第一章 消えた武器 ①
――ぼくはすみれの花が好きだ。
――ある日、きみに手を差し伸べられたその日から。
――きみのその優しさは控えめだけど奥ゆかしい。
――いつのまにか、そっと寄り添ってくれているような
――ひっそりと小さく咲きながらも芯のある、そんな可憐な花だ。
陽光が降り注ぐ。
空はすっかり明るくなり、青空がぐんぐんと力強く広がっている。
ただいま午前六時半。九月の下旬。
少しは秋らしく涼しくなるかと思いきや、まだまだ日の光は温かい。
そんな中、朝の心地よい爽気を掻き分けていく二人がいた。
魁斗は累とともに皆継家へ向かって、できる限り足早に歩を進めていく。
歩きながら魁斗の胸には小さな火が灯っていた。ただ、暁斗との戦闘の時のようにカッと熱く己を焼いたりはしない。炎を灯さないままに、じりじりと胸の内を焦がすような、そんな熱だ。
魁斗は頭の中で、先ほどまで居た事務所内でのやり取りを思いだす。
累がパソコンを覗き込んで自分の名前を呼んできて。
手招きされるまま、パソコンを覗き込んだ。
パソコンの内容には、『自衛隊の駐屯地から武器と弾薬が盗まれた』と書いてあったが、それだけではない。重要なのは、関係者らしき名前。『蒼星が絡んでいる』という文字。わかりやすく赤文字に変換されていた。
――蒼星暁斗が動き出したのかもしれない。
それから、魁斗はおもむろに事務所を飛び出した。
向かう先は皆継家。
とにかく今は詳しい情報を聞きたい。
「蒼星ってことは暁斗かな?」
歩みを止めぬまま横にいる累に質問する。
「さあ……わからない。蒼星の組織構成なんて知らないし……」
「そっか……」
まあ、そうだろう。名前には蒼星としか書かれていなかった。暁斗であるかどうかはわからない。送られてきた情報だけでは、なんとも言えない。
「でも、暁斗かもしれない」
魁斗は、そう口にした。
その可能性だって大いにあるはずだ。理由は特に無いが、妙に暁斗が動き始めているのではないかと睨んでしまう。逆に言えば、望んでいるのかもしれない、おれは……。
※※※
皆継の屋敷に着いた途端、気が急くままに魁斗は左喩の部屋へと一目散。累を置き去りにして走り出す。
「左喩さんっ!」
魁斗はおもむろに左喩の部屋を仕切っている襖を開いた。
ダンッと、音をたてて開かれた襖。
そして、中の光景に思わず目を剥いた。
ノックもせずに襖を開けてしまったことを後悔……いや、正確に言えば後悔はしていない。むしろラッキーとも言える。だが、そんなことを今の魁斗は思うことができなかった。
目の前には確かに目的の人物……皆継左喩は居た。
ただし、いつもの恰好ではない。半裸の状態だった。
制服へ着替えようとしていたのか、身に纏っているのは上下純白の下着のみ。
この一年弱、一緒に暮らしていて、こうしてさらされた素肌を拝むのははじめてだった。もっとこういうラッキースケベな出来事は、こんなシリアスな場面でなく、平和に過ごしている時に起こりうるものだと思っていた。それが何の因果か、最悪なタイミングで来たものだ。
「あのぅ~……襖を閉じて頂きたいのですけど……」
左喩が声をかけるまで、意識が吹っ飛んでいた。ただ、意識を取り戻しても、体は硬直したまま。
目の前のありがたい光景をじっくり、まじまじと眺めてしまっていたのだ。自然と。これは、男の本能と言うしか他ならない。
魁斗の瞳に映るものを開示しよう。
無駄なものがついていない、くびれたウエストライン。ただし、女性らしい魅力のある肉付きがある。彫刻のように腹筋の縦筋が美しい、そのお腹に小さな縦型のおへそを丸出し。普段の見立て通り、やはり出るところが出ている張りがありそうなバスト。くっきりと影を落とす魅惑の谷間。それと、普段は制服のスカート丈が長くて拝めなかった絶対領域。そしてヒップラインは安産型。
ボンキュッボンと脳内でビートが刻まれていく。
この光景、しかと我が眼に焼き付け……
頭に衝撃が走る。
首が右に傾いていた。突然殴られたのだ。いつのまにか追いついてきた隣にいる人物に。
「あんた、いつまで固まってんの! 早く閉めろっ!」
がったーん! と大きな音をたてて襖が閉じられた。
床の間にて。
座卓の前で座布団には腰を降ろさず、魁斗は直接畳の上に正座していた。頭にはたんこぶが膨らみ、ガンガンと頭蓋にまで響いている。物凄く痛い。そして、なぜか累とも気まずく重い空気のまま、左喩が部屋に来るのを静かに待っていた。
トン、トン、と足音が聞こえてくる。
左喩は床の間に入る前に一度立ち止まり、ゴホンッと咳ばらいをしてから、平静を装って部屋の中に入ってきた。
「すいませんでした!」
魁斗は左喩の顔が見えた瞬間、畳に手をついて、頭を地面に伏せ、謝罪の言葉を述べる。土下座である。
左喩は魁斗の前に腰を降ろすと、
「いえ……いいです。気にしてないです」
目を開けず、平坦な声で返事をしてくれる。
気にしていない……? ほんとに?
でも、そんなふうにも見えず、
「ほんとですか?」
尋ねてみる。
左喩はようやく片目を上げたかと思えば、
「気にした方がよろしいですか? 魁斗さん的には」
なにやら変な妖気を感じる。
「いえ、気にしない方向でお願いします」
顔を上げて真面目な顔で答える。隣であんたはバカか……と小さく呟く声が聞こえたが、これにてこの件は終わりにしたい。
「では、気にしない方向で進めます……」
物凄くありがたい。
「……」
だが、左喩が一旦押し黙る。
な、なぜ? 黙るの?
「左喩さん?」
唐突な沈黙に思わず声をかける。左喩はゴホンッ、とわざとらしく咳ばらいをして、
「……とは言っても、女性の部屋にノックも無しで入るのは、どうかと思いましたけど……」
「ほんとにごめんなさい。反省してます」
魁斗は焦りもう一度手をついて、頭を畳に擦りつける。土下座だ。そして顔を上げ、瞳をうるうると潤ませた。反省しているんです、ということを伝えたい。
左喩は、その瞳を見つめ返したかと思えば、はぁ~と呆れたように、一度ため息をついた。
「……それで、どうされました? 血相を変えた顔をして」
話題を変えてくれた。
どうやら左喩からのお許しを頂いて? この件は一旦落着……ではないかもしれないが、左喩から話題を変えてくれたのだ。気を取り直して、今回の件は例のお姿だけは忘れないように脳内保存をしておいて、魁斗は本来の目的を果たす。
「あの、蒼星が絡んでいるかもしれないっていう情報がきたんですけど、左喩さんはなにか知ってますか?」
これだけでは、伝わらないとパソコンに送られてきた文面を伝える。
「……申し訳ないですけど、わたしにもまだそれくらいの情報しかおりてきていません。ただ、聞かされた情報によると銃が約50丁ほど消えて、それが蒼星の勢力に取引されるかもってことだけです。すいません、力になれなくて」
目線を落としながら左喩が謝る。
「いえ」
返答するが、がっくりと肩を落としてしまう。
左喩にも、あまり情報はおりてきていなかった。
これ以上は情報がつかめなさそうだと、あきらめかけたその時、
「そうだ、あの人を尋ねてみたらどうでしょう。今日もいつものところにたぶん居ると思いますよ」
左喩が両手を胸の前でパンッと叩いて、提案してくる。
「あの人?」
魁斗は誰のことかわからず聞き返す。左喩はにっこり笑い、言葉を継いだ。
「わたしの父です――」




