえてくるからやめて」
「……やめろ、たって……はぁ……はぁ……息が切れて…はぁ……んだから……はぁ……はぁ……しょうがないだろ…はぁ……はぁ……」
しばらく膝に手をついて、首を垂れる。息を吐き、大きく息を吸って、なんとか呼吸を整えていく。
「あぁ、しんどい……それに勝てない……なんでだ……?」
「あんたが弱いからよ」
いつものお決まりのセリフを吐かれる。
稽古でぶっ倒れることはなくなってきたんだけどなぁ……。
唇を嚙みしめながら、ちらっと累を見る。まだ余裕のある表情。だが、額からは大粒の汗が流れていた。
累の垂れさがる水気を含んだ前髪から光の雫が一つキラキラとこぼれ落ちるのを、魁斗はなんとなくぽけーっと眺めてしまう。首筋に一滴の汗がつーっと流れ、道着の中へと吸い込まれていく。汗で濡れた素肌に道着が張り付いて、水色のブラ紐がくっきり浮かび上がり、やたらと色っぽく見える。
魁斗は一度ゴクッと喉の音を鳴らし、唾を飲み込んだ。
「……なんか目つきがほんとにやらしい気がする」
盗み見ていた魁斗の目線に気がついた累は自分の体を抱きしめるように腕を交差させて半身になる。顔だけをこちらに向けてジト~ッとした湿っぽい目を向けてくる。
魁斗は、もはや開き直る。
ふっ、やれやれ、と。
両手を広げると大げさに首を横に振ってみせた。
しょうがないさ。おれは高校二年生。このくらいの年代の男子高校生なら、これが健全なんだよ、と勝手に脳内で言い訳ぶる。
「お前が変態っぽいって言ったから変態っぽくしたまでさ」
そして、意味のわからない発言をする。
「……頭、殴りすぎたかな?」
累は心配そうに魁斗の頭を優しく触る。
おい、本気で心配するような目はやめろ。
やめろ、触るな今朝のたんこぶ。
※※※
居残り稽古も終わり、累は自宅アパートへ帰っていった。その後、魁斗は入浴を済ましてから、自室に戻ろうと長い廊下を歩く。その途中、視界の先、玄関の方で左喩が水槽を眺めながら、なにやらにこにこと嬉しそうな表情で立っている。魁斗は今朝のことをもう一度謝りに行こうと玄関の方へと足を運んだ。
ぷくぷくぷくぷく。
エアが鳴る。
水槽の中で優雅に泳いでいるのは、魁斗が左喩と一緒に出掛けたお祭りの日に取った赤色の金魚と屋台のおっちゃんの計らいで頂いた黒色の金魚だ。
その金魚たちを我が子のような目で眺めながら餌をあげているのは、この家の最強にして最高の天使こと左喩だ。
嗚呼、なんて麗しくて慈愛に満ちた顔……。
魁斗は胸の前で指を絡めるようにして両手を組む。
「たーんと、お食べ」
左喩は金魚の餌を水槽の上からパラパラと落としていく。餌に気がついた金魚たちはそれに反応して、餌に向かって一直線。大きな口を広げて、吸い込むようにパクパクと食べている。
「ふふ、美味しいですか?」
優しい声の主は、笑顔で金魚に話しかけている。
「……」
その麗しき光景をしばらく後ろから眺めていると、左喩が魁斗の存在に気づき、振り返った。
「あら魁斗さん。いらしてたんですか」
声をかけられ、魁斗は緩んでいた顔を引き締めると、返事をする。
「ええ、元気そうですね。その金魚たち」
金魚たちは一目散に餌にかぶりついている。左喩は視線を金魚へと戻すと、
「はい、この子たちは元気ですよ~」
と、水槽をトントン突っつく。金魚はビクつき一旦餌から離れていく。
あまり水槽は叩かない方がいいですよー。
苦笑しながら、心の中でツッコむと祭りに出かけた時の、あることを思いだす。
「そういえば、この子たちの名前はなにに決まったんですか?」
魁斗の投げかけた問いに、左喩はなぜか何とも言えない微妙な表情を浮かべる。そして、しばらく黙った後におずおずと口を開く。
「……アカとクロです……」
「……」
あれ? おれが冗談で言った名前をそのまま使ってる……。
左喩さん、あのとき、そのまますぎますっ! って指摘してきたのに……。
「名前……思い浮かばなかったんですね……」
「……はい」
水槽の中の金魚たちに目をやる。
可哀そうに。この子たち、本当に見た目そのまんまの名前を付けられてしまって……。
「……やはり、サユとカイトの方がよかったですかね?」
左喩は眉をひそめ、神妙な顔で聞いてくる。魁斗は間髪入れずに、返事した。
「それは、さすがに恥ずかしいのでやめてください」
しばらく左喩と共に並んで金魚を眺める。第二の主として、魁斗も餌を与えてみた。すぐさま水面へ上がってきて鯉みたいにパクパクしだす。
可愛いな、こいつら。
見てて飽きなかった。ほのぼのしていると、今朝のことを謝ることをすっかり忘れていた。
そうだ、謝るんだった。今朝の最高のハプニングのこと。
「左喩さん、そういえば今朝はすいませんでした」
魁斗は体を向き直し、きちんと左喩の目を見てから、お辞儀をして謝った。顔を上げると、左喩が魁斗の目を不思議そうに見つめ返す。
「さて、なんのことでしょう?」
恍けた。
はて? はて? と小首をわざとらしく傾げてこめかみに人差し指を当てている。
なにもなかったことにしようとしているらしい。それは、こちらも大賛成だ。ならば、乗ろう。
「そうですねっ! なんでもありませんっ! 今朝は何もなかったです!」
ノリノリで敬礼しながら返事をした。
「……なんか、そう言われると、はらわたが煮えくりかえりそうですね」
「ごめんなさい」
調子に乗りすぎた。
「噓です。いいですよ、もう」
ふふっ、と笑ってくれ、それで本当に済ましてくれた。
危ない。いつも調子に乗りすぎてしまう。
浮かれた心を静めていく。
「そういえば、魁斗さん。どうでした? 何か、情報が得られましたか?」
左喩はこちらを見ながら、尋ねてくる。仕切り直しとばかり、話題は例の件へ。
「いえ、特に新しい情報は得られなかったです。でも、修次さんは取引現場らしい画像を入手してました」
「そうですか……それならまた近々、新しい情報が入って来るかもしれませんね。うちの父、家のことはてんでダメなんですが、情報屋としての腕はたしかなので」
智子さんと同じことを言ってる。さすが娘。
「はい。すでに依頼しました」
「それならまず早いでしょう。待っておきましょう」
話したいことも話し終え、そろそろ自室に戻ろうと踵を返したとき、
「あ、そうだ、魁斗さん」
自室へ向かおうと足を一歩踏み出したら呼び止められた。「なんですか?」と言いながら振り返ると、
「そろそろ、魁斗さんをうちの傘下の≪佐々宮≫と≪隠里≫に紹介しようと思うのですけど、いかがですか?」
佐々宮と隠里……。
「……はあ、いいですけど……」
皆継に来てから一年が過ぎた。皆継の傘下とされる人たちには、まだ会ったことが無い。だから、どんな人たちがいるのかなんて想像もつかない。左喩さんみたいにすごい力を持っているのだろうか?
「都合が近いうちにつくのが佐々宮なので、今度一緒に行ってみましょう。佐々宮なら、累さんも一緒で大丈夫ですから、聞いてみてください」
「りょ……りょうかいです」
なんかよくわからないけど、決まった。




