第四章 転校生 ①
累と仲直りして、数週間が経った。
学校での累の態度は相変わらずだが、自分がむやみに口を出すのはやめた。
累には累のやり方や生き方がある。変えないというのも累が決めたことだ。それを自分が良かれと思ってむやみに変えようとすることは野暮なこと。それに、人を変えるというのは難しい。難しいし、おこがましい。本人が変わりたいと思わなければ人が変わるということは難しいのだ。
魁斗は頭の中で思考を整理し、答えを出す。
極力見守ることにする、そう決めた。
いつものように帰りのホームルームが終わる。
修行の頻度やペースは左喩からの助言もあり配分することにしている。だけど、今日は道場で修行を開始。
すこぶる体調は良い。
少しずつだけど、前からいる門下生の動きにはついていけるようになってきた。
門下生のひとり、――高田秋氏――が、稽古終わりに声をかけてくれる。
「お疲れさん。お前強くなったよなぁ、異常な速さだぞ」
「えっ? そ、そう? そうかな……?」
めちゃくちゃ嬉しい言葉だった。思わず緩みそうになる口許を、汗を拭っていたタオルで隠す。
「ああ、まだ一年だろ。すごいわ、お前」
自分よりも強くて、体格がいい相手にストレートに褒められて、嬉しい気持ちが抑えられない。口角があがってしまう。
「嬉しいです、ありがとうございます。でも、高田さんからはまだ一本も取ってないですけどね」
言葉を返すと高田は悟ったように表情を緩ませた。
「いや……もうたぶん、そのうち追いつかれるよ。わかるんだ。……まあ、だけど、負けないようにおれも頑張るわ」
そう言って肩に手を置かれると、高田は道場を去っていく。
他の門下生たちも道場から出払い、魁斗一人だけが残った。
嬉しい気持ちが胸から沸き上がり、そのまま道場内で余韻に浸る。
おれ、成長出来ている……。
ある人物の顔が思い浮かぶ。その人は、いつも笑顔で応援してくれている。
……左喩さんのおかげかな。
頭に思い浮かんだ人物に一刻も早く会いたくなり、道場に礼をすると、屋敷へ駆け足で戻った。
左喩は縁側に腰を下ろして、外の景色を眺めながらお茶を飲んで一息ついていた。ぶありと温かな風が吹き抜け、艶やかな黒髪がぱらぱらとなびく。頬にかかった束を指先で耳にかけ直しながら、もう一度お茶を飲む。その佇まいだけでも絵になる。思わず、ぽけーっと見惚れながら、その光景をしばらく眺めていると、左喩と話がしたいことを思いだした。幸いアホのように口を半開きにして、左喩を眺めていたことには気がついていない様子。
魁斗はバレないように後ろからこっそりと近づいていく。
抜き足、差し足、忍び足……と徐々に左喩の背後へと迫る。
この歳にもなって驚かそうとしているのだ。自分でもかなり浮かれていると思う。
そろりそろりと近づいていくと、後ろに目があるのか、左喩は振り返りもせず、真っすぐ前を向いたまま、魁斗に声をかけてきた。
「一緒にお茶しますか?」
ビクッと体が動きを止める。声をかけられ、逆に魁斗が驚いてしまった。
左喩にお茶とお茶請けを用意してもらって、横に並んで外の景色を見ながらお茶を飲む。庭には小さなスズメがちゅんちゅんと可愛い声を出しながら、とことこと歩いていた。
今日はいい天気だ。
燦燦と輝く太陽は、未だ夏らしく。じりじりとした温度にふわりと香る温かな風。まだまだ夏は終わらないぜ! とばかりに蝉が力いっぱい思いのたけを乗せて鳴いている。そんな熱い季節でも、二人はマイペースにお茶を飲み進める。
「今回はきゅうりを漬けました。いかがですか?」
タッパーの中のきゅうりの漬物を一つ頂く。
口に放り込むと、ポリポリポリポリ、と小気味の良い音が鳴る。
丁度よい塩味に気持ちのいい食感。
「今回も美味しいです」
「ふふっ、よかったです」
おしとやかなで綺麗な笑顔。
「間違いなく、良いお嫁さんになりますね。おれが保障します」
魁斗はお決まりのセリフを言う。でも、心の底からそう思う。
「あら、そんな……」
左喩は両手で両頬を押さえ、照れて見せる。ここまでがワンセット。
今日の稽古で門下生の高田が褒めてくれたことを左喩に伝えた。
「だから言ったでしょう。魁斗さんは異常な速度で成長してるって」
そう言って左喩は自分のことのように誇らしげに胸を張る。
累よりも二段階は大きい胸が強調される。
ドキドキしながら、その強調された胸をチラチラと覗く。
D……もしくは、Eまでありえるか……?
「ときに魁斗さん」
「はいぃぃっ!」
いきなり平坦なトーンの声色になったため、自分が左喩の胸を見て脳内でカップ数を予想しているのがバレたかと思って焦った。
「約束を忘れていませんか?」
「やくそく?」
はて? 約束をした覚えなど記憶にございませんが……。
「忘れてしまったんですか?」
忘れた? おれが? 何を?
首を傾げていると、左喩は少しすねたような顔になり、唇を尖らせる。だけど、全然、約束事を思い出せない。
「えーと……すいません、何か約束しましたっけ……?」
「もうっ、お礼ですよ! お礼!」
お礼? お礼と言えば……。
魁斗は記憶を呼び起こす。
数週間前に累と仲直りをした……その晩に左喩さんに報告。報告の帰りに、こそこそっと言われた、あれだ。
「ああ! 思い出しました! お礼、忘れてないですよ! でも、約束……?」
約束なんてしていないような……。
眉をひそめている魁斗の言いたいことがわかったみたいに左喩が言葉を付け足した。
「あれはもう約束です」
あれはもう約束だったらしい。
「え、でも……本当?」
「わたし、魁斗さんに噓をついたことがありますか?」
皆継家に来てからのことを振り返った。
おそらく一度もなかった、はず。
いつでも左喩さんは自分に真摯に向き合って言葉を述べてくれていた。多少、理不尽な男女関係のことを述べていたような気はするけど……。
「ありませんね」
魁斗ははっきりと答える。
でも、まさかあの時の言葉が生きているなんて思いもよらなかった。
あの後は、ずっと言われた言葉に対して悶々としてしまい、その日はなかなか寝付けなかったのを覚えている。
「まさか……魁斗さんに忘れられていたなんて……。わたし、この数週間、いつお礼してくれるのかなっ、なにをしてくれるのかなっ、どっか遊びにでも連れて行ってくれるのかなっ、わくわくって……ずっと楽しみに待っていたのに。ひどいです」
およよよよよ、と大げさに顔を覆いむせび泣く素振りを見せつけられる。
「魁斗さんにとって……わたしって、その程度のものなんですね……」
わざとらしく両手で顔を覆って、今にもえーんえーんと泣き声が聞こえてきそうな素振り。たぶん嘘泣きである。半分はわかっている。わかっているが、それでも目の前で女性が泣いているかもと思うと十分に焦った。
「そんなわけないじゃないですかっ! お礼します! させてください! 左喩さんには普段からお世話になっているので……! なんでもしますから、泣かないでください!」
「ほんとですか……?」
左喩は顔を覆った指の隙間から潤んだような瞳でこちらを見る。ちなみに涙は顔にも指にも付着していない。
「もちろんです」
「じゃあ……泣くのはやめます」
けろっと何事もなかったように顔を覆っていた両手を下ろす。涙は流れていなかった。
おい、やっぱり噓泣きじゃないか! 嘘つき!
たった今、嘘をつかないみたいな内容が話題に出たのに、一分も経たずに嘘をつかれてしまった。
くそぅ、と小さく唸りつつ、魁斗はお礼についてどのようにすればいいのか、思考を巡らす。
あの時、デートって言ってたよな。デートってどこに行けばいいんだろう? ショッピングモールか?
生まれてこの方、いまだ女性とお付き合いなどしたことが無い魁斗は経験値が皆無。恋愛偏差値の低い頭で悩んでも答えはいっこうに出やしない。
「左喩さんは、どこか行きたい所とかありますか?」
考えてもなにも思い浮かばないため、本人に直接尋ねることにした。
この辺、経験値があればスムーズに何個か選択肢が出るとは思うのだけれど、今の自分には無理だった。
「……もうすぐ夏も終わりますね」
「はい?」
左喩は意味ありげに、外の景色を見て呟く。
夏が終わる……どういうこと?
話しの脈絡から相手がなにを望んでいるのか読み取れない。その言葉から、夏のなにかを連想することができなかった。
左喩は、はぁっと大きくため息をついた。
「この夏の終わりに、隣町でお祭りがあるみたいなんです」
「ああ、お祭り……」
「……」
何かを求めるような目で、じぃ~と見つめられる。
「ええと、お祭り行きたいんですか?」
左喩はコクッと頷く。
よし、じゃあお祭りに出かけるで決定。じゃあ、決定ですね、と言う前に、
「誘ってください」
「はい?」
「だから、誘ってください!」
「ああ、なるほど……」
ようやく意図がつかめた。ゴホンッと一回咳払い。縁側から足を降ろしていた体勢から姿勢を整える。まるでプロポーズをするかのように片膝をついて、背筋をピンと伸ばす。可能な限り自分の思うイケてる女性の誘い方を想像して。そして、自分の中で最大限のかっこいい顔を表情に浮かばせて、そっと手を差し出す。
「左喩さん。おれとお祭りデートに出かけませんか?」
「はい。喜んで」
左喩は魁斗の手をそっと握って、にっこりと笑った。
ふむふむ。これが、女性の求める男性のしぐさなのか。
うむ。やっぱり女心はわからん。
少しでも「面白い」「続きを読みたい」と思って頂いた方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星「☆☆☆☆☆」よろしくお願いします!