第八章 戰花 ③
冷えた声。
風花の顔を見ると、何の色も表情には浮かんでいなかった。まるですべて抜けきったような、無機質とすら取れる無表情。そっと吐息を零す。白い息が立ち昇る。やがて、それが宙に消えると、
「ふっ――!」
風花の腕が瞬時に動いた。手にしていたナイフを回転させながら投擲。
魁斗は投げつけられたナイフの柄の部分を上空へ弾き飛ばす。
その隙に風花が凄まじい速度で駆けこんできた。両手にはナイフを所持。走りながら右手にあるナイフを投擲。今度は刃の部分を直進に飛ばしてくる。顔を横に逸らして避けたが頬を掠める。
左手も振る――投擲。
同じように反対へ顔を逸らして避ける。
風花が近くまで迫ってきた。しかし、両手にナイフは所持していない。それでも止まることなく突っ込んでくる。
また体当たりか……!?
思うも予想は外れた。風花は魁斗の手前、最後の一歩で大きく跳躍。くるくると空を舞っていたナイフを右手でしっかり掴むと勢いよく振り下ろしてくる。
意表をつかれた。
避けようにも動作が遅れ、右の肩口から胸のあたりまで肉を浅く裂かれる。
「――っ!」
魁斗は痛みで苦顔を浮かべるが、追撃をさせまいと風花の脇腹を狙って中段蹴りをくり出す。だが、風花がバック転でその場を飛び退き大きく下がる。その飛んでいる最中にも腕を振ってナイフを投擲してきた。右大腿部に突き刺さる。
「うっ……ぐ!」
歯を食いしばりながら刺さったナイフを強引に引き抜いた。地面に放り投げる。血が流れ出てくるが筋肉を収縮させて傷口を締める。血は止まるが、痛いものは痛い。
やっぱりこいつ。どこか忍者っぽい……。
身のこなしが累や彩女と似ている。村雨風花は忍びの類ではないだろうか。
魁斗は痛みを散らすように息を吐き、腰を落としていく。半身になり戦闘の構えを作って、拳を握り込んでいく。油断すると、瞬時に殺される。相手は先ほどよりも明らかに動きが俊敏だ。
風花を見据えると、まだ無表情を貫いている。両手には、またナイフを所持。いったい何本、懐にナイフを隠し持っているのだろうか。
「ふっ!」
風花が身を屈めながら、腕を振る。
地面に対して水平の回転をかけて、ナイフが飛んでくる。
続けて反対の手でも同じ回転をかけて、投げつけてくる。えらく雑破だ。
雑な攻撃。なにを狙ってる……?
魁斗は跳躍し、ナイフを躱す。
てっきり躱した隙を狙って風花がまた突っ込んでくると思っていたが、風花はその場から動いていない。
無味乾燥な目で、こちらを伺いながら風花はまた懐からナイフを取り出した。手の上で遊ぶように軽くナイフを投げて、くるくると回転させると、受け取った瞬間、両手を同時に振った。
再び、ナイフによる投擲だ。
投げられたのは二本。
雪を切り裂き、矢の如くナイフが迫ってくる。このまま動かずにいると突き刺さる部位は右肩と左大腿部。
魁斗は急いで右肩を引き、半身になりながら左脚を内側に回し入れた。直後、勢いよくナイフが体の横を通過。風花をもう一度見てみる。
依然として風花は、その場に留まっている。そして、右腕を隠すように体の後ろに引いた。
また、ナイフを投げてくるか……!?
思った瞬間だった。
右肩に鋭い衝撃が走る。
「な……っ!?」
衝撃があった部位に視線を巡らすと、血が流れていた。完全に刃物で斬り裂かれている。
えっ、どういう……!?
疑問が魁斗の脳裏を飛び交うが、しかし、戦闘は止まらない。
次に、左脚に鋭い衝撃は走る。
「……っ!」
左の大腿部が切り裂かれている。魁斗は急いで目線を走らせる。そして、体を傷つけたモノの正体がわかった。
先程、魁斗の体の横を通過していった二本のナイフが、風花の右手に吸い寄せられるように戻っていった。二本のナイフを器用に長い指で挟み込むようにして掴むと、ナイフの刃からは血液が滴っている。
ナイフが手元に戻っていった……。
風花は右手に収められた二本のナイフをもう一度投擲してくる。
魁斗はそれを眼で追う。今度は左胸と腹部あたりに迫ってくる。横っ飛びしながらなんとか躱す。体の脇を通過。一度、風花を見た。風花はその場からは動いていない。だが、素早く右手を引く。魁斗は通り過ぎて行ったナイフにもう一度視線を向ける。二本のナイフが空中で方向転換。意思を持ったように魁斗の体に向かって再び迫ってきた。戻ってきたナイフをもう一度横っ飛びして躱した。躱しきると、ナイフの行方を追う。先ほど同様に風花の手元へとナイフが戻っていった。
眉間に力を込めるように目を凝らしてみて、そして気づく。
ナイフの柄の部分から少しだけキラリと光る糸のようなものが括りつけられている。
ピアノ線? ワイヤーか。
凝らさないと見えないはずだった。極細のワイヤー。おそらく太さは0.1mm程度か、それ以下。今の、この眼じゃなければ見えなかった。
もう一度、風花がナイフを投げ込んでくる。
だが、もうからくりはわかった。
魁斗は飛んできたナイフを避ける。そのままナイフの行方を追っていると、案の定ナイフが戻ってきた。魁斗はもう一度横っ飛びして避けると前を向いた。攻撃に転じようとしたのだ。だが、
「――っ!」
また、切り裂かれた。左右の脇腹から血が流れ出る。
なんで……!?
急いで前を向くと、風花の左手にナイフが二本吸い寄せられていく。左右の手に二本ずつナイフを持っている。
あのナイフ……そうか……さっきの雑な攻撃。あれはわざとナイフを避けさせたのか。
風花の布石だったみたいだ。まんまと術中にはまっている。この時点でかなり経験の差を感じる。だが、筋力や体格、【血死眼】を発動させた運動能力では風花には劣っていない。
敗けない……死んでたまるか。絶対に生きて帰る。
拳を握り込んだ瞬間、風花がその場で左右の腕を動かした。
四本、ナイフが同時に飛んでくる。
魁斗は地面を蹴って、横っ飛び。空中でグルンと翻って、飛んできたナイフを全て躱す。
ナイフの行方を追うと、当然再び戻ってくる。怒涛のように四本のナイフが魁斗の体目掛けて襲ってくる。魁斗は地面に手をついて、腕だけで反動をつけ跳躍。数メートルは飛んでナイフを躱し、地面に降り立つ。すぐに態勢を変えようと、風花の方に顔を向き直す。
気づけば目前に風花が迫ってきていた。両手にナイフを携えて、魁斗の首元に向かって、右手にあるナイフを鋭く薙いでくる。
――しまった。
態勢が崩れている。着地直後のため、急には方向転換できない。
――最悪だ。意識をナイフに持っていき過ぎた。
ここまでが風花の仕掛けた作戦だったみたいだ。自分はまんまとしてやられた。スローモーションのように首元にはナイフの刃が迫ってくる。
――避け、きれない……。
なんとか対処しようと拳を上げて、ナイフを弾こうとするも、間に合いそうにない。
――殺られる。
奥歯を噛みしめ、強く目を瞑った。
そして、時は無情にも流れる。
風花が――ナイフを一閃。
『死』が脳裏に浮かんだ。




